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〈昭和時代(20)〉

1982(昭和57)【昭和】 壬戌(みずのえいぬ)

  《総理大臣》[第70代]鈴木善幸(→11/27)、[第71代]中曾根康弘(11/27→)
  《知事》[第47代(公選9代)]久保勘一(→03/01)、[第48代(公選10代)]高田勇(03/02→)
  《市長》[第25代]本島等

  01/18総事業費51億8800万円の旭大橋が開通
     取付道路を含む総延長839米、高架部689米(橋長523米)、幅員17米、浦上川水面からの高さ16米
     1980(昭和55)の1日の交通量が9万4600台という長崎駅前〜宝町交差点の混雑解消が目的
  02/08午前3時35分頃、東京・永田町にあるホテル・ニュージャパンの9階付近から出火
     またたく間に9、10階が燃え上がる
     9、10階には103人が泊まっていたが、睡眠中のため逃げおくれた人が多く33人が死亡、24人が重軽傷を負う
  02/羽田沖で日航機墜落
  03/19県の花に「雲仙ツツジ(ミヤマキリシマ)」が指定
  03/25新地町のスーパーマーケット・マルタマストア跡地に藤田観光が長崎ワシントンホテルが開業
     市内のホテルや旅館、国民宿舎や民宿などの宿泊施設は237、1日の総収容人員は約1万2千にのぼる
  03/29彦見町376-74に愛宕平公園(266.97平方米)が、稲佐町290-3に春日谷公園(304.52平方米)が
     東山手町45他にオランダ坂東公園(217平方米)が、本尾町259に本尾公園(2300平方米)が
     城山台2丁目237-232におおぞら公園(2997.44平方米)が、城山台2丁目237-235にやまびこ公園(1186.76平方米)が
     城山台2丁目19-4にやすらぎ公園(942.21平方米)が、城山台2丁目4-1にみはらし公園(763.01平方米)が
     中里町943-16に田の頭公園(176.53平方米)が、田中町79-50に東望南公園(280.23平方米)が
     鳴見町24-94に鳴見東公園(666.44平方米)が、鳴見町24-88に鳴見南公園(627.43平方米)が
     鳴見町24-84に鳴見中央公園(556.33平方米)が、鳴見町52-13他に鳴見西公園(507.33平方米)が
     鳴見町40-20他に鳴見北公園(350.75平方米)が、福田本町1430-17他に福田本町公園(965.39平方米)が
     木鉢1丁目109-51に木鉢1丁目公園(769.66平方米)が、大手3丁目450-13他に大手町北公園(304.86平方米)が
     鶴見台1丁目297に鶴見台第1公園(4152.34平方米)が、鶴見台2丁目385に鶴見台第2公園(1673.24平方米)が
     鶴見台2丁目384に鶴見台第3公園(3760.44平方米)が、鶴見台2丁目386に鶴見台第4公園(435.77平方米)が
     白鳥町1197-56に白鳥団地公園(559.34平方米)が、家野町2400-2にの峰山公園(337平方)が
     葉山町15-29に葉山台第1公園(218.53平方米)が、葉山町554-15他に葉山台第2公園(419.13平方米)が
     横尾2丁目1446-444他に築廻公園(4462.45平方米)が、横尾4丁目1446-330に猿田公園(508.39平方米)が開設
  03/30西彼杵郡外海町大字黒崎西出津郷に姉妹都市公園(3080平方米)が開設
  03/31西彼杵郡琴海町長浦郷に琴海中部運動公園(2万2567平方米)が開設
  03/長崎大学の水産学部で2代目実習船「鶴水」(27.8総瓲)が竣工
     1986(昭和61)02/3代目練習船「長崎丸」(842総瓲)が竣工
     初代目練習船「長崎丸」(103総瓲)は1952(昭和27)06/に竣工
     2代目練習船「長崎丸」(562.98総瓲)は1964(昭和39)03/に竣工
  04/04長崎県氏子青年連合会が設立される
     神社への奉仕活動を中心とする氏子青年の組織
     ふるさとの祭りの振興を通して、清くうるわしい社会の建設に努める
  04/25来日中のカトリック修道女マザー・テレサ(71、アグネス・ゴンジャ・ボヤージュ)が長崎空港に到着
     ヨハネ・パウロ2世の勧めで来崎
     原爆資料館を見学し講義
     「…原爆は悪魔の行為です。核を作った人はどういう結果をもたらすか資料館を見てほしい…」
     04/26大浦司教館の里脇浅次郎枢機卿を訪ねる
     信徒たちによって集められた「マザー・テレサ献金」450万円が手渡される
     また長崎国際体育館での「愛…マザー・テレサと母と子の大集会」に出席
     04/27離崎。翌日、大阪よりカルカッタへ帰途
  04/長崎バス(株)神の島営業所が隣接地に新築移転
  04/株式会社長崎西海建設が本社を長崎市興善町2番8号に移転
     1994(平成06)01/社名を(株)西海建設に変更
  05/12中国の女医2人が長崎市民病院で3か月間の研修
  05/長崎バス(株)が茂里町営業所の一部を分離し旧飽の浦営業所跡地に稲佐橋営業所を開設
  06/01三景台団地の町名、早坂町、弥生町、田上町が住居表示の実施により三景台町となる
  06/24ニューヨークの国連本部にて第2回国連軍縮特別総会が開かれる
     本島等長崎市長、被爆者代表の山口仙二、県地婦連の小池スイなどが参加
     日本代表として荒木武広島市長、本島等、山口仙二が演壇に立ち核兵器廃絶と軍縮を訴える
      本島「長崎は永遠に、地球上における最後の被爆地でなければならない…」
      山口「人類は絶対に繰り返してはならない…」「ノーモア・ヒバクシャ…」と述べる
     反戦反核のデモには世界40か国、50万人が参加
     アメリカ史上最大のデモの先頭に立ったのは日本人のグループ
  07/13〜30梅雨末期の集中豪雨により山口県全域で被害。被害総額74億5551万3000円
     死者4人、負傷者3人、家屋全壊1棟、家屋半壊2棟、床上浸水7棟、床下浸水257棟
  07/23長崎が気象観測史上最大の集中豪雨に見舞われる。長崎大水害
     09時00分黄海にあった低気圧がやや発達して東進。九州地方に南よりの著しく湿った空気が流入する
     14時20分壱岐・対馬地方に大雨洪水警報がだされる
     14時20分壱岐・対馬への警報を受けて県庁が警戒本部をを設置する
     14時20分壱岐・対馬への警報を受けて県警本部が災害警備連絡室を設置する
     15時00分低気圧が済州島の西海上に達するが速度はかなり遅くなる
      この低気圧に伴う梅雨前線は09時ごろ九州南海上から北上
      九州北部に停滞して活動が活発になる
     15時25分長崎海洋気象台が長崎地方に大雨洪水強風波浪注意報を発令
     16時50分長崎地方の大雨洪水強風波浪注意報を大雨洪水警報、強風雷雨波浪注意報に切り替え
      大雨洪水警報は7月に入って5回目
      警報が伝達される防災関係機関は気象業務法により義務づけられている6か所
       NHK、海上保安部、電電公社、県消防防災課、県警察本部、建設省長崎工事事務所
      ほかに各市役所、各消防局、NBC長崎放送局、長崎新聞など
      また同時送話装置の費用を負担して情報を気象台から得る契約をする九州電力など2、3の企業
      25日06時25分警報が解除される
     16時50分長崎県庁は警報の発令を受けて消防防災課に警戒本部、河川砂防課に水防本部をそれぞれ設置
      第1配備体制を敷く
     16時50分長崎市は警報の発令を受けて災害警戒本部と水防本部を設置する
     16時50分警報の発令を受けて県警本部の災害警備連絡室がB号体制の警備本部に切り替えられる
      長崎警察署は丙号体制の災害警備本部を設置。全署員に自宅待機命令がだされる
     16時50分長崎市消防局が警報の発令を受けて災害対策本部を設置
      中央消防署と北消防署に警備本部が設置され第2警戒配備体制がとられる
     16時50分すぎKTNが警報の情報を受信するとすぐにスーパーをテレビで放送
     16時55分すぎNBCが警報の情報を受けるとただちにスーパーをテレビで放送
     16時56分NHKが警報発令のスーパーをテレビで放送
      のち以後、10分〜20分間隔で繰り返す
     17時00分浦上警察署が災害警備連絡室を設置。全署員に自宅待機が命じられる
     17時ごろ浦上駅は門司鉄道管理局からファクシミリで大雨洪水警報の報らせをうける
      しかし警報に対する警戒態勢や乗客の避難誘導対策などの取り決めや指示はなされず
     17時15分県警本部に平戸市のがけ崩れの情報が110番通報により寄せられる
     17時19分消防局通信指令室から消防職員に大雨洪水警報の一斉指令をうける
      長崎海洋気象台から通信指令室に警報発表の連絡を受けたのは16時55分頃
      全市域に配置につく消防職員に警戒を呼びかける重要な初期情報「警報の伝達」は約20分遅れに
     17時20分東長崎署が県警から警報発表の通報を受け、全署員に自宅待機を指示
     18時00分長崎市内で散発的な停電がはじまる
     18時00分NBCテレビの「ローカルワイド」で改めて警報の発令を報道
     18時30分NHKテレビのローカルニュースで警報について2分間報じる
     18時30分NBCラジオが大雨に対する注意を呼びかける
     18時30分KTNテレビがニュース630のなかで放送
      07/11以来4回発令された警報と同じ処理
     18時30分西部ガスにガス漏れの通報が入る
     18時30分ごろ消防局の通信指令室が119番の災害通報でパニック状態に陥る
      119番は管轄内ごとに分けられた37回線分のランプがいっせいに点る
      非常事態に備えて7回戦で受信できる装置を持っていたが、テストを怠り故障に気づかず3回線のみで対応
      主に大瀬戸町、琴海町、長与町、時津町方面より
     長崎18時57分発肥前山口行の普通列車が現川駅でストップ
     18時59分消防局に長崎市北西部の三重田から床下浸水の第1報が入る
      続いて岩屋町から床下浸水の報
     19時00分長崎市災害対策本部の設置以前に自主的な避難所が江平中学校と三重田公民館に開設される
      江平中学校には避難者10人、三重田公民館には避難者6人
     19時00分長崎県庁が気象台から電話で大雨情報と大瀬戸町の豪雨被害情報を受け取る
     19時00分KTNの県警記者クラブ詰め記者は引き上げて不在に
      20時ごろ状況が深刻になり県警記者クラブに記者を1人派遣
      のち後発で規模が小さくもNTVとフジテレビの両キー局などとの連絡に追われることに
     19時ごろ中央消防署の3個分隊が大浦天主堂方面椎の木町の火災通報で出動
      誤報と確認深夜近くまで戻れなくなる
     19時すぎ長崎市役所の守衛室にある電話交換機の10回線のランプがいっせいに点る
      「道路の側溝から水が入るので土嚢が欲しい」「水が家にくる」「石垣が崩れた」「生き埋めになった」など
      以後、かたときも消えることなくランプはつきっぱなしに
     19時03分県警本部に琴海町長浦川の氾濫の情報が110番通報により寄せられる
     19時08分浦上警察署に女の都団地での土砂崩れの被害情報が寄せられる
      のち被害通報が相次ぐ
     19時10分長崎海洋気象台は防災行政無線を通じて各市町村に災害情報を発表
      災害情報は大きな災害が発生する恐れがあるとして各市町村に呼びかけるもの
       災害危険個所のチェックや避難命令など住民への適切な措置をとらせる
     19時10分NHKラジオのローカルニュースで警報について報じる
     19時10分九州電力の停電で長崎電鉄の出島、天神変電所の送電がストップ
      送電中の西町、川口変変電所浦上車庫の車両を線路の高みへ避難させようとするが増水で断念
     19時10分ごろ30分までの20分間に消防用車両の分隊ごとにほとんどが出動を開始する
     長崎19時11分発佐世保行きの普通列車が道の尾駅手前で河川の増水のためストップ
     19時13分県警本部に琴海町戸根川の氾濫の情報が110番通報により寄せられる
     19時13分浦上駅の線路が30糎ほど水につかる
     19時15分ラッキータクシーが引き上げ指令をだす
     19時16分消防局にがけ崩れの第1報が入る
     19時16分長崎発新大阪行の寝台特急「あかつき4号」は乗客148人【147人?】を乗せ立ち往生
      列車内で夜を明かすことに
     19時18分長崎駅にCTC列車集中制御法による列車停止指令がだされる
      長崎駅構内には「あかつき4号」(電気機関車+客車6両)、
      19時57分発の「かもめ26号」(電車8両編成)のほか予備車両8両が冠水のため発車不能に
     19時20分琴海町長浦岳の無線ロボット雨量計が18時からの1時間雨量153粍を記録したと長崎気象台が発表
     19時20分長崎市消防局が全職員を招集する第4警戒配備につく
     19時20分ごろ各所で山崩れが発生しはじめる
     19時30分被害状況を見て県警本部のB号体制の警備本部をA号体制の警備本部に強化改編
      長崎警察署は全署員を非常招集。甲号体制の災害警備本部に切り替える
     19時30分浦上警察署が全署員の非常召集を伴う被害警備本部を設置
     19時30分県警機動隊2個小隊、管区機動隊2個小隊、警察学校の生徒など1713人を災害現場に派遣
     19時30分NBCラジオが長浦の大雨と未確認のがけ崩れなどの情報を放送
     19時30分昭和町で濁流のため車30台が立ち往生。浦上署のパトカーが出動し45人を高台に避難させる
     19時30分浦上タクシーが引き上げ指令をだす
     19時30分国道34号長崎バイパスが通行止めに
     19時30分ごろ本島市長が秘書とともになじみの小料理屋に入る
      市長は23日朝から雲仙のホテル東洋館で開かれる土木関係の各種協会の役員会に出席
      午後、ビューホテルでのブラジル少年少女水泳使節団の歓迎パーティーや
      茂木地区飯香浦地蔵祭出席のためいちど長崎へ
      夜、ふたたび雲仙のホテル東洋館にもどる予定
      ビューホテルから飯香浦にむかう途中、夕食をとりながら雨がやむのを待とうと小料理屋に入る
     19時30分ごろ管理運営要員が市役所の指示を待たずに指定避難場所を自主的に開設。10か所に満たず
      河川の氾濫がはじまっているにもかかわらず
     19時30分ごろ長崎県警に救出を求める110番が入りはじめる
      「車に人が乗ったまま流された」「家が押しつぶされた」
      「川沿いの家が濁流に流されてなくなっている」「助けて!」など
      だが、警察は110番を受けるのが精いっぱい
     19時30分ごろ長崎警察署員が中島川増水のためロープを携行し警戒配置につく
      中島川周辺、浜町、銅座町周辺で住民に避難の勧告と誘導、水没車両の誘導、孤立者救助などにあたる
     19時30分すぎNHKが県警察本部の記者、常駐1人に対し、もう1人派遣する
      県警からの情報収集を強化
     19時35分アーケード内で1階での浸水がはじまる
     19時35分長崎電鉄が軌道内冠水のため電車の運行不能がではじめる
      運転中の電車が冠水のため乗客と運転士は避難。車両は軌道上に放置される
     19時40分ごろ滑石3丁目、北陽町、川平町、西町、田中町などで山崩れが発生
     19時45分ごろ浜市アーケード浜屋百貨店店内に水が入りはじめる
      社員は手分けをして1階と地下1階の商品を高い所にあげる
      およそ10分後店内に入る水の勢いが急に早まり水の色が土色に変わる
      シャッターが下ろされるが上昇する濁流の水圧でシャッターが内側に曲がる
     19時50分水位が40〜50糎となり長崎電鉄の西町変電所が閉鎖
     20時近く長崎市役所が災害対策本部の設置を検討しはじめる
     20時前後パトカー、検問車、広報車など広報拡声機材搭載車を出動
      中島川周辺の住民に対して高台に避難するよう勧告
     20時00分アーケード内での推移が50糎に
     20時00分一部停電区域がでる
     20時00分中島川が氾濫
     20時00分諫早市が災害対策本部を設置
     20時00分長崎県庁が県警から電話で市内北部の被害情報を受け取る
     20時00分長崎県営バスが運転中止指令をだす
     20時00分県警が避難勧告をだすと決定。対象は中島川と浦上川の下流域市街地
      パトカーのスピーカーなどを通じ直接市民に伝えられる。また放送各社に電話で放送依頼が行なわれる
     20時ごろ長崎の象徴・眼鏡橋が半壊する
     20時ごろ日見地区宿町で土砂崩壊が起きる。死者行方不明11人
     20時ごろNBC本社の地階シャッターまで浸水。電気室の配電本線を予備線に切り替えるなど、停電を回避
     20時ごろ消防局通信指令室への通報がパンク状態に。惰性に受けるしかなくなる
      一刻を争う重大な災害の通報を受けても、いつ現場にたどりつけるかの保証は全くない状態に
      河川氾濫、道路冠水、土砂崩壊、家屋全壊半壊など
     20時ごろ西浜町にあるファッションビル「ステラ」の洋画封切館ステラ座が停電のため上映中止に
      5、6階にあるステラ座では「キャットピープル」「ポルターガイスト」を上映
      「キャット〜」が終わった時点で停電、明りは非常灯のみに。館内放送が流れる
      「この停電は高圧受電機があります地下に、水が大量に入ってきましたので、
      電源のスイッチを切ったためによるものです」
      観客は30人足らずで混乱もおこらず
      20時30分ごろ下からあがってきた避難者でステラ座は150人近くに
      ステラビル1階の出入口が開いていたのは映画館に通じる階段のみ
      バスや電車を待つ人や銅座の歓楽街にでていた人たちが逃げ込む
     20時すぎ報道各機関に細かい災害情報が入りだす
     20時〜20時30分宿町、田中町、北栄町、鳴見町、滑石2丁目、東町、三川町、古賀町、川平町などで山崩れ
     20時10分長崎電鉄全線の運転を休止
      西町制御室が冠水し、変電所を制御室からスイッチをオフに。全面運行中止となる
      長崎電鉄の走行中の30両の車両の乗務員は車両防護のため徹夜で担当車に残る
      泥流に押し流されてきた流木や車が車両を傷つけないよう乗務員は孤独な闘いを終夜続ける
     20時10分ごろアーケードの側溝が雨水で吹きあがる
     20時11分船石から消防局に「山崩れで人が生き埋めになっている」という人的被害の第1報が入る
     20時12分日見地区芒塚町で土砂崩壊が起きる。国道34号が決壊。死者行方不明17人
     20時13分長崎市矢上出張所が停電となる
     20時15分NBCラジオがゴールデンナイターの合間に随時大雨情報を流す
     20時15分ごろ〜21時10分本河内町奥山で土砂崩壊が起きる。死者行方不明24人
     20時20分火災発生。以降、数件の火災が発生
     20時20分長崎海上保安部に巡視艇の出動を要請する
     20時21分矢上地区が停電となる
     20時30分浜町辺りの水位が100糎に
     20時30分23か所の指定避難場所に485人が、市の指定以外の避難場所に572人が避難する
      避難所の開設は、その開設が最も多くなる24日未明の約3分の1に過ぎず
     20時30分長崎県警が気象台から長崎市での豪雨情報を、県警から中島川の氾濫の情報を、それぞれ電話で受け取る
     20時30分長崎市災害対策本部が設置される
      【外部発表は20時30分、でも実際は20時50分頃?】
      16時30分設置の災害警戒本部を切り替え、消防局災害対策本部・消防署警備本部・市水防本部を統合
      1983(昭和58)01/31午後5時の閉鎖まで存続
     20時30分長崎市水道局災害対策本部が設置される
     20時30分長崎県庁が災害対策本部を設置する
      第1配備から第3配備に体制がかわり、情報収集のため県警に職員を派遣
     20時30分ごろ県警警備課長が県警詰めの記者に依頼
      中島川、浦上川流域の住民に対する避難勧告をテレビ、ラジオで放送して欲しい旨
      記者は直接、局に依頼するよう答えるが、電話はつながらず
      21時すぎ各局が県警からの避難勧告の放送依頼を受ける
     20時30分すぎ豪雨のためNHK局内が停電、急きょ自家発電に切り替える
     20時30分すぎ長崎市役所が停電になる【20時52分?】
     20時30分〜21時出雲1丁目、昭和町、戸石町、川内町、本河内町、上戸石町、平間町、界町、中里町などで山崩れ
     20時30分〜21時矢上公民館前の国道に架かる歩道橋の下で濁流に流された2台のバスが接触
      歩道橋の上から何枚もつなぎ合わせたカーテンを手すりに縛り、バスにおろす
      ロープを投げたり脚立をハシゴがわりに救助にあたる
      のちバスの乗客65人【67人?】が全員、歩道橋に避難
     20時31分NBCラジオが通常放送をすべて停止、災害放送に移行させる
      のち以後、21時間にわたり連続して水害のニュースだけを伝えることに
     20時40分NBCラジオで安否情報の第1報を流す
      21時21分NBCラジオで個人の安否放送を開始
      安否放送は翌24日17時20分まで20時間に及ぶ。放送された件数は1600件に
      21時30分すぎ安否情報の放送が本格化
      のち24日17時20分まで安否情報を中心とした災害情報が連続して放送される
     20時50分長崎県庁が停電に陥る。停電は24日00時頃まで続く
     20時50分NHKテレビのローカルニュースで被害報道の第1報を放送
     20時51分松山交差点で1.5米冠水となる
     20時54分KTNテレビが局前の浸水の様子や中島川氾濫の様子をニューススポットでオンエア
     20時55分NBCテレビが中継カメラを玄関前にセット、フラッシュニュースで局前を流れる濁流シーンが流れる
      災害第1報となる
     21時00分長崎県警の記者発表はわずか「死者1人、負傷者3人」のみ
     21時00分九州電力が災害対策本部を設置する
     21時〜21時30分船石町、東立神町などで山崩れ
     21時〜23時長崎市消防局に入った119番は980件。40もの回線がパンク
      翌24日午前2時までに1140件を数える
     21時ごろ浜町あたりが停電となる
     21時ごろ浦上駅の線路に長崎駅方面からいくつものドラム缶が流されてくる
     21時すぎKTNテレビは県警本部から「車での外出はしないよう」という避難勧告放送の依頼を受ける
      ただちにスーパーで放送
     21時14分NBCテレビに避難勧告のスーパーが電波にのる
      ラジオでも前後して放送
     21時25分NHK「ニュースセンター9時」で2分間【3〜4分?】にわたり長崎の豪雨災害の模様が放送される
      濁流と化した国道206号が映しだされる。全国向けの第1報に
      長崎放送局の取材範囲は濁流がひく24日未明まで局を中心にした半径1粁のみ
     21時26分長崎県が県警からの電話で大瀬戸町での河川氾濫情報を受ける
      海上自衛隊佐世保基地に対し災害派遣を要請
      22時15分大瀬戸町からの電話で消防団により住民の避難誘導を完了したと情報を受ける
      長崎県が出動要請を取り消す
     21時30分消防局通信指令室に人身事故発生の通報が相次ぐ
     21時30分場所により異なるが中島川の増水がピークに
     21時40分長崎県が自衛隊法第23条に基づき大村の陸上自衛隊第16普通科連隊に災害派遣を要請
      長崎県は県警からの電話「長崎市北部で生き埋め事故があり22人の生死が不明」との情報を受けて
      知事は海外出張中のため知事職務代理者の副知事名で要請。人員500〜600人、6〜8日間を要請
     21時50分市が県に災害救助法の適用を申請
      災害救助法の適用は一定の基準があるが、市は災害状況をつかめておらずも要請
     21時55分浜町辺りの水位が180糎に
     21時55分NBCテレビが天気予報にかわって災害報道を放送
     21時55分KTNテレビが天気予報の枠をはずす。最初の被害情報番組を放送する
      番組では情報を集中処理するため報道部内にカメラをすえ特設スタジオを設ける
      のち以後の放送は、このスタジオを中心に展開
     22時00分長崎市に災害救助法が適用される
     22時00分長崎県災害救助本部が設置される
     22時00分長崎市災害対策本部が避難勧告を決定。10時35分の満潮に気づいたことによる
      市役所周辺を1台の広報車がまわり、直接住民に対して避難を呼びかける
     22時00分NHKラジオが個人安否の確認情報の放送に踏み切る
      個々の情報を数多く放送することで進行中の災害の実態を伝える手段になると判断
     22時00分NBCテレビが45分間にわたり報道部の災害特別番組が組まれる
      洪水、道路の寸断や電話の不通、停電などの被害情報を伝える
     22時〜22時30分西山台2丁目、辻町、上戸町、鳴滝3丁目、小瀬戸町などで山崩れ
     22時ごろ長崎市消防局に殉職の第1報が入る
      滑石地区で交通整理中に山崩れに巻き込まれたため
     22時ごろ市が年災害応急復旧用防止無線の電話でNHK長崎放送局に市民に避難を呼びかけるよう連絡
      無線電話は電電公社が災害時の重要で緊急な通信を確保するため
      災害対策基本法に定める指定地方行政機関や指定地方公共機関などに配備
      この放送は、のち市からの要請かNHKの単独によるものか問題となる
     22時ごろ長崎市が市民に避難勧告をだす。有線放送・ラジオ・テレビ放送により伝達される
      伝達方法はほかにサイレン警鐘による信号、消防車・広報車による広報などがある
     22時05分ごろ鳴滝3丁目で土砂崩壊が起きる。死者行方不明24人
     22時15分陸上自衛隊が偵察隊を出動。長崎に至る2つのルートの偵察を行なう
      国道34号の南下ルートは冠水のため通行不能
      22時56分もうひとつは国道205号から佐世保経由で国道206号を通り琴海方面へ出るルート
      全線の偵察は無理なものの通行できる可能性があると判明
     22時18分NHKラジオが個人の安否放送を開始
      テレビでも随時スーパーの形で情報を流すことに
     22時20分本河内奥山地区で自宅裏のがけが崩れ落ち孤立した老夫婦が救助される
     22時30分浜町辺りの水位が200糎に
     22時30分NHKテレビが通常の「ニュース解説」を災害特別番組に差し替え。県内に大雨情報や災害情報を放送
      繁華街近くの中央橋や中島川付近の出水情報を伝える
     22時30分〜23時戸町3丁目、江の浦町、昭和町、川平町、泉町などで山崩れ
     22時30分〜24日未明指定避難場所の開設が急速に進む。しかしすでに水が引きはじめつつある時間帯
     22時35分長崎港、橘湾が満潮になる
     満潮時間過ぎ市の広報車「あじさい号」が市民への注意と避難勧告を促すため街へでる
      勝山小学校を過ぎ馬町の交差点から電車通りを南下。市民会館横を左折し中島川にむかう
      石橋には都市ガスの本管橋梁添架管が付設され石橋が崩れたことでガスが漏れはじめる
      広報車のエンジン発火で爆発する恐れがあり市役所にもどる
     22時40分消防団員が人命救助、遺体発掘、被災地の土砂除去など活動を開始
     22時40分ごろ西浦上地区川平町内平で土砂崩壊が起きる
      谷間斜面の山崩れで落ちた土砂が土石流を発生させ満水の治山ダムが決壊
      大量の水と土石流が下の住宅を押し流す。19世帯・死者行方不明34人。一家全滅家族は4世帯
     22時45分浜町辺りの水位がとまる
     22時50分東長崎の宿町でがけ崩れにより半壊した家屋で柱の下敷きになっていた住民2人が救出される
     22時56分大村湾左回りルートが可能性があるとの報告をうけ、陸上自衛隊隊員230人、車両27台からなる先遣隊が出動
     23時00分電電公社がNHK、NBC、KTNに緊急以外の電話の自粛の放送を依頼する
     23時00分JNNのニュースネットワークの全国ネット中継にNBCテレビの被害を伝える画像が流れる
     23時00分KTNテレビがNTVの「きょうの出来事」とフジテレビの「11時のニュース」に映像を送る
     23時23分ごろ関東地方で震度4の地震が発生
     23時30分NHKテレビが午後11時までに長崎県警察本部に入った情報を伝える
      行方不明者24人、住宅が崩れ生き埋めになっている者57人、
      川の氾濫で住宅の屋根などに孤立している者71人
     23時30分通信施設が寸断、通信網がマヒ状態になり通信不能に
     23時30分鳴滝町でがけ崩れにより家屋が倒壊した現場で胸付近まで埋まっていた負傷者1人が救出される
     23時47分NHKテレビが全国ニュースで伝える
     23時50分NHKテレビが記者の現地取材、県警記者の取材を交えて被害情報と大雨情報を伝える
      00時04分テレビでも個人情報を終夜放送。なかには全国に中継されたものも。02時30分まで
     翌24日、00時近く電話回線を増やすための配線作業をする専門業者が市役所に到着
     00時少し前長崎消防局長が情報交換のため市役所におもむく
     00時まで県下8警察署管内での人命救助は250人に
     00時00分市役所の対応職員がようやく189人に達する
     00時すぎ陸上自衛隊の先遣隊は琴海町付近でのがけ崩れで車両による前進を阻止される
      長崎市滑石地区までの約6粁を徒歩で進むことに
     00時05分KTNテレビが30分にわたり現場中継を含む災害特別番組を組む
      県警に中継車をだし県警とKTNのスタジオを結んだ2元中継を行なう
     00時44分NBCテレビで01時04分まで特別番組が組まれる
     00時50分KTNテレビが「情報を流してくれ」という電話での要望に対して安否情報を中心とした災害情報を流すことに
      ただ電話はかかるが交換手が在局せず警備員1人の対応のため十分にしきれず
     01時00分NHKテレビがニュースを伝える
      死者13人、行方不明38人、生き埋め132人、孤立している者99人と被害がさらに拡大している
      以後NHKテレビは長崎放送局のローカルをほとんど未編集のまま全国放送にのせる
      午前5時まで異例の放送延長をし夜通し放送し続ける
     01時30分ごろ本島市長のいる小料理屋へ消防局の車が迎えに行く。それまで足止め
     01時58分NBCテレビで03時20分までラジオの音声をテレビで流す試みを行なう
      フィラー(災害とは直接関係のない風景などの映像)にラジオの音声をあわせたもの
     02時00分(日本時間)ホノルルにいる高田県知事へ秘書課から国際電話。長崎の豪雨災害の報らせがとどく
      報らせを受けたのは現地時間23日午前7時
      知事はブラジルでの長崎県人会創立20周年記念式に出席
      のちホノルルでの市内視察や長崎県人との懇談会が予定
      知事は人命救助最優先などの応急対策を指示
      ホノルル発、現地時間23日午後1時15分発のJAL75便に乗る
      新東京国際空港着、日本時間24日午後4時15分着。長崎県東京事務所長の車で羽田にむかう
      羽田午後5時発の長崎行最終便に間に合わず、午後7時発の福岡行に搭乗
      福岡から公用車を飛ばして長崎県庁に帰るのは25日午前2時のこと
     02時03分先遣隊が、そして午前2時40分後続隊がそれぞれ滑石地区に到着
      02時50分真夜中、救助活動を開始【03時45分?】
     02時15分市指定の避難場所95か所のうち61か所の避難所を開設。うち43か所に1894人の市民が避難
     02時30分中島川の石橋群に添加されるガス管が流出したため4万2566戸のガスが供給停止に
      停止率44.4%
     03時00分浜町辺りの水が引きはじめる
     03時ごろ中央橋付近で水が引く
     03時20分NBCテレビで20分間にわたり報道局で特別番組が組まれる
      引き続き04時00分までフィラーにラジオの音声をあわせたものを放送
     04時すぎ長崎電鉄の車両防護のため徹夜で車両に残った乗務員へ着替えや炊き出しのおにぎりが配られる
     05時00分長崎海上保安部が大雨災害対策本部を設置
      のち海上で22遺体が収容
      08/1117時に解除される
     06時00分被害が広がり長崎県が福岡県春日市の陸上自衛隊第師団に対し災害派遣を要請
      人員2000〜2500人、航空機4〜5機を要請
      06時40分派遣命令がだされる
      15時すぎ大村駐屯地に師団本部が開設
      のち滑石地区の公民館に陸上自衛隊第16普通科連隊の現地指揮所、県庁内に連絡所がそれぞれ設置される
     08時00分浜町辺りの水が完全に引く
     08時30分前日19時から県警通信指令室が受理した110番通報が通常の20倍近く328件に
      内訳、救助要請57、家屋倒壊や土砂崩れによる生き埋め52、がけ崩れ48、孤立26など
     08時30分市役所5階大会議室にて3役部長級からなる第1回災害対策本部会議が開かれる
      それぞれの災害状況を報告、今後の取り組みについて方針が決定
      災害現地本部の設置、防疫対策、土石流除去対策、食糧搬送計画などがいち早く取り組まれる
      07/26毎日8時と20時の2回開催となる
     08時50分大村の陸上自衛隊から隊員333人、車両42台からなる主力部隊が出発
      午前11時30分滑石に到着
      県災害対策本部との打ち合わせで主力部隊の中心を本河内奥山地区に、他を鳴滝地区、川平地区にふりわけ
      13時ごろ手掘りによる行方不明者の捜索、救助活動にあたる
     07/23に県中部から南部に停滞した梅雨前線のふり始めから翌/24までの総雨量は572粍(長崎海洋気象台観測)
       572粍は、600〜700年に1回という確率の未曾有の雨量
       7/11〜/20の累計564粍の先行雨量と07/23の19時〜22時の3時間の集中豪雨が大水害の遠因に
     長崎市の1時間後との雨量
      23日〜17時長崎市内と周辺あわせても1粍
       17時〜18時…15粍、18時〜19時…27粍、19時〜20時…115粍、20時〜21時…98粍、
       21時〜22時…102粍、22時〜23時…61粍、23時〜24時…30粍
      24日0時〜1時…2粍、1時〜2時…38粍、2時〜3時…13粍、3時〜4時…3粍、
        4時〜5時…1粍、5時〜6時…0粍、6時〜7時…1粍、7時〜8時…16粍
       19時〜22時の3時間で315粍、17時から24時までの7時間で447粍に
       長与町役場の自動雨量計では19時〜20時の1時間で187粍(過去最大の時間雨量)を記録
     長崎大水害の最終被害。( )…前掲数字のうちの長崎市の数
       人的死者…294人(うち長崎市257人)、行方不明…5人(5人)、
       重傷…16人(13人)、軽傷…789人(745人)
       家屋全壊(焼)…584棟(447棟)、半壊(焼)…954棟(746棟)、一部破損…1111棟(335棟)、
         床上浸水…1万7909棟(1万4704棟)、床下浸水…1万9197棟(8642棟)
       道路…4969か所(1113か所)、橋梁…116か所(51か所)、河川…4190か所(1163か所)
       崖崩れ…4306か所(535か所)、地滑り…151か所(28か所)
       被害総額…3153億1336万1千円(2119億5987万7千円)
       長崎県の年間予算(一般会計)の4分の3がわずか数時間の豪雨で無に帰した勘定
     県災害対策本部が県内の最終被害額をまとめる。08/23現在( )…長崎市内の被害額
       家屋被害431億円(373億円)、農林被害842億円(420億円)、水産被害25億円(19億円)、
       土木被害556億円(340億円)、商工被害963億円(856億円)、保険被害54億円(51億円)、
       文教被害21億円(16億円)
     国鉄長崎本線、佐世保線、大村線、松浦線、唐津線の5線区で線路浸水、土砂崩壊、道床流出など118か所に及ぶ被害
      西九州地区の国鉄網は完全な麻痺状態に。5線区はいずれも24日の始発から全列車の運転をとりやめ
      07/31全線が開通する
     長崎電鉄の車両、車庫施設、軌道、橋梁・信号・変電所、通信、建物の他、直接損害など。被害総額は2億7390万円
     県営バスの在籍車両476台。大破・中破3台、浸水修理55台、浸水点検整備61台、計119台。被害額4510万円
     長崎バスの在籍車両604台。大破・中破2台、浸水修理178台、浸水点検整備125台、計305台。被害額5899万円
     長崎市内6か所ある浄水場のうち3か所が冠水の土砂流入により浄水と送水ポンプの機能が停止
      市水道局の給水戸数のうち10万1200戸(62%)が断水。被害総額は17億5千万円に
     変電所が機能停止し長崎市を中心に広い地域で停電が発生
      九州電力長崎支店管内総需要55万7900戸のうち停電した戸数は最大発生時(07/24の00時)で7万1900戸
      総数では9万4800戸で需要総数の17%に
     ガス管の切断やガス漏れが多数発生し長崎市中心部・南部を中心にガスの供給が停止
      西部ガス長崎支店の総需要9万7422戸のうち4万1688戸【4万2566戸?】(44.4%)の供給を停止
     通信関係では電話加入総数48万7969件に対し故障1万3500件【1万3330件?】(故障率3%)
      電柱流失倒壊739本・ケーブル流失損傷52粁など。損害額8億4500万円【17億円?】
     長崎市のごみ収集車85台のうち車両故障と車庫孤立のため62台が稼働不能に
      民間建設業者と県トラック協会を通じて最大153台/日、延べ5827台、給水車を民間から延べ604台借り上げる
     浜町商店街は最長173糎の水につかる
     長崎県警での避難誘導活動により約5700人を安全な地域に避難させる
     07/23〜08/02までの間にNHKはテレビでニュース9時間22分、生活情報関係30分の報道21時間25分の計30時間47分
      ラジオではニュース11時間12分、生活情報関係の報道32時間の計43時間42分に
     7月末の時点でNBCはテレビでの災害番組の放送時間は報道特別番組が17件で7時間20分、
      生活関連の情報が7件で6時間30分、全国ニュースが24件で1時間22分に
     浦上川の橋をはじめ市道に架かる53橋の他、国道・県道などの橋が被災
     14のアーチ石橋のうち 眼鏡橋ほか2橋が一部崩壊、6橋が流失、のち相次いで再架
      袋(町)橋(0000以前)………1985(昭和60)01/復元
      眼鏡橋(1634)…………………1983(昭和58)10/15復元完工式
      一覧橋(1657)…………………1986(昭和61)05/02中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      東新橋(1673)…………………1986(昭和61)05/02中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      桃溪橋(卜意橋)(1679)……半壊修復、1984(昭和59)12/14補修を終えて開通。原型に修復
      すすき原橋(1681)……………1986(昭和61)05/02中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      阿弥陀橋(極楽橋)(1690)…河川改良工事で解体改架
      古町橋(1697)…………………1986(昭和61)05/02中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      大井手橋(1698)………………鉄筋コンクリートに改めて架設
      編笠橋(1699)…………………1986(昭和61)05/02中島川石橋群復旧工事完了、開通6橋
      高麗橋(1652)…………………河川改良工事で解体改架平成05(1993)03/西山ダム下に移築復元
     東長崎地区
      羅漢橋(瀧の観音/1700頃)…1986(昭和61)旧来どおりの石橋として復元
      普済橋(瀧の観音/架橋不明)…1987(昭和62)旧来どおりの石橋として復元
      番所橋(矢上町/架橋不)………1986(昭和61)10/再建され親柱に擬宝珠がつく
      蛎道橋(東長崎/架橋不明)……1984(昭和59)新しく架設
     茂木町の長崎市有形文化財・柳山石橋が大水害により流失
     現川区の長崎市有形文化財の石橋4橋、山川橋、屋敷橋、小藤橋、山の神橋が大水害によりすべてが流失
     避難場所の開設が急速に進む23日午後10時半から24日未明までの間は、すでに水が引きはじめた時期
      洪水の前に避難場所に事前避難した人はほとんどなく、
      大部分の人は、住居に浸水がはじまってからか、あるいは水が引きはじめてから
      よって指定避難場所は洪水から生命、身体の安全を守るための事前避難場所として、ほとんど機能せず
     天皇皇后両陛下の御下賜金をはじめ国内外から寄せられた義援金は総額28億円に
      長崎県1842件12億円、日本赤十字社長崎支部114件4億1014万円、
      長崎県共同募金会(NHKと共同)2万7千件4億2540万円、
      長崎県社会福祉協議会39件913万円、被災市町村2310件7億4114万円
     日本全国から救援物資(総受付件数1万4277件、総受付個数5万6322個)が寄せられる
      海外からも西ドイツから衣類、ブラジルからコーヒー豆、オーストラリアから毛布などが寄せられる
      膨大な救援物資が寄せられたのは各輸送機関が一定期間に無料輸送を実施したため
       国鉄……………07/26〜08/26…全国各地
       九州商船………07/26〜08/26…福江港・奈良尾港長崎港
       東亜国内航空…07/27〜08/17…東京羽田長崎大村
       郵便局…………07/27〜08/27…全国各地
     長崎県が新聞、テレビ、ラジオなどの広報機関を通じ県民に対してボランティアの協力を要請
      青年団や婦人会などの各種団体、グループ、個人、高校生などから自主的な参加申し込みが寄せられる
      個人を含めて113団体、1万3千人に
  07/23立神発立山行の満員の乗客を乗せた路線バスが県庁前の三叉路を中央橋交差点に向けて左折
     バスは様子をうかがい下り坂の途中でいったん停車。中央橋を見下ろすと乗用車は走行ができない深さに
     しかし1台のバスが中央橋交差点を右折、こちらに向かってくる。水の深さはバスのタイヤの3分の2ほど
     立山行のバスは県庁坂をまっすぐ下り中央橋交差点を左折
     バスは中島川から氾濫した濁流に相対する形で走行することに
     2つの昇降扉は濁流にもまれ開閉を繰り返す。水かさの増すスピードが早くなる
     一刻も早く濁流から逃れようと高台の市役所の前の通りに避難するため親和銀行長崎支店前の交差点を左折
     瞬間、車内から歓声と拍手がわき起こる。バスは高台に上ると市役所の前で停止
     「今後の運行は不可能です。いまはこの場所がいちばん安全ですから、
     家の近い人は歩いて行っていいですけど、それ以外の方はバスのなかで一夜明かしてください」
     バスに残った若い女性を乗せて幸町の営業所に帰ったのは明け方に
  07/23県営バスが賑橋付近で洪水に浮かび流されはじめる
     10人くらいの乗客が自己紹介をはじめる。生き残ったとき、乗客の有無が伝えられるよう
     運転手は乗客を励まし江戸町の県庁坂に無事バスを避難させる
  07/2320時すぎ、芒塚カーブ近くで県営バスの運転手ががけ崩れの危険を事前に察知
     運転手の判断で多数の乗客が被災から逃れる
  07/23長崎バスの車両が滑石のがけ崩れの直撃にあう。乗客は事前に避難して無事
  07/23長崎電鉄の営業線上の30両の車両の乗務員が車両防護のため徹夜で担当車に残る
     泥流に押し流されてきた流木や車が車両を傷つけないよう乗務員は孤独な闘いを終夜続ける
     営業線上の車両30両のうち冠水車両15両【13両?】、浦上車庫留置の車両30両全車が冠水
     蛍茶屋車庫の8両は無事。在籍68両中、使用可能車両は23両のみ
     ○茂里町で停車した502号は187糎の高さまで水位があがり、座席シートのひとつが歩道の樹木に引っかかる
     長崎バスの待合所に誘導するため男性客と乗務員が女性客2人を抱きかかえ濁流の車道を横切る
     ○勾配線の諏訪神社前〜新大工町間では214号や367号が停車
     ロープで近くの電柱にくくりつけたり、ホームの防護壁に結びつけたり
  07/23中央橋のパチンコ店の3階は客や避難者で100人くらいに
     窓から見える中央橋は大きな川。わずかに見えるバス停の屋根には逃げ遅れた人が。励まし声援をおくる
     逆の窓からは築町市場。電柱にはおばあさんが震えながらしがみつく
     シーツをやぶりロープにして助けようとしたとき、男性が果敢に飛び込みおばあさんを助けあげる
  07/23中島川が氾濫したとき、男女6人が電柱にのぼり難を逃れる
     ビルにいる人たちから「がんばって!」「しっかりして!」など励まし続ける
     6時間後に救援ボートがきて救出。見守った人たちは拍手喝采
  07/23NHKラジオが22時から、NHKテレビが深夜から個人安否の確認情報の放送に踏み切る
     個々の情報を数多く放送することで進行中の災害の実態を伝える手段になると判断
     市民から寄せられた安否情報や被害情報は24日正午までに2500件のぼる
     過去、放送メディアが個人の安否情報を伝えた例は1964(昭和39)06/の新潟地震、1978(昭和53)06/の宮城県沖地震
     地元のNHKや民放のラジオが伝えたことで住民の不安をやわらげパニック防止に役立つ
     これらはあくまでもローカルに限定されたラジオ放送で、今回のようなテレビによる全国放送ははじめて
  07/23豪雨の夜、テレビもラジオも従来の被災事実の報道パターンをはみ出し、市民のための重要な情報センター的役割を果たす
  07/23長崎市立市民病院本院が冠水し、X線撮影装置関係、受変電設備等被害を受ける
  07/23長崎市成人病センター本館地階が水没
     中枢部の中央監視室、ボイラー室、電気室、ラジオアイソトープ(放射性物質)室、解剖室、霊安室などは全没
  07/23磨屋小学校が長崎大水害で1階全教室が1.2〜1.5米まで水没
     1987(昭和62)02/22崇福寺前通りの道路新設のため通学路の変更を決定
  07/23勝山小学校の運動場が長崎大水害の臨時塵芥集積所となる
     1997(平成09)03/31磨屋小学校、新興善小学校とともに統廃合
     長崎市立諏訪小学校(旧磨屋小学校)と長崎市立桜町小学校(旧勝山小学校)の2校を新設
  07/23万才町のグランドホテルは地下2階の電気設備、自家発電設備、空調設備ボイラー設備、上水道設備などが冠水
     地下室が冠水し主電源が切れたのち、地下室の自家用発電機が作動したため設備担当者は現場に入れず被害が拡大
     170人の宿泊客とロビーで避難していた100人はろうそくの灯りのもと夜を明かす
  07/23浜屋百貨店の1階と地下1階が全滅。690坪の地階フロアには約7千瓲の水が入る
     廃棄処分となった商品は原価格で2億円、設備被害は3億7千万円。サービス業の中で最大の損害額をだす
  07/23県警が道路から排除した車の数は長崎市内だけで500台
     土砂の中から掘りだし、河川から引き揚げたりした車は415台。うち車の中から2遺体が見つかる
  07/23江平町(1丁目)のアーチ形石橋の高江橋が長崎大水害で壊れる
     のち江平橋として架け替わる
  07/23陸上自衛隊が災害救助に307人を派遣
     07/242847人(被災現場487人)を派遣
     07/252900人(現場2027人)を派遣
     07/28最大人員3316人(現場3038人)を派遣
     07/29人命救助活動がおおむね終了したことに伴い第4師団主力の撤収要請が出され活動が終了
     07/31人命救助活動がおおむね終了したことに伴い第16普通科連隊への撤収要請が出され活動が終了
  07/23?西古川町で祭る地蔵の他、「町内安全鎮護」の石柱、香炉、りん、幔幕などを町内で仮安置する
     2006(平成18)07/中島川左岸の護岸工事が完成。袋橋たもとに新しく祠を建て「町内安全鎮護」の石碑とともに安置
  07/24伊良林、勝山、新興善、磨屋など各小学校のグラウンドがごみ捨て場として開放される
  07/24浦上浄水場、本河内浄水場、矢上浄水場が壊滅的な被害を受け、飲料水が製造不能に
     給水戸数の46%(約6万9千戸)が断水
     07/26本河内水系が復旧
     07/30矢上水系を除く他の市内水系が応急復旧を終える。給水が可能に
     浦上水系(断水3万2千戸)、茂木水系【浦上水系?】(断水1500戸)が復旧
     07/31戸石、三重、太田尾、飯香浦など簡易水道水系が復旧
     08/08突貫工事の甲斐があり矢上(長竜寺)水系2850戸が復旧。全市内の完全給水を達成
     鹿児島市水道局が工事用に発注していた管材を得ることができ、さらにメーカーの協力で管材を得る
  07/24政府が豪雨非常災害対策本部設置を閣議決定
  07/24長崎市公会堂に身元不明の遺体安置所を開設する。遺体保存に対して長崎大学医学部に協力を要請
     07/27遺体安置が市民会館に移る
     08/04閉鎖される
  07/24梅雨末期の集中豪雨により熊本県でがけ崩れなどの被害が相次ぐ
     熊本県内での死者・行方不明者は24人、床上浸水3871棟、床下浸水11351棟、建物の全半壊220棟に
  07/24梅雨末期の集中豪雨により大分県武田地方で川の氾濫などの被害
     死者7人、家屋の全半壊、道路・鉄道の流失や稲葉川・玉来川の氾濫などで大水害となり未曾有の大惨事に
  07/24国鉄が始発から全面運休に。〜07/26まで
      07/2713時35分、浦上駅が復旧し市布経由の新線が開通
      公共交通機関が確保される
      07/2824時、大草〜浦上間が開通。大草経由の列車を市布経由へまわして運行
      07/29大草経由の列車を市布経由へまわして運行
      07/30大草経由が開通。長崎〜大草間に6往復の列車を運行
      07/3101時57分、喜々津〜大草間が開通。土砂の撤去に時間を要し復旧が遅れる。所定の運転が開始
      08/01〜04長崎〜諫早間に市布経由で臨時列車を運行。上り3本、下り4本
      08/05平常運転に
  07/24以降全国から被災地への通話が集中し、長崎や熊本への一般通話が規制される
      07/27以降通話が正常に戻りはじめる
      07/31この日までに電電公社の加入電話がほぼ全面復旧【07/30?】
  07/25午前2時、高田県知事がホノルルから帰庁
  07/25午前6時25分、長崎地方にだされていた大雨洪水警報が解除となる
  07/25昭和57年7月豪雨非常災害対策本部政府調査団が来崎
     団長の松野幸泰国土庁長官以下、長官官房審議官、長官秘書官に警察庁、防衛庁、文部省、厚生省、農林水産省、
     中小企業庁、運輸省、建設省、自治省、消防庁、国土庁の11省庁の課長クラスで構成された総勢17人
     朝9時、調査団は航空自衛隊入間基地から特別機のC1輸送機で長崎空港へ。さらに自衛隊のヘリコプターで長崎入り
     調査団は県庁で知事や市長らから災害状況や被災者の救助活動について説明を受ける
     知事らの案内で中島川周辺、中央橋付近の商店街、川平町の災害現場を視察
     ヘリコプターで市周辺の被災地を見て、午後5時半に帰京
  07/25開催予定の長崎県被爆者手帳友の会主催「生き残りたる吾等集いて」は10/に延期される
  07/25浜屋百貨店でパン、乾物、缶詰などが緊急に仕入れられる。復旧作業と並行して店頭で販売を開始
     あっというまに主婦たちの長い行列ができる
     のち携帯用ガスボンベ、蚊取り線香、肌着類なども店頭に並べられる
  07/25長崎市清掃部が広報で水害ごみ等の回収について呼びかけ
     1)被害家財等の粗大ごみは長与町高田郷コンポスト工場で受け付ける
     可燃性ごみは木鉢町の清掃部西工場にも搬入できる
     2)道路上の土砂、ごみ等の処理は勝山、新興善、伊良林、西浦上、銭座の各小学校、梅香崎中学に運ぶことができる
     07/26西浦上中など11校が追加
     07/31校庭への土砂の最終搬入期限
     校庭の土砂、被災ごみの緊急搬出のため自衛隊の派遣を要請
     08/04まで自衛隊員128人、車両45台が投入
     のち校庭の土砂、被災ごみは神の島臨海工業団地内、小江工業団地土取り場跡、三重地区岸壁に移される
     仮集積された土砂は野焼き、減量
     のち残砂は東長崎清掃工場埋立地、土砂は長与町長与港埋立地に搬出される
  07/25災害復旧体制が確立、組織的に動き出す
     のち災害の復旧に際して1か月にわたり延べ1324人のボランティアが救護活動や救援物資の配付などに携わる
  07/25給水船8隻(民間借り上げ1、ボランティア7)で日見、矢上、茂木地区へ給水開始
     のち4〜2隻
  07/25佐世保市その他県内各市町の給水車16台が来援
     のち29〜2台で08/03まで1316立方米を給水
  07/26長崎電鉄が天神変電所のみの送電で15時30分からシリース(半速)運転で再開
     1号系一部区間の赤迫〜築町、3号系の赤迫〜桜町〜螢茶屋全線に各10両ずつ配置
     公共交通機関が確保される
     08/095号系統が4両の車両をもって運転再開
     08/164号系統が3両の車両をもって運転再開
     この日までに路面電車4系統の全営業が再開
  07/26矢上、茂木地区に送電を開始し電気が完全に復旧
     孤立地区へフェリー、ヘリコプターでの資材・人員の搬入による
     07/27午後7時、残っていた本河内奥山地区に送電を開始
  07/26中央卸売市場が青果類のセリを再開
     野菜は平常並みの187瓲、果物はやや少なめの89瓲が入荷。価格は平常通り
  07/26長崎魚市場がセリを再開。平日の60%の466瓲が入荷
  07/26停電が2500戸に減る
  07/26福岡市その他県外各市町の給水車27台が来援
     のち26〜27台で07/31まで913立方米を給水
  07/26海上自衛隊給水車1台、陸上自衛隊給水車5台、県警機動隊給水車2台がそれぞれ来援
  07/26〜/29新興善小学校が長崎大水害のごみ集積場となる
     1997(平成09)03/31磨屋小学校、勝山小学校とともに統廃合
     長崎市立諏訪小学校と長崎市立桜町小学校の2校を新設
  07/27長崎海洋気象台が今回の大雨の名称を決定
     「昭和57年7月23日から25日にかけての梅雨前線による長崎県の大雨」
  07/27箕輪郵政大臣と神谷中小企業庁長官が来崎
  07/27断水地区住民の洗濯場として学校のプールを開放
  07/27電気が全市完全復旧
  07/28西部ガスが供給停止4万1688戸【4万2566戸?】を対象に開栓作業に入る
     07/31〜08/01ガスの供給が停止地区すべてに行きわたる
  07/28日本共産党長崎大水害国会議員調査団の三浦久、小沢和秋代議士が来崎
  07/28気象庁が今回の大雨の名称を「昭和57年7月豪雨」と命名
  07/2813時、長崎バイパスが交通規制の対象に
     県公安委員会が災害対策基本法第76条に基づき一般車両の通行を禁止
     規制は災害応急対策を的確・円滑に行なうため緊急の必要があるとされるときに適用
     07/30路線バス7〜9時、遠距離バス17〜19時、空港バス7〜19時が規制解除
     07/31路線バス・遠距離バス7〜20時、夜間20〜4時が規制解除
     08/01タクシー全面、4瓲以上の貨物自動車12〜4時が規制解除
     08/03バスが全面規制解除
     08/043瓲以上の貨物自動車12〜4時が規制解除
     08/2018時、国道34号が全面開通。交通規制が続いていた長崎バイパスもあわせて規制解除に
     国道34号を通るバス路線がほぼ正常ダイヤに
  07/29長崎大学の長崎大水害学術調査団(団長伊勢田哲也教授、30人)が発足
     08/30報告会を開いて1か月にわたる調査結果を発表
     (1)甚大な被害は水害前(20日)の200粍を超す降雨が引き金となった
     (2)豪雨の中心域は東長崎地区
     (3)1日降水量448粍は600〜700年に1回の確立―などとする
  07/30長崎市が水害相談コーナーを本館5階の大会議室に設置
  07/30自民党西日本集中豪雨等災害対策本部調査団(団長二階堂進幹事長、15人)が来崎
  07/31早稲田大学3年の大貫映子が、ドーバー海峡横断泳に成功(日本人初の公認記録)
     ドーバー海峡はイギリス〜フランス間にある海峡。34粁(22マイル)
     9時間32分で遠泳横断
     前年に2回挑戦するも残念ながら泳ぎつかず、3回目にして達成
  07/長崎大水害のため築町の「CAVEAU」がリニューアルオープン
     「Rock&Blues House CAVEAU」は1974(昭和49)09/にオープン
     1986(昭和61)12/鍛冶屋町に「RESTAURANT 櫻ハウス」がオープン
  07/長崎バス(株)が全国で一番早く路線バス車両100%の完全冷房化を完了
     第1号は1959(昭和34)06/29で九州初の完全冷房バス
  08/01長崎市の原爆犠牲者慰霊・世界平和祈念旬間行事の一環として実施予定だった市民大行進が中止に
  08/02長崎大水害により被害を蒙っていた市民病院・成人病センターが徐々に復旧。市内の各医療機関も復旧進む
  08/05国鉄の運行が正常に戻る
  08/05大水害の復旧対策で上京した高田県知事本島市長らが首相官邸に鈴木首相を訪ねる
     激甚災害の指定や長崎市の都市改造について政府の援助などを陳情する
  08/08「原水爆禁止1982世界大会・長崎のひろば」の開催会場の市民体育館が浸水で使用不能に
     長崎市公会堂に会場が移され参加人員は5千人から2千人に縮小
     催しは原水禁、原水協、市民団体が統一して開催
     「核禁止協定を急げ」など8項目のナガサキアピールを採択
  08/09ベルギーの国際会議で東北大学の研究グループが「形状記憶合金」を発表
     東北大学の研究グループが発表したのは温度を上げるだけでなく、下げても元の形に戻る合金の発表
  08/11長崎海上保安部が設置していた大雨災害対策本部が解除となる
  08/16路面電車4系統すべてのの営業が再開される
  08/17観光・旅行業者は市の観光課と協力し「ながさき観光広報班」を組織
     九州各県をまわり「長崎は健在です」と巻き返しのPRをする。〜08/19
  08/18市内のホテル、旅館のキャンセルが団体の観光客を中心に5万人を超す
     長崎市に入る観光客は水害前に比べ8割が減る
     惚れる、旅館、土産品店など観光業者は1日平均8600万円
     盛況なのは救援隊や工事関係者の宿舎となったビジネスホテルのみ
     ホテルや旅館のキャンセルは幹線道路の寸断で雲仙や小浜、佐世保、平戸、五島列島などにも波及
     市議会各派代表者会議で長崎市商工観光部が明らかにする
  08/23県内の最終被害、死者294人・行方不明5人・重軽傷者805人・被害総額3153億1300万円
  08/23長崎市主催の長崎大水害合同葬が長崎市公会堂で午後2時から開かれる
     遺影を手にした遺族や一般参列者ら2100人が参列。257柱の犠牲者の冥福を祈る
     5人の行方不明者を残し犠牲者257人の名前が記された祭壇は菊の花で飾られる
     午後2時10分、市内にサイレンが響き渡り1分間の黙とうをささげる
  08/放射能漏れの修理を終えた原子力船「むつ」(8214瓲)に鍵が返され、むつ市の大湊港に向けて出港
  09/07城山小学校の原爆校舎のうち被爆の惨劇をもっとも留めた南校舎が解体される
     1999(平成11)02/旧城山国民学校の遺構が生徒の努力で整備、城山小平和祈念館として生まれ変わる
  09/07長崎市立浪平小学校にプ−ルが落成
     1985(昭和60)06/25とりつけ道路の改良工事(12/12)完了月日
  09/17放射能影響研究所長崎研究所(RERF・放影研)が中川1丁目の新築の教育会−放影研合同ビルへ移転
     国道34号拡幅工事にともなう。鉄筋コンクリート造り4階建、総工費約3億5千万円
     放影研は1948(昭和23)に設立された元原爆障害調査委員会(ABCC)
     1996(平成08)03/中川町の放射能影響研究所長崎研究所(放影研)の放射線生物部が閉鎖
  09/28長崎地区のポケットベルが1万台を突破
  10/01エフエム長崎が開局、本放送が始まる
     長崎のFM放送はNHK長崎に次ぎ2番目、九州でも2番目の民放FM局
  10/01浜市観光通りが従来の片屋根式から全覆い開閉式のアーケードが完成
     全長280米、幅10米、高10.5米、総工費約5億3千万円
     1996(平成08)観光通りアーケードが道路舗装工事によりテラゾー舗装に、アーケードも一新
     ベルナード観光通りに生まれ変わる
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (5)…出島町(阿蘭陀船・本踊)、東古川町(川船)、大黒町(唐人船・本踊)、樺島町(太鼓山)
     *出場辞退…本古川町、伊勢町、紺屋町、八百屋町、小川町、炉粕町、恵美須町
     本古川町は大水害のため翌年に繰延べ
  10/10コルベ神父(マキシミリアノ・マリア・コルベ)が聖者に列せられる
  11/14日華連絡船の復活を期待し臨港鉄道、長崎港駅の駅名は残っていたが廃止となる
     貨物列車が魚類運搬などのために、ときたま臨港線を走る程度
     1985(昭和60)03/魚類運搬などのために、ときたま臨港線を走ったが線路を撤去
  11/15長崎〜博多の気動車急行「出島」と佐世保〜博多の気動車急行「弓張」が廃止
  11/18長崎市中里町〜大村市池田2丁目の約17粁に「長崎自動車道」が竣工
     1973(昭和48)着工。長崎〜佐賀鳥栖110粁のうち。約604億円の巨費を投じて完成
  11/18長崎市は新地町の済生会病院が移転することで合意
     茂里町に新築移転する原爆病院の跡地(片渕1丁目)に進出
     1983(昭和58)08/23新地町の長崎県済生会病院が片渕町の旧原爆病院跡地へ移転オープン
     診療科目7科、病床数230床
  11/29日赤長崎原爆病院の新築落成式を長崎新聞文化ホールで行なう
     新築の地は長崎市茂里町の元製鋼所跡地
  11/プレジネフ・ソ連共産党書記長が死亡、後任にアンドロポフ
  12/14「日本赤十字社長崎原爆病院」が茂里町の三菱長崎製鋼所跡地に移転。外来診療開始
     地上7階、地下1階、延約1万9千平方米、総事業費44億9千万円
     診療科目ベッド数ともに従来と変わりなく内科、外科、放射線科など11科目、360床
  12/23東京数寄屋橋公園にカード式公衆電話が設置される
     テレホンカードを差し込むだけで通話できるので、小銭がなくてもかけられる
     長距離通話でも続けて硬貨を入れなくてもよいという利点
     のち赤電話、青電話と交換される形で設置された
  12/長崎シンガポール協会が設立される
  12/長崎商工会館の会頭に清島省三が3選
     1985(昭和60)12/清島省三会頭が4選
  長崎バス(株)の一般路線バスの全車が冷房化が完了。一般路線バス事業者では全車冷房化達成第1号
  長崎水害で4万2千戸へのガスの供給が停止
  西海町七釜郷南東に位置する面積0.69平方粁の南串島と西海町とを結ぶ橋梁延長118米の七釜大橋が完成
  小佐々町楠泊に漁港を跨ぐ橋梁延長99米の楠泊橋が架かる
  長崎市新地町の「中華料理京華園」が中国海鮮料理始める
     1988(昭和63)外装及び1・2階を改装
  佐世保海軍凱旋記念館が佐世保市に返還される
     第1次大戦時の鎮守府所属艦船の武勲を讚えるため九州、四国各県の寄付で建設
     海軍の行事や合同葬などに使用される
     鉄筋コンクリート造り2階建。鉄板葺で建築面積は826平方米
     のち佐世保市民文化ホールとなる
  松早コンビニエンス・ストア株式会社[のち(株)松早フード・エンターテインメント]が設立
     いち早く流通業界に進出、長崎市内に多店舗展開をはかる
  大鳥町にホテル清風ができる
  長崎孔子廟が中国政府、山東省曲阜孔子廟の助力を受け改築。日本唯一の本格派孔子廟となる
     中国華南と華北の建築様式が合体しユニークな廟宇が誕生

1983(昭和58)【昭和】 癸亥(みずのとい)

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