●●●●「長崎年表」は編集著作権で保護されます
●●●● (c) 2003-2013 makuramoto all right reserved.


鎌倉以前 室  町 安土桃山
(1)
安土桃山
(2)
江戸(1) 江戸(2) 江戸(3) 江戸(4) 江戸(5)
江戸(6) 江戸(7) 江戸(8) 江戸(9) 江戸(10) 江戸(11) 江戸(12) 江戸(13) 江戸(14)
江戸(15) 江戸(16) 江戸(17) 江戸(18) 明治(1) 明治(2) 明治(3) 明治(4) 明治(5)
明治(6) 明治(7) 明治(8) 明治(9) 明治(10) 大正(1) 大正(2) 大正(3) 昭和(1)
昭和(2) 昭和(3) 昭和(4) 昭和(5) 昭和(6) ・昭和(7) 昭和(8) 昭和(9) 昭和(10)
昭和(11) 昭和(12) 昭和(13) 昭和(14) 昭和(15) 昭和(16) 昭和(17) 昭和(18) 昭和(19)
・昭和(20) 昭和(21) 昭和(22) 平成(1) 平成(2) 平成(3) 平成(4) 平成(5) (表 紙)

 前のページへ


〈昭和時代(14)〉

1960(昭和35)【昭和】 庚子(かのえね)

  《総理大臣》[第57代]第2次岸信介内閣(→07/19)、[第58代]池田勇人(07/19→12/08)
        [第59代]第2次池田勇人内閣(12/08→)
  《知事》[第42代(公選4代)]佐藤勝也
  《市長》[第20代]田川務

  01/松尾滋吉、満井潔己、島原鉄道社長の田中尭治を発起人として島原温泉株式会社を設立
     温泉掘搾をはじめる
  01/キングからペギー葉山の歌により「島原地方の子守唄(EB267、BS1254)」のタイトルで発売
     「島原の子守唄」の採譜は島原鉄道に勤務する宮崎康平、編曲古関裕而
     全国に知れ渡る
  02/01〜28長崎市保健所が「ねこいらず」で一斉にねずみ駆除。1418匹を駆除
  02/051597年02/05に殉教し、のちに列福したキリシタン26人を記念下カトリック教会の祝日
     夕方5時半、西坂公園の記念碑前で催されるミサに参列するため県内外から信者が集まる
  02/09眼鏡橋が国の重要文化財に指定される
  02/26フランスの第1回原爆実験に対する抗議と原爆製造禁止・原水爆実験中止の要請を決議
  03/03長崎市の雛の節句を従来の月遅れの04/03から03/03に改める
  03/12(株)長崎水産会館に「ホテルニュー長崎」の前身の「ニュー長崎ホテル」が開業。映画館も併設
     工費1億8500万円、県水産会館の6、7階を改装
  03/17長崎市消防局がはしご付き消防ポンプ自動車を645万円で購入
     (九州では福岡、小倉に次いで3番目)
     はしごの長さ16.7米、ビル5階まで届き、回転自由、はしごの先端に救命かごが設置
  04/01長崎市行政区域の区分の告示により正式な町の呼び方を△△町(まち)に統一
  04/01西彼杵郡高島町に先谷公園(9733平方米)が開設
  04/01長崎県立高島高等学校に定時制普通科が開校
     1962(昭和37)04/01長崎県立高島高等学校に全日制普通科が設置される
  04/01二部授業改称のため市内35番目の小学校として西北小学校が開校
     市北部の人口増加にともない西浦上小学校、西町小学校では二部授業が行なわれていた
  04/01長崎市の公文書の横書きを実施。縦書き様式246種のうち224種に適用
  04/01長崎県立口加高等学校の小浜分校(定時制)が長崎県立小浜高等学校に校名を変更
     定時制独立校として発足
     1962(昭和37)04/01全日制課程となる(普通科2学級、商業科1学級)
  04/01東長崎町が牧島〜戸石に114米、幅員2米の人道吊橋・牧島橋を架設
     牧島の名勝のひとつとなる
     1969(昭和44)11/06戸石漁港関連道路整備事業として車も通れる鉄筋コンクリート橋(108.1米、幅員6米)に架け替え
  04/07長崎市立中学校15校の新入学生徒数8086人に
     これまでの小学校児童数の激増現象が中学校に移行
     1962(昭和37)04/01市立中学校24校の新入学生徒数9613人で戦後最高
  04/21県営バスと西肥バスが長崎〜佐世保にビジネス特急バスを運行。所要時間2時間05分
  04/30ソニーが世界初のトランジスタテレビを発売。6万9800円
  04/大村空港」が第2種空港として供用が開始。現A滑走路
     1975(昭和50)05/01世界初の海上空港「長崎空港」が開港。「大村空港」が「長崎空港」に改称
     180億円の建設費を投じ約154万平方米の用地を造成
     広さ134万4千平方米、滑走路の延長2500米、幅60米をもつ第2種空港として供用を開始
     大型機時代の幕開けとして東京・大阪便にはジェット機が就航
  05/01本大工町の市民グラウンドで第31回メーデーが開催。戦後最大に盛大となる
     安保条約批准反対、軍縮と日中国交回復の促進、国会の即時解散、大幅賃上げ、最低賃金制の確立、
     時間短縮と週休2日制の確立、三池闘争の勝利の7項目のスローガンが採択
  05/01長崎〜博多に気動車準急「ながさき」が誕生。気動車準急「弓張」と併結運転を開始
     1966(昭和41)03/05気動車急行「ながさき」に格上げ
     1968(昭和43)10/01気動車急行「ながさき」はDC急行「いなさ」に改称
     1975(昭和50)03/10気動車急行「出島」に吸収される
  05/01長崎(大村経由)〜博多に気動車急行「出島」が誕生
     1975(昭和50)03/10気動車急行「いなさ」を吸収
     のち長崎本線経由に
  05/03西彼杵郡外海村に町制が敷かれ外海町となる
     1961(昭和36)06/29西彼杵郡亀岳村と大串村が合併し西彼村となる
  05/05長崎市の端午の節句を従来の月遅れの06/05から05/05(こどもの日)に改める
  05/07長崎電鉄が住吉〜赤迫に路線(390米)を延長
  05/09屋台の取締が開始。県下の屋台500軒
  05/25上田町の長崎市立南大浦小学校の旧木造校舎が解体
     1971(昭和46)03/31体育館の工事が完了
  05/長崎バス(株)が外海町池島に路線を開通。初のワンマンバス運行
     区間2粁、1日13往復
  05/岡政百貨店の第2期増改築工事が完成
     地下1階、地上8階、エレベータ2台、エスカレータ設備、売場面積6487平方米
  06/14三菱長崎造船所が拡張。呉、佐世保に次いで全国3位に
  06/15国際文化センター建設事業の一環で県立長崎図書館が開館
  06/15日米安全保障条約の継続が決定したことで国会周辺が連日デモ隊にかこまれる
     全学連主流派のデモ隊が国会に突入し警官隊と衝突し、混乱のなかで東大生の樺美智子が圧死
     警察病院の検死では死因は胸部圧迫及び頭部内出血とする
     警察側は転倒が原因の圧死と主張し、学生側は機動隊の暴行による死亡と主張。樺の死因は明らかにされず
  06/20日本初のロングサイズ (8.0糎)のたばこ「ハイライト」が発売される
     フィルター付きでフィルムパッケージも施される
     それまでの紙巻きたばこは両切のフィルター無しでセロハン包装が施されず、革新的なたばこに
  07/21セイロンのシリマヴォ・バンダラナイケが世界初の女性首相に
     首相の夫S.W.R.D.バンダラナイケが暗殺されたあと自由党総裁になり、総選挙に大勝
  07/日本航空のDC-8「FUJI」の機体に初めて「鶴丸」が塗装される
     当初は機体の横、コクピットのすぐ後に描かれ、尾翼は日の丸
     1970(昭和45)ボーイング747の就航にあわせて、「鶴丸」は尾翼に大きく描かれるようになる
     2002(平成14)11/機体の基調デザインが「The Arc of the Sun(太陽のアーク)」に決定
     JAL/JAS統合に伴う措置で、「鶴丸」から順次移行を開始
     2008(平成20)05/31「鶴丸」がラストフライト。約半世紀の歴史を閉じ、06/01からすべての機体が新塗装となる
  08/10テレビ受信契約が全国で500万軒を突破
  08/31島原市と小浜町を結ぶ有料道路「島原道路」が供用を開始
     1973(昭和48)04/01無料開放され国に移管、一般国道57号となる
  08/(株)精洋亭ホテルが外浦町の長崎観光ホテル(七條達夫経営)を買収。新ホテル建設決定
     1962(昭和37)11/長崎グランドホテル」と改称し外浦町にて営業開始
     地下2階、地上7階の全60室。社名は(株)精洋亭のまま
     ホテル専用のビルとしては九州熊本のキャッスルホテルに次いで2番目
  09/10テレビのカラー本放送が開始される。世界でアメリカ、キューバに次いで3番目にアメリカと同じNTSC方式
     NTSC方式は、全米テレビジョン方式委員会 (NTSC) が決めたもので、走査線は525本
     NHK東京・大阪の総合と教育、日本テレビ (NTV) 、ラジオ東京 (TBS) 、朝日放送、読売テレビ放送が開始
     初期のカラー放送は放送局の設備が十分でなく、外国のカラー映画やスポーツ中継、短時間の教養番組などが中心
     7か月後NHK総合のカラー番組は1日1時間、NTVは2時間42分、TBSは6分ほど
  09/14長崎水族館横に県営網場プールができる
     1961(昭和36)09/15飛び込みプールが完成
  10/01第9回国勢調査。長崎市の人口が34万4135人に
  10/04原爆障害者対策施設資金として米国から長崎大学に1億6000万円寄贈される(余剰農産物協定見返資金)
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (4)…寄合町(本踊)、本下町(本踊・曳段尻)、馬町(本踊)、八坂町(川船)、
     東浜町(本踊)、築町(御座船・本踊)、東上町(本踊)、銅座町(本踊・曳段尻)
     *出場辞退…梅香崎町、広馬場町
     町界町名変更後、改正された踊町組合せによりスタート
  10/12社会党の浅沼稲次郎委員長が日比谷公会堂で講演中に刺殺される
     総選挙を1か月後にひかえ、NHK、東京都選管委、公明選挙連盟共催の3党首立ち会い演説会中
     突然演壇に向かって右側から駆け上がった若い男に背後から凶器で左胸部と腰部の2か所を刺され転倒
     警視庁のパトカーで日比谷病院に収容3時27分死去
     犯人はただちに丸の内署に連行、演説は中止に
     のち犯人は自称元愛国党員山口二矢(17)。少年鑑別所で拘留中に自殺
  10/30銅座町の洋画専門館の第一劇場が経営不振で野村証券に売り渡される
  10/●●●が旅館矢太樓に社名変更
     1971(昭和46)09/30増築鉄筋コンクリート造陸屋根7階建て、民営国民宿舎「太郎の家」を増設。客室31室
  10/長崎バス(株)崎戸営業所を廃止、大島に大島営業所を開設
     1969(昭和44)05/大島営業所が出張所に。瀬戸営業所の管轄となる
  11/下銅座町の中央映画が山一証券に売り渡される
  12/東浜町39番地の浜町本通の松竹作品を上映する映画常設興行場の「喜楽館」が「長崎東宝劇場」と改称
     福岡の東宝九州興行株式会社が鉄筋コンクリート4階建を新築
     1985(昭和60)頃閉館となる
  12/16病院スト各地に頻発。これに対抗すべく厚生省は病院経営管理改善懇談会を発足させる
  12/23原爆医療法の一部改正に基づき、長崎市が認定患者103人に始めて医療手当を支給
  12/国鉄の蒸気機関車C51-68号機が解体される
     C51-68号機は長崎管理部の指令救援列車第1号として、被爆1時間後に長崎の街に進入した旅客311列車を牽引
  12/浜町本通「喜楽館」の地に福岡の東宝九州興行株式会社が鉄筋コンクリート4階建を新築
     「長崎東宝劇場」と改称
  12/長崎原爆被爆者福祉会館が長崎市岡町に完成。工費3455万円
  12/池田内閣が国民所得倍増計画を閣議決定
  12/日本海員掖済会長崎病院が原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の規定に基づく医療機関に指定される
     1964(昭和39)07/鉄筋コンクリート3階建の病院を建築、病床が63床となる
  長崎商工会議所の中小企業相談所国が小規模企業施策の強化とあいまって小規模企業階層の指導に重点をおくことに
     専任の経営指導員を配置するなど相談所の機構と機能は大幅に拡充
  「シャスター(いちご)」を米国より導入、県下で栽培が増加。長崎いちごへの転換
  ぶたまんの桃太呂が創業
  杉永金生が個人にて揚げかまぼこや竹輪などの製造する事業を開業独立
     1986(昭和61)06/03有限会社杉永蒲鉾となる
  西北小学校が新設
  聖アウグスチヌス会が城山町に聖マリア学院の小学校に続いて中学校を開校
  長崎地方裁判所の庁舎が完成
  恵美須町に雪印乳業長崎工場を開設
  長崎市新地町の「中華料理京華園」が鉄筋コンクリート4階建に増築
     1972(昭和47)角地を買収し、鉄筋コンクリート6階建一部4階神前式場を増設
     営業内容はレストラン・宴会及び婚礼
  長崎市の16ミリカラー「長崎の印象」が観光映画コンクールで最優秀賞を受賞
  長崎原爆被爆者福祉会館が完成し被爆者福祉の総合センターとして発足
  長崎県土木事務所の庁舎が落成
  上西山町1番地の県立長崎図書館が新館を竣工し開館
  長崎漁港が特定第3種漁港に指定
  五島福江出身の真崎節三が分家し今籠町に旅館真海荘を創業
     場所は崇福寺の通りで環境に恵まれ一部屋一部屋が実に明るく清潔な旅館
     若い女将が料理を作り好評を得ている。大学受験生のほか学生は受けない
  代々雲仙別所に住み雲仙開山満明寺の住職をつとめる満明寺(人名)が旅館をはじめる
     小ぢんまりとした家族的な旅館
     1967(昭和42)別館を落成。本館3階、別館地下1階、地上3階の湖畔のホテル松の井がお目見え
  1922(大正11)島原杉谷生まれの吉川義盛が小浜で営んでいたパン製造から旅館業に転業
     よし川旅館を経営
     1966(昭和41)旅館清水屋を買取り増設して小浜荘に改名
  雲仙古湯の純日本旅館富貴屋が1億円余りをかけて鉄筋3階建、内部和風のデラックス旅館を建設
     戦後の観光客の増加により雲仙は発展の一途。旅館やホテルが増築ムードの中、いち早く近代施設に
     工事は工期が遅れ資金償還の問題で苦しむことに
     1969(昭和44)03/鉄筋5階建の別館を落成
     一般客300人、団体客400人の大旅館を完成
  本多新次郎が死去。雲仙ことぶき旅館の経営を夫人が引き継ぐ
     1967(昭和42)02/雲仙国際観光会館の上にホテル本多をオープン
  長崎市内の映画館が25館となる
  旅館秀明館が筑後町の駅前高台に新築移転
     戦後の混乱から安定するにつれ急増する車の騒音を気にしての決断
     また外人客を受け入れる旅館が少なく、打開策として閑静眺望の地を選んでの移転
     外人客を受け入れる旅館としては常に先駆的な役割を果たす
     会議室、大広間、スカイグリル、特産品売場、駐車場などを完備し、結婚式場を備える
     創業者の村上明は西彼杵郡亀岳の生まれ。肥前彼杵に名を成した村上氏の末となる
       旅館秀明館は県庁と大波止の途中にあった醤油会社の建物の跡地に1948(昭和23)12月に創業
  田中秀則が小浜に旅館田中荘を創業
     田中秀則は1951年(昭和26)に製塩工場をはじめていた
     1968(昭和43)鉄川工務店の施工で鉄筋3階建、大浴場をもつ新館を増設
  島原鉄道が国鉄の準急(のち急行化)に併結して博多駅までの直通運転を開始
     1980(昭和55)10/01国鉄線への直通運転を廃止
  中山マサが第1次池田内閣の厚生大臣に就任。女性初の大臣
     1910(明治43)活水女学校中等科を卒業
     戦後、衆院議員に当選、厚生政務次官、自民党婦人局長などを歴任
  長崎県が島原市南千本木岩下の新種のシマバライチゴ群落を県の天然記念物に指定
  長崎市内の道路舗装率は国道94%、県道33%、市道35%
     車の普及は乗用車が19世帯に1台、軽自動車は6世帯に1台
  長崎魚市の総水揚高27万瓲、地元扱高53億4500万円で過去最高に
  雲仙〜島原間の有料道路「島原道路」が完成
     1973(昭和48)04/01小浜〜雲仙〜島原間の有料道路が無料開放され国に移管、一般国道57号となる
     小浜〜雲仙間の有料道路「雲仙道路」と雲仙〜島原間の有料道路「島原道路」

1961(昭和36)【昭和】 辛丑(かのとうし)

  《総理大臣》[第59代]第2次池田勇人内閣
  《知事》[第42代(公選4代)]佐藤勝也
  《市長》[第20代]田川務

  01/18八千代町に西部瓦斯のマンモスガスタンクが完成
  01/22長崎新聞社の新社屋が出島の民友新聞跡地に完成。鉄筋コンクリート造3階建
     1968(昭和43)「長崎時事新聞(旧軍港新聞、旧佐世保時事新聞、旧九州時事新聞)」と合併
     名実ともに長崎県唯一の県紙に
  01/27長崎市議会教育厚生委員会が長崎大学に原爆放射能医学研究所(原医研)を開設するよう文部省へ陳情することを決定
     広島大学に原爆放射能医学研究所(原医研)が設置されたことに伴う措置
  01/30長崎市中央、稲佐の両保健所が乳幼児に対する小児麻痺の予防接種を開始
  01/光町と弁天町の間を流れる小川の浦上川寄りの鉄筋コンクリート造の紅葉橋が架け替え
  02/01長崎原爆病院の本館増築工事が完成。病床数102床を311床に増やす。工費1億1000万円
     1964(昭和39)12/26総合病院として認可される
  02/03本大工町に長崎市公会堂が起工
  02/20西彼杵郡の大島町と崎戸町を結ぶ橋梁延長200米の中戸橋が完成
     大島と蛎浦島が結ばれアクセスが容易になる
      西海町から崎戸島までのうち
      大島大橋(西海町〜大島町寺島)…………〔5〕1999(平成11)11/1完成
      寺島大橋(大島町寺島〜大島町大島)……〔4〕1988(昭和63)03/29完成
      中戸橋(大島町大島〜崎戸町蛎浦島)……〔1〕1961(昭和36)02/20完成
      崎戸橋(崎戸町蛎浦島〜崎戸町蛎浦島)…〔2〕1967(昭和42)03/26完成
      本郷橋(崎戸町蛎浦島〜崎戸町崎戸島)…〔3〕1971(昭和46)完成
  02/東山町の長崎市立北大浦小学校が上部運動場(上大浦小学校跡)を整地
     1967(昭和42)03/体育館を竣工
  03/09御船蔵町263他に五社公園(1359.8平方米)が開設
  03/31昭和町2400-1に昭和公園(3613平方米)が開設
  04/01西彼杵郡高島町に高島公園(1万3306平方米)が開設
  04/01壱岐郡芦辺町の一部が石田村に編入される
     1970(昭和45)08/01壱岐郡石田村に町制が敷かれ石田町となる
  04/04長崎〜香港間の定期航路が20年ぶりに再開
  04/08石神町〜文教町の浦上川に国際文化都市建設事業として浦上橋を架設
     長さ26米、幅員12米
  04/10県立南高校が上小島に開校。生徒196人の入学式を挙行
  04/12ソ連が世界で初めて有人宇宙船ボストーク1号を打ち上げる
     ユーリ・ガガーリンの飛行時間は約1時間48分。地球を1周して戻る
     「地球は青かった」という言葉を地上に伝える
  04/19蒸気機関車C57形100号機が基山→佐賀でお召し列車を牽引
     04/23大村→長崎で、04/26長洲→博多で、それぞれお召し列車を牽引
     1973(昭和48)04/02人吉にて廃車となる。走行距離は164万5千粁
  04/昭和天皇と皇后両陛下が西九州行幸の折、矢太樓に宿泊
  05/01小島中学校を桜馬場中学校に併設
     1962(昭和37)01/08独立開校
  05/06飽の浦〜立神の舗装工事が完成
  05/10長崎県交通部の本局用地を一部買収(大黒町588.38平方米)
     12/24長崎交通産業ビル着工
     1962(昭和37)04/20本局用地買収(大黒町541.30平方米)
  05/27長崎造船短大が香焼島から網場町に移転
     1965(昭和40)長崎造船大学と改称
     1978(昭和53)長崎総合科学大学と改称
  05/佐世保市営の亜熱帯動植物園、通称石岳動植物園が開園
     敷地は旧日本海軍施設部工員宿舎の跡。長崎、佐賀両県下初の本格的動植物園施設
  06/01立山町に九州初の公営ユースホステル「県立YH青年婦人の家」が落成
     鉄筋コンクリート造2階建、収容人員92
  06/07旧グラバー住宅主屋、付属屋と旧唐人屋敷門が国重要文化財に指定される
  06/15警視庁が交通情報センターを設置
     電話により警察官から集めた渋滞状況を大きな地図に表示し、主にラジオ放送でドライバーに渋滞情報を伝える
  06/21小児マヒ患者が1000人を突破。厚生省は生ワクチンに緊急輸入を決定
  06/29西彼杵郡亀岳村と大串村が合併し西彼村となる
     11/03西彼杵郡香焼村に町制が敷かれ香焼町となる
  06/健康保険諫早病院が開設。188床
     社会保険喜々津病院は健康保険喜々津分岐と改称。200床
  07/10駒場町に国際体育館ができる
  07/25長崎市が小児麻痺流行のためソ連製生ワクチンの投与を35小学校区で一斉に開始(〜08/05)
  07/旧佐世保海軍工廠の造船施設を借受、設立した「佐世保船舶工業株式会社(SSK)」が社名変更
     「佐世保重工業株式会社」となる
  08/130時、ドイツ民主共和国(東ドイツ)が東西ベルリン間68の道すべてを閉鎖
     有刺鉄線による最初の「壁」の建設が開始される
     08/15石造りの壁の建設が開始される
     のち壁は数度にわたり作り替えられ1975(昭和50)に完成。高さ4米、総延長は155粁
     1989(平成01)ソビエト連邦のペレストロイカに端を発し東ドイツの民主化運動(東欧革命)が拡大
     11/09ベルリンの壁が崩壊
     11/10未明、興奮した東西両ベルリン市民によって壁が破壊される
  08/21〜24門司港〜長崎〜宮崎間で82系特急気動車の臨時試運転を開始
     09/13〜2882系特急気動車が長崎、宮崎〜大阪間で慣らし試運転を開始
     10/01長崎・宮崎〜京都に82系気動車特急「かもめ」の運転が開始
  08/長崎大学の水産学部が佐世保市崎辺から長崎市文教地区に移転
  09/15県営網場プールに飛び込みプールが完成
  09/18海外移住巡回相談所が開設される
  09/22イワシの缶詰めに代わりアジの缶詰め2万1400ケースを東南アジア・アフリカへ初輸出
  09/25水不足のため浦上、小ケ倉水系で1日3時間の給水制限
  09/30諫早市本明川に架かる眼鏡橋が河川拡幅のため諫早公園に移築復元
  09/30博多〜京都の客車特急「かもめ」が廃止。最後の牽引蒸気機関車はC59形7号機
     10/01長崎・宮崎〜京都に82系気動車特急「かもめ」の運転が開始
     1963(昭和38)10/0114両編成での運転を開始
  09/「九州時事新聞(旧軍港新聞、旧佐世保時事新聞)」が「長崎時事新聞」と改題
     1968(昭和43)08/01「長崎新聞」と合併。県内1紙の地位を確立
  10/01長崎バスが夜の観光バスの運行を開始
  10/01長崎〜東京の寝台特急「さくら」の列車番号が5レ・6レからトップナンバーの1レ・2レに
     1965(昭和40)10/01肥前山口で分割、長崎・佐世保〜東京の運転に
  10/01長崎と熊本を佐賀線経由で結ぶ国鉄の準急「ちくご」が新設
     準急「ひまわり」と併結
     のち準急「ながさき」「ゆみはり」「ちくご」など多層建てで運行
     1967(昭和42)10/01長崎と熊本を佐賀線経由で結ぶ準急「ちくご」が急行に昇格
     急行「ながさき」「弓張」と多層建てで運行
     のち急行「ひまわり」「ちくご」、急行「いなさ」「弓張」「ちくご」、
     急行「出島」「弓張」「ちくご」、急行「出島」「ちくご」など多層建てで運行
     1980(昭和55)10/01「ちくご」が廃止
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (5)…丸山町(本踊)、本古川町(本古川船)、西上町(阿蘭陀万才)、
     東古川町(川船)、伊勢町(本踊)、駅前町(唐人船)、出島自治会(阿蘭陀船・本踊)
     *出場辞退…紺屋町、炉粕町、八百屋町、恵美須町、小川町
     *大黒町と台場町で駅前町に
     市公会堂建設が着工し踊り場を市民運動場から船津町の瓊浦公園に変更。瓊浦公園は初日の招待席のみ
  10/11長崎県営バスの小浜営業所が開所、新築落成
     1969(昭和44)08/07小浜営業所女子職員寮及び所長公舎が新築落成
  10/16シーボルト宅跡保存会が発足。会長は北村精一長大学長・副会長は田川務長崎市長
     シーボルト宅跡の整備と胸像の復元に乗りだす
     1963(昭和38)03/16長崎市鳴滝町のシーボルト宅跡に19年ぶりにシーボルトの胸像が復元され除幕式を挙行
  10/25諫早市、本明川の眼鏡橋が諫早公園内に移築復元完成
  10/長崎バス(株)が夜の観光バスの運行を開始
  10/出島付近の路線変更。長崎電鉄が千馬町を廃止し入江町を新設
     1990(平成02)06/11入江町が廃止
  11/01長崎電気軌道の電車運賃が13円から15円に値上げ
  11/03西彼杵郡香焼村に町制が敷かれ香焼町となる
     1962(昭和37)01/01西彼杵郡茂木町と式見町が長崎市に編入される
  11/03南高来郡有明村に町制が敷かれ有明町となる
     1962(昭和37)05/03南高来郡深江村に町制が敷かれ深江町となる
  11/15市役所前の水道局舎・建築部庁舎跡に市水道局庁舎ができる
     鉄筋コンクリート造地下2階、地上2階、延べ3376.84平方米
  11/19駐日米国大使ライシャワー夫妻、内藤文部事務次官を長大医学部に迎えて、第1臨床研究棟竣工祝賀式を挙行
  11/「40年間お待たせしました」のキャッチフレーズとともにアンネナプキンが華々しく登場
     朝日新聞ほか4紙に全紙大の広告がでる。女性用生理用品としては空前の旋風を巻き起こした商品に
     アンネナプキンは12個入り100円。米1瓩が71.5円の時代、かなり高価な品物
  長崎検疫所、関係官庁、港湾及び船舶関係業者で、長崎港衛生管理運営協議会を結成
     清掃船を出して汚染された長崎港の清掃を始める
  12/01下水道終末処理場が茂里町にできる
     市中央部に下水管の布設が終わり排水区域を公示して下水道の供用を開始
      下水排水区域…新町、船津町の全域
       本大工町、今魚町、酒屋町、袋町、本紺屋町、材木町、本下町、築町、外浦町、江戸町、
       玉江町、樺島町、平戸町、萬歳町、大村町、本博多町、引地町、豊後町、桜町、興善町、
       金屋町、恵美須町、台場町、五島町、西上町、下筑後町、東中町、西中町、小川町、大黒町
       以上30か町の一部で1500戸8500人が使用可能に
      区域内では6か月以内に汲み取りを水洗に、台所その他の配水を下水管に流すための設備を整える
  12/07長崎県医師会の事務所が長崎市榎津55番地の市医師会館から袋町の元町村会館跡へ独立移転
     1980(昭和55)07/17長崎県医師会館の新築工事起工式が行なわれる
  12/12戦後初のクーデター「三無事件」が発覚
     政府の左翼政策に不満を持ち、元陸士59・60期生を中心とする国史会グループがクーデターを計画
     「永久無税・永久無失業・永久無戦争」の三無スローガンを掲げる
     事件の首謀者・川南豊作と秘書・篠田英悟、旧陸軍士官学校生小池一臣ら13人が逮捕
     検察は関係者を破壊活動防止法で検挙。裁判は破防法施行初めての適用となり8人に有罪判決が下される
     川南豊作は1936(昭和11)に川南工業(株)を設立
     香焼島を本拠に、東洋一の10万瓲ドックを持ち、三菱と肩を並べるほどの造船王国を1代で築いた実業家
  12/野母商船により長崎〜香焼〜高島〜端島の航路に鋼製(150瓲)姉妹船「せい丸」「つや丸」の2隻が就航
     1971(昭和46)香焼埋立てにより香焼経由が廃止
  長崎〜茂木の電話が即時通話となる
  茂木ビーチホテルが経営不振で大長崎建設が経営
     1966(昭和41)ホテル廃業後は大長崎建設の寮に
     1981(昭和56)大長崎建設が倒産後、解体
  万屋町の旅館中村屋が、●●●町に鉄筋5階建の新館を完成し移転開業
     高台にあり閑静、港内の眺望がよく新婚客向き家族連れやグループ向き旅館として堅実な経営を営む
  小浜の旅館さぬきやの創業者、草野千代次郎が死去、息子の久男が引き継ぐ
     久男は1918(大正07)生まれ、長崎逓信講習所をでて小浜郵便局に勤め、戦後は小浜町役場に勤める
     1968(昭和43)全館改装する
  雲仙観光ホテルに天皇皇后両陛下が宿泊。記念して館内に「魚苑」を建てる
     「魚苑」では有明海の生き海老を目の前で揚げて天ぷらにし供する
  久米保が経営する中町のみふね旅館が設備を増築
     「旅にでて心からの接待を受けるほど旅の印象を深めるものはない」と家族的なサービスに徹底
  出来大工町の旅館辰巳が長崎駅正面の高台の筑後町に新築開業
     気安く肩がこらずにグループや家族連れ向き、中華料理が特色で、駅に近く環境がいいと地の利を得ている
  口之津町の古野電気株式会社が資本金を1億2千万円に増資。兵庫県西宮市に本社を移転
     のち独自のアイデアを盛り込んだ漁業計器、航行計器、無線通信機などを開発
     船舶用電子機器の総合メーカーとしての基礎を築く
  長崎県立長崎南高等学校が開校
  緑が丘中学校、岩屋中学校、江平中学校、小島中学校が新設
  浜市商店連合会の加盟店数が82店となる
  輸入高がピーク。55億円

1961(昭和36)頃

  街頭紙芝居がテレビの普及とともに姿を消す

1962(昭和37)【昭和】 壬寅(みずのえとら)

  《総理大臣》[第59代]第2次池田勇人内閣
  《知事》[第42代(公選4代)]佐藤勝也(→03/01)[第43代(公選5代)]佐藤勝也(03/02→)
  《市長》[第20代]田川務

  01/01長崎市の第7次市域拡張により西彼杵郡茂木町と式見町を市域に編入
     165.41平方粁、戸数8万9692世帯、人口37万2027となる[1962(昭和37)01/31現在]
     茂木町34.30平方粁、2661世帯、1万4272人(男6983・女7289)
     式見村9.79平方粁、1404世帯、8048人(男3949・女4099)
     [拡張区域は1960(昭和35)12/31現在]
     1963(昭和38)04/20長崎市の第8次市域拡張により西彼杵郡東長崎町を市域に編入
     206.62平方粁、戸数9万6743世帯、人口39万2072となる[1963(昭和38)04/30現在]
     東長崎町41.21平方粁、2919戸、1万5490人(男7546・女7944)[1963(昭和37)07/31現在]
  01/01西彼杵郡茂木町と式見町が長崎市に編入される
     05/20西彼杵郡伊王島村に町制が敷かれ伊王島町となる
  01/08小島中学校が桜馬場中学校から独立開校
  01/長崎市立市民病院の新館増築工事が完成。鉄筋コンクリート造4階建て、工費6035万円
     1974(昭和49)10/25新館(地下1階・地上7階建)が完成、診療業務開始
  02/20大浦縦貫線の街路拡張工事ため木造2階建の長崎市営常盤町倉庫(通称・目隠し倉庫)の解体開始
     常盤町倉庫は戦艦武蔵建造の秘密保持のため建設
  02/海上保安庁の庁舎が新地町の3階建洋館から松ケ枝町の長崎合同庁舎3階に移転
  03/05米国の核実験再開声明に対し田川市長がライシャワー米駐日大使に初の抗議電
  03/15大村市の萱瀬ダムが完成
  03/24戸町のトンネル近くの交差点に交通信号機が完成
  03/25浦上川をまたぐ梁瀬町〜旭町の稲佐橋がコンクリート橋に架け替える
  03/31若草町2400に平床公園(672平方米)が開設される
  03/山王神社のほぼ完全な形で残っていた一の鳥居が運送会社のトラックの衝突により倒れる
     そのまま撤去され行方知れずに
     1988(昭和63)ぼぼ旧来の姿に再建
  03/九州大学理学部により島原火山温泉研究所が眉山東麓に非公式に設置
     1971(昭和46)04/01島原火山観測所として正式に発足
  03/野母商船が長崎(時津)〜佐世保に国内初の水中翼船「はやぶさ1、2、3、4号」定期航路を開設
  04/01長崎市立中学校24校の新入学生徒数9613人で戦後最高
     1963(昭和38)03/市立中学校24校の卒業生9732人で史上最高。高校進学率72%
  04/01西彼杵郡高島町に権現山公園(7万0037平方米)が、同じく高島町に中の島公園(4万2460平方米)が開設
  04/01日本初の鋼鉄製貨客船「夕顔丸」が船齢75年で廃船、解体
  04/01定時制独立校の長崎県立小浜高等学校が全日制課程となる(普通科2学級、商業科1学級)
  04/01長崎県立高島高等学校に全日制普通科が設置される
     1989(平成01)03/31長崎県立高島高等学校が閉校となる
  04/20長崎県交通部が本局用地を買収(大黒町541.30平方米)
     1963(昭和38)07/15長崎県交通部を長崎県交通局に改める
  04/27南氷洋でキングペンギンを捕獲。ぎん吉が捕鯨船で仲間12羽とともに長崎水族館にくる
     1972(昭和47)07/「ペル」と結婚(ペアになる)
     1977(昭和52)09/24第1子「ペペ」が誕生
     1996(平成08)南氷洋から来た同期の仲間が死亡、ぎん吉1羽に
     2002(平成14)02/11午後8時23分、長寿世界一記録を更新中に老衰のため死亡
     飼育期間39年9か月15日は世界最長
     ペンギンの平均寿命は20年、人間に例えると100歳ははるかに超えていた
     大好物の鯵を丸ごと食べることができず、飼育スタッフが3枚におろしていた
  04/三菱鉱業(株)が社船「夕顔丸」を廃止。長崎〜小曽根〜高島〜端島航路は野母商船の運行のみとなる
  05/03南高来郡深江村に町制が敷かれ深江町となる
     1963(昭和38)04/01南高来郡吾妻村に町制が敷かれ吾妻町となる
  05/0321時37分頃、東京都荒川区の国鉄常磐線三河島駅構内で列車脱線多重衝突事故が発生。三河島事故
     (1)三河島駅構内で下り田端発水戸行きの貨物列車が停止信号を行き過ぎて安全側線に進入し脱線
     先頭の蒸気機関車と次位のタンク車が下り本線に飛びだす
     (2)直後、三河島駅を4分遅れで出発した上野発取手行きの下り電車が、ふさいでいた下り本線のタンク車に衝突
     先頭車と2両目の車両が脱線し、上り本線に飛びだす
     (3)約7分後、現場に上野行きの上り電車が進入、線路上に降りて移動中だった下り電車の乗客多数をはねる
     上り本線に停止していた下り電車の先頭車と衝突。下り電車の先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕する
     上りの先頭車は原形を留めず粉砕し、2両目は築堤下に転落して線路脇の倉庫へ、3両目も築堤下に転落、4両目が脱線
     結果、死者160人、負傷者296人をだす大惨事に
  05/09西町小学校の校舎が完成。市立小学校での2部授業が解消
  05/17西坂公園内に日本二十六聖人殉教記念碑が完成
  05/20西彼杵郡伊王島村に町制が敷かれ伊王島町となる
     1963(昭和38)04/20西彼杵郡東長崎町が長崎市に編入される
     市域が206.62平方米、人口が39万2886人となる
  05/20伊王島村が伊王島町になり町営バスの運行が開始される
  05/21サリドマイドを主成分とする睡眠薬の製造販売中止の勧告
  05/喜々津〜浦上の長崎新線が調査線に指定を受けるに至り一歩前進をみることに
     のち県、関係市町、経済界は、早期着工を求めるため、「諫早・長崎間国鉄浦上線建設促進協議会」を結成
     より強力に建設促進運動を進める
     1966(昭和41)10/31待望の起工式にこぎつける
  05/大洋漁業株式会社長崎支社が漁港冷凍工場を増設
     1965(昭和40)12/旭町8番23号の大洋ビルに移転
  06/02本大工町に長崎市公会堂が完成
     敷地面積3597平方米、建面積1984平方米、鉄骨鉄筋コンクリート造り5階建て、工費約2億5千万円
  06/02・03長崎市公会堂が落成。こけらおとし公演に加藤ユニークバレエ主宰の加藤久邦が出演
     1978(昭和53)01/名称が「かとうフィーリングアートバレエ」となる
  06/08二十六聖人列聖記念の100周年祭
     06/08大浦天主堂で荘厳なミサ
     06/10西坂公園で記念式典を挙行
     国内外からカトリック信者約1万人が参列
     二十六聖人記念碑は横17米、高さ5.58米の花崗岩の台座に等身大の二十六聖人のブロンズ像がはめ込まれる
     制作は彫刻家・舟越保武
  キリスト教の歴史を紹介する日本二十六聖人記念館が建つ。設計は建築家の今井兼次
  聖フィリッポ西坂教会が建つ。設計は建築家の今井兼次
  西坂公園脇の司祭館上層部にメキシコからの寄付で急遽、日本二十六聖人記念聖堂が造られる
     二十六聖人の1人、メキシコ人の聖フィリッポはフィリピンで司祭になる勉強をし、帰国途中、日本に立ち寄り西坂で殉教
     聖堂は日本二十六聖人記念館と同じ今井兼次の設計
     今井兼次はスペインの建築家ガウディの研究の中で、ガウディの神への親交に深く傾倒
     京都から長崎までの道筋の窯元の陶磁器をはめ込む
     モザイク模様の双塔が伸びる聖堂はガウディの聖家族教会を彷彿とさせ長崎の現代美術の象徴になる
  07/01〜08長崎県北・北高来郡で豪雨
     日雨量169.8粍。死者行方不明1人、負傷者29人
     家屋の全壊・流出291戸、半壊221戸、床上床下浸水1万3181戸
  07/01集中豪雨が県央、県北を襲う。長崎県医師会の木谷会長、鏑木常任理事が被災地の会員を見舞う
  07/05小川町にNBC放送会館完成。地下1階、地上8階、工費約6億円。長崎初の自動ドアを設置
  07/09江迎炭鉱でボタ山が崩れ209戸が埋没
  07/10出光興産発注の世界最大タンカー「日章丸(3世)」が佐世保船舶工業株式会社で進水
    「日章丸(3世)」は全長291米、13万2334瓲
    進水式にはライシャワー駐日大使が出席、2万人を超す市民が集い巨船誕生を祝う
     就航16年間で中東まで129往復、1935万竏(キロリットル)の原油を運ぶ
  07/13長崎県営バスが本原営業所用地を買収(2707.43平方米)
     12/27本原営業所車庫用地を一部買収(1272.72平方米)
     1963(昭和38)02/14本原営業所が開所
     1963(昭和38)05/13本原営業所車庫用地を買収
     1963(昭和38)11/25本原営業所整備工場が落成
     1964(昭和39)08/25本原営業所用地として3208.58平方米を買収
     1971(昭和46)03/28本原営業所が新築落成
     1974(昭和49)04/01本原営業所を本原出張所に改め、開所した長与営業所の所管とする
     1980(昭和55)04/01長与営業所本原出張所が廃止
  07/27長崎市議会臨時会で水道料金の25%値上げが可決
  08/05マリリン・モンローが自宅の寝室で全裸で死んでいるところを発見される。没年36歳
     自殺、他殺、事故死と憶測が乱れ飛ぶ
  08/06本石灰町の不法建築商店街74軒の撤去が始まる
  08/12電話局浦上分局が開局。市北部の(4)局の電話4200台を収容
  08/12堀江謙一が太平洋の単独横断に成功
     小型ヨットのマーメイド号で兵庫県西宮を発ち93日目に到着
  08/297月初旬の県央県北に次いで長崎地方でも集中豪雨
  09/26午前02時10分頃。福江市東浜町の九州商船倉庫付近より出火、県内で戦後最大の火災、福江大火となる
     当時、波浪注意警報が発令中。このときの風向きには最悪の建物配置と地形に
     市役所、県五島支庁、警察署、税務署、郵便局、銀行、公立病院など中核施設、商店街、住宅地と続く
     公立五島病院など8医療機関が全焼
     被災面積13万2千平方米、被災世帯811、被災人員3936人、被災総額39億7500万円
  09/29業界初の普通紙複写機「富士ゼロックス914」の国内販売が開始
     米国ゼロックス社で開発され、富士ゼロックスによって国産化。日本のオフィスに複写革命をもたらす
     完全自動型で普通紙にコピー(1分間に7枚)できることから脚光を浴び、急速に普及する
  09/愛宕山山頂に500立方米の配水槽と150立方米の配水施設を設置
     1984(昭和59)12/10廃止
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (6)…寄合町(本踊)、今博多町(阿蘭陀万才)、
     本籠町(竜踊)、江戸町(本踊)、[特別参加]東古川町(川船)
     *出場辞退…今魚町、本大工町、古町、勝山町、桜町、上筑後町、玉江町
  10/23「長崎放送[NBC]」の新放送会館が落成。桜町の旧長崎商工会議所から移転
     新長崎放送会館は小川町28番地(現上町1番35号)
     総工費4億8千万円、敷地面積1648平方米、鉄骨建て地下1階、地上8階、塔屋2階、総延べ面積6610平方米
     1966(昭和41)12/21テレビのカラー放送を開始
  10/長崎バス(株)茂里町営業所とバスターミナルが開設
     専用のバスターミナルとしては長崎市初
     大波止営業所の長崎半島路線と茂木営業所の業務を移管
  11/04品川の歌手島倉千代子(24)後援会事務所に爆薬入り封筒が届き発火する
     事務員を負傷させる。郵便物に「草加次郎」のサインを残す
     以後、爆発物には「草加次郎」の文字が書かれ、脅迫状には「草加次郎」名義で郵送される
     11/13六本木のクラブホステス(41)の自宅に爆薬入り封筒が届くが不発
     11/20有楽町のニュー東宝映画劇場の廊下ロビー火薬入り紙筒が発火する。観客1人が火傷を負う
     11/26有楽町の日比谷映画劇場の男子トイレでボール紙の箱が爆発する
     爆発したものの負傷者及び火災はなし。指紋が摘出される
     11/29世田谷の電話ボックスにおかれたケース入りの「石川啄木詩集」が爆発する。使用客1人が負傷
     12/12浅草の浅草寺境内の切り株上にエラリー・クイーンの小説で作った爆弾を発見。1人が負傷
     1963(昭和38)05/09渋谷区西原の女優吉永小百合(18)宅に脅迫状が届く(1回目05/09消印)
     2回目05/14消印、3回目05/23消印、4回目07/15消印、5回目07/17消印、6回目07/22消印
     07/15上野公園でオデン屋店主が狙撃される。全治3か月の重傷を負う
     07/24渋谷東横デパートに脅迫電話をかける。のちデパートの洗面所を爆破。負傷者はなし
     07/25上野署にオデン屋店主を狙撃した弾丸と拳銃の入った封筒が届く
     08/11渋谷東横デパートの屋上に時限爆弾を設置する。負傷者はなし。のちに警視庁へ弾丸と拳銃を郵送
     08/14渋谷東横デパート店長宛に爆発物を郵送。事務員1人が火傷を負う
     09/05地下鉄銀座線の京橋駅構内で発車直前の電車1両目の車両座席下で爆弾が破裂。乗客11人が重軽傷を負う
     09/06吉永小百合宅に映画「天国と地獄」を真似た現金受け取り方法で100万円を要求する7回目の脅迫状が届く
     1978(昭和53)09/05公訴時効が成立。戦後の未解決事件として日本の犯罪史に名を残すことに
     警察は捜査員を延べ1万9千人投入、容疑者は火薬マニアなど9600人をリストアップ
     「草加次郎」は指紋と筆跡を残すが、犯人を特定することはできず
  11/精洋亭ホテルが「長崎グランドホテル」と改称し外浦町の旧長崎観光ホテルにて営業開始
     地下2階、地上7階の全60室。社名は(株)精洋亭のまま
     ホテル専用のビルとしては九州熊本のキャッスルホテルに次いで2番目
     1963(昭和38)04/03(株)精洋亭の商号を長崎グランドホテルへ変更
  浦上天主堂が特別な聖堂として大浦天主堂に代わり司教座聖堂(Cathedral)に指定される
     1980(昭和55)04/ローマ法王の訪日要請を契機に、今までの不足を補って鉄筋による改装工事が着工
     外装を赤レンガ造りに、窓をすべてステンドグラスに
  西部瓦斯が長崎に油ガス発生設備を新設、石炭から油へガス源の転換を始める
  長崎県営バスが初めて欠損金を生じる
     1966(昭和41)5年間にわたり自主再建に取り組む
     1978(昭和53)7年間にわたり自主再建に取り組む
     1988(昭和56)04/01輸送人員の減少に歯止めがかからなくなる
     地方公営企業法第49条に基づく準用財政再建の指定を受ける
     経営の建て直しを行なう。準用財政再建は昭和62年度までの7年間
     429人の人員整理、4度にわたる職員の昇給延伸や総額2億円にのぼる資産処分など、労使一体の再建計画を達成
  五島町の県漁連会館前に鉄筋4階建の旅館てらだが建つ
     経営者の寺田三郎は1924(大正13)土佐生まれで鹿児島育ち
     南薩枕崎市の水産学校をでて水産から旅館経営に転じる
     漁連と直結し五島灘の魚類をいけ洲にしエビ、タイの生きづくり、タイの浜焼きが名物料理
  高島町立高島小学校が最高児童在籍数約2900人を記録
     1986(昭和61)11/27炭鉱閉山等により生徒数が激減
  文明堂のテレビコマーシャルに仔グマのカンカンダンスが始まる
     当初は欧米で人気のキャンキャンキャットを想定して制作
     しかし担当者には仔グマに見え、健康的なイメージも欲しいと本番当日、クマという設定に
     ラストにしっぽを振るポーズはネコだった唯一の名残り
     のち軽快な「天国と地獄」に踊る仔グマは大反響
  雲仙古湯の雲龍旅館が経営にいき詰まり解体、雲仙パークサイドホテルが落成
     工費3億5千万円。福岡の志賀設計事務所の設計で大成建設が施工
  雲龍亭浜んまちが一口餃子の専門店として創業
     パリパリの皮のなかにタマネギベースの野菜の甘味と肉のコクが一口で味わえる
  国見町多比良、松浦市御厨町でプリンスメロンの試作導入
  公会堂前に割烹旅館桝屋が開業
     桝いっぱいに酒が溢れるようにと屋号を桝屋に。部屋の造作に優れ料理も定評があり良心的な経営
     佐賀生まれの経営者は東京芸術写真学校をでて報道写真で北支、中支をまわる
     1941(昭和16)召集を受け南支の戦地を転戦し1946(昭和21)に復員。陸軍少尉
     戦後は肥前大浦駅前で写真館を経営し、のち長崎へ
  酒井隆義が親和タクシーから分離、小浜温泉タクシーが創業
     のち口之津観光タクシーを併営
     酒井隆義の弟、酒井静男は1966(昭和41)に小浜観光タクシーを創業
  1928(昭和03)熊本人吉生まれの本多輝志が製塩業から旅館経営に転じる
     えみや本館を小浜町営温泉センター前に開業
     1967(昭和42)02/旧山田屋本館を買取る
     1968(昭和43)02/鉄筋2階建の別館を落成

1963(昭和38)【昭和】 癸卯(みずのとう)

 次のページへ


鎌倉以前 室  町 安土桃山
(1)
安土桃山
(2)
江戸(1) 江戸(2) 江戸(3) 江戸(4) 江戸(5)
江戸(6) 江戸(7) 江戸(8) 江戸(9) 江戸(10) 江戸(11) 江戸(12) 江戸(13) 江戸(14)
江戸(15) 江戸(16) 江戸(17) 江戸(18) 明治(1) 明治(2) 明治(3) 明治(4) 明治(5)
明治(6) 明治(7) 明治(8) 明治(9) 明治(10) 大正(1) 大正(2) 大正(3) 昭和(1)
昭和(2) 昭和(3) 昭和(4) 昭和(5) 昭和(6) ・昭和(7) 昭和(8) 昭和(9) 昭和(10)
昭和(11) 昭和(12) 昭和(13) 昭和(14) 昭和(15) 昭和(16) 昭和(17) 昭和(18) 昭和(19)
・昭和(20) 昭和(21) 昭和(22) 平成(1) 平成(2) 平成(3) 平成(4) 平成(5) (表 紙)

「長崎年表」は編集著作権で保護されます
(c) 2003-2013 makuramoto all right reserved.