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〈昭和時代(16)〉
▼
1967(昭和42)
【昭和】
丁未(ひのとひつじ)
《総理大臣》
[第61代]佐藤榮作(→02/17)、[第32代]第2次佐藤榮作内閣(02/17→)
《知事》
[第44代(公選6代)]佐藤勝也
《市長》
[第21代]田川務(→05/01)、[第22代]諸谷義武(05/02→)
01/12
★
日本血液銀行協会が買血をやめ預血制度採用を決定
01/
★
レジャーホテルとして雲仙ファミリーホテルが創業
気楽なムードの中に深み厚みのある楽しさを味わってもらいたいと、ゲームコーナーや浴場などに新鮮味を凝らす
02/04
★
長崎県敬神婦人連合会が設立される
神社への奉仕活動を中心とする敬神婦人会の連合組織
女性としての優しさと母なる強靭さをもって、各神社やふるさとの振興、青少年の健全育成、社会奉仕活動に努める
合言葉は「神の心を子や孫に」
02/14
★
南山手25番館が愛知県犬山市の明治村で復元。九州から明治村入りした第1号の建物
02/
★
五島奈良尾生まれの高村松三郎が筑後町に
長崎ヘルスセンター
を開業
社長・高村松三郎、副社長・山崎憲明、常務・南勇一として創業
娘婿戸田一行(戸田水産)、竹内忠正(昭生水産)、栗原宏明(栗原建設)らが出資
設立の目的は「長崎で温泉の気分を堪能してもらおう。その上で長崎の名所史蹟を十分見物していただこう」
温泉を中心とした所謂ヘルスセンターと宿泊部(ホテル)のデラックスな設備をもつ
噴水のある大ジャングル温泉(サウナ風呂付)を中心に8階屋上の展望台、8階グリルからの夜景はお見事
大食堂、みやげ品売場、娯楽室すべて完備、団体客は約180人が宿泊可能
02/
★
雲仙国際観光会館の上にホテル本多がオープン
02/
★
小浜町営温泉センター前で旅館えみや本館を営む本多輝志が旧山田屋本館を買取る
→
1968(昭和43)02/
☆
鉄筋2階建の別館を落成
03/12
★
市内電話の局番が2桁となり、ダイヤル即時通話が全国拡大
九州で北九州、福岡、熊本に次いで4番目
03/21
★
金栗四三がスウェーデンのオリンピック委員会から大会開催55周年の記念式典に招待される
金栗は1912(明治45)第5回オリンピックストックホルム大会の陸上競技男子マラソンに参加
レース当日は40度という記録的な暑さで、参加者68名中、およそ半分が途中棄権
金栗は26.7粁の地点日射病で意識を失い倒れ、近くの農家で介抱される。目覚めたのは競技が終了後、翌日の朝
のち、棄権の意思がオリンピック委員会に伝わらず「競技中に失踪し行方不明」として扱われた
当時の記録を調べていたオリンピック委員会が金栗の失踪行方不明に気づき、記念式典でゴールさせることに
招待を受けた金栗はストックホルムで、競技場内に用意されたゴールテープを切る
この時「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8か月6日5時間32分20秒3
これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会は総ての競技を終了しました」とアナウンスされる
金栗はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」とコメントする
記録は世界一遅いマラソン記録に
03/26
★
西彼杵郡崎戸町の蛎浦島の入り江に架かる160米の崎戸橋が完成
西海町から崎戸島までのうち
大島大橋(西海町〜大島町寺島)…………〔5〕1999(平成11)11/1完成
寺島大橋(大島町寺島〜大島町大島)……〔4〕1988(昭和63)03/29完成
中戸橋(大島町大島〜崎戸町蛎浦島)……〔1〕1961(昭和36)02/20完成
崎戸橋(崎戸町蛎浦島〜崎戸町蛎浦島)…〔2〕1967(昭和42)03/26完成
本郷橋(崎戸町蛎浦島〜崎戸町崎戸島)…〔3〕1971(昭和46)完成
03/31
★
田上3丁目287-1他に唐八景公園(9万平方米)が、住吉町2400-2に住吉公園(4361平方米)が開設
03/
★
島原観光ホテル
が修学旅行、団体客のため新館「小涌園」を増設
島原外港の景勝の地に鉄筋4階建のスマートな姿を見せる
一般客約300人、団体客400人、学生約600人を収容。大浴場エデン風呂、自慢のプールは県外の利用者も
03/
★
東山町の長崎市立北大浦小学校が体育館を竣工
→
1974(昭和49)07/
☆
上部運動場にプールを新設(25米5コース)
04/06
★
44番目の市立小学校、大園小学校が開校
04/10
★
長崎市立市民病院
の鉄筋コンクリート5階建南病棟の増改築工事が完了
多年の懸案であった木造棟での診療が解消する
384床[一般病床300床(85病室)、結核病床84床(17病室)]となる
04/15
★
統一地方選で東京都知事に社共推薦の美濃部亮吉が当選
美濃部亮吉 1.496.000票
松下 正寿 1.351.200票
阿部 憲一 0.390.600票
04/20
★
両船台の三菱造船所のガントリークレーン解体が始まる
04/
★
旧グラバー住宅の改装工事中、建築材に記された大工の墨書きにより1863(文久03)の建築であることが確認
04/
★
野母商船が五島航路に姉妹船「清信丸」(200瓲)を建造、航路の充実強化を図る
04/
★
筑後町に鉄筋地下1階、地上6階、7階に庭園展望台を持つホテル日昇館が落成
日昇観光株式会社は愛宕町の
長崎御苑
の売却資金をもとに設立。観光事業に乗りだす
05/30
★
風頭町446-1に風頭みすみ公園(845.23平方米)が開設
06/01
★
思案橋〜正覚寺下の道路拡張工事が完工
思案橋〜正覚寺下…全長266米、道幅を9米から22米に拡張
06/16
★
岡政前〜勧銀長崎支店間270米の片屋根の
観光通り商店街アーケード
が完成。工費約5500万円
→
1982(昭和57)10/01
☆
浜市観光通りが従来の片屋根式から全覆い開閉式のアーケードが完成
全長280米、幅10米、高10.5米、総工費約5億3千万円
07/05〜09
★
佐世保・北松浦郡で豪雨
日雨量232.5粍。死者50人、負傷者364人、家屋の全壊・流出406戸、半壊579戸、床上床下浸水28251戸
07/
★
長崎バス(株)が風鈴バスを運行
07/
★
長崎駅前の山上に長崎港を真正面から見晴らすことのできる立山町の地点にホテル東明が完成、開業
従来、長崎には学生団体を受け入れる大きな旅館が足りず、各方面から「なんとかならないか」声が高くなる
そこで久野健一郎が駐車場問題を含め、解決策としてホテル東明の建設を企画
学生が泊まれる旅館で、市街地や長崎港の地形が一目で見晴らせる旅館として計画
一般客300人、一般団体350人、学生団体600〜800人
客室のほとんどから長崎港を目の下に眺め、灯台風呂と呼ばれる大浴場、大広間、展望喫茶ルームなどを完備
→
のち
☆
ホテル長崎と改称
08/09
★
出島地区の土地区画整理事業が終わる
主な工事は銅座川の変流、中央橋〜市民病院前間の延長546米の道路の幅員を平均15米から22米に拡張
08/
★
自主制作により歌「泣くな長崎」がつくられる
作詞は高浪藤夫、作曲は深町一朗、歌は杉野正男
→
のち
☆
核禁会議世界大会のテーマソングになる
09/01
★
電鉄バスの市内遊覧発着所が長崎交通産業ビル1階バスターミナルに変更
09/10
★
県営、長崎、西彼のバス会社が西海橋経由で長崎〜佐世保に特急バスの運行を開始
所要時間1時間50分、大村経由より15分短縮
09/28
★
荒廃がひどい孔子廟が大改修でいっそう中国色豊かな建物としてよみがえる。総工費2億6千万円
ルリ瓦7万5千枚を使った屋根は圧巻
中国政府が日本唯一の常設博物館として「中国歴代博物館」を完成
→
1982(昭和57)
☆
中国政府の助力により日本唯一の本格派孔子廟となる
09/
★
長崎バス(株)が西海橋経由の佐世保線に特急バスの運行を開始
10/01
★
島原、秩父が浦公園の海に突きでた小高い丘の上の
九十九ホテル
が全館オープン
本館地上8階、別館5階、客室72室、収容力350人、一度に150人が入浴できる展望風呂
本館内には自慢のいけ洲料理、天ぷらコーナー、すしこーなーなどを併営
開業は1935(昭和10)06/
10/01
★
長崎と熊本を佐賀線経由で結ぶ国鉄の準急「ちくご」が急行に昇格
急行「ながさき」「弓張」と多層建てで運行
→
のち
☆
急行「ひまわり」「ちくご」、急行「いなさ」「弓張」「ちくご」、
急行「出島」「弓張」「ちくご」、急行「出島」「ちくご」など多層建てで運行
→
1980(昭和55)10/01
☆
「ちくご」が廃止
10/02
★
喜々津〜浦上間に国鉄長崎本線新線が開通
市布駅、肥前古賀駅、現川駅が開業
10/07
★
渡御。「長崎くんち」
→
10/09
☆
還御
(4)…馬町(本踊)、東浜町(本踊)、築町(御座船・剣舞)、銅座町(本踊)、
[特別参加]諏訪町(龍踊)、[特別参加]西浜町(龍船・本踊)
*出場辞退…本下町、八坂町、東上町、梅香崎町、広馬場町
10/12
★
長崎県福島町と佐賀県伊万里市の県境に225米の福島大橋が完成
10/21
★
国際反戦デーでベトナム人民支援国際統一行動。国内で150万人が参加
明治公園での中央集会に三派系・革マル系6千人が結集、国会に向かうも機動隊に規制され早大まで引き回される
11人逮捕、京都府学連1000人、大阪府学連1500人結集
また法政大文、横浜国大教養・学芸学部、大阪市大スト、仙台・広島・福岡等で学内抗議集会・デモ等が展開
10/
★
恵美須町の旅館山水荘が、それまでの木造建築を解き鉄筋8階建の旅館を落成。新時代の経営に切り替える
→
のち
☆
さらに別館8階、地下1階の建設に踏み切る
→
のち
☆
ホテル山水荘を完成
長崎国体を控え大浴場、大広間、本格的な売店、バー、新婚旅行客向けのデラックスな部屋、8階の展望所などを備える
11/16
★
西彼杵郡多良見町市布名〜長崎市昭和町
長崎バイパス
(一般国道34号長崎バイパス)が供用を開始
九州初の有料自動車専用道路、全長11.5粁。総工費24億6千万円。当初は2車線。幅員13米
→
のち
☆
拡幅されて4車線に
11/17
★
長崎県営バスが長崎〜佐世保線(長崎バイパス・大村経由)に座席指定制のビジネス特急「やまびこ号」の運行を開始
他に中央橋〜大村間、中央橋〜諫早間の路線の一部の運行行なう
→
1968(昭和43)04/24
☆
特急「やまびこ号」がワンマンの指定認可を受ける
それまでの車掌が乗り込むツーマン運行より、徐々にワンマン化の流れが全国的に広まる
→
05/01
☆
特急「やまびこ号」がワンマンでの運行運行を開始
長崎県営バスでは初
長崎〜佐世保間のビジネス特急は、完全座席指定制の特急で乗降停留所が限定される
また、整理券は使用せずに降車地で乗車券を回収する方法をとっていたため
車内での整理券や両替機が設置していなかったとはいえ、大改革であり、ワンマンバスへの転換期となった事象
11/30
★
長崎航空が定期航空運送事業を廃止
→
12/01
☆
全日空が路線を継承
→
12/01
☆
全日空が長崎−福江、福岡−壱岐線の運航を開始する
11/
★
小浜の旅館福徳屋が増築。モーターボートを設備
12/10
★
五島町7-19に五島町公園(1544平方米)が、川上町32-3に日川公園(410平方米)が開設
12/20
★
社団法人長崎市観光協会が設立発足
→
1988(昭和63)10/24
☆
長崎コンベンションビューローが任意団体として発足
12/28
★
中央橋脇の国道324号と市道出来大工町江戸町線の交差点に交通混雑緩和のため
×字型歩道橋
が完成
この種の歩道橋は北九州に次いで2番目、工費約2560万円
歩道橋主桁の長さは、浜町から江戸町までが44.4米、築町から銅座町までが33.9米
○浜町の中島川側が35段、公会堂側が37段 ○築町の公会堂側が37段、県庁側が37段
○江戸町の県庁側が37段、長久橋側が37段 ○銅座町の長久橋側が37段、中島川側が36段
浜町中島川側と銅座町中島川側の段数が少ないのは階段の始まりが中島川をまたぐ中央橋の上にあるため
→
2007(平成19)02/05
☆
長崎市中心部の中央橋交差点に架かる歩道橋の撤去工事が始まる
中島川河川改修事業で川幅を広げるため、中央橋を架け替えるのに伴う措置(〜02/25完了)
中央橋の上に歩道橋の階段部分が接地しており、中央橋を架け替える上で、歩道橋をも撤去せざるを得ず
中央橋歩道橋は1967(昭和42)に設置され、県内唯一の「×」字形(長さは44.4米・33.9米)
→
2007(平成19)02/15
☆
築町と江戸町を結ぶ仮設歩道橋が通行可能に
工事期間中、中央橋交差点付近の道路では夜間(午後11時半−午前5時)に一部車線規制を実施
→
2009(平成21)09/01
☆
中央橋の架け替え工事が終わり仮設歩道橋の撤去がはじまる(〜09/25完了)
→
09/20
☆
築町と江戸町が横断歩道で結ばれる
12/
★
戸野本得蔵が万才町にニューホテル中央荘を建てる
地下1階、地上7階の和洋折衷、客室36。宴会場、会議場の設備のほか、7階にスカイレストラン、屋上はビアガーデン
貿易港長崎の発祥の地、万才町の高台に長崎の展望所としてタワーの役割を果たす
戸野本の旅館経営は1944(昭和19)月に長崎駅前の文明堂支店の前の建物を中川安五郎が月300円で借り受けたことにはじまる
★
株式会社みろく屋が長崎名物皿うどん製造に着手
→
1969(昭和44)
☆
長崎ちゃんぽんの製造に着手
★
長崎地方初の大型レジャー施設「
レジャーランド三景台
」が開園
→
1971(昭和46)
☆
レジャー産業が多様化し入場者減少で閉園
→
1973(昭和48)
☆
土地を東京の京王不動産が13億3550万円で落札
→
1976(昭和51)
☆
三景台住宅団地開発に着手
→
1981(昭和56)
☆
三景台団地の造成工事が完了
→
1982(昭和57)06/01
☆
三景台団地の町名と早坂町、弥生町、田上町が住居表示の実施により三景台町となる
★
県道神ノ島飽の浦線の木鉢トンネル工事に着工
★
株式会社十八銀行
の預金が1千億円を突破
→
1969(昭和44)07/14
☆
鉄筋コンクリート造りの新社屋が完成。十八銀行新本店となる
★
文化堂が鯨の潮吹きにヒントを得て、民芸菓子「鯨の潮吹き」を創案発売
鯨は海の王者としての風格とユーモラスな姿をもち、鯨に寄せる親しみが菓子の生命を決定づける
★
小浜の旅館うぐいすやが鉄筋4階、一部木造として完成
★
ふぐの製造や海産物の卸商をしていた魚住商店がカステラの製造も経営
★
旅館油屋を営んでいた山賀誠二が岡町の住宅地に旅館を建て屋号をまこととして新発足
閑静、高台の都心から離れた場所で純旅館としての経営は長崎観光旅館業界の注目を集める
★
合資会社「田中長一商店」が日軽アルミニウム工業(株)、ユニテ(株)の代理店となる
→
1968(昭和43)
☆
ホクセイアルミニウム(株)の代理店となる
★
没収された記録映画「広島、長崎における原爆の影響」(全19巻/2時間45分)が日本に返還される
映像は文部省の原子爆弾災害調査研究特別委員会の補助機関として、日本映画社が原爆被災記録映画制作のため広島と長崎で撮影
米軍の干渉により撮影が一時中断していたが、交渉の結果、米軍の監視下で撮影・編集を続けることに
戦後、米軍が映画フィルムを没収、がアメリカに送られる
★
島原の宮崎康平が「まぼろしの邪馬台国」で第1回吉川英治文化賞を受賞
★
築町〜西浜町を結ぶ鉄筋コンクリート造の
長久橋
の拡張架替工事が完工
コンクリート造、長さ28米、幅員22米に
★
小浜で旅館清川荘を営む山口亮が隣のきらく荘を買収。施設を拡張する。
それまで、きらく荘は池田某が営んでいた
★
池島に火力発電所と海水淡水化装置が完成
→
1971(昭和46)
☆
池島鉱閉山のうわさが流れ株が暴落
★
小浜の岩見屋タクシーが経営を旅館業に切り替え、いとう旅館を建てる
建物は洋館造り、各部屋は和室。熊本の五つ木から運んだ石でつくった岩風呂が特徴
岩見屋タクシーは一時期、旅館業を営み岩見屋旅館を併営
★
本村重一が白土湖畔に川魚料理、とり料理を供する店を開店
本村重一は島原市中堀町中央市場内にジンギスカン料理の「よしみ」を開店
また、ひところ3千頭の羊を飼い日本一といわれた有明綿羊の育ての親で、羊一筋全国をまわる
★
満明寺(人名)の旅館が別館を落成。本館3階、別館地下1階、地上3階の湖畔のホテル松の井がお目見え
満明寺(人名)は代々雲仙別所に住み雲仙開山満明寺の住職をつとめる
★
福島町が福島大橋で隣接する佐賀県伊万里市とつながる。他県を通らないと行けない県内唯一の“飛び地”の自治体に
▼
1967(昭和42)頃
★
お盆の精霊船に車輪が付くようになる。それまではほとんど全て担いでいた
▼
1968(昭和43)
【昭和】
戊申(つちのえさる)
《総理大臣》
[第32代]第2次佐藤榮作内閣
《知事》
[第44代(公選6代)]佐藤勝也
《市長》
[第22代]諸谷義武
01/09
★
東京オリンピックのマラソン競技で3位入賞した円谷幸吉が自殺
遺書を残し右頸動脈をカミソリで切る
「……もうすっかり疲れてしまって走れません。何卒お許しください……」
01/10
★
国道206号のプリンスホテル前に宝町電停とつながる長崎市内6つ目の歩道橋、宝町横断歩道橋ができる
階段段数は稲佐橋側歩道、浦上方面電停、長崎駅方面電停、天神町側方面歩道すべて38段
歩道橋完成のため上りホームが32米、下りホームが111米長崎駅寄りに移設される
01/12
★
昭和44年の長崎国体の開催を前に「花に親しみ愛情を深め情操豊かな郷土愛を育てよう」と市の花を公募
また明治100年の記念事業のひとつとして制定
結果、長崎市の花が市民から募集78種類、483のうち「あじさい」に決定
市の花を制定したのは全国で3番目
→
03/12「あじさい」のデザインが決まる
01/15
★
佐世保現地と東京での闘いが呼応。佐世保「
エンタープライズ
」寄港阻止闘争がはじまる
米国第7艦隊の原子力航空母艦「エンタープライズ」はベトナム戦争での主力空母
排水量7万5700瓲、乗組員5250人、原子炉8基、核ミサイル・核爆弾を装備できる戦闘爆撃機100機を搭載
佐世保へむかう中核派学生200余人が法政大学を出たところで機動隊400余が襲いかかる
凶器準備集合罪が適用され飯田橋駅で131人を逮捕
逮捕を逃れた70人が急行「雲仙・西海」で佐世保へ
→
01/16
☆
博多駅に待機の警官1300人が、到着の反日共系学生400人と衝突。警官の過剰警備が批判される
→
01/16
☆
社公共、核持ち込み反対など5項目で合意。「エンタープライズ」寄港反対を共同で政府に申し入れる
公明党は結党以来初めての大衆行動、佐世保で寄港反対集会
→
01/17
☆
佐世保駅に着いた学生約800人他が米軍基地に通じる平瀬橋で1400人の機動隊と衝突
学生の投石に機動隊は放水、催涙弾で応酬。角材と警棒の殴り合いの乱闘で流血事件が起きる
双方で135人が負傷。27人逮捕
福岡(九大生1千人)、京都(反戦700人)、札幌(学生350人)など各地で抗議行動
〜
01/21
☆
4度衝突、重軽傷519人
→
01/18
☆
社共主催の5万人集会。共産党の入場拒否を反戦青年委員会が誘導して入場、一角に陣取る
全学連・反戦青年委員会も参加
集会後、3派の1500人が基地へデモ。佐世保橋上で機動隊と激突
この日全国三十都道府県、51か所で抗議集会・デモ
→
01/19
☆
午前9時、厳戒の中「エンタープライズ」が佐世保に入港
同時に、原子力駆逐艦「トラクストン」通常駆逐艦「ハルゼー」も入港
3派全学連が激しく抗議デモを展開、佐世保橋で警官隊と衝突し8人逮捕
佐世保市内各所で機動隊と衝突し5人逮捕
→
01/21
☆
佐世保松浦公園で全国・中央両実行委(社共)主催の2万人集会。2度目の集会
集会後、佐世保橋上で全学連が装甲車を占拠して闘う。その後方を労働者・市民が埋めて支援
午後05時半すぎ
☆
4人が米軍基地内に突入
3派全学連650人が佐世保橋で4度目の衝突。米軍基地内突入を試みるが、放水と催涙ガス攻撃で後退
学生12人が基地侵入などで逮捕。160人が負傷
夕方近く中核派学生90人が橋の下流の水かさの減った佐世保川を歩いて渡る
4人が基地の金網をよじ登り、2人が基地に入り逮捕、残る2人は柵の上で基地突入を果たしたと叫び引き返す
市民や社会党系デモ隊も橋際に詰めかけ大混乱に
→
01/23
☆
「エンタープライズ」と「トラクストン」が出港
全学連、エンタープライズ「追い出し」集会。駅前で市民とお別れ集会
01/16
〜
01/23
☆
延べで学生8400人、右翼770人を含むデモ隊3万9670人が参加
対し警備の警官は全国から延べ4万0910人が動員
01/
★
長崎駅前の通過車両が1日約7万7千台となる。ラッシュ時は交通マヒに
02/03
★
長崎市深堀町と西彼杵郡香焼町の間の海が埋立てられる
→
1969(昭和44)03/
☆
長崎港・深堀・香焼地区の臨海工業用地造成が完成
面積79万3千平方米、住宅面積43万5千平方米
02/12
★
大塚食品工業より世界初の一般向け市販レトルトカレーとして「ボンカレー」が阪神地区限定で販売される
低圧ポリエチレン/ポリエステルの2層構造の半透明パウチで光と酸素により風味が失われ賞味期限は冬場で3か月、夏場で2か月
ネーミングはフランス語のBON(良い、美味しい)と英語のCURRY(カレー)を組み合わせ、まさに美味しいカレーという意味
→
1969(昭和44)05/
☆
全国販売の展開がされる
梱包方法をポリエステル/アルミ箔/ポリプロピレンの3層構造となる
輸送時の破損をなくし長期保存が可能になり賞味期限が2年間に
02/12
★
日本一高い超高層ビル・霞が関ビルが東京都千代田区に竣工
地上36階、地下3階で高さは147米、建築費は150億円
当初の計画では31米の高さ制限で9階建ての予定
1963(昭和38)の建築基準法の改正や柔構造理論の採用などで100米を超えるビルの建設が可能に
周辺にはまだ低いビルしかなく、36階の展望回廊からは国会などの街並みが一望
→
1970(昭和45)03/
☆
東京港区の浜松町に地上40階、高さ152米の超高層ビルの世界貿易センタービルが竣工
→
1971(昭和46)06/05
☆
東京淀橋浄水場跡地の再開発による新宿超高層ビル群の先駆け京王プラザホテル本館が開業
地上47階建て高さ178米。客室総数1450の巨艦ホテルに
02/17
★
映画「黒部の太陽」がロードショー公開される。同名小説の映画化
三船プロダクションと石原プロモーションの共同制作で劇団民藝が全面協力。配給は日活
脚本は井手雅人、熊井啓。出演は滝沢修、志村喬、佐野周二、三船敏郎、石原裕次郎、辰巳柳太郎ほか
02/17〜日比谷映画、北野劇場、02/24〜仙台、静岡、水戸で東宝系ロードショー。03/01〜日活系公開
02/
★
道ノ尾浄水場が完成
大村市から浦上貯水池に導入していた1日1万2千立方米の原水を浄水して市内に給水
02/
★
小浜町営温泉センター前で旅館えみや本館が鉄筋2階建の別館を落成
02/
★
旅館不知火姫が4回目の増築のとき山口県の秋芳洞から運んだ石と朝鮮の雲母石を使った浴場を完成
旅館不知火姫は小浜温泉街後方の高台に建つ
02/
★
日清が即席ラーメン「
出前一丁
」発売と同時に出前坊やが登場
ねじりハチマキ、さらしにハッピを羽織い、おかもちを片手にがんばる出前坊やは江戸っ子
03/10
★
東望ノ浜海水浴場が廃止。民間事業による埋立て工事がはじまる
→
1970(昭和45)
☆
長崎市の東望浜埋立事業が起工
03/21
★
西彼杵郡伊王島町大字伊王島に伊王島中央児童公園(2800平方米)が開設
03/25
★
国道206号の大橋町岩屋橋交差点付近に岩屋橋電停とつながる岩屋橋歩道橋が架かる
→
2000(平成12)09/07
☆
岩屋橋歩道橋が撤去される
03/25
★
NHKテレビのクイズ番組「ジェスチャー」が15年の放送に幕を閉じる
放送開始は1953(昭和28)02/20
03/29
★
大波止〜ねずみ島航路を市営交通船事業航路に吸収
03/31
★
職業安定所が銭座町から小曽根町に移転
→
1992(平成04)
☆
宝栄町に移転
03/
★
県庁前に江戸町歩道橋が、新興善小学校前に興善町歩道橋ができる
江戸町歩道橋の階段段数は大波止側、中央橋側ともに37段
興善町歩道橋の階段段数は新興善小学校側38段、中央消防署側36段
→
のち
☆
興善町歩道橋が撤去されるが、興善町交差点に近いため横断歩道は布設されず
→
のち
☆
江戸町歩道橋が撤去されるが、T字交差点のため横断歩道は布設されず
03/
★
長崎大学の水産学部で実習船「鶴水」(19.95瓲〉が新造
→
1975(昭和50)06/
☆
練習船「鶴洋丸」(1044.38総瓲)が新造
03/
★
株式会社唐草が設立。本社及び工場を長崎市岩見町に置く
前年発売の九州銘菓「長崎物語」は細長いバームクーヘンの中にクリームがたっぷりと入ったこれまでにないお菓子
長崎市鍛冶屋町の稲垣屋に直営店を開設。全日空の機内サービスに採用され話題となる
→
1969(昭和44)02/
☆
内山田洋とクール・ファイブの『長崎は今日も雨だった』発売イベントに協賛
→
1969(昭和44)06/
☆
長崎市樺島町に新社屋落成、本社を移転し1階に直営店開設
→
1971(昭和46)10/
☆
あじさいの花びらをかたどったパイ生地クッキー「おたくさ」を発売
シーボルトが愛したお滝さんの名をあじさいの花に名づけたことにちなむ
→
1980(昭和55)09/
☆
長崎県西彼杵郡多良見町に新工場を落成。岩見町より移転、1階に直営店開設
→
1983(昭和58)10/
☆
長崎の出島をかたどった「出島蘭館」を発売
→
1989(平成01)04/
☆
長崎の特産品のびわを使った新しい銘菓「枇杷かすた」と「らん・プティ」を発売
→
1999(平成11)03/
☆
「出島蘭館」をリニューアル、発売。出島貿易時代に伝わったチーズ、チョコレートを素材に全てを一新
04/01
★
厳原町佐須地区でイタイイタイ病に類似した症例があると岡山大学の小林純教授らにが学会で発表
→
1969(昭和44)
☆
厚生省は佐須川、椎根川流域を要観察地域に指定
水田土壌から畑の2倍のカドミウムが検出
→
1971(昭和46)
☆
汚染米調査で汚染水田が半数あり1.2ppm以上の汚染米が見つかる
→
1974(昭和49)
☆
カドミウムの排出が東邦亜鉛対州工業所によると発覚
1968(昭和43)に国と県が環境汚染調査をしたとき所長命令で隠蔽工作をする
排水口のヘドロを取り除き、分析用サンプルを薄めるなど
補償交渉で最終解決金として6千万円を支払い決着
04/24
★
長崎県営バスの長崎〜佐世保線(長崎バイパス・大村経由)のビジネス特急「やまびこ号」がワンマンの指定認可を受ける
それまでの車掌が乗り込むツーマン運行より、徐々にワンマン化の流れが全国的に広まる
→
05/01
☆
長崎〜佐世保線(長崎バイパス・大村経由)のビジネス特急「やまびこ号」がワンマンでの運行運行を開始
長崎県営バスでは初
長崎〜佐世保間のビジネス特急は、完全座席指定制の特急で乗降停留所が限定される
また、整理券は使用せずに降車地で乗車券を回収する方法をとっていたため
車内での整理券や両替機が設置していなかったとはいえ、大改革であり、ワンマンバスへの転換期となった事象
04/25
★
コロムビアから中井昭、高橋勝とコロ・ラティーノの歌による「思案橋ブルース(SAS1105)」が発売される
作詞作曲は川原弘
市内のキャバレー「十二番館」専属バンドのコロ・ラティーノとフルート、サックス奏者の川原弘
思案橋を素材に悲恋の歌を作り演奏すると好反応。有線やラジオ局に持ち込んだテープにリクエストが殺到
大ヒットしたすえにレコード化される
05/10
★
浜市アーケードで1日に午前、午後二度の火災。「浜町大火」
午前・全焼5、半焼1、部分焼6、損害2億1600万円
午後・全焼1、半焼2、損害7千960万円
05/21
★
西坂町にNHK長崎放送会館新庁舎落成。鉄筋コンクリート造5階建、工費4億4千万円
05/23
★
長崎県営バスの諫早営業所用地として東厚生町に8067.32平方米を買収
→
1969(昭和44)01/24
☆
東厚生町に諫早営業所及び整備工場が新築落成
05/30
★
長崎県営バスの雲仙女子職員寮が新築落成
→
1973(昭和48)01/31
☆
雲仙営業所職員住宅3戸を新築落成
05/
★
近藤長次郎の墓が晧台寺後山から小曽根家墓地内に移される
1866(慶応02)1月、亀山社中統率者の近藤長次郎による英国密航計画が社中に露顕、本博多町の小曽根別宅にて自刃する
05/
★
ミノルフォンから大木英夫の歌による「長崎の別れ星(KA212)」が発売される
作詞は吉田孝穂、作曲は佐藤正明
吉田孝穂はキャバレー「銀馬車」の営業部長
ライバルの「十二番館」が「思案橋ブルース」をヒットさせ対抗意識で作る
作曲の佐藤正明は歌う大木英夫のペンネーム
06/17
★
長崎電鉄が思案橋〜正覚寺下に路線(309米)を延長
06/17
★
思案橋〜正覚寺下間に電車開通し周辺が暗渠となりコンクリート橋の玉帯橋が道路に埋没
06/18
★
島原鉄道
の蒸気機関車4輌が廃車届け。島原鉄道からSLの姿が消える
06/26
★
南方諸島及びその他の諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定が発効
小笠原諸島が日本に返還。東京都小笠原支庁設置。東京都小笠原村に属することに
戦前の旧大村、旧扇村、袋沢村、旧北村、旧沖村および旧硫黄島村は、小笠原村に
かつて小笠原支庁直轄だった北硫黄島、南鳥島、沖の鳥島および西之島も小笠原村の区域となる
07/01
★
自動読取り区分機の採用等による郵便事業のオートメーション化推進のため郵便番号が導入される
番号は集配事務を行う郵便局に対して割り振られるもの
輸送手段の中心、鉄道郵便輸送の路線・経路の駅順を元に大規模局では3桁、それ以外は5桁に
手作業の7倍の早さに。実施当日の抽出調査では43万通のうち17万通に番号が記入される
07/05
★
ビクターから青江三奈の歌による「長崎ブルース(SV725)」が発売される
作詞は吉川静夫、作曲は渡久地政信
「思案橋ブルース」「長崎の別れ星」「長崎ブルース」の三つどもえのレコード合戦が展開
→
のち
☆
1年もせずして70万枚を売る大ヒット曲に
07/14
★
松山町の競輪場跡地に市営球技場ができる。競技場の広さ1万2835平方米、観客収容人数1500
07/22
★
壱岐対馬国定公園が指定される
08/01
★
「長崎新聞」と「長崎時事新聞」と合併、名実ともに長崎県唯一の県紙に
「長崎時事新聞」は「軍港新聞」から「佐世保時事新聞」「旧九州時事新聞」と名称が移り変わる
→
1980(昭和55)11/24
☆
出島の社屋を史跡復元事業に協力、茂里町の三菱長崎製鋼所跡地の現在地に移転
→
1980(昭和55)12/
☆
「長崎新聞」の本社が出島町から茂里町に新築移転
鉛活字からコンピュータ化された写真植字とし、凸版印刷からオフセット高速輪転機による印刷方法に
→
1981(昭和56)08/11
☆
長崎新聞社の屋上に救難、救急活動の拠点としてヘリポートがオープン
→
1993(平成05)06/
☆
夕刊発行を休刊とし、朝刊を充実
08/09
★
平和祈念像
の前に池が掘られ「原爆殉難者名奉安所」が設置される
奉安所は平和祈念像の周囲を池で囲い、その池の中に横2.3米、縦1.29米、高さ1.09米の大きさで設置
奉安所には原爆死没者2万6902人の「
原爆死没者名簿
」が初めて納められる
原子爆弾により犠牲となった人々を慰霊し、その氏名を永久に記録して人類の恒久平和を祈念するため
奉安する死没者は原爆により直接死亡した者や、被爆者でその後死亡した者
後年に判明したり遺族から申し出のあるときは平和祈念式典の前日に一括して記載、毎年08/09に追加奉安される
→
1995(平成07)
☆
平和公園の再整備工事に伴い、奉安所が原爆被爆者の店に仮移設
→
1996(平成08)08/
☆
平和公園の再整備工事が完成
→
1997(平成09)08/01
☆
奉安所が原子爆弾落下中心地碑前に移設
マイクロフィルム化された原爆死没者名簿が納められる
→
2003(平成15)07/06
☆
原爆死没者名簿が国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の追悼空間の原爆死没者名簿棚に奉納
08/
★
小浜、北本町の一角楼観光ホテルが旧館を解いて8階建800坪の建設を完成。「小浜観光ホテル」と改名
08/
★
大建設をこなしホテル東洋館が完成する。施工は大成建設
北欧風の建築物は熱帯植物にかこまれたサウナ風呂、大浴場、バーベキュウ宴会場、カクテルラウンジなど外観に設備をそなえる
クラシックなムードのなかに華麗な色彩をとけ込ませる
建設は、雲仙古湯で消失した旅館東洋館を経営する石田スミ子による
09/28
★
大井手公園が宮の下公園と改称
09/30
★
本原町20他に野下公園(929.45平方米)が開設
09/
★
雲仙の湯元旅館が新館を完成。湯元ホテルとなる
10/01
★
長崎・西鹿児島〜京都の気動車特急「かもめ」の運転区間が変更
長崎(博多経由)・佐世保(筑豊本線経由)〜京都となる
→
1975(昭和50)03/10
☆
新幹線博多開業にともない廃止
10/07
★
渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更
→
10/11
☆
還御
(5)…出島町(阿蘭陀万才)、大黒町(唐人船)、樺島町(太鼓山)、[特別参加]諏訪町(龍踊)
*出場辞退…東古川町、本古川町、伊勢町、紺屋町、八百屋町、小川町、炉粕町、恵美須町
☆
くんち振興会特設踊り場が瓊浦公園から公会堂広場に変更。初日は招待、中日は有料
10/16
★
国道206号の県庁前〜大波止交差点の道路拡張舗装工事が始まる
→
1968(昭和43)12/27
☆
完成。車道幅員9米が14米に拡張
10/16
★
国道206号の北消防署近くの交差点に昭和町通電停とつながる
「ロの字型」住吉町歩道橋
が完成
→
1998(平成10)05/19
☆
撤去され横断歩道ができる
10/21
★
国際反戦デーで学生らが新宿駅を占拠。「新宿駅騒乱」
中核派、ML派、第四インターが明治公園と日比谷野外音楽堂での集会
その後、角材等で武装しながら続々と約2千人が新宿駅に集結し、各所で機動隊と衝突する
午後8時頃、デモ隊は新宿駅東口の広場で決起集会を開き、再度駅構内に乱入
電車のシートを外して薪代わりにし放火、南口を炎上させる
またデモ隊の何倍もの数の野次馬も集まり新宿駅に接続する国鉄などの交通機能が麻痺状態におちいる
→
10/22
☆
政府が未明に騒擾罪の適用を決め、約450人【734人?】を逮捕
国電は午前10時まで運転取りやめ半日間マヒに。通勤者90万人の足がストップ
10/22
★
長崎警察署が江戸町から桶屋町に新築移転
10/24
★
日本専売公社長崎支局
の庁舎が旧庁舎横にできる
10/
★
聖フランシスコ病院が宗教法人聖フランシスコ病院会として改組
→
1970(昭和45)02/
☆
新病院竣工。近代的な病院に改築。鉄筋4階、地下1階となる
11/04
★
新地中華街北側、銅座川の暗渠に県営銅座駐車場が開業
11/11
★
長崎県営バスでワンマンバスの運行を開始
11/15
★
長崎県交通局が幸町に本局用地として683.98平方米を買収
→
1969(昭和44)04/25
☆
幸町に本局庁舎が新築落成
12/01
★
長崎電鉄の車両がワンマン化。当初5両
→
1978(昭和53)08/16
☆
全車両の改造が終了
12/10
★
東京府中刑務所わきの道路で輸送車ごと2億9430万7500円の現金が奪われる
日本信託銀行国分寺支店の輸送車で東芝府中工場従業員のボーナス支給用のジュラルミンケース3つ
白バイに乗り警官を装った男に「車に爆薬が仕掛けられているかも知れない」といわれ係員4人が降車したすき
12/21
★
長崎〜熊本を一般国道と有明フェリー経由で結ぶビジネス特急バス「ありあけ号」の運行が開始
熊本への日帰りが可能になる
5往復(産交2、県営2、島鉄1)。所要時間3時間半
停車停留所は長崎駅前〜諌早駅前〜愛野〜多比良港〜(有明フェリー)〜長州港〜玉名産交〜植木〜辛島町
→
1969(昭和44)03/05
☆
熊本交通センターが開業し1ホーム1番乗り場発となる
→
1969(昭和44)08/01
☆
7往復(産交3、県営2、島鉄2)に増便
→
1970(昭和45)03/01
☆
7往復の運用が産交3、県営3、島鉄1に変更
→
1970(昭和45)07/26
☆
9往復(産交4、県営3、島鉄2)に増便
熊本終着は熊本駅前まで延長、熊本発は交通センターからのまま
→
1970(昭和45)08/01
☆
ワンマン化
→
1975(昭和50)04/01
☆
14往復(産交6、県営5、島鉄3/うち1往復は季節運行)に増便
熊本駅前発着となる
→
1978(昭和53)05/01
☆
季節便が廃止となり13往復(産交6、県営4、島鉄3)となる
→
1980(昭和55)06/
☆
10往復(産交5、県営3、島鉄2)に減る
→
1991(平成03)06/01
☆
6往復(産交3、県営3)に減る。普賢岳噴火の影響もあり島鉄が撤退
→
1992(平成04)06/01
☆
4往復(産交2、県営2)に減る
→
1995(平成07)03/01
☆
2往復(産交1、県営1)に減る
→
1995(平成07)11/01
☆
1往復(県営1)に減る。産交が撤退
停車停留所は長崎駅前〜諌早駅前〜愛野〜多比良港〜(有明フェリー)〜長州港〜玉名産交〜植木〜熊本交通センター〜熊本駅前
→
1997(平成09)05/
☆
長崎〜熊本(有明フェリー経由)の特急バス「ありあけ号」が廃止
12/27
★
国道206号の県庁前〜大波止交差点の道路拡張舗装工事が完成。車道幅員9米が14米に拡張
12/
★
政府登録ホテルの雲仙の有明ホテルが隣接地のみどり屋ホテルを買収し、別館として落成
室数116、冬季は全館スチーム暖房、渓流に望む一大ホテルとなる
12/
★
フィリップスから松本敏美とハニー・トーンズの歌による「思案橋“空車”(FS15)」が発売される
作詞は高浪ふじお、作曲は松本敏美
「思案橋ブルース」がヒット中に急きょ作られる
作詞の高浪ふじおは眼鏡店の代表。作曲の松本敏美は市内のスナックで働くバンドのリーダー
★
「長崎新聞」が「長崎時事新聞」と合併、名実ともに長崎県唯一の県紙に
→
1980(昭和55)11/24
☆
出島和蘭商館跡内の社屋を史跡復元事業に協力
茂里町の三菱長崎製鋼所跡地の現在地に移転
★
株式会社みろく屋が長崎ちゃんぽんの製造に着手
★
県立美術博物館建設のため奉行所の位置を示す遺跡「長崎奉行所正門跡」が壊される
★
対馬の比田勝〜厳原縦貫道路が開通
★
県庁と市役所を結ぶグリーンベルトの高台パークウェイの途中、興善町に長崎ハイツホテルが開業
地下1階、地上8階で、内部は洋式、和風。経営者は辻田寅次郎
★
合資会社「田中長一商店」がホクセイアルミニウム(株)の代理店となる
→
1973(昭和48)10/08
☆
株式会社タナチョーに改組改称を実施
★
岩屋町の長崎県立養護施設「向陽寮」が「光りと緑の園、長崎県立向陽寮」を改称、大村に移転
社会福祉法人として民営化。初代寮長は再任の餅田千代
★
小浜の旅館さぬきやが全館改装する
★
旅館松本屋が拡張に踏み切り、雲仙ニューグランドホテルをオープン
★
雲仙の新湯入口にある土産品店がホテル経営に踏み切りホテルニュー雲仙をオープン
★
小浜の旅館田中荘が鉄川工務店の施工で鉄筋3階建、大浴場をもつ新館を増設
★
長崎ビル2階に合名会社出島をオープン
民芸工芸品、三彩焼、博多織、博多人形、一般土産品等の販売
長兄川下正男は1958(昭和33)、長崎ビル1階名店街にみやげ品店「出島」を開店
1966(昭和41)には次兄川下勇男と南山手観光株式会社を設立
★
雲仙の江星館がホテル山水と改称。鉄筋5階建の新館を落成
江星館は、1958(昭和33)に多田英雄が開業した旅館普賢荘
★
長崎市が出島復元のため旧和蘭陀商館跡西側の民有地535平方米を買収
▼
1969(昭和44)
【昭和】
己酉(つちのととり)
《総理大臣》
[第32代]第2次佐藤榮作内閣
《知事》
[第44代(公選6代)]佐藤勝也
《市長》
[第22代]諸谷義武
01/01
★
西彼杵郡西彼村に町制が敷かれ西彼町となる
西彼杵郡西海村に町制が敷かれ西海町となる
西彼杵郡琴海村に町制が敷かれ琴海町となる
西彼杵郡長与村に町制が敷かれ長与町となる
→
1973(昭和48)03/31
☆
西彼杵郡三重村が長崎市に編入される
01/14
★
長崎大学学生会館の管理問題で長大紛争(〜03/05)
01/19
★
東京大学安田講堂を占領していた学生に対して大学側が機動隊の出動を要請
8500人の機動隊員は前日早朝からバリケードの撤去をはじめる
19日午後5時45分、機動隊は最上階の時計台に達して学生全員を排除する。逮捕者631人
攻防の様子がテレビで生放送される
学生側の投石や火炎ビン、機動隊側のガス銃の一斉射撃、放水、ヘリコプターによる催涙弾投下など
01/23
★
長崎〜三重に滑石トンネルが開通。長さ403米、幅員8米、工費2億9730万円
01/24
★
長崎県営バスの諫早営業所及び整備工場が東厚生町に新築落成
→
06/30
☆
諫早営業所女子職員寮及び所長公舎が新築落成
→
1977(昭和52)05/06
☆
西諫早営業所が発足
02/01
★
長崎県営バスの諫早仮バスターミナルでの業務を開始
→
02/20
☆
諫早バスターミナル用地として130.74平方米を買収
→
10/05
☆
諫早バスターミナル新築落成
02/01
★
RCAから内山田洋とクール・ファイブの歌による「
長崎は今日も雨だった
(JRT1015)」が発売される
作詞は永田貴子(たかし)、作曲は彩木雅夫
作詞の永田は「長崎の別れ星」作詞の吉田孝穂のペンネーム。「銀馬車」の営業部長
「十二番館」の「思案橋ブルース」に対抗意識を燃やし「長崎の別れ星」に続く歌
専属バンドのクール・ファイブに歌わせデビューさせる
→
05/
☆
全国でヒット
02/25
★
日本初の駅売りのタブロイド版夕刊紙「夕刊フジ」が創刊。産経新聞傘下のフジ新聞社による発刊
1部10円。創刊号1面は「慎太郎新党躍り出る」と石原慎太郎参院議員の新党構想のを伝える記事
02/27
★
音無町278-1に音無公園(895.52平方米)が開設
02/
★
株式会社唐草の九州銘菓「長崎物語」が内山田洋とクール・ファイブの『長崎は今日も雨だった』発売イベントに協賛
→
1969(昭和44)06/
☆
長崎市樺島町に新社屋落成、本社を移転し1階に直営店開設
03/05
★
熊本交通センターが開業しビジネス特急バス「ありあけ号」の1ホーム1番乗り場発となる
特急バス「ありあけ号」は長崎〜熊本を一般国道と有明フェリー経由で結ぶ。5往復(産交2、県営2、島鉄1)
→
08/01
☆
7往復(産交3、県営2、島鉄2)に増便
→
1970(昭和45)03/01
☆
7往復の運用が産交3、県営3、島鉄1に変更
03/10
★
長崎バス(株)がワンマンバスの運行を開始
→
1975(昭和50)02/
☆
定期路線用バス507台のワンマン化が完了
03/25
★
国道206号の浜口町北郵便局前と大学病院前電停につながる浜口町歩道橋が架かる
→
1999(平成11)08/27
☆
浜口町横断歩道橋が撤去される
03/25
★
国道206号の若葉町長崎大学前に長崎大学前電停とつながる長崎大学前歩道橋が架かる
→
1999(平成11)10/15
☆
長崎大学前歩道橋が撤去される
03/29
★
長崎市議会が市営交通船事業の廃止を議決
03/31
★
長大学長の後藤敏郎が健康上の理由で学長を辞任
03/31
★
長崎市出島町に性病対策として開院していた県立出島病院が廃止となる
03/31
★
家野町2400-1に家野町公園(792平方米)が、岩瀬道町48-1に岩瀬道公園(700平方米)が開設
03/
★
東芝から花菱エコーズの歌による「西海ブルース(TR2129)」が発売される
作詞は永田貴子(たかし)、作曲は尾形よしやす
はじめ永田はクール・ファイブに歌わせ反応がよくデビュー曲にするつもり
しかし佐世保で評判のキャバレー歌手で作曲者の尾形よしやすが持ち歌にしたいと申し出て断念
花菱エコーズの歌となる
→
のち
☆
花菱エコーズがまもなく解散
→
1977(昭和52)02/
☆
RCAから内山田洋とクール・ファイブの歌で再発(RVS1045)
03/
★
雲仙古湯の鉄筋3階建、内部和風のデラックスな純日本旅館富貴屋が、鉄筋5階建の別館を落成
一般客300人、団体客400人の大旅館を完成
03/
★
秩父が浦の高台に鉄筋6階建、収容力300人を越える島原グランドホテルが落成オープン
03/
★
長崎港・深堀・香焼地区の臨海工業用地造成が完成面積79万3千平方米、住宅面積43万5千平方米
04/01
★
「テレビ長崎[
KTN
(正式社名のローマ字改変・Kabushikigaisya Television Nagasaki)]」が開局
04/01
★
「市立長崎原爆病院」が長崎市より日本赤十字社へ移管。「日本赤十字社長崎原爆病院」となる
→
1972(昭和47)03/31
☆
ガン治療施設R・Iセンターが完成。総事業費1億6073万円
04/01
★
ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)が「九州反戦キャラバン」で長崎大会を開催。約700人が参加
04/01
★
滑石団地内に滑石中学校が開校
04/01
★
市立図書館が廃止され永井記念館を開設
04/01
★
南高来郡瑞穂村に町制が敷かれ瑞穂町となる
南高来郡南串山村に町制が敷かれ南串山町となる
南高来郡北有馬村に町制が敷かれ北有馬町となる
南高来郡布津村に町制が敷かれ布津町となる
→
2005(平成17)10/11
☆
南高来郡国見町、瑞穂町、吾妻町、愛野町、千々石町、小浜町、南串山町が合併し雲仙市となる
04/01
★
北高来郡森山村に町制が敷かれ森山町となる
→
2005(平成17)03/01
☆
北高来郡森山町、飯森町、高来町、小長井町と西彼杵郡多良見町と諫早市が合併し諫早市となる
04/15
★
ビクターから森進一の歌による「港町ブルース(SV1045)」が発売される
作詞は深津武志(補作なかにし礼)、作曲は猪俣公章
雑誌「平凡」、渡辺プロ、ビクターが共同で企画。全国に募集して当選した詞をなかにし礼が補作
ご当地ソングを集大成。一地方だけでなく何か所もセットし、ヒットの確立を高める
函館、宮古、釜石、気仙沼、三崎、焼津、御前崎、高知、高松、八幡浜、別府、長崎、枕崎、鹿児島が盛り込まれる
→
06/
☆
ベストワンにランクされる
04/18
★
大橋横断歩道橋、小島横断歩道橋などが架設される
小島横断歩道橋は国道324号の上小島バス停付近に架かる。愛宕町側47段、上小島町側26段
大橋歩道橋は国道206号の浦上川にをまたぐ大橋の南側に架かる。松山町側36段、岡町側35段
04/25
★
今博多町天満宮が都市計画で松ノ森神社内に移る
04/25
★
長崎県交通局の本局庁舎が幸町に新築落成
→
05/06
☆
本局が大黒町3-1から幸町6-21へ移転
→
2002(平成14)12/20
☆
八千代町に交通局本局及び長崎営業所が新築落成
04/
★
親和銀行
が佐世保市に本店を完工
→
1976(昭和51)03/
☆
本店にCD機が設置
04/
★
長崎市冠婚葬祭互助会が設立
→
1979(昭和54)10/
☆
株式会社セレモニー長崎に改名
04/
★
草住町の医療法人浩仁会福井病院の結核病床が廃止。一般病床141
→
1977(昭和52)03/
☆
深堀町1丁目に移転。一般病床207
04/
★
「長崎めがね橋」がNHKがテレビとラジオで流していた「みんなのうた」で放送
作詞はやなせたかし、作曲は小川寛興。倍賞千恵子&ひばり児童合唱団の歌
→
1971(昭和46)
☆
キングから倍賞千恵子、ひばり児童合唱団の歌による「長崎めがね橋[SKM2083(LP)]」が発売
作詞はやなせたかし、作曲は小川寛興
NHKがテレビとラジオで流していた「みんなのうた」の“お国もの”シリーズのひとつ。新作童謡
LPに収録したキングは「長崎めがね橋」を第1曲目に配する
05/15
★
稲佐保健所が川口町に移転。北保健所が開設
05/19
★
長崎商工会議所と卸商連盟が長崎市に対し造成中の東望埋立地のうち3万5千坪を払い下げるよう要望
卸団地の建設計画の具体化にとりかかる
卸売業界は急速な業績の伸長をみせ活況を呈するが機能を十分に発揮できない状況に
取扱商品の大量化、多様化による保管施設の不足、交通規制の強化による商品の搬出入難などの問題を生じる
物流面の改善と経営の近代化、合理化をはかるため、市郊外適地に卸団地建設の構想について検討を重ねる
→
1971(昭和46)09/09
☆
長崎県が長崎、諫早、大村、島原各市の卸売業者を集めて県南卸団地建設の構想を発表
県の構想は6〜7万坪の土地に、県南地区の卸売業者を100社程度集団化
あらゆる業種を網羅した卸団地を建設、県南地区の流通センターにしようとするもの
→
のち
☆
県、商工会議所、卸売業界との間で協議を重ねる
→
のち
☆
県の構想に基づく卸団地建設の合意に達し、事業主体になる協同組合の設立準備を進める
→
1972(昭和47)04/04
☆
団地参加を希望する卸売業者66社で協同組合長崎卸センターを設立
用地選定にとりかかる
→
1972(昭和47)08/03
☆
東長崎地区(宿町、田中町にまたがる山林)に決定、買収交渉に乗りだす
→
のち
☆
土地開発に対する厳しい規制措置や地元住民対策などの諸問題に、
1973(昭和48)年暮のオイルショックによる物価高騰も加わり交渉は難航
→
1974(昭和49)06/
☆
ようやく造成工事着工の運びに
→
1976(昭和51)09/
☆
長崎卸センターが完成
43億円(買収費12億円、造成費31億円)の資金を要して、10万坪の広大な団地用地の造成を完了
土地造成と併行して建設が進められた組合会館も完成
→
1976(昭和51)10/15
☆
組合会館において盛大な落成式を行なわれる
05/23
★
新大工町にデパート
長崎玉屋
が開店
05/24
★
新宿西口地下広場に若者たちが集まり反戦フォークソング集会が開かれる
→
のち
☆
毎週土曜日に開かれるようになる
→
06/28
☆
機動隊が導入され、フォークソング集会の若者たちを催涙ガス弾によって排除。64人が逮捕される
→
のち
☆
最大時7千人もの若者が集まる
→
07/24
☆
警視庁は「この広場は道路交通法上の通路にあたる。広場ではない」との解釈をしめす
交通警官による徹底的な取り締りに踏み切り、フォーク集会は消滅
05/28
★
長さ140米の西泊トンネルが開通。路線バスの運行が始まる
これまでは立神から山を越えるか市営交通線に頼るしかなかった
05/
★
長崎バス(株)大島営業所が出張所に。瀬戸営業所の管轄となる
05/
★
「産経新聞」の題号が「サンケイ新聞」に改題
→
1988(昭和63)05/28
☆
題号を再び漢字の「産経新聞」に戻し、全国紙初の本格的カラー紙面を採用する
05/
★
大塚食品工業の一般向け市販レトルトカレーとして「ボンカレー」が阪神地区限定から全国販売の展開に
梱包方法をポリエステル/アルミ箔/ポリプロピレンの3層構造となる
輸送時の破損をなくし長期保存が可能になり賞味期限が2年間に
06/10
★
長崎駅前高架広場の完工落成式が行なわれる。別の歩道橋もできる
南北76米・東西24米、総工費3億4200万円、高架広場は全国初
→
1992(平成04)
☆
長崎駅前第2歩道橋の長崎駅前と大黒町にエレベータが設置される
06/12
★
原子力船「
むつ
」(8214瓲)が石川島播磨重工業東京第2工場で進水
→
1974(昭和49)
☆
洋上での出力上昇試験中に放射能漏れをおこす
政府は船体の修理・点検を各地に依頼するが、どこも応じず
→
1975(昭和50)09/
☆
佐世保地区中小企業者決起大会が「むつ」の佐世保港修理受け入れ促進を決議
佐世保商工会議所も誘致促進を積極的に推進
→
1975(昭和50)10/
☆
野党、総評を中心に松浦公園に8500人が集まり「むつ」母港化阻止佐世保大集会が開催
県漁連が佐世保港で漁船400隻による「むつ」の封鎖演習を行なう
→
1978(昭和53)05/13
☆
政府が県に正式要請
知事提案の原子炉の鍵を知事が管理保管する「核封印方式」で受け入れ
→
1978(昭和53)10/16
☆
原子力船「むつ」が佐世保重工構内の甲岸壁に接岸
50隻の阻止船団の海上デモ、陸上では抗議集会・デモが行なわれるなかの接岸
→
1982(昭和57)08/
☆
修理を終えた「むつ」に鍵が返され、むつ市の大湊港に向けて出港
06/29
★
県下に集中豪雨、長崎市滑石団地にがけ崩れ、3人死亡・1人重傷
06/30
★
バスの普及により市営交通船が廃止
過去10カ年の累積赤字が1億9千万円余にのぼり事業経営が困難になると予想され廃止に
06/
★
九州銘菓「長崎物語」を販売する株式会社唐草が長崎市樺島町に新社屋落成
本社を岩見町から移転し1階に直営店開設
→
1971(昭和46)10/
☆
あじさいの花びらをかたどったパイ生地クッキー「おたくさ」を発売
シーボルトが愛したお滝さんの名をあじさいの花に名づけたことにちなむ
06/
★
株式会社平安閣が設立
07/14
★
株式会社十八銀行
が鉄筋コンクリート造りの新社屋を完成。十八銀行新本店となる
07/21
★
午前5時17分42秒(日本時間)アポロ11号が月面「静かの海」南西部に着陸
07/16にフロリダ州ケープケネディ発射場から打ち上げられて約102時間45分後
→
07/21
☆
午前11時56分20秒にアームストロング船長が月面に記念すべき第1歩を記す
「これは人類の小さな一歩だが、人類の巨大な飛躍である」と一声を伝える
07/28
★
梅香崎の長崎国際電報局が廃止となる
長崎国際電報局は日本と欧州を結ぶ唯一の電信窓口として活躍
直江津とナホトカを結ぶ新しい日本海ケーブルが完成し、また人工衛星を中継局とする衛生通信にバトンタッチするために廃局
1871(明治04)のデンマークの大北(グレート・ノーザン)電信会社からはじまる100年の国際通信の幕が閉じる
08/03
★
水を求めながら亡くなった原爆犠牲者の冥福を祈り、平和公園内に「
平和の泉
」がつくられる
核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議)と長崎市が全国からの浄財を基に建設
工費4750万円、直径40米の円型の泉の中に、更に直径20米の環状噴水群が高さ7米まで吹き上げる
噴水池の直径…18米。噴水の高さ…0.5〜6.0米
噴水の高さで変化する水形は、平和のはとの羽ばたきをあらわす
泉の前に献水場が設けられ、その中央に被爆少女の手記を刻んだ石碑が飾られる
08/03
★
日本テレビ系列でテレビドラマ「黒部の太陽」の放送がはじまる
日曜21時30分〜22時26分。全11回(全13回のうち2回が放送中止に)。モノラル音声。カラー作品
出演は寺田農、吉田日出子、石原裕次郎、松下達夫、有馬稲子、宇野重吉、宍戸錠、芦田伸介、松下達夫ほか
映画版と比べ、人間ドラマに重点を置かれる。建設への情熱から関係者の家族愛まで様々な人間模様が描かれる
→
10/12
☆
最終回が放送される
08/04
★
松下電器が1社提供しているTBS系の月曜8時枠のナショナル劇場に「水戸黄門」が初登場
初代水戸黄門=東野英治郎、格さん=横内正、助さん=杉良太郎
光圀の実子頼常が藩主となっている讃岐高松藩のお家騒動解決に向かう
→
1970(昭和45)03/09
☆
第1部最終回。全32回放映
08/06
★
北海道旭川市平和通で実験的に大規模な歩行者天国が実施される。〜12日間
→
1970(昭和45)08/02
☆
日曜日。東京は銀座、新宿、池袋、浅草などで初の歩行者天国を実施
これまでの休日より50万人以上もの人が街へくりだす
→
1973(昭和48)06/10
☆
銀座から上野までの5.5粁にわたる世界最長の歩行者天国が実施される
08/07
★
長崎県営バスの小浜営業所女子職員寮及び所長公舎が新築落成
→
1994(平成06)06/03
☆
小浜営業所が完成
08/25
★
長崎県営バスが雲仙〜佐世保直行バスの運行を開始
08/27
★
松竹配給の映画、男はつらいよシリーズ第1作目「男はつらいよ」が公開される
ロケ地は京都、奈良。 同時上映は伴淳三郎主演の「喜劇・深夜族」
監督は山田洋次。出演は渥美清、倍賞千恵子、前田吟、森川信、三崎千恵子、太宰久雄、光本幸子、志村喬、笠智衆他
08/30
★
国道206号の八千代町西部ガス前に八千代町電停とつながる八千代町歩道橋が架設される
→
1995(平成07)02/07
☆
八千代町横断歩道橋が撤去される
08/
★
小浜町と千々石町の農業用水と雲仙の上水道の水源として造成された人造湖「別所ダム」が完成
09/04
★
銅座町〜新地町に架かる鉄筋コンクリート造の銅座橋が14米に拡幅し両側に歩道をつけて架け替える
工費754万円
09/05
★
交通渋滞区域の八千代町〜宝町の約100米が長崎市内初めての3車線となる
09/08
★
西彼杵郡三和町布巻に布巻児童公園(525平方米)が開設
09/18
★
長崎本線の浦上〜道ノ尾が高架線となり大橋、松山などの踏み切りが立体交差に
09/20
★
元船突堤に鉄筋コンクリート造7階建の大波止ターミナルビルができる
09/07
★
長崎国体夏季大会がスタート
佐世保市総合グラウンドプールを中心に役員、選手3948人が参加
長崎は初の水泳総合優勝に輝く
09/08
★
皇太子殿下(のち平成天皇)と妃殿下が長崎夏季国体臨席の折、
矢太樓
に宿泊
09/18
★
鉄道高架工事に伴い大橋下流の鉄道専用鉄橋が架け替えられる
10/04
★
公開生放送のテレビバラエティ番組『8時だョ!全員集合』がはじまる
TBS製作で主演はザ・ドリフターズ。毎週土曜日の20:00〜20:54(JST)に放送
第1回の三鷹市公会堂からの公開放送は録画(09/24収録)
【第1期】1969(昭和44)10/04〜1971(昭和46)03/00
【第2期】1971(昭和46)10/00〜1985(昭和60)09/28 全803回
→
1973(昭和48)04/07
☆
最高視聴率50.5%(関東地区)を記録
この回の前半コントはボクシングジムネタ。世界チャンピオンの輪島功一がゲスト出演
→
のち☆テレビ史上類を見ない人気番組となり「お化け番組」「怪物番組」の異名をとる
同時に「低俗番組」「ワースト番組」「俗悪番組」と激しく非難され続ける番組となる
→
1985(昭和60)09/28
☆
『8時だョ!全員集合』最終回。803回目の放送をもって終了
TBS・Gスタジオからの生放送。視聴率は34.0%
10/07
★
渡御。「長崎くんち」
→
10/09
☆
還御
(6)…玉園町(本踊)、魚の町(川船)、今博多町(本踊)、江戸町(本踊)、籠町(龍踊)
*出場辞退…古町、桜町、勝山町、玉江町
10/12
★
ながさき思案橋記念碑除幕式が挙行
長崎中央ライオンズクラブが結成5周年を記念して十八銀行思案橋支店前と思案橋薬局前の2か所に建立
10/24
★
昭和天皇と皇后両陛下が長崎国体御臨席の折、
矢太樓
に宿泊。当日、明清楽の御前演奏
10/26
★
第24回長崎国体秋季大会が県立総合運動公園陸上競技場で開会
午後12時36分、昭和天皇、皇后両陛下がロイヤルボックスに着席、ファンファーレを合図に選手団が入場開始
参加した役員、選手は1万7249人。長崎県選手団819人は最後に行進
〜
10/31
☆
6日間にわたり17市町村60会場で28競技が行なわれる
長崎県は男女総合優勝の天皇杯、女子総合優勝の皇后杯を獲得
10/29
★
ソニーと松下電器が家庭用VTRの開発を発表
ソニーはベータ方式、松下電器はVHS方式を採用
テープへの「べた書き」という意と最高性能という意の「MAX」を組み合わせ、Betamaxと命名
VHSは記録方式を示す「Vertical Helical Scan」の略称。のち「Video Home System」の略称として定着
11/01
★
長崎市西浦上合同庁舎が住吉町に開設される
2階に北消防署と北公民館長崎市北公民館が開設
→
1991(平成03)10/28
☆
チトセピアビル内に移転
11/01
★
長崎市が浦上水系、小ケ倉・中央両水系の1日6時間の給水制限を実施
11/06
★
牧島〜戸石の人道吊橋・
牧戸橋
を鉄筋コンクリート橋(108.1米、幅員6米)に架け替え
戸石漁港関連道路整備事業として車も通れるようになる
11/13
★
銅座町の元精洋亭跡に丸栄長崎店が開店。鉄筋コンクリート造・地下1階、地上4階
→
1970(昭和45)05/01
☆
ユニード長崎店に改称
11/23
★
長崎市内で「カネミオイル被害者の会連絡協議会」が結成。各地の運動を統一し、組織を強化
前年に発生した我が国最大の食品公害・福岡のカネミ倉庫製ライスオイル(米ぬか油)油症事件が発端
11/
★
県と大村市の幹部が大村湾に浮かぶ箕島に空港建設の概要説明に出向く
島民は「建設中止以外の話し合いには応じられない」と竹竿で船の接岸を阻止。激しい拒絶の姿勢を見せる
→
のち
☆
箕島住民は「先祖伝来の豊かな島を死守する」と建設を拒み続け抵抗
生活圏が奪われるとする漁業関係者の反対、「公害、基地化」へ抗議する反対市民会議の抵抗で交渉は難航
→
のち
☆
久保知事も再三、現地に赴き説得を重ねる。知事は故意に補償額を記したメモを置いて帰る
→
1970(昭和45)08/24
☆
住民は現地測量を承諾、建設に伴う基本問題協約書に調印。補償総額は約20億円
→
1975(昭和50)05/01
☆
大村湾沖合1.9粁の島に世界初の海上空港が誕生
12/01
★
磁気カードによるオフラインの現金自動支払機が住友銀行の東京新宿支店と大阪梅田支店で稼動開始
オムロンが世界で初めて磁気カードを利用したキャッシュディスペンサー(CD)を開発したことによる
12/03
★
国道34号の玉屋百貨店前に新大工町電停とつながる新大工町歩道橋が架かる
階段段数は玉屋側歩道38段、私営駐車場側歩道35段、蛍茶屋方面電停・諏訪神社前電停方面ともに42段、
玉屋2階部分まで7段、私営駐車場2階部分まで6段
12/15
★
親和銀行長崎支店が栄町から賑町の同支店テニスコートに移転
12/25
★
セイコーが世界初のクオーツ式腕時計アストロンを発表
日差プラスマイナス0.2秒(機械式の100倍以上の超高精度)、電池で駆動し持続時間は1年以上
45万円。軽乗用車が1台買えるほどの価格
クオーツ時計は水晶振動子を用いた時計。水晶時計または単にクオーツ(Quartz)とも
20世紀後半から普及し、振り子時計に代わって最も一般的な時計
★
出島町に長崎税関新庁舎が完成
★
西坂町に
ホテル日昇館
がオープン
★
浜町商店街(アーケード)に浜ビルが完成
★
長崎・西鹿児島〜新大阪と佐世保・西鹿児島〜新大阪に1往復ずつ走る寝台特急「あかつき」が食堂車で提供していた献立の一部
洋食定食(A)……………350円、洋食定食(B)……………300円、洋食定食(C)……………200円
和食定食……………………300円、シチュウビーフ定食………500円、プルニエ定食………………450円
グリルチキン定食…………400円、ポークカツレツランチ……350円、一口かつ定食………………350円
ランチ(盛合)……………300円、幕の内(A)………………300円、幕の内(B)………………250円
うなぎご飯…………………350円、ビーフステーキ定食………700円、特別ビーフステーキ定食…1200円
オートミール………………50円 (はがき1枚5円)
★
吉井町のハウス栽培でキンショウメロンの試作導入
★
西諫早ニュータウンが着工され、4500戸、人口約2万人の大規模団地が誕生
★
厚生省は対馬厳原町の佐須川、椎根川流域をイタイイタイ病に類似した症例があると要観察地域に指定
水田土壌から畑の2倍のカドミウムが検出
→
1971(昭和46)
☆
汚染米調査で汚染水田が半数あり1.2ppm以上の汚染米が見つかる
▼
1970(昭和45)
【昭和】
庚戌(かのえいぬ)
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