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〈昭和時代(11)〉

1952(昭和27)【昭和】 壬辰(みずのえたつ)

  《総理大臣》[第49代]第3次吉田茂内閣(→10/30)、[第50代]第4次吉田茂内閣(10/30→)
  《知事》[第40代(公選2代)]西岡竹次郎
  《市長》[第18代]田川務

  01/27NHK長崎放送局のテレビカーが本大工町の市民グラウンドで初公開。35万人参加
  01/長崎バス(株)井樋の口車庫が完成。鉄筋コンクリートの2階建、1階にバス11台を収容
  02/15新春以来、長崎市内に赤痢が流行
     06/20患者310人に達する
  03/04中国に抑留されていた漁船員293人を乗せたボロボロの第5次送還船2隻が長崎港に帰国
     1955(昭和30)日中民間漁業協定が締結。時代錯誤の海賊行為がやむ
  03/15大波止〜県庁前〜思案橋を通じる間の中央橋工事に着工
     12/05完成
  03/31梁川町2400に梁川公園(7687平方米)が開設
  04/06大村湾の玖島崎で日本最初の公営モーターボートレースが開催
     県内の競艇場候補地として初め5市町、次いで3市町、そして大村と時津が最後まで争う
     大村側は時津のあら探しとして、市議会誘致委の正副委員長らが釣りを装い時津の海に潜り海底の状況を調査
     出走用大時計やターンマークなど施設やボート、競技ルールなど全て関係機関や職員が試行錯誤を重ねて手作り
  04/10長崎民友新聞社が松山町で「長崎復興平和博覧会」を開催
     06/08閉幕
  04/20長崎駅前に鉄筋コンクリート造り2階建の長崎市観光案内所が完成
     05/01業務開始
  04/28日本・中華民国平和条約が調印
  04/28午後10時30分、対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)・日米安全保障条約が発効
     GHQ、対日理事会、極東委員会が廃止
     敗戦から6年8か月ぶりの主権回復(独立)し、国際社会に復帰(占領時代の終焉
     発効が午後10時30分なのは、時差のためにアメリカが28日をむかえるのを待つ
     独立式典は行われず、5月3日に日本国憲法施行5周年記念式典と抱き合わせで開催
  04/28講和発効までの7年間で占領軍による人身事故は届けがあっただけで191件、補償総額2300万円
     うち交通事故93件、死亡48人
  04/28NHKが放送終了時に「君が代」の放送を開始
  04/28戦後講和記念として橋本和太八ら6人の奉納により鎮西大社諏訪神社に一の鳥居が建立
  04/28平和公園の一角に長崎国際文化会館が着工
     1955(昭和30)02/11地下1階、地上6階鉄筋コンクリート建、長崎国際文化会館の落成式が挙行
     1955(昭和30)04/01開館
  04/市営交通船の園丸を一部改造。市営観光船として就航
     1953(昭和28)07/11納涼観光船として運行を開始
     1963(昭和38)05/老朽化のため引退。観光船「ながさき」と交替
  04/株式会社長崎相互銀行が熊本中央信用組合を吸収合併
     1989(平成01)02/長崎銀行と改称
  05/01講和発効後、長崎市内で初の第23回メーデーが開かれる
     長崎地区では約1万3千人の組合員が本大工町の市民グラウンドに参集
     「再軍備反対」「反動内閣打倒」などのプラカードを掲げ市中をデモ行進する
  05/09(株)長崎土建工業所が本社を長崎市羽衣町31番に移転
     1976(昭和51)05/10本社を長崎市出島町4番2号に移転
  05/19西海町営船所有の第2瀬川丸(大八丸)を7万円で売却
     1952(昭和27)11/18第5瀬川丸を407万4千円で建造
  05/27「西日本重工業株式会社長崎造船所」が「三菱造船株式会社長崎造船所」と改称
     1964(昭和39)06/01三菱日本重工業(株)、新三菱重工業(株)、三菱造船(株)が合併
     「三菱重工業株式会社長崎造船所」と改称。
  06/01国鉄長崎本線の大草〜長与に本川内駅が開業
  06/12中村諭が大進建設を創設
  06/30大浦天主堂が国庫補助を受け修復工事が完了
     1953(昭和28)03/31改めて国宝に再指定される
  06/長崎大学の学芸学部が大村市乾馬場から長崎市大橋町200番地への移転を開始
     1953(昭和28)03/31移転完了
     附属中学校が長崎市昭和町863番地に移転
  06/長崎造船株式会社が発足
     既設造船所の譲渡を受けて以西底曳網漁船、旋網漁船、その他中小小型船舶の修繕を主体とした造船所
     1957(昭和32以西底曳網漁船、旋網漁船を主体に船舶の建造に着手
  06/長崎大学の水産学部で練習船「長崎丸」(初代、103総瓲)が竣工
     1956(昭和31)07/練習船「長崎丸」で初の外航遠洋実習を航海(香港及び台湾)
  06/長崎バス(株)が面高〜板の浦間の運行を再開
  07/08英国BOACの世界初のジェット機コメット号がテスト飛行で初めて日本の空に飛来し羽田空港に着陸する
     ロンドンと東京の間を27時間半で飛ぶ
  07/20山里中学校校舎が完成。それまでは山里小学校で授業をしていた
  07/28トラックの中で寝ていたアリゾナ州プレスコットのベサラムが作業服を着た背の低い宇宙人に起こされる
  07/駒場町約2千坪に市営駒場庭球場が完成
  08/01公共企業体・日本電信電話公社(初代総裁:●●●●)発足(3公社のうち、1985(昭和60)04/01)
  08/13長崎市の盆祭りを従来の7月から8月13〜15日に改める
     盆の8月については、去年から話題になっていたが、賛否両論があって結論が出ず
     市・商工会議所・仏教連盟・青年団・婦人会の各代表が協議した結果……
     (1)7月は例年、天気がい
     (2)7月は期末学期試験中で、盆祭りのため子供が落ち着いて勉強できない
     (3)全国的に盆祭りは8月が多い
     (4)祖先に供える季節物は8月がよい―などの理由で8月に改めたもの
  08/23長崎平和放送(株)創立総会
     本社は桜町の長崎商工会議所内2階全部を借りてスタート。新入社員は10/から順次出社
     ガランとした室内には机5、6個が置かれ放送局らしい機材といえばテープレコーダー1台があるだけ
     12/08ラジオ長崎と改称
     1953(昭和28)03/01ラジオ局「(株)ラジオ長崎」が開局、本放送を開始
     全国で19番目、九州では福岡のラジオ九州(現RKB毎日放送)に次ぐ2番目の民放
     1954(昭和29)10/18ラジオ長崎とラジオ佐世保が合併し「長崎放送(NBC)」に
     1959(昭和34)01/01テレビの本放送を開始
     1962(昭和37)10/23新放送会館が落成。桜町の旧長崎商工会議所から移転
     新長崎放送会館は小川町28番地(現上町1番35号)
     総工費4億8千万円、敷地面積1648平方米、鉄骨建て地下1階、地上8階、塔屋2階、総延べ面積6610平方米
     1966(昭和41)12/21テレビのカラー放送を開始
  09/01長崎県営バスが仁田峠線の運行を開始
  09/10ヴィクター・フレミング監督作のアメリカ映画「風と共に去りぬ」が日本で初公開される
     原作のマーガレット・ミッチェルの世界的ベストセラー小説「風と共に去りぬ」を映画化
     全編で3時間42分という大長編
     【09/04?】
  09/17午前、伊豆諸島南部、ベヨネース列岩の東約10粁に位置する海底火山が噴火
     噴火を最初に報告した、静岡県焼津市の焼津港所属の漁船「第11明神丸」にちなんで明神礁と命名
     のち激しい火山活動をたびたび引き起こし何度か標高200〜300米まで達する新島を形成
     自らの爆発での消滅と波浪の浸食をくりかえし安定した新島は形成されず
  09/21相撲の土俵上につく屋根の四隅の柱が秋場所より廃止されつり天井となる
     見物の邪魔、危険などの理由から
     柱にかわり四隅には4本柱に巻きつけられていた4色の布の名残で、柱の代わりに太い房をつるすことに
     房の色(青・白・赤・黒)は天空の四方位をそれぞれ司る四神に由来
     青い房(青房)は東方を守護する青龍、白い房(白房)は西方を守護する白虎
、      赤い房(赤房)は南方を守護する朱雀、紫または黒の房(黒房)は北方を守護する玄武をあらわす
     四隅の房は絹糸を寄り合わせて作られサイズは2.3米、太さが70糎、重さ25瓩
  10/01長崎市が水道局を設置し公共下水道事業に着手
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (3)…寄合町(本踊)、油屋町(剣舞)、下筑後町(獅子舞踊)、今籠町(本踊)、
     鍛冶屋町(宝船・七福神)、東中町(剣舞)、本下町(本踊)、[特別参加]諏訪町(蛇踊)
     御旅所が江戸町公園に変更
  10/25長崎県営バスが網場〜小浜〜京泊間の定期航路を廃止
  10/27職業安定所が元船町から銭座町に移転
     1968(昭和43)03/31小曽根町に移転
  11/18西海町営船が第5瀬川丸を407万4千円で建造
     1953(昭和28)04/30西田商会が第5勢幸丸と同航路権を140万円で買収
  11/長崎青年会議所が設立
  11/定期航路として琉球航路が開設される
  11/キングから若原一郎の歌で「長崎シャンソン(C848)」が再発される
     作詞は内田すとむ、作曲は上原げんと
     戦後1946(昭和21)の長崎ものの第1号として登場した歌
  12/04新道路法に基づく路線指定で、旧33号が一級国道35号(佐賀県杵島郡武雄町 - 長崎県佐世保市)に指定
     1965(昭和40)04/01道路法改正によって一級、二級の別がなくなり一般国道35号となる
  12/05橋長20.3米、幅員25.8米の中央橋が架設。大波止〜県庁前〜思案橋の幹線道路が開通
  12/27東京を拠点にヘリコプターでの宣伝活動を目的として日本ヘリコプター輸送株式会社が設立
     ヘリコプターによる宣伝事業を行ない、次いで航空機による事業にも参入。資本金1億5千万円
     1953(昭和28)02/ヘリコプター2機を使い営業開始
     12/15貨物航空事業を開始
     1954(昭和29)02/01旅客航空事業を開始
     1957(昭和32)12/全日本空輸株式会社に商号変更し、極東航空の路線運営を引き継ぐ
     極東航空は1952(昭和27)12/26関西で航空事業を行っていた関係者により大阪で設立
     大阪を拠点に大阪〜四国・大阪〜九州など西日本方面の航空路線を運営
     1958(昭和33)03/同じくローカル線を運航していた極東航空を合併、完全に統合する
     初代社長には元朝日新聞社役員で日本ヘリコプター創設者の美土路昌一が就任
  12/宝塚新温泉遊園地にウエーブコースターという名前で初めてジェットコースターが常設
     テストのときにステーションで止まりにくいため、軌道の最後の山を取りはらう
     軌道が短いために、一度の乗車で同じコースを2回まわる。製作は(株)三精輸送機
     1955(昭和30)07/09後楽園遊園地が開園。日本初の本格的なジェットコースターが設置される
     コースは1500米、55粁/時
     名称はジェット機にちなんで。以降、「ジェットコースター」が一般的に。英語では英語では「Roller Coaster」
  浜屋百貨店地階の地下劇場・浜屋地下映画劇場が閉館
  長崎大山地区の教会が改築される
     1994(平成06)新聖堂を建立
  株)中山洋行がコーヒー自家焙煎を開始
     1970(昭和45)08/店舗を●●町から新地町へ移転
  上野町の県立長崎工業学校跡地に東山手の東陵高校が移転
     名古屋ローマ神言会経営・南山大学の姉妹校に、南山高等学校と改称
  本原郷辻の丘(十字架山、クルス山)に日本最初の屋外「十字架の道」が設置
  西日本重工業株式会社長崎造船所構内の縦横の線路の上を走る構内汽車が廃止
     汽車は重要な運搬の手段だったが、自動車の普及により廃止
  県立長崎工業学校の新校舎が岩川町に完成し落ち着く
     上野町の校舎原爆被害の後大村の元海軍空廠工員養成所の施設
     市立商業学校の一部長大医学部の病床など転々
  西彼杵半島と針尾島の間の針尾瀬戸を結ぶ橋の工事が続行することに
     「道路整備特別措置法」により工事費の15か年償還を期限とした有料道路に指定されたことによる
     1955(昭和30)10/18針尾瀬戸に架かる橋の完工式が盛大に行なわれる。「西海橋」と命名される
     全長316米、海面からの高さ42米、東洋一の固定網アーチ。総工費5億6千万円
     長崎市、佐世保市、西彼杵郡大串村の3代3組夫婦による渡り初めが行なわれる
     世代に受け継がれ蓄積された英知が橋を完成させたことを感謝し、永遠の幸福を願う日本独特の儀式
  佐賀嬉野生まれの宮崎和夫が、林田作之進と長崎電鉄の脇山勘助社長を取締役として有限会社中央タクシーを創業
     西坂町にて5台の車で営業を開始
  佐世保のキングタクシーが長崎で稲佐タクシーを発足
     1956(昭和31)稲佐タクシーの社名をキングタクシーに改称
     のち浜町の双葉タクシーを買収
  諫早駅前の長崎県営バス諫早営業所が焼失
     1953(昭和28)09/17諫早営業所が落成
  初代菊池喜三郎が建てた家が原爆の被害をまぬがれ改築し旅館業をはじめる
     初代菊池喜三郎は1871(明治04)、田主丸から長崎へ。●●●町で貿易を営む
     屋号は母の名菊池春代から旅館菊春に
  島原港湾の大手入海の旅館有明館を塚島宇平治が譲り受ける
     1965(昭和40)06/観光客の増加にともない増築
  島原、霊南町の料亭待月が割烹旅館に転業
     料亭待月は、もともと1926(昭和01)、霊南橋際に創業した料亭伊万里家
     屋号の由来は座敷から見る海の月の出が美しいため。ふぐ料理、鯛茶漬、茶碗蒸しを名物として評判に
     1966(昭和41)新築する
  宮崎亀千代の経営する宮崎旅館が別館を落成。県下屈指の旅館として、ゆるがぬ地歩を築く
     宮崎亀千代の実兄豊田浄次は新湯ホテルを経営
     兄弟の父豊田無着は西有家龍泉寺の第17代住職
  西日本各県対抗九州一周駅伝競走大会がはじまる
     のち数多くの五輪マラソン選手を生みだす
  戦争により一時休止していた関門国道トンネルの工事が再開
     1958(昭和33)03/09関門国道トンネルが開通
     長さ3461.4米 (うち海底部780米)、地底最深部はマイナス約56米
     建設従事者延べ450万人、殉職者53人、総工費57億円
     2層になっており上段は対向2車線の車道、下段は780米の人道
     人道のある海底トンネルは世界初
  この年、長崎市の赤痢発生状況607(死亡7)
  文化保護法により雲仙岳が富士山とともに「特別名勝地」として指定される

1953(昭和28)【昭和】 癸巳(みずのとみ)

  《総理大臣》[第50代]第4次吉田茂内閣(→05/21)、[第51代]第5次吉田茂内閣(05/21→)
  《知事》[第40代(公選2代)]西岡竹次郎
  《市長》[第18代]田川務

  01/01市警察局が春雨通り十字路に初めて自動交通信号機を設置
  01/16特急「かもめ」の運転に先立ち客車の方向転換のための試運転を香椎線、勝田線で実施
     蒸気機関車C11形とオヤ、オハフの編成
     01/24、25博多〜大阪間、特別急行列車の10時間運転にともなう速度、線路状況調査のため臨時試運転列車を運行
     02/05「かもめ」への女子乗務員の募集がはじまる
     03/03「かもめ」用客車、特別2等車、食堂車の引き慣らし試運転を実施
     03/06「かもめ」用客車27両が門司港〜竹下間で臨時試運転を実施
     07/01神戸〜東京に客車特急「鴎」が誕生
  02/01NHKが東京地区でテレビの本放送を開始する
     「JOAK TV こちらはNHK東京テレビジョンであります」と告げる
     午後2時から開局祝賀会の模様をそのまま番組として放映、夜9時に終了
     当日のテレビ受信契約者は866人
  02/02桜町立体交差「櫻橋」が起工
     1954(昭和29)03/26桜町立体交差「櫻橋」完成
  02/10長崎バス(株)が市内観光バスの試乗会を催す
     03/長崎バスが定期観光バスの運行を開始
     長崎市初の観光バスでバスガイドも登場
  02/20NHKテレビのクイズ番組「ジェスチャー」が放送を開始
     テレビの特性を生かして創世記を代表するテレビクイズ番組の草分けに
     柳家金語楼率いる白組(男性陣)と水の江滝子率いる紅組(女性陣)に分かれ対戦
     1968(昭和43)03/2515年の放送に幕を閉じる
  02/28首相の吉田茂が衆議院予算委員会で右派社会党の西村栄一議員の質問に対し興奮のあまり「バカヤロー」と発言
     「米英首脳の言説を引用せずに日本の首相としての意見を述べよ」に対するバカヤロー
     のち内閣不信任案が提出・可決され
     03/14衆議院が解散。「バカヤロー解散」
  02/日本ヘリコプター輸送株式会社がヘリコプター2機を使い営業開始。のちの全日本空輸
     12/15貨物航空事業を開始
     1954(昭和29)02/01旅客航空事業を開始
  03/01全国で19番目のラジオ局「(株)ラジオ長崎」が開局、本放送を開始
     1954(昭和29)10/18ラジオ長崎とラジオ佐世保が合併し「長崎放送(NBC)」に
  03/10佐世保にハンバーガーショップ「ブルースカイ」が創業
     素材は特注のパンに淡路島さんの玉ねぎ、「製法が企業秘密」のハンバーグ、トマト、レタス
     調味は塩こしょうにケチャップ、マヨネーズとシンプルなもの
  03/15客車特急「かもめ」が博多〜京都に復活。列車番号6レ、5レ
     初日の編成(7)〜(9)は招待客用車両
     (機)EF10、C57+(1)スハニ35+(2)スハ44+(3)スハ44+(増)スロ54+
     (4)スロ54+(5)スロ54+(6)スシ47+(7)スロ54+(8)スロ54+(9)スハフ43
     1957(昭和32)06/06客車を10系客車に置き換え。香椎線、勝田線での客車の方向転換が廃止となる
     蒸気機関車をC57形からC59形に変更
  03/17麻薬取締法が公布される
  03/23中国引揚再開、「興安丸」が帰国第1船として舞鶴入港
     11/30ソ連引揚再開、帰国第1船として舞鶴入港
     1956(昭和31)12/26シベリヤ抑留者の最終梯団を乗せて舞鶴入港
  03/2703/23に舞鶴に入港した中国引揚第1舟「興安丸」で帰国した長崎市関係者18世帯45人が列車で長崎に返る
     第2次(04/21)7世帯14人、第3次(05/19)12世帯18人、
     第4次(07/14)8世帯13人、第5次(08/15)6世帯14人、
     第6次(09/10)4世帯7人、第7次(10/28)2世帯6人の計57世帯117人が長崎に帰る
  03/31大橋町2400-1に西郷橋公園(1224平方米)が、中園町2400に中園公園(1931平方米)が
     稲佐町2400に稲佐児童公園(2196平方米)が開設
  03/31大浦天主堂が改めて国宝に再指定される
     あわせて崇福寺大雄宝殿と崇福寺第一峰門も国宝に指定される
     1966(昭和41)02/01国宝大浦天主堂礼拝堂が拝観料を取り一般に公開される
     大人20円、中高校生15円、小学生と子供10円、30人以上の団体は各5円引き
  03/31外浦町に鉄筋コンクリート造5階建、総面積1万4500平方米の長崎県庁舎が完成。工費約4億円
     1953(昭和28)05/18立山庁舎から移転完了
  03/31長崎大学の学芸学部が大村市乾馬場から長崎市大橋町200番地への移転を完了
     附属中学校が長崎市昭和町863番地に移転
     1954(昭和29)04/01附属小学校と附属幼稚園が長崎市大橋町200番地に移転
  03/長崎電鉄が西濱町〜思案橋を工費1200万円で着工
     1953(昭和28)07/01西濱町〜思案橋が開通
  03/長崎バス(株)が長崎旅行社(のち長崎バス観光と改称)を設立
     1963(昭和38)長崎バスに観光業務をひとつに。常盤町の煉瓦造りの観光センターに統合
     1966(昭和41)10/22観光センターを廃止し茂里町の旧本社跡に貸切営業所を設立
     1972(昭和47)07/貸切営業所を滑石に新築移転
     2000(平成12)02/貸切部門を分社化。長崎観光自動車が設立
     2004(平成16)07/営業部門の長崎バス観光と長崎観光自動車が合併
     新生の長崎バス観光が誕生し貸切バスを運行
     もとの長崎バス観光は長崎バスグループの旅行・貸切バス営業部門を担当
  03/社会保険喜々津病院が開設
  04/01厚生省組織規程の一部改正により国立療養所川棚病院が誕生
  04/01長崎電鉄(株)が車両7台で螢茶屋〜住吉8366米を皮切りに一般乗合バス事業を開始
     いすゞBX91型48人乗りの小型バス7両ではじまる
     1955(昭和30)03/01一般貸切バスの営業を開始
     1971(昭和46)02/28バス91台、土地・建物・路線営業権一切を長崎バス(株)に譲渡
  04/01玉木女子短期大学が開学
     2007(平成19)04/05玉木女子短期大学が男女共学となり校名を長崎玉成短大と改称
     新たに県内各地から46名が入学(服飾デザイン学科10人、幼児教育学科36人。うち男子学生は計10人)
     運営母体の玉木女子学園は玉木学園に改称。系列の玉木女子高も共学の長崎玉成高に移行
  04/01長崎国際電報局、国際電信電話(株)が長崎国際電報局として新発足
     大北電信会社から運用権をはじめ、長崎の局舎、機械、日本領海の海底線などいっさいの所有権を買収
     デンマークの大北(グレート・ノーザン)電信会社の名が長崎から完全に消える
     1969(昭和44)07/28梅香崎の長崎国際電報局が廃止となる
     長崎国際電報局は日本と欧州を結ぶ唯一の電信窓口として活躍
     直江津とナホトカを結ぶ新しい日本海ケーブルが完成し、また人工衛星を中継局とする衛生通信にバトンタッチするために廃局
     1871(明治04)にはじまる100年の国際通信の幕を閉じる
  04/04長崎県交通部労働組合が結成
  04/30西田商会が西海町営船所有の第5勢幸丸と同航路権を140万円で買収
     1953(昭和28)05/01第3、第5瀬川丸にて毎日4往復就航。第5勢幸丸は予備船に
  04/観光通り、稲佐町中央商店街にスズラン灯が完成
  05/01西海町営船が第3、第5瀬川丸にて毎日4往復就航。第5勢幸丸は予備船に
     1954(昭和29)04/013隻で毎日5往復
  05/01風頭山自動車道路の延長815米、道幅6米が開通
  05/03「長崎バプテスト教会」が市内の片淵町1丁目に新教会堂を建て献堂式を挙行
     1994(平成06)09/24教育館と牧師館の新築並びに礼拝堂の修改築が完成。献堂式を挙行
  05/04長崎公園丸馬場に長崎唯一の野外演劇場・音楽堂が完成
  05/14長崎市原爆障害者治療対策協議会(原対協)が発足
     06/原爆障害者の無料診療を開始
     08/01原対協が原爆障害者の実態把握のため長大医学部北講堂で障害者の総合診療を開始(〜09/30 受診者数1874人)
  05/18二級国道としてそれぞれ指定される
     214号島原諌早線(島原市 - 諫早市)、215号島原宇土線(島原市 - 宇土郡宇土町) 、216号熊本大分線(熊本市 - 大分市)
     1963(昭和38)04/01二級国道214号、215号、216号を統合し一級国道57号(大分県大分市 - 長崎県長崎市)に昇格
     214号、215号・216号は欠番に
     1965(昭和40)04/01道路法改正により一級、二級の別はなくなり一般国道57号(大分県大分市 - 長崎県長崎市)となる
  06/25〜29長崎県北で豪雨
        日雨量359.5粍を記録。死者25人、負傷者92人
  06/簡易委託公衆電話が黒から赤電話となる
     1953(昭和28)10/ボックス公衆電話が紙幣式から硬貨式に切り替え
  07/01長崎電鉄の西濱町〜思案橋が開通。戦前の路線が全て復旧
  07/11市営観光船「園丸」が納涼観光船として運行を開始
     1963(昭和38)05/老朽化のため引退。観光船「ながさき」と交替
  07/27朝鮮休戦協定が調印される。全土が戦場となり荒廃する
     朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国)の朝鮮戦争
     朝鮮半島は開戦前と同様に南北2国に分断された状態のままに
  07/長崎市がし尿の収集に初めてバキューム車を使用し、能率の向上を図る
  07/市内に残った唯一の無灯火集落・大山町57戸に電灯がともる
  07/長崎電鉄、柳通り停留場の名称が観光通り停留場に改称
  07/長崎県信用保証協会が設立
  08/01長崎税関として門司税関から独立
  08/26原爆で全壊しバラックで営業していた国鉄浦上駅の駅舎落成式
  09/17長崎県営バスの諫早営業所が落成
     1968(昭和43)05/23諫早営業所用地として東厚生町に8067.32平方米を買収
  秋/去来250回忌にあたり、去来顕彰会の発起により丸山寄合花街が碑を建立
      いなつまやとのけいせいとかりまくら  去来
      (後ノ賦原句 いなづまやどの傾城とかりまくら)
     句は1698(元禄11)07/09来崎した芭蕉の高弟各務支考が、翌日、高野平郷の清水寺へ参詣、
     観音様の縁日を楽しむ丸山遊女の供、童女の禿を見て行く末を哀れみ、次の句で終る俳文「禿ノ賦」を作り去来に読ませる
      草花の名にたびねせんかぶろども  支考
     これを承けて去来が寺参りする遊女をあわれむ俳文「後の賦」を作る。初めの句はその結びの句
  09/テイチクから平野愛子の歌による「長崎のチャイナタウン(C3525)」が発売される
     作詞は山本逸郎、作曲は上原賢六
     片面は村沢良夫の歌による「ミナト長崎」。作詞は島田磬也、作曲は大久保徳二郎
  10/01長崎市が観光客へのサービス向上と市内の美化を図るため観光週間を制定。行事を繰り広げる
     10/03観光地めぐりマラソン、10/04長崎撮影会・観光映画の夕べ、
     10/05九州民謡民芸大会、10/06九州地区無形文化財発表会など多彩な行事を繰り広げる
  10/04長崎青年会議所が市の都市美化運動に協力し市内50か所にチリ箱を設置
  10/08渡御。「長崎くんち」が雨天のため日程変更10/10還御
     (4)…丸山町(本踊・壇尻)、築町(御座船・剣舞)、東上町(本踊)、駅前町(唐人船)、馬町(本踊)、
     八坂町(川船)、東浜町(本踊)、東古川町(川船)、銅座町(本踊・段尻)、出島町(阿蘭陀船・本踊)
     *出場辞退…今下町
     *大黒町と台場町で駅前町に
     出島町が阿蘭陀船を新調し加入
  10/ボックス公衆電話が紙幣式から硬貨式に切り替え
     1970(昭和45)03/19公衆電話の市内通話が3分制となる(長崎、東長崎、時津、長与)
  10/東北海運局内の宮城利府掖済会病院塩釜診療所が発展的に解消。塩釜掖済会病院を開設。30床
  11/07初の観光物産展「長崎祭」を京都の丸物デパートで開催
     11/12会場にはオランダ、唐貿易、キリシタン資料をはじめ、原爆資料や故永井博士の遺品も展示
     チャンポン、皿うどんの実演即売が人気を呼ぶ
  11/長崎で初の計算尺技能検定試験が実施
  12/05長崎県・長崎市主催の長崎観光物産展が12日間にわたり東京の白木屋デパートで開催
  「長崎日日新聞」が県内紙で初めて高速輪転機、写真電送機などを導入
     1959(昭和34)01/「長崎民友新聞」と合併、「長崎新聞」と改題。夕刊を復刊
  松早石油が長崎駅前に第1号の三菱マークのサービスステーションを建設し陸上部門に進出
  ラッキー自動車(株)が佐世保より長崎に進出
  浜屋百貨店、第1期増改築工事の地下1階、地上4階、塔屋4階、新館9階が完成
  万才町の「長崎大神宮神社」が栄町の現在地に移転、改築
  出島地区の土地区画整理事業が始まり、銅座川の切り替え工事等が行なわれる
     1967(昭和42)土地区画整理が終了
  水産業から転向した田崎竹松が金屋町に旅館白竜荘を開業
     田崎竹松はまったくの素人で観光旅館の経営が不十分にすすむ
     1966(昭和41)別館増築と同時に経営が2代目田崎清竹に移る
     田崎清竹は高校卒業後、料亭千石で料理の修業をし、熊本のつかさ本店、尼崎の料亭辰巳で腕を磨く
     旅館、料亭の経営を実地に学び、基礎を身に付けて白竜荘の経営を継ぐ
  小浜温泉街後方の高台に旅館不知火姫が創業
     1968(昭和43)02/4回目の増築のとき山口県の秋芳洞から運んだ石と朝鮮の雲母石を使った浴場が完成
  長崎駅前、カフェー鶴精軒の横の坂井商店が駅前の別の場所に移り果物店から土産品店に転業
     観光ブームの到来で経営が順調に伸びる
  島原の料亭あつみが旅館に転業
     広い庭園の池には平たい大きな金洗石がある。島原藩主松平が休息所とした景萃園にあった石
     石は植木元太郎が自邸の庭石にする考えで馬2頭に引かせて運ぶが、
     あまりにも大きく自宅まで運べず、あつみの主人、渥美元が譲り受ける
      もともとの料亭あつみは、1927(昭和02)に渥美が薪炭商から経営を転向
      島鉄の創立者植木元太郎の「芸者さんたちのために一肌脱いでくださらんか」という言葉に触発
      芸者は借金が増え、いくら稼いでも追いつけない状況
  西浜町から新地蔵に架かる新地橋が架け替えられる
     1988(昭和63)05/06街づくり特別対策事業として中国風の朱色の橋に改修した完成式が挙行
  原爆で破損した浦上川に架かる大橋の改修工事が竣工
     1974(昭和49)07/31原爆で吹き飛ばされた約4屯の橋塔などが川から引き揚げられ爆心地に保存される
     のち原爆資料館に移設
  伊王島町の伊王島と沖ノ島の間にある伊王瀬戸に架かる伊王橋を撤去。賑橋を架設
  池田喜四郎が材木業の池田木材店を廃業し旅館経営に転業。五島町に池田屋旅館として創業
     のち屋号を池田荘に変更
  小村良治により1947(昭和22)に発足した恵美須町の太平水産加工が山口吉太郎が社長となり社名を太平蒲鉾に
     山口吉太郎は1909(明治42)茂木生まれ
     1955(昭和30)社名を山吉水産と改称
     電化焼蒲鉾が独特で、ちくわ、板付けなどを作り長崎有数の店として知られる
  「佐世保時事新聞(旧軍港新聞)」が「九州時事新聞」と改題
     1961(昭和36)09/「長崎時事新聞」と改題
  長崎市美化清掃運動がはじまる
     全市挙げてゴミひとつないきれいな街づくりにのりだす
  レム睡眠がシカゴ大学のナサニエル・クライトマンとユージン・アゼリンスキーの研究により明らかになる
     脳波はシータ波が優勢で覚醒時と同様の振幅を示す。外見的には寝ているのに脳は覚醒状態にあり逆説睡眠とも
     急速眼球運動を伴う。夢を見るのはレム睡眠中であることが多い
     レム睡眠に対する睡眠にノンレム睡眠(徐波睡眠)がある
  イワシの大不漁期が訪れる
     隆盛を誇ったイワシ缶詰製造がサバ・アジ、ミカン・ビワ等、他品種の製造に転換せざるを得なくなる
     長崎の輸出産業の主力であったイワシ缶詰は、後退を余儀なくされる
  この年、長崎市の赤痢発生状況922(死亡10)

1954(昭和29)【昭和】 甲午(きのえうま)

  《総理大臣》[第51代]第5次吉田茂内閣(→12/10)、[第52代]鳩山一郎(12/10→)
  《知事》[第40代(公選2代)]西岡竹次郎
  《市長》[第18代]田川務

  01/02皇居の正月参賀に38万人が集まる。将棋倒しとなり死者16人、重軽傷者69人の惨事となる。二重橋事件
  01/21アメリカ初の原子力潜水艦ノーチラス号が進水
  01/24長崎市立浪平小学校の上部運動場が落成
     1965(昭和40)05/05旧校舎が解体、整地作業着工。08/24完了
  01/長崎市消防局新庁舎の建設を起工。総工費3440万円
     1954(昭和29)11/16鉄筋コンクリート3階建、望楼高33米の長崎市消防局新庁舎が完成
  02/01日本ヘリコプター輸送株式会社が旅客航空事業を開始。のちの全日本空輸
     1957(昭和32)12/全日本空輸株式会社に商号変更し、極東航空の路線運営を引き継ぐ
     極東航空は1952(昭和27)12/26関西で航空事業を行っていた関係者により大阪で設立
     大阪を拠点に大阪〜四国・大阪〜九州など西日本方面の航空路線を運営
  02/01マリリン・モンローが夫の大リーグ選手ジョー・ディマジオと新婚旅行の途中に来日
  02/02戦後初めて国際線が就航。国際航空業務が再開され、羽田を飛び立つ
     1番機は日航のDC―6Bシティ・オブ・トウキョウ
     38席のうち招待客が14人、お客はわずか5人
  02/榎津町の観光通りに十八銀行観光通り支店が開店
  02/コロムビアから永田とよこの歌による「おらんだ屋敷の花(A1851)」が発売される
     作詞は西条八十、作曲は古賀政男
  03/01ミクロネシア、マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行なう
     160粁東方海上で操業中のマグロ漁船「第5福竜丸」が「死の灰」を浴びて静岡県焼津に帰港
     乗組員23人は急性放射能症と診断される
  03/03映画「君の名は」第3部のロケが雲仙で行なわれる
     当初、普賢岳の霧氷と仁田峠が予定されたが、霧氷がつかず、急遽、雲仙地獄に変更
     仁田峠には早朝から数百人のファンが待つ
     雲仙地獄でロケが開始されたころには5千人もの見物客で大混雑に
     雲仙消防団員や国警小浜地区署員までが、岸恵子をカメラで写しながら警備
     のち大叫喚地獄には真知子が立ち寄った記念に「真知子岩」が建立
     のち長いショールを頭と首に巻いて端を肩にかけた「真知子巻」が、またたくまに全国に流行
  03/26桜町立体交差「櫻橋」完成
  03/26桜町立体交差の完成により長崎電鉄の桜町(小川町)〜古町が廃止
     桜町〜桶屋町(公会堂前)が新設される。酒屋町、古町電停が廃止、桶屋町電停が新設
  03/31大橋町2400-2に大橋公園(955平方米)が開設
  04/01長崎大学の学芸学部の附属小学校と附属幼稚園が大村市乾馬場から長崎市大橋町200番地に移転
     1966(昭和41)04/01学芸学部を教育学部に、学芸専攻科を教育専攻科に改称
  04/01南高来郡山田村と守山村が合併し吾妻村となる
     1955(昭和30)02/11南高来郡北串山村と小浜町が合併し小浜町となる
  04/01南松浦郡奥浦村、崎山村、本山村、大浜村、福江町が合併し福江市となる。長崎県下で6番目に市政を施行
     1956(昭和31)06/01南松浦郡青方町、浜ノ浦村(中通島)が合併し上五島町となる
  04/01北松浦郡南田平村、田平村が合併し町制が敷かれ田平町となる
     北松浦郡上志佐村、志佐町が合併し志佐町となる
     北松浦郡柚木村、黒島村が佐世保市に編入される
     1955(昭和30)01/01北松浦郡中野村、獅子村、紐差村、中津良村、津吉村、志々伎村と平戸町が合併し平戸市となる
  04/01西海町営船が3隻で毎日5往復
     1965(昭和40)06/04弁天丸を月3万円で借用運航
  04/26福岡銀行長崎支店が落成
  04/長崎バス(株)飽の浦出張所が大波止営業所の管理のもと開設
     1956(昭和31)08/飽の浦営業所として大波止営業所の管理下から独立
     1979(昭和54)06/木鉢トンネル開通により神の島に仮営業所を開設。飽の浦営業所を廃止
     1982(昭和57)04/神の島営業所が隣接地に新築移転
  04/日本海員掖済会長崎病院が4床増床して25床になる
     1960(昭和35)12/原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の規定に基づく医療機関に指定される
  05/01長崎県営バスによる長崎〜雲仙間定期遊覧バスが運行を開始
  06/01伊勢神宮崇敬会長崎県本部が設立される
     伊勢神宮崇敬会はお伊勢さまを心のふるさとと仰ぐ崇敬者の集い
  06/08長崎市観光協会創立総会が開かれ任意団体として設立される
     1967(昭和42)12/20社団法人長崎市観光協会が設立発足
     1988(昭和63)10/24長崎コンベンションビューローが任意団体として発足
     1995(平成07)10/02(社)長崎市観光協会と長崎コンベンションビューローが一本化
     (社)長崎国際観光コンベンション協会が発足
  06/30長崎市警の廃庁式が行われる
  07/01警察法の全面改正に伴い、国家地方警察長崎県本部を長崎県警察本部に改める
     7自治体警察署と17地区警察署を統合、27警察署を置く
     (長崎市内は長崎、大浦、稲佐、浦上の4警察署)
  07/01梅香崎警察署(香港上海銀行長崎支店)が大浦警察署と改称
     1974(昭和49)03/08松ケ枝町7番2号の新庁舎に移る
  07/11長崎市袋町・カトリックセンターにて長崎県医師大会が開催。強制医薬分業に絶対反対など決議
  07/12国立東京第1病院で人間ドックがはじめられる
     はじめは「短期入院精密検査」の名称で、毎週2床で開始される
  07/16上田町の長崎市立南大浦小学校に新校舎が落成。及び創立50周年記念式を挙行
     1960(昭和35)05/25旧木造校舎が解体
  07/31富士見町2400に富士見公園(6939平方米)が開設
  07/県下各地に赤痢が流行、長崎市でも29人発生
  07/新法に基づく特殊法人として長崎商工会議所が発足(特定商工業者の登録開始)
     1963(昭和38)01/第15代会頭に山田博吉が就任
  08/23長崎県神道青年会が設立される
     長崎県内の青年神職で組織する団体
     自己研鑽に努め、青年神職の立場から神道教化や伝統維持の活動や時局問題に対しても率先した取り組みを行なう
  08/長崎バス(株)が常盤町に車庫を新設
     1階は車庫、2〜3階は従業員アパートに
     1966(昭和41)10/22それまでの常盤町観光センターを常盤町営業所に昇格開設
  08/岩原川の船津町〜恵美酒町に架かる本新橋が架け替え、船津橋となる
  09/06西洋医術伝来史の著者古賀十二郎が死去、享年76歳
  09/27木造3階建、客室7室、広間1室の旅館矢太樓ができる。バスは木炭車バスだったとか
     名前の由来は県下に広く公募。地名(八太郎岳)がつく
     1959(昭和34)04/鉄筋コンクリートに増設6階建て、客室15室を増設
  09/大浦6番館の旧英国領事館が公売にされる
     1955(昭和30)07/長崎市が1千万円で買収
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (5)…寄合町(本踊)、西上町(本踊)、本古川町(本古川船)、
     紺屋町(本踊)、伊勢町(本踊)、[特別参加]本籠町(蛇踊)
     *出場辞退…桜町、小川町、内中町、八百屋町、勝山町、恵美須町、炉粕町
     神輿見下ろし事件が起きる。わび証文がだされる
  10/18ラジオ長崎とラジオ佐世保が合併し「長崎放送(NBC)」に
     1959(昭和34)01/01テレビの本放送を開始
  10/長崎で和文タイピスト技能検定試験を開始
  11/01県立整肢療育園が諫早市に開設
  11/03東宝が製作した日本映画「ゴジラ」が公開される
     巨大怪獣ゴジラが登場する「ゴジラシリーズ」第1作。日本の怪獣映画の元祖
     製作・田中友幸 原作・香山滋 脚本・村田武雄、本多猪四郎 音楽・伊福部昭
     ビキニ環礁での核実験と第五福竜丸の被爆事件に着想を得た田中は特撮映画の企画を立てる
     「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が、水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」
  11/08世界連盟第2回アジア会議長崎大会での夜の講演のため原子物理学者湯川秀樹が来崎
     翌日非公式に如己堂と爆心地を訪ねる
  11/16鉄筋コンクリート3階建、望楼高33米の長崎市消防局新庁舎が完成。総工費3440万円
  11/長崎県産業教育振興会が設立される
  12/大浦川埋立て工事が完成
     埋立地813坪のうち約600坪は撤去家屋の換地として払い下げ
  浦上天主堂再建委員会が発足。具体的な再建計画が進む
     1958(昭和33)天主堂の再建着工を知った原爆資料保存委員会が廃虚は貴重な資料とし保存を要望
     残すか壊すか世論も揺れ山口愛次郎司教を中心に検討し廃虚の取り壊しはやむを得ないと結論
  銅座川の変流工事十八銀行本店の際から再び出島との間を開析、中島川に合流させ下流を埋立てる
  砂田三次郎の経営する茂木ビーチホテルが増築
     1961(昭和36)経営不振で大長崎建設が経営
  大橋児童公園が開設
  恵美須市場が開設
  三芳町に西郷橋が架かる
  「夕刊日日新聞」が廃刊
  1952(昭和27)に長崎へ移住してきた久保田馨が愛宕山中腹に「とんちん館」を構える
     愛宕山から粘土を採り頓珍漢人形を1日に100〜200体つくる
  城栄町商店街の両側歩道に85本のナンキンハゼが植えられる
  市営交通船の第6つる丸を下関造船所で450万円で建造
  銅座川変流工事完工式を着工
     1955(昭和30)08/27銅座川変流工事完工式を挙行
        新川筋は十八銀行本店横から急折して中島川へ
  伊王島灯台が白色四角形コンクリート造りの灯台に改造
     1971(昭和46)長崎航路標識事務所が発足し灯台は無人化
  浜口三郎が愛宕町に長崎御苑を建てる
     のち長崎御苑を売却
     1966(昭和41)長崎御苑の資金をもとに日昇観光株式会社を設立。観光事業に乗りだす
     1967(昭和42)04/筑後町に鉄筋地下1階、地上6階、7階に庭園展望台を持つホテル日昇館が落成
  筑後町高台に旅館鶴荘がオープン
  出来大工町に米津ゆきが旅館辰巳を創業
     1961(昭和36)長崎駅正面の高台の筑後町に新築開業
     気安く肩がこらずにグループや家族連れ向き、中華料理が特色で、駅に近く環境がいいと地の利を得ている
  長崎大学大村分校が長崎市大橋町に移転し長崎大学長崎分校と改称
     1964(昭和39)04/長崎大学教養部となる
  前年の秋、花月の門前に向井去来の碑を建てたとき、石碑の歌をとって手拭いに染める
     諸谷義武や野崎比古らに薦められ美術振興会の後援を得て「長崎染の会」が発足
     近藤染物店を経営する近藤豊吉が技術面を担当
     ペナント、座布団カバー、テーブル掛け、暖簾、壁掛けなど、長崎にちなんだ模様や歌を染める
     「いなつまやとのけいせいとかりまくら 去来」(後ノ賦原句いなづまやどの傾城とかりまくら)
     碑は去来250回忌にあたり、去来顕彰会の発起により、丸山寄合花街が建立
  大浦町に有限会社三松食品が創業。社名は創業者の松本、松永、松下3人による
     のち松永が宮崎にざぼん漬、ひえつき餅の店をだし、また松下は熊本でざぼん漬を製造
     残った松本善満が長崎で三松食品を経営、ざぼん漬の基礎を固める
     1955(昭和30)浜口町に工場を建て本格的な生産体制を整え、社名を三松謝文(ざぼん)堂に改める
     ざぼん漬のほか、ざぼん羊かん、ばってん餅の詰め合わせや、ざぼん饅頭を生産し県内土産品界に知られる
     同時に和洋菓子の直売、喫茶、レストラン部を併営
     のち住吉に新工場を建て多良見町にざぼんの大果樹園を設ける
  雲仙新湯の九州ホテルの支配人、七條達夫が雲仙観光協会会長に就任
  早岐駅の西、早岐瀬戸の田子の浦に橋梁延長36米の観潮橋が架かる
  蒸気機関車C57形100号機のデフレクターが門デフに改造される
     門デフ=門司鉄道管理局式デフレクター=小倉工場式デフの略称
     小倉工場で除煙板の上半分を残して切除、車体にパイプで取り付ける方式を採用
     1957(昭和32)10/01特急「さちかぜ」の開設初日、長崎発上り第1号列車の先頭を飾る
  林昭夫が祖父からの屋号「萬順」を継ぎ中華菓子をはじめる
     祖父が菓子を作った新地に店舗を構え金銭餅を看板に売り出す
     「萬順」は1884(明治17)、林昭夫の祖父が新地ではじめた菓子業の名称
     のち、林昭夫の父は継がず貿易をし砂糖やメリケン粉などの卸問屋「萬順号」を経営していたが、戦時中、輸入が中断し廃業していた
  小林重守は木材商を廃し恵美須町で旅館えび屋をはじめる
     1964(昭和39)船山某が営む上町の迎陽荘を譲り受けて経営。えび屋支店迎陽荘に
  この年、長崎市の赤痢発生状況395(死亡2)

1955(昭和30)【昭和】 乙未(きのとひつじ)

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