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〈昭和時代(15)〉
▼
1963(昭和38)
【昭和】
癸卯(みずのとう)
《総理大臣》
[第59代]第2次池田勇人内閣(→12/09)、[第60代]第3次池田勇人内閣(12/09→)
《知事》
[第43代(公選5代)]佐藤勝也
《市長》
[第20代]田川務(→05/01)、[第21代]田川務(05/02→)
01/01
★
フジテレビ系列にて手塚治虫原作の漫画「
鉄腕アトム
」のアニメが放送を開始
第1話「アトム誕生」が放映
日本で最初の1話30分の本格的連続テレビアニメとなる
→
1966(昭和41)12/31
☆
193話「地球最大の冒険」で最終回を迎える
01/09
★
ライシャワー米駐日大使が大平正芳外相に原潜寄港承認の申し入れ
安保条約に基づき寄港差し支えなしとする政府に対し反対運動が起こる
原子力科学者など各分野から反対が表明、154人が反対を声明する
→
02/
☆
米側は横須賀、佐世保が適当で、最初に佐世保寄港の希望を回答
→
06/15
☆
佐世保港への原潜寄港反対運動で長崎までの県民大行進が北松江迎町を出発
歩調を揃え佐世保湾沿岸の農漁民にアピールするため、小型船14隻に100余人が乗り会場デモを行なう
佐世保市島瀬公園では反対大集会が開かれる
→
1964(昭和39)08/
☆
寄港受け入れが政府により正式決定
→
09/
☆
佐世保と横須賀、あわせて9万人の集会が開催。反対運動は盛り上がりを見せる
→
11/12
☆
米原子力潜水艦「シードラゴン」が入港
01/
★
長崎商工会議所の第15代会頭に山田博吉が就任
→
1964(昭和39)03/22
☆
国道34号拡張のため桜町1番地の旧所屋を解体(敷地は長崎市が買収)
大黒町の「長崎交通産業ビル」に新所屋完成
02/14
★
長崎県営バスの本原営業所が開所
→
05/13
☆
本原営業所車庫用地を買収
→
11/25
☆
本原営業所整備工場が落成
→
1964(昭和39)08/25
☆
本原営業所用地として3208.58平方米を買収
02/25
★
浦上川をまたぐ梁瀬町〜旭町の
稲佐橋
が鉄橋からコンクリート橋に架け替えられる
幅員12米を22米に拡張、50瓲重量車も通行可能に
02/
★
九州商工会議所連合会通常総会が長崎で開催
03/11
★
三菱長崎造船所で超大型タンカーが進水。マンモスタンカーブームが始まる
03/16
★
長崎市鳴滝町のシーボルト宅跡に19年ぶりにシーボルトの胸像が復元され除幕式を挙行
03/29
★
騒音公害が問題となり東京数寄屋橋の交差点の交番わきに騒音自動表示器を設置
マイクでキャッチした騒音を「ただいま○○ホン」と表示
03/31
★
小峰町2400-1に小峰公園(1695平方米)が、本原町2400-1に本原公園(2732平方米)が開設
03/31
★
吉展ちゃん誘拐事件が発生
03/
★
国道34号拡幅工事のため長崎商工会議所の建物が取り壊される
03/
★
長崎市立中学校24校の卒業生9732人で史上最高。高校進学率72%
04/01
★
グラバー邸の料金の徴収を無人ボックスから切符制に改め、入場券発売所を開設
04/01
★
二級国道214号、215号、216号を統合し一級国道57号(大分県大分市 - 長崎県長崎市)に昇格
214号島原諌早線、215号島原宇土線 、216号熊本大分線の214号、215号・216号は欠番に
→
1965(昭和40)04/01
☆
道路法改正により一級、二級の別はなくなり一般国道57号(大分県大分市 - 長崎県長崎市)となる
04/01
★
南高来郡吾妻村に町制が敷かれ吾妻町となる
→
1969(昭和44)04/01
☆
南高来郡瑞穂村に町制が敷かれ瑞穂町となる
南高来郡南串山村に町制が敷かれ南串山町となる
南高来郡北有馬村に町制が敷かれ北有馬町となる
南高来郡布津村に町制が敷かれ布津町となる
04/03
★
稲佐山の新登山道路が開通。勾配が緩く急カーブも少なくなる
04/05
★
初代会頭松田源五郎翁の銅像が長崎市出身の彫刻家・日展審査員の富永直樹の彫塑により復元
04/03
★
外浦町の
長崎グランドホテル
が(株)精洋亭の商号を長崎グランドホテルへ変更
→
1975(昭和50)10/
☆
客室126室でリニューアルオープン
04/12
★
長崎市内の医師119人が医療自動車部会を結成
04/20
★
長崎市
の第8次市域拡張により西彼杵郡東長崎町を市域に編入
206.62平方粁、戸数9万6743世帯、人口39万2072となる[1963(昭和38)04/30現在]
東長崎町41.21平方粁、2919戸、1万5490人(男7546・女7944)[1963(昭和37)07/31現在]
→
1973(昭和48)03/31
☆
長崎市の第9次市域拡張により西彼杵郡三重村を市域に編入
238.12平方粁、戸数12万4968世帯、人口43万1181となる[1973(昭和48)03/31現在]
三重村30.02平方粁、1198世帯、5190人[1972(昭和47)12/31現在]
04/20
★
西彼杵郡東長崎町が長崎市に編入される
→
1965(昭和40)11/23
☆
西彼杵郡多良見村に町制が敷かれ多良見町となる
04/25
★
大阪駅前に日本初の横断歩道橋が出来る
05/09
★
去年に引き続き有名人宅やデパートなどに「草加次郎」名義で爆発物や脅迫状の郵便物が届く事件が相次ぐ
渋谷区西原の女優吉永小百合(18)宅に脅迫状が届く(1回目05/09消印)
2回目05/14消印、3回目05/23消印、4回目07/15消印、5回目07/17消印、6回目07/22消印
→
07/15
☆
上野公園でオデン屋店主が狙撃される。全治3か月の重傷を負う
→
07/24
☆
渋谷東横デパートに脅迫電話をかける。のちデパートの洗面所を爆破。負傷者はなし
→
07/25
☆
上野署にオデン屋店主を狙撃した弾丸と拳銃の入った封筒が届く
→
08/11
☆
渋谷東横デパートの屋上に時限爆弾を設置する。負傷者はなし。のちに警視庁へ弾丸と拳銃を郵送
→
08/14
☆
渋谷東横デパート店長宛に爆発物を郵送。事務員1人が火傷を負う
→
09/05
☆
地下鉄銀座線の京橋駅構内で発車直前の電車1両目の車両座席下で爆弾が破裂。乗客11人が重軽傷を負う
→
09/06
☆
吉永小百合宅に映画「天国と地獄」を真似た現金受け取り方法で100万円を要求する7回目の脅迫状が届く
→
1978(昭和53)09/05
☆
公訴時効が成立。戦後の未解決事件として日本の犯罪史に名を残すことに
警察は捜査員を延べ1万9千人投入、容疑者は火薬マニアなど9600人をリストアップ
「草加次郎」は指紋と筆跡を残すが、犯人を特定することはできず
05/26
★
振り袖に島田髪の舞台姿「三浦環立像」がグラバー邸内に設置される
05/26
★
大相撲で大鵬が6場所連続優勝
05/30
★
長崎県営バスが小浜町より雲仙営業所車庫用地として2250.44平方米を買収
→
1968(昭和43)05/30
☆
雲仙女子職員寮が新築落成
05/
★
納涼観光船「園丸」が老朽化のため引退。観光船「ながさき」と交替
06/01
★
熊本・大分〜東京に客車特急「みずほ」が20系客車で新設
→
1964(昭和39)10/01
☆
熊本〜東京のみに
→
1975(昭和50)03/10
☆
熊本・長崎〜東京に
→
1991(平成03)12/02
☆
廃止。「みずほ」の名称は消滅
06/05
★
黒部川第四発電所、通称、黒四ダムが7年余りの歳月をかけ完成。竣工式が行なわれる
富山県東部の黒部川上流に建設されたアーチ式コンクリートダム
発電に利用する水を確保することを主目的に関西電力によって建設される
ダムの高さ(堤高)は186米で日本一。総貯水容量は約2億瓲で北陸地方屈指の人造湖黒部湖を形成する
総工費は建設当時の費用で513億円。関西電力資本金の5倍という金額
作業員延べ人数は990万人を超え、工事期間中の殉職者は171人にも及ブ
途中、1957(昭和32)05/には長野県大町市から富山県立山町へ抜ける関電(大町)トンネルで破砕帯に遭遇
岩盤の中で岩が細かく割れ、地下水を大量に溜め込んだ軟弱な地層なため突破するまでに約7か月もの月日がかかる
大役を果たした巨大な車両、機械類は一括して大阪のブルドーザー工事KKに払い下げられる
マリオン・パワーショベル5台、22瓲積ダンプトラック40台、その他の車両群やコンプレッサー、骨材プラント設備など
06/16
★
ソ連のボストーク6号が打ち上げられる
飛行時間は2日22時間50分。地球周回は48周
宇宙船には女性初の宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワが搭乗
テレシコワは軌道上から「
私はかもめ
」と送信、流行語となる
06/
★
キングから春日八郎の歌による「長崎の女(EB885)」が発売される
作詞はたなかゆきお、作曲は林伊佐緒
→
のち
☆
以後、「○○の女」ものが続出する
07/01
★
東彼杵郡東彼杵町一部が大村市に編入される
07/11
★
県貿易公社の初仕事として台湾からバナナ7500篭を直輸入
07/15
★
長崎県交通部を長崎県交通局に改める
→
11/30
☆
長崎県営バス、交通局本局庁舎及びバスターミナル「長崎交通産業ビル」が新築落成
交通局本局庁舎(2階)及びバスターミナル(1階・地階)
08/05
★
広島の第9回原水禁世界大会で社会党・総評系のボイコットで分裂
08/21
★
長崎五島地方で豪雨
日雨量268.2粍。死者行方不明3人、負傷者13人
家屋の全壊・流出91戸、半壊43戸、床上床下浸水2532戸
08/28
★
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアがワシントン大行進でリンカーン記念堂の前で演説
「
I Have a Dream(私には夢がある)
」のフレーズを含む演説を行なう
人種差別の撤廃と各人種の協和という理想を簡潔な文体と平易な言葉で訴え広く共感を呼ぶ
→
のち
☆
公民権運動に影響を及ぼし公民権運動の歴史上象徴的な意味を持つことに
08/
★
島原市内でみやこ百貨店経営していた藤原弥忠太がせんぺいの製造に踏み切る
動機は島原に煎餅類のみやげ品がなかったことから美弥光製菓を創業
白土湖畔に工場を建て、県下煎餅界の長老中島栄三が工場長に
(中島栄三は1965(昭和40)にやまなみ製菓を創業)
有明海の珍味オコゼからヒントを得て「おこぜ煎餅」を作る
宮崎康平がしおりの文章を書き売り出す
→
のち
☆
雲仙、島原、天草、長崎と販路を広げ、つぎつぎと新製品を販売
→
のち
☆
美弥光製菓の職人が方々に召し抱えられ、また独立して島原に煎餅旋風を巻き起こす
→
のち
☆
「庶民の味みやこせんぺい」として阿蘇、福岡、唐津、水俣と九州一円に販路を伸ばす
09/01
★
長崎逓信病院が長崎市大浦町甲に新築。松が枝町から移転、診療を開始
09/16
★
長崎県営バスが長崎市内遊覧2時間コースを新設
09/19
★
長崎地区労が原潜寄港反対の街頭署名運動を行なう
09/21
★
長崎ボウリングセンター(株)が袋町にボウリング場が開設
九州では福岡、佐世保に次いで3番目。ボウリングブームが到来
10/01
★
仁田小学校が体育倉庫の改造、陸橋の架設工事に着手。12/21竣工
1950(昭和25)の第1期から始まった工事は1959(昭和34)の第5期まで随時続行。のちの大幅工事
→
1973(昭和48)05/
☆
体育館工事完了。07/31プール完成
10/01
★
長崎・宮崎〜京都の気動車特急「かもめ」が14両編成での運転を開始
→
1964(昭和39)10/01
☆
運転区間を長崎・西鹿児島〜京都に変更
10/01
★
県下初の離島空港として第3種空港「福江空港」が供用を開始。滑走路2000米×45米
10/04
★
妊娠中の女性が交通事故
ショックで脳自律神経が破壊され言語中枢が完全に麻痺し意識不明に
→
1964(昭和39)04/01
☆
病床に眠り続けたまま女児を出産。奇跡の出産として全国的に話題に
→
1972(昭和47)01/04
☆
8年間昏睡状態を続けていた長崎市の女性(33歳)が十善会病院で死亡
10/07
★
渡御。「長崎くんち」
→
10/09
☆
還御
(7)…丸山町(本踊)、本石灰町(本踊・神山車)、船大工町(川船)、
桶屋町(本踊)、万屋町(鯨潮吹き)、[特別参加]本籠町(龍踊)
*出場辞退…大井手町、出来大工町、酒屋町、袋町、本紺屋町、御船八千代町、引地町
10/25
★
城山町に原爆で焼失した県護国神社が再建。工費5千万円
10/
★
ビクターから野村せい子の歌による「長崎月琴節(MV151)」が発売される
補作は小野金次郎、構成は中山義夫、採譜・編曲は佐野雅美
レコードがSP盤からビニール製のEP盤にかわったころ民踊のために作られる
民謡「月琴節」に新しい歌詞を加え構成する
中山義夫は民謡舞踊の師匠で長崎の石橋輝興を介して長崎県にも多くの民踊愛好者を育てる
片面は新橋照千代の歌による「長崎浜おどり」。補作は小野金次郎、採譜は小沢真与志
11/01
★
中島川から長崎駅周辺の復興土地区画整理第1工区と周辺地区の町界町名を変更
16町が
住居表示を実施
。江戸町、築町、賑町、栄町、魚の町、万才町、興善町、
桜町、金屋町、恵美須町、中町、大黒町、筑後町、玉園町、上町、尾上町
11/01
★
新1000円札が発行される。肖像は伊藤博文
11/12
★
新地町に県下最大のスーパーマーケット・マルタマストアが開店
鉄筋コンクリート2階建、売場面積延べ1500平方米、工費1億円
11/22
★
12時30分、第35代アメリカ合衆国大統領
ジョン・F・ケネディ
がテキサス州ダラスで暗殺される
遊説先のテキサス州ダラスの市内をオープンカーでのパレード中に狙撃
犯人としてリー・ハーヴェイ・オズワルドが逮捕
初の日米テレビ宇宙中継
11/23(米時間11/22)
★
日本とアメリカとの間で初めてテレビ中継実験(衛星中継)が行なわれる
ケネディ自らの日本国民に向けたメッセージ映像が放送される予定
代わりにアメリカから飛び込んできた映像はケネディがテキサス州ダラスにて暗殺された衝撃的なニュース
11/27
★
本博多郵便局が岩川町(現川口町)に移転、長崎北郵便局と改称。鉄筋コンクリート造3階建
→
12/01
☆
長崎北郵便局が開局
11/30
★
長崎県営バス、交通局本局庁舎及びバスターミナル「長崎交通産業ビル」が新築落成
交通局本局庁舎(2階)及びバスターミナル(1階・地階)
→
1968(昭和43)11/15
☆
幸町に本局用地として683.98平方米を買収
12/08
★
プロレスラーの力道山が暗殺される
12/09
★
浜市アーケードの全長360米余りがテラゾー(人造大理石)舗装される。九州では2番目
12/22
★
長崎県営バスが長崎駅前の長崎交通産業ビル1階バスターミナルからの運行を開始
12/
★
長崎バス(株)が長崎〜大阪・名古屋間に帰省バスの運行を開始
→
1975(昭和50)12/
☆
帰省バスの運行を中止
★
救急業務が消防の管轄任務となる
★
「長崎毎日新聞」が廃刊
★
長崎バス(株)の長崎旅行社(のち長崎バス観光と改称)が長崎バスに観光業務をひとつに統合
場所は常盤町の煉瓦造りの観光センター
→
1966(昭和41)10/22
☆
観光センターを廃止し茂里町の旧本社跡に貸切営業所を設立
★
明治期の佛蘭西ホテル「Hotel de France」跡地(孔子廟北隣の大浦33番A)に
長崎逓信病院
ができる
★
大村市で秋作からネットメロンの試作導入
★
若戸渡海組合から「くき丸」を購入。市営観光船「ながさき」として就航
★
県の交通会館とならんで長崎観光ビルが完成開業
全館鉄筋5階。和・洋・中料理の長崎の味ビルで、県内の特産品、九州の名産品を集めた「みやげ品のデパート」
地階食堂、1階観光みやげ品売場と無料休憩所、2階食堂と無料休憩所(250人)
3階特別室・応接室・乗務員控室、4階和室(200人)、屋上休憩所ガーデン
★
開発銀行総裁平田啓一郎の斡旋により藤田観光社長の小川栄一が紹介される
島原地元資本と藤田観光の提携で観光ホテルの設立が計画
→
1964(昭和39)09/
☆
総工費3億5千万円で
島原観光ホテル
が落成
社長・松尾滋吉、藤田観光の専務・小川邦夫が副社長に
→
1964(昭和39)10/05
☆
営業を開始
→
1967(昭和42)03/
☆
修学旅行、団体客のため新館「小涌園」を増設
島原外港の景勝の地に鉄筋4階建のスマートな姿を見せる
一般客約300人、団体客400人、学生約600人を収容。大浴場エデン風呂、自慢のプールは県外の利用者も
★
シーボルト史跡保存会により長崎県立長崎図書館に残っていた石膏型を使ってシーボルトの胸像が復元される
1938(大正13)に東京美術学校の水谷鐡也教授により作られた胸像は戦時中、金属供出のため失われる
★
県営バスが長崎空港−雲仙間直行バスの運行を開始する
★
聖フランシスコ結核療養所が聖フランシスコ病院に改名
→
1968(昭和43)10/
☆
宗教法人聖フランシスコ病院会として改組
★
国見町の淡島神社にミニ鳥居が建立
→
1983(昭和58)
☆
2つ目と3つ目の鳥居が設置される
全部通り抜けると、安産まちがい無しといわれる
3つの鳥居は石造りで、内側は縦横33糎、30糎、27糎と次第に狭くなり、産道に見立てている
★
岩屋町の長崎県立養護施設「向陽寮」寮長の餅田千代が婦人寮へ転勤
15年にわたる寮児との生活をひとまず終える
→
1968(昭和43)
☆
「光りと緑の園、長崎県立向陽寮」を改称、大村に移転。社会福祉法人として民営化
初代寮長は再任の餅田千代
★
池田義雄が食堂冨士野屋の後を継ぎ土産品屋を開業
食堂冨士野屋は明治の末、長崎駅前に平石某が創業
→
のち
☆
べっ甲、真珠に主力をおき「フジヤべっ甲・真珠店」に
★
千々石の雲仙食品がヨーグルト、ミルクコーヒー、なまジュースなどの飲料水部門を併営
★
南島原駅前の旅館幸利屋が経営をユースホステルのシステムにかえる
★
長崎魚市場の水揚げ高が全国第1位の22万2千瓲を誇る
★
人口39万5千人、9万8千世帯。住宅は1.02世帯に1戸
乗用車は177人に1台、ラジオは4.1世帯に1台、電話は5世帯に1台、映画は1人1年間に8回観る
★
雲仙に県国際観光会館が竣工
★
電気器具の普及率。テレビ90%、電気アイロン88%、電気釜76%、扇風機63%、
電気洗濯機58%、トースター52%、電気冷蔵庫45%、電気掃除機27%
▼
1964(昭和39)
【昭和】
甲辰(きのえたつ)
《総理大臣》
[第60代]第3次池田勇人内閣(→11/09)、[第61代]佐藤榮作(11/09→)
《知事》
[第43代(公選5代)]佐藤勝也
《市長》
[第21代]田川務
02/01
★
思案橋電停前の十八銀行思案橋支店ビルが竣工
02/01
★
長崎県営バスによる長崎市内遊覧バスの発着所が長崎交通産業ビル1階バスターミナルに変更
02/14
★
茂里町に(株)長崎衛生公社が創立
03/22
★
国道34号拡張のため桜町1番地の長崎商工会議所の旧所屋を解体(敷地は長崎市が買収)
大黒町の「長崎交通産業ビル」に新所屋完成
→
1976(昭和51)12/
☆
第16代会頭に清島省三が就任
03/26
★
浜屋デパート屋上に遊具のティーカップが登場。九州で2番目
03/31
★
東立神町188に桜谷公園(1200平方米)が、花園町2400-3にかめ焼公園(1053平方米)が開設
03/
★
捕鯨船が南極海から
皇帝ペンギン
を捕獲
→
1992(平成04)
☆
28年5か月の飼育記録を続けていた長崎水族館の皇帝ペンギン「フジ」が死亡
03/
★
長崎大学の水産学部で2代目練習船「長崎丸」(562.98総瓲)が竣工
初代目練習船「長崎丸」(103総瓲)は1952(昭和27)06/に竣工
→
1968(昭和43)03/
☆
実習船「鶴水」(19.95瓲〉が新造
04/01
★
西彼杵郡高島町に西浜町遊園公園(379平方米)が、同じく高島町に光町遊園公園(536平方米)が開設
04/01
★
交通事故にあった妊娠中の女性が病床に眠り続けたまま女児を出産。奇跡の出産として全国的に話題に
女性は交通事故のショックで脳自律神経が破壊され言語中枢が完全に麻痺し意識不明に
→
1972(昭和47)01/04
☆
8年間昏睡状態を続けていた長崎市の女性(33歳)が十善会病院で死亡
04/01
★
入江町(1世帯)、築町の一部(1世帯)、羽衣町(26世帯)、出島町(19世帯)、
末広町(45世帯)、千馬町(61世帯)、要町(29世帯)が合併し、出島町ができる
04/01
★
テレビワイドショー番組「木島則夫モーニングショー」がはじまる
04/08
★
長崎市北部の人口急増に応えるため、
長崎県立長崎北高等学校
が開校。1年生550人の入学式が挙行される
→
1993(平成05)12/11
☆
創立30周年を記念して、修学旅行の行先が中国・北京となる
以降、修学旅行は中国へ
04/20
★
香焼炭坑が閉山
04/
★
長崎大学の長崎分校が長崎大学教養部となる
05/01
★
NHK長崎放送局がFM放送を開始
05/01
★
中島グラウンドで第35回メーデーが開催。1万人が参加
大会宣言は「改憲を阻止し、働く者の勝利と平和と民主主義を守ろう」
小雨の中を魚市〜県庁〜岡政〜公会堂のコースを「鉄腕アトム」「げんこつ傘鉾」などを掲げて行進
05/16
★
市営陸上競技場にて第1回長崎市民体育祭が開催。参加者約5500人
05/27
★
毎日新聞で記録小説「黒部の太陽」の連載がはじまる
作者の木本正次は大坂毎日新聞社で報道部長、編集委員などを歴任し定年退職。在職中から小説を書きはじめる
→
09/19
☆
連載116回で最終回を迎える
05/
★
諫早に栄町アーケードが完成
06/01
★
三菱日本重工業(株)、新三菱重工業(株)、三菱造船(株)が合併
「
三菱重工業株式会社長崎造船所
」と改称。
06/03
★
県衛生部が長崎市立市民病院など市内病院6か所・診療所7か所の計13か所を救急病院に指定
06/04
★
38年度小中学生体格調査の結果、長崎市は胸囲・体重とも全国平均以下。全体にやせ型、細胸
06/12
★
長崎・上海・ウラジオストックの国際通信用海底電信線の撤去工事が始まる
06/16
★
13時01分41秒、新潟県粟島南方沖40粁を震源として
新潟地震
が発生
地震の規模はM7.5。サハリンから新潟沖へとつながる日本海東縁変動帯で発生した地震のひとつ
死者26人、家屋全壊1960棟、家屋半壊6640棟、家屋浸水1万5298棟
被害は新潟県、山形県、秋田県等日本海側を中心として9県に及ぶ
粟島は島全体が約1米隆起。日本海海岸では5〜20糎沈下する
家屋の全壊は新潟市、村上市、鶴岡市、酒田市など各地において発生
地震発生から約15分後には津波が来襲、新潟市では高さ4米に達する
07/01
★
全日空が大村〜羽田間の航路を開設
07/22
★
深堀遺跡の発掘作業が開始。約2500年前の縄文晩期の完全な人骨3体と石棺を発掘
07/
★
日本海員掖済会長崎病院が鉄筋コンクリート3階建の病院を建築、病床が63床となる
→
10/
☆
救急病院の指定を受ける
→
1974(昭和49)06/
☆
病棟の増築、旧病棟改造改装を行ない病床数が100床となる
07
★
合資会社「田中長一商店」が木枠窓に代わるアルミサッシの需要の拡大と相まって、不二サッシ販売(株)の代理店となる
→
1967(昭和42)
☆
日軽アルミニウム工業(株)、ユニテ(株)の代理店となる
08/01
★
市街地の青空駐車が禁止となる
08/10
★
市営交通船の大波止〜向島、大波止〜戸町航路を廃止
08/25
★
長崎県営バスが本原営業所用地として3208.58平方米を買収
→
1971(昭和46)03/28
☆
本原営業所が新築落成
08/28
★
米原子力潜水艦の佐世保寄港受け入れが受諾。政府により正式決定
→
09/
☆
佐世保と横須賀、あわせて9万人の集会が開催。反対運動は盛り上がりを見せる
→
11/12
☆
米原子力潜水艦「シードラゴン」が入港
09/04
★
長崎電鉄が全国初のカラー電車(広告電車)を運転。第1号はカネボウ号。車両は371号
09/08
★
大浦上田町の大浦劇場が火災により焼失。近隣10戸を全半焼。25世帯109人が被災
09/13
★
東京オリンピックの
聖火リレー
第1コースの聖火が島原外港に上陸
09/17
★
東京モノレールが浜松町駅〜羽田駅間に開業。途中駅はなし
国鉄の初乗り20円、タクシーの初乗り100円、週刊誌が50円の時代、運賃は片道250円、往復450円と高額
09/21
★
長崎市で異常渇水。ほぼ全域で給水制限を実施
09/
★
島原地元資本と藤田観光の提携により総工費3億5千万円で
島原観光ホテル
が落成
社長・松尾滋吉、藤田観光の専務・小川邦夫が副社長に
→
1964(昭和39)10/05
☆
営業を開始
10/01
★
夢の超特急
東海道新幹線
の東京〜新大阪が開業
東京〜新大阪を「ひかり」で4時間、「こだま」で5時間で結ぶ
10/01
★
長崎・宮崎〜京都の気動車特急「かもめ」が運転区間を長崎・西鹿児島〜京都に変更
→
1968(昭和43)10/01
☆
運転区間を長崎(博多経由)・佐世保(筑豊本線経由)〜京都に変更
10/05
★
島原地元資本と藤田観光の提携による
島原観光ホテル
が営業を開始
→
1967(昭和42)03/
☆
修学旅行、団体客のため新館「小涌園」を増設
島原外港の景勝の地に鉄筋4階建のスマートな姿を見せる
一般客約300人、団体客400人、学生約600人を収容。大浴場エデン風呂、自慢のプールは県外の利用者も
10/07
★
渡御。「長崎くんち」
→
10/09
☆
還御
(1)…麹屋町(川船)、銀屋町(本踊・奴道中)、西浜町(龍船・本踊)、
八幡町(剣舞・山伏道中)、[特別参加]諏訪町龍踊部会(龍踊)
*出場辞退…五島町、樺島町、本興善町、興善町、本博多町、大村町、平戸町
☆
瓊浦公園の踊り場は前日(招待)と後日(有料)
10/10〜24
★
第18回オリンピック東京大会が開幕。金メダルは16個
10/16
★
中国で最初の原爆実験に成功
→
10/17
☆
田川市長が中国政府に核実験の即時停止を要請
10/20
★
九州国際観光バス(株)が九州横断定期観光バスの運行を開始(長崎〜雲仙〜熊本〜別府12時間)
11/12
★
佐世保港に
米原子力潜水艦
「シードラゴン(2552瓲)」が入港。原潜の本土入港は初
午前08時55分、巡視船11隻とビーチクラフト機に誘導されて工作船エイジャックスに横付けされる
米軍は3日間の停泊を、乗組員の休養、飲料水・日用品の補給と発表
佐世保市原潜入港安全対策本部の船が海水を採取、放射能調査を行なう
激しい抗議集会が開かれデモ隊と機動隊が衝突。全学連300人が突破行動を決行、乱闘を繰り広げる
千尽埠頭では共産党が抗議集会を開きシュプレヒコールを繰り返す
→
11/13
☆
デモ隊と機動隊が衝突。楢崎弥之助社会党代議士が公務執行妨害の現行犯で逮捕される
→
11/14
☆
市中の騒ぎをよそに、ゆっくりと「シードラゴン」が出港
11/15
★
長崎〜東京のダイヤル自動即時通話となる
11/26
★
九州一のマンモス団地滑石地区新市街開発事業が起工
→
1965(昭和40)
☆
滑石団地に初めアパートが建つ
11/
★
好文堂新大工支店オープン
12/21
★
中央橋横に初の
有料トイレ
が設置。使用料1回10円
12/26
★
長崎原爆病院
が総合病院として認可される
→
1969(昭和44)04/01
☆
日赤へ移管
★
活水学院の新校舎が竹の久保の鎮西学院跡地に完成
★
長崎松竹映劇が火災に見舞われる
★
長崎バス(株)戸町営業所が廃止、小ケ倉営業所を開設
→
1971(昭和46)
☆
小ケ倉営業所が廃止
★
長崎観光開発が長崎水族館裏に海水浴場と遊園地を開設
★
江平町に株式会社みろく屋が創業。餃子の皮、ワンタンの皮、生ラーメン等の製造販売開始
→
1967(昭和42)
☆
長崎名物皿うどん製造に着手
→
1969(昭和44)
☆
長崎ちゃんぽんの製造に着手
★
川上弦雄が西北町の新築したばかりの自宅を改装して旅館楽山荘をはじめる
オリンピックで日本を訪れる外国人に日本座敷のよさを味わってもらいたいとの意向
ふつうの旅館とは異なった趣を持ち丹精込めて造られた庭園などにも細かい心遣いがなされる
★
小林屋旅館が筑後町の高台に鉄筋5階建の新館を建て移転。屋号を旅館小林に
新婚客むき、グループむき旅館として環境、設備を整える
小林屋は五島町で始まり玉江町に移り、今回、筑後町へ移転
廻送店の許可をもち上海航路の華やかなころは移民関係の旅館として栄え多いに繁昌した
★
小浜、北本町に鉄筋6階建の一角楼観光ホテルを竣工
→
1968(昭和43)08/
☆
旧館を解いて8階建800坪の建設を完成。「小浜観光ホテル」と改名
★
小浜の旅館うぐいすやが喜久屋を買収
→
1967(昭和42)
☆
鉄筋4階、一部木造として完成
★
恵美須町で旅館えび屋を営む小林重守が、船山某から上町の迎陽荘を譲り受けて経営。えび屋支店迎陽荘に
★
高島中学校が最高在籍生徒数約1700名を記録
→
1986(昭和61)11/27
☆
炭鉱閉山等により生徒数が激減
★
ビクターからつくば兄弟の歌による「長崎の龍踊りばやし」が発売される
作詞は島内八郎、作曲は木野普見雄
作詞の島内八郎は長崎市立博物館の学芸員で長崎歌壇の元老格
作曲の木野普見雄は長崎日日新聞の記者から市役所に入り、議会事務局長、監査委員のほか数々の文化団体の役職を兼ねる
★
出島の税関前で旅館はるみ荘を営んでいた伊藤はるえが麹屋町に鉄筋4階建(屋上展望、ガーデン)を新築移転
屋号を旅館はるみに
移転先が麹屋町に決まるまで6年、中心部に近く便利で閑静な場所を物色
公会堂に近く中島川畔の条件は常連客が大半を占めるはるみ荘にぴったりに
★
九州商船の島原外港と三角を結ぶ航路にカーフェリーの運航を開始
→
1975(昭和50)頃
☆
毎日10数往復、年間の利用客は125万人にのぼる最盛期に
★
アメリカン・プレジデント・ラインズ定期観光船の長崎寄港が定期化。ルーズベルト号が寄港
★
市の職員総数3377人、市議会議員48人
★
輸出高がピーク。255億円
★
長崎駅の輸送人員が1955(昭和30)の589万7千人から271万4千人と半減
★
ミロのヴィーナスがルーヴル美術館を出て海外へ渡る。京都と東京での特別展示の一度のみ
▼
1965(昭和40)
【昭和】
乙巳(きのとみ)
《総理大臣》
[第61代]佐藤榮作
《知事》
[第43代(公選5代)]佐藤勝也
《市長》
[第21代]田川務
01/27
★
五島、有川町で佐田の山の横綱昇進に沸き返り、町民挙げてのパレードが繰り広げられる
実家前では紙吹雪で歓迎。有川中学校ブラスバンドを先頭に町民旗行列は3千人が参加
1956(昭和31)
☆
初土俵を踏む
1961(昭和36)01/
☆
入幕。05/
☆
平幕優勝
1962(昭和37)03/
☆
「平幕優勝は大関になれない」のジンクスを破り、関脇で大鵬に勝って優勝、大関となる
1965(昭和40)01/
☆
1月場所で3度目の優勝を飾る。01/26
☆
50代目の横綱に昇進
のち
☆
柏鵬時代に柏戸を上回る6回の優勝を記録
1968(昭和43)
☆
3月場所で高見山に破れ、潔く引退、出羽の海を襲名
02/05
★
ビートルズのレコードが日本で初めて発売される
東芝音楽工業オデオン・レーベル「抱きしめたい(I Want To Hold Your Hand)」OR-1041
当初、「プリーズ・プリーズ・ミー」を日本ではビートルズのデビュー曲に決めていた
しかしアメリカの熱狂振りから急遽「抱きしめたい」を第1弾シングルに変更する
当時のレコード番号は「プリーズ・プリーズ・ミー」の方が若い(OR-1024)
「抱きしめたい」はビートルズのイギリスにおける5枚目のシングルレコード発売曲
03/18
★
愛知県犬山に名古屋鉄道が博物館
明治村
を開村
名古屋鉄道が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助・基金拠出し、犬山市の入鹿池のほとりにオープン
西郷従道邸(重要文化財)、学習院長官舎、品川燈台(重要文化財)、菅島燈台付属官舎(重要文化財)、
名古屋衛戍病院(愛知県有形文化財)、聖ヨハネ教会堂(重要文化財)、森鴎外・夏目漱石住宅(旧東京都旧跡)、
札幌電話交換局(重要文化財)、歩兵第6連隊兵舎、三重県庁正門(昭52、解体保管)、東松家住宅(重要文化財)、
第4高等学校物理化学教室、東山梨郡役所(重要文化財)、安田銀行会津支店、二重橋飾電燈が移設される
03/18
★
ソ連がウォスホート2号を打ちあげ地球を17周して帰着
途中乗組員のアレクセイ・レオーノフが5米の命綱をつけて人類初の宇宙遊泳を24分間にわたり行なう
03/31
★
長崎市立高校が金屋町から栄町の市立長崎幼稚園跡地に完成
03/31
★
花園町2400-5に花園公園(1858.21平方米)が、扇町2400-3に扇町公園(1781平方米)が
扇町2400-1他に末広公園(6849平方米)が、立岩町2400-1他に立岩公園(2200平方米)が
愛宕3丁目791-1他に白糸公園(1854平方米)が、賑町5-100に中央公園(3142平方米)が開設
03/
★
西彼杵郡多良見町市布名〜長崎市昭和町間の長崎バイパス(一般国道34号長崎バイパス)が起工
全長11粁余。総工費24億6千万円。当初は2車線
→
1967(昭和42)11/
☆
供用開始
→
のち
☆
拡幅されて4車線に
03/
★
野母商船が貨客船「太古丸」(200瓲)を建造、博多〜青方(上五島)〜福江の航路に就航
04/01
★
旭町の第1市営公益質屋が廃止。玉園町の第2市営公益質屋を市営公益質屋と改称
→
1966(昭和41)03/30
☆
玉園町の市営公益質屋が廃止
04/01
★
道路法改正によって一級、二級の別がなくなる
一般国道35号(佐賀県杵島郡武雄町 - 長崎県佐世保市)となる
一般国道57号(大分県大分市 - 長崎県長崎市)となる
04/01
★
北高来郡飯森村に町制が敷かれ飯森町となる
→
1966(昭和41)11/01
☆
北高来郡小長井村に町制が敷かれ小長井町となる
04/03
★
踏切道改良促進法の指定を受け
稲佐踏切
が地下道立体交差に
延長200米、幅員17.2米、総工費3億7700万円
04/14
★
大浦川、松ケ枝〜弁天橋の長さ90米、幅員19米に大型駐車場が一応完成
観光バスに無料開放される。収容22台
04/08
★
長崎市政はじまって以来の水不足に
浦上水系は2日3時間の給水制限を実施
低水圧の高台の住民が低地で開放水道水を汲むと、低地の住民から「自分たちの水だ」と拒絶される
04/24
★
ベトナムに平和を!市民文化団体連合(ベ平連)が初のデモ行進
04/
★
個人経営の西海建設が組織変更し株式会社長崎西海建設に
→
1971(昭和46)09/
☆
本社を長崎市樺島町6番5号に移転
05/05
★
長崎市立浪平小学校の旧校舎が解体、整地作業着工。08/24完了
→
1973(昭和48)05/11
☆
体育館建設工事が完了
05/16
★
青函連絡船第2代「大雪丸」就航(全長132米、総瓲5376瓲、最大速力21.2節)
運行要員53人、旅客定員1140人、 搭載車両数/ワム型48両
→
1988(昭和63)01/06
☆
第2代「大雪丸」終航
→
1988(昭和63)04/09
☆
売却先の東京ホテルシップ(株)に引き取られ母港函館を去る
→
1993(平成05)
☆
神奈川県横浜市鶴見区の日本鋼管ドッグに留置される
→
1996(平成08)05/01
☆
ハヤシマリンカンパニー社が「大雪丸」を購入し長崎港へ回航する
→
1996(平成08)09/29
☆
長崎港内(長崎市小曽根町)で船上ホテルシップ「ヴィクトリア」として第2の人生を出航する
→
2004(平成16)
☆
ハヤシマリンカンパニーの経営が破たん
米投資ファンドのローンスター・グループ傘下、東京の大手ホテルチェーンのソラーレホテルズアンドリゾーツが営業を引き継ぐ
→
2005(平成17)12/20
☆
船上ホテルシップ「ヴィクトリア」の営業を終了
係留場所の海底にたまった土砂の影響で客室が揺れるなど苦情を受け、惜しまれながら閉鎖
→
2006(平成18)03/末
☆
所有権が船舶業のイーストに移る
→
2007(平成19)03/
☆
所有が新長ドックに移る
→
2008(平成20)05/02
☆
船舶修理業の新長ドックから中国の船会社に売却され長崎港を出港
売却金額は未公表
05/
★
東芝からデュークエイセスの歌で「オランダ坂をのぼろう(TP1091)」が発売される
作詞は永六輔、作曲はいずみたく
レコード大賞の企画賞、特別賞に輝いたLP「にっぽんのうた」に収録
06/04
★
西海町営船が弁天丸を月3万円で借用運航
→
1966(昭和41)07/01
☆
羽衣丸(76瓲、180人)を400万円で購入
06/06
★
日本サッカーリーグが発足。全国的スケールのA級リーグはサッカー界で初めて
8チームが参加しホーム・アンド・アウェーの総当たり2回戦制で競う
参加チームは古河電工、日立製作所、三菱重工業、豊田自動織機、
名古屋相互銀行、ヤンマーディーゼル、東洋工業、八幡製鉄
→
1991(平成03)11/01
☆
社団法人日本プロサッカーリーグ「Jリーグ」が正式に発足
→
1992(平成04)03/29
☆
日本サッカーリーグが最終節をもって廃止となる
06/
★
島原港湾の大手入海の旅館有明館が観光客の増加にともない増築
→
1969(昭和44)03/
☆
秩父が浦の高台に鉄筋6階建、収容力300人を越える島原グランドホテルが落成オープン
07/01
★
名神高速道路の西宮から小牧までの全線191粁が開通
07/05
★
東京・八重洲ビル街にオール自動販売機食堂が開店
07/10
★
滑石団地(現大園町)に初めてアパートが建つ。831世帯、3626人が入居
07/
★
長崎文献社が設立
08/05
★
西彼杵郡三和町宮崎に木場運動公園(2619平方米)が開設
08/11
★
帝人が膝上10糎のスカート「テイジンエル」を発売、日本国内でのミニスカートのはじまり
08/
★
出来大工町にあった千日劇場が都市計画の道路拡張により丸山町に移転、丸山千日劇場となる
08/
★
多田英雄の雲仙に旅館普賢荘が江星館に改名
→
1968(昭和43)
☆
鉄筋5階建の新館を落成。ホテル山水と改称
09/02
★
朝7時。長崎水族館にてオウサマペンギンのぺん吉とぎん子との間にヒナがかえる
日本初のオウサマペンギンのふ化に成功
09/24
★
全国の主要152駅と日本交通公社の83か所の営業所にみどりの窓口が開設される
みどりの窓口はマルス端末が設置されるJR線、JRバスの乗車券類(乗車券・特急券・指定券など)を発券する窓口
マルスは、旧国鉄・JRグループの座席指定券類の予約・発券のためのコンピュータシステムのこと
それまで東海道新幹線や特急列車など優等列車の指定券や寝台券は列車ごとの台帳で管理
空席照会や予約は窓口から台帳の保有駅や統括する乗車券センターへ電話連絡
指定券の発行に1〜2時間待ちの状況に陥ることや、同一座席の重複販売することも
09/
★
三菱重工業株式会社長崎造船所が立神に30万重量瓲ドック2基(建造用、修繕用)を竣工
10/01
★
全日空が長崎−大阪線の運航を開始
10/01
★
寝台特急「
さくら
」が肥前山口で分割、長崎・佐世保〜東京の運転に
→
2000(平成12)03/11
☆
佐世保発着が廃止、寝台特急「はやぶさ」との併結運転となる
「さくら」は43レ・44レに
10/01
★
長崎・西鹿児島〜新大阪に客車特急「あかつき」1往復が20系客車で新設される
→
1968(昭和43)10/01
☆
2往復に増設。新設は西鹿児島・佐世保〜新大阪
→
1972(昭和47)03/15
☆
3往復に増設。新設は熊本・長崎〜新大阪
→
1972(昭和47)10/02
☆
4往復に増設。新設は熊本〜新大阪
→
1973(昭和48)10/01
☆
6往復に増設
西鹿児島・長崎〜新大阪=2往復、西鹿児島〜新大阪=1往復、長崎〜新大阪=1往復
長崎・佐世保〜新大阪=1往復、佐世保・大分〜新大阪=1往復「彗星」と併設
→
1974(昭和49)04/25
☆
7往復に増設
西鹿児島・長崎〜新大阪=1往復、西鹿児島〜新大阪=2往復、長崎〜新大阪=1往復
熊本〜新大阪=1往復、長崎・佐世保〜新大阪=1往復、佐世保・大分〜新大阪=1往復「彗星」と併設
→
1975(昭和50)03/10
☆
3往復に減少
長崎本線が「あかつき」、鹿児島本線が「明星」に整理される
長崎・佐世保〜新大阪(大阪)=1往復、熊本・長崎〜新大阪=往復「明星」と併設
佐世保・熊本〜新大阪(大阪)(筑豊本線経由)=1往復「明星」と併設
→
1978(昭和53)10/02
☆
4往復。佐世保・長崎〜大阪(新大阪)=2往復、長崎・佐世保〜新大阪(大阪)=2往復
佐世保発着が4往復ともに筑豊本線経由
→
1984(昭和59)02/01
☆
3往復。長崎・佐世保〜新大阪=2往復、西鹿児島・長崎〜新大阪=1往復「明星」と併設
→
1985(昭和60)03/
☆
筑豊本線経由が廃止
→
1986(昭和61)11/01
☆
1往復。長崎・佐世保〜新大阪
→
1991(平成03)03/
☆
関西口の新大阪発着が京都発着に
→
1992(平成04)03/14
☆
1往復。長崎・佐世保〜京都
→
2000(平成12)03/11
☆
1往復。長崎・南宮崎〜京都「彗星」と併結
→
2005(平成17)10/01
☆
1往復。長崎・熊本〜京都「なは」と併結
→
2008(平成20)03/15
☆
廃止となる
10/07
★
渡御。「長崎くんち」
→
10/09
☆
還御
(2)…丸山町(本踊)、新大工町(曳壇尻)、新橋町(阿蘭陀万才)、
賑町(唐獅子踊)、諏訪町(龍踊)、榎津町(川船)
*出場辞退…西古川町、金屋町、本紙屋町、磨屋町、今町
☆
中日の傘鉾の庭先廻りが廃止
☆
還御の順路 県庁坂〜中央橋〜鉄橋〜アーケード街〜鍛冶屋町〜銀屋町(休憩)〜中通り〜新大工町〜還御
10/
★
五島町で丸田屋旅館の経営をしていた小田タヅ子が筑後町にホテル天望閣を建てる
→
のち
☆
均一料金で評判をとり駅前高台という利の地を占め、いちやく長崎の旅館業界に名を連ねる
→
のち
☆
マネージャーに小川光彦を迎え経営を軌道に乗せる
小川光彦は交通公社15年のキャリア。また長崎市の第2代観光課長として戦後の長崎市の観光づくりに多いに働く
→
のち
☆
東京の目黒雅叙園、京都の平野家など一流の店で働いたベテラン川副某を調理場に入れる
10/
★
小浜町営の国民宿舎望洋荘(小浜温泉センター)がはじまる
温泉を中心とした休憩、宿泊所で男女別の大浴場、休憩室。屋上に露天風呂を設備
小浜町と特別事業として独立会計
11/08
★
午後11時日本テレビとよみうりテレビの交互製作の「11PM」の放送が開始
「11PM」は日本初の深夜のワイドショー番組
→
1990(平成02)03/30
☆
視聴率の低迷などの要因により24年5か月の放送にピリオドを打つ
11/09
★
長崎駅前に県下初の
横断歩道橋
を起工
→
1966(昭和41)02/07
☆
長崎駅前に長崎県下初の歩道橋、
長崎駅前歩道橋第1線
が完成
→
1969(昭和44)06/10
☆
長崎駅前高架広場の完工落成式が行なわれる。別の歩道橋もできる
南北76米・東西24米、総工費3億4200万円、高架広場は全国初
→
1992(平成04)
☆
長崎駅前第2歩道橋の長崎駅前と大黒町にエレベータが設置される
11/12
★
長崎県立美術博物館
の落成式が行なわれる
→
2002(平成14)12/
☆
閉館
11/23
★
西彼杵郡多良見村に町制が敷かれ多良見町となる
→
1969(昭和44)01/01
☆
西彼杵郡西彼村に町制が敷かれ西彼町となる
西彼杵郡西海村に町制が敷かれ西海町となる
西彼杵郡琴海村に町制が敷かれ琴海町となる
西彼杵郡長与村に町制が敷かれ長与町となる
12/
★
長崎市が南山手の旧リンガー(弟)邸を1800万円で買収
→
1966(昭和41)10/01
☆
一般に開放
12/
★
大洋漁業株式会社長崎支社が旭町8番23号の大洋ビルに移転
★
西浜町62番地の洋画封切館「富士館」が東宝富士館となる
→
1977(昭和52)06/10
☆
長崎ステラ座がオープン(1スクリーン、374席)
イタリア語で「星」を意味する館名のステラ座は一般公募
最初の上映作品は「サスペリア」
同時にファッションショップがオープン
★
長崎万屋町郵便局が開局
★
網場町の長崎造船短大が長崎造船大学と改称
→
1978(昭和53)07/05
☆
名称が実情にあわないと長崎総合科学大学に改称
★
信徒発見100周年を記念して、大浦天主堂境内の階段まん中付近左側に「信徒発見記念の碑」のレリーフが設置される
★
中島栄三が島原市内にやまなみ製菓を創業。高島町に工場を建て約40人の従業員をもつ
→
のち
☆
熊本、阿蘇、別府、天草、雲仙、長崎、平戸へと販路を伸ばす
中島栄三は1899(明治32)、熊本の玉名に生まれる。12才のときから煎餅の修業、15才で1人前の職人に
のち、高松のくつわ堂、神戸の菊水堂、博多の梅月堂や東京、関西、九州、四国の老舗をまわり腕に磨きをかける
長崎の唐人煎餅、久留米のおでん煎餅などは、講師として各地をまわった若いころに指導
大牟田で戦災をうけ、郷里に帰り玉名の名物「助六巻き」を創始
1963(昭和38)08/みやこ煎餅の創立に工場長として加わり美弥光製菓の創業に寄与
★
松浦伊佐子が1958(昭和33)旅館に転業したつたやを譲り受け、旅館京屋として経営をはじめる
京屋は丸山の中でも群を抜いて以前の面影をとどめる旅館。良心的な経営方針と家族的な雰囲気を持ち親しまれる
→
のち
☆
裏に鉄筋3階建の新館を増築。会社関係を主に一般団体、学生団体を受ける。豚の角煮が独特
★
政府登録ホテルの雲仙の有明ホテルが株式会社有明ホテルとなる
→
1968(昭和43)12/
☆
隣接地のみどり屋ホテルを買収し、別館として落成
室数116、冬季は全館スチーム暖房、渓流に望む一大ホテルとなる
★
樺島町にある港温泉が港洋館を新築
★
諫早に農林省長崎干拓事務所が設置。干拓事業に本腰が入れられる
★
中尊寺の金色堂
が鉄筋コンクリート造の覆堂(さやどう)内のガラスケースに納められる
外気と遮断。24時間体制で温度・湿度が調整される
▼
1966(昭和41)
【昭和】
丙午(ひのえうま)
《総理大臣》
[第61代]佐藤榮作
《知事》
[第43代(公選5代)]佐藤勝也(→03/01)、[第44代(公選6代)]佐藤勝也(03/02→)
《市長》
[第21代]田川務
02/01
★
国宝
大浦天主堂
の礼拝堂が拝観料を取り一般に公開される
大人20円、中高校生15円、小学生と子供10円、30人以上の団体は各5円引き
02/07
★
長崎駅前に長崎県下初の歩道橋、
長崎駅前歩道橋第1線
が完成。長崎駅前電停とつながる
→
1969(昭和44)06/10
☆
長崎駅前高架広場の完工落成式が行なわれる。別の歩道橋もできる
南北76米・東西24米、総工費3億4200万円、高架広場は全国初
→
1992(平成04)
☆
長崎駅前第2歩道橋の長崎駅前と大黒町にエレベータが設置される
02/
★
川下勇男の長兄川下正男ニューホテル中央荘の戸野本得蔵が中心となり長崎修学旅行旅館協議会が生まれる
23軒の旅館が集まり修学旅行の宿泊受け入れに万全を期すために結成
宿泊料の協定、旅館側の環境衛生、従業員のサービスなど、学生の受け入れにふさわしい体制を整えるために発足
03/20
★
NHK長崎放送局が県下全域で総合・教育テレビのカラー放送を開始
03/31
★
西彼杵郡外海町大字黒崎下黒崎郷に大城公園(1万7926平方米)が開設
03/
★
島鉄タクシー株式会社設立
03/
★
豪華国際観光船「キャンベラ号」が長崎に初入港
04/01
★
玉園町の市営公益質屋が廃止
04/01
★
長崎大学の学芸学部が教育学部に、学芸専攻科を教育専攻科に改称
04/01
★
国立学校設置法の一部を改正する法律(昭和40年法律第15号)により長崎大学に
工学部
が新設される
機械工学科、電気工学科(入学定員各40人)が設置
→
1979(昭和54)10/
☆
長崎大学に
歯学部
が新設される
04/15
★
県の民鳥に「オシドリ」が、県の民獣に「九州シカ」が指定
04/
★
「
長工醤油味噌有限会社
」が長工醤油株式会社へ組織変更
→
1973(昭和48)10/
☆
チョーコー醤油株式会社(販売)へ社名変更
05/12
★
前年の母子健康法成立をうけ母子手帳が改善される。「母子健康手帳」に
「妊婦は自ら進んで母子保健に関する知識の習得ならびに母性及び乳幼児の健康の保持増進につとめる」
従来の消極的な姿勢から妊娠、出産、育児を自主的なものに変換しようという風潮に従ったもの
→
のち
☆
医学的に細かい記載が多くされるような形になる
→
のち
☆
妊婦(母親)の自主的な記録欄が増え、母と子の健康記録としての性格が強化される
06/26
★
日本で初めてのオリエンテーリング大会が東京の高尾山で開催される
オリエンテーリングは野外スポーツの一種
地図とコンパスをたよりにチェックポイントを順番にたどってゴールするまでの所要時間を競う
オリエンテーリングの語源はドイツ語の「Orienterungs Lauf(方向を定めて走る)」
06/30
★
ザ・ビートルズが来日。日本武道館にて日本公演を開催
主催は読売新聞社と中部日本放送。06/30は夜のみ、07/01、02は昼と夜の各2回公演
(入場料金) A席2100円、B席1800円、C席1500円 。警備の都合上アリーナ席はなし
司会はE・H・エリック 前座は尾藤イサオ、内田裕也、望月浩、桜井五郎、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、
ブルージーンズ(寺内タケシは脱退直後のため出演せず)、ザ・ドリフターズ(06/30、07/01のみ)
ザ・ドリフターズは仲本工事をボーカルに「のっぽのサリー」を40秒ほど歌い早急に舞台からかけおりる
舞台の袖でビートルズとすれ違う
06/
★
南山手25番館[1889(明治22)築・香港上海銀行長崎支店長社宅
→
現空家]が
愛知県犬山市の明治村に移築のため解体。約37万3千円で売却
→
1967(昭和42)02/14
☆
明治村で復元。九州から明治村入りした第1号の建物
07/09
★
第24回国体長崎県開催決定
→
1969(昭和44)
☆
第24回国民体育大会「長崎国体」が開催
09/07
→
長崎国体夏季大会がスタート
10/26
→
第24回長崎国体秋季大会が県立総合運動公園陸上競技場で開会
07/01
★
西海町営船が羽衣丸(76瓲、180人)を400万円で購入
→
1970(昭和45)04/08
☆
せがわ丸を3192万円で建造。第5瀬川丸を30万円で売却
07/10
★
第3種空港「壱岐空港」が供用を開始。滑走路1200×30米
08/
★
株式会社橋本商会が油屋町に地上5階地下1階の総合ビルを建設
→
1976(昭和51)12/
☆
長崎市目覚町に地上4階建の橋本有料駐車場をオープン
09/07
★
明星食品が「街の味」をキャッチフレーズに「明星チャルメラ85g」を作る
キャラクターとして
チャルメラおじさん
が登場。イラストレータ木村しゅうじの作
それまで即席めんのパッケージでイラストが中心に商品はなかい
東京で評判の高い10店を選び3日間で食べ歩き神田小川町「粋香苑」のラーメンをモデルとして開発
17円で試食セールのあと定価30円で販売。ホタテ味のしょうゆスープに胡麻の小袋付き
09/12
★
小江原第一団地(総面積約5万5520平方米)のうち147区画が一般に分譲
1区画の広さ約200〜265平方米、分譲価格1平方米あたり最高3700円、最低2400円
→
1974(昭和49)11/
☆
第二団地が分譲。101区画に1698人の申込み、15.4倍の競争率となる
09/20
★
九州急行バス(株)の
九州号
が長崎〜福岡に1日6往復の運行を開始
所要時間4時間13分。当時、高速道路はなく国道3号線〜34号線を走行
09/
★
長崎で新卒者求人求職懇談会が開催される
10/01
★
東洋美装店が長崎松竹映画劇場跡に完成した地下1階から地上8階建の6階までを
S東美
と改称し開店
7、8階は長崎松竹映画劇場
→
2002(平成14)02/末
☆
長崎松竹映画劇場が閉館
10/01
★
国鉄長崎本線の喜々津〜大草に東園駅が開業
10/01
★
国鉄が長崎〜東京市場、長崎〜大阪市場に高速鮮魚列車を運行
時速100瓩走行で東京市場でのセリは4日目売りが3日目売りに
10/07
★
渡御。「長崎くんち」
→
10/09
☆
還御
(3)…鍛冶屋町(宝船)、油屋町(本踊)、元船町(唐船祭)、
[特別参加]新橋町(おらんだ万才)、[特別参加]本籠町(龍踊)
*出場辞退…寄合町、今籠町、万才町、新豊後町、東中町、西中町、下筑後町、外浦町
10/15
★
南山手の旧リンガー(弟)邸を一般に開放
10/22
★
長崎バス(株)の本社が茂里町整備工場敷地内から新地町に移転
本社事務所を含む
長崎バスターミナルビル
が完成。資本金7億8千万円に増資
大波止営業所が廃止に
10/22
★
長崎バス(株)の常盤町観光センターを廃し茂里町の旧本社跡に貸切営業所を設立
→
1972(昭和47)07/
☆
貸切営業所を滑石に新築移転
10/22
★
長崎バス(株)の常盤町観光センター跡に常盤町営業所として昇格開設
10/31
★
喜々津〜浦上の長崎新線が待望の起工式にこぎつける
→
1972(昭和47)10/02
☆
85億円の工費と6年の歳月を要して、喜々津〜浦上間に国鉄長崎本線新線が開通
市布駅、肥前古賀駅、現川駅が開業
新線の開通により在来線より6.7キロ短縮され、勾配も緩和される
在来線と合わせて複線化されたことになり輸送力は大幅に増強され、スピードアップ
10/
★
雲仙の旅館芳仙館が十八銀行の融資で3億円をかけてリニューアル
芳仙館は1921(大正10)、千々石生まれの黒田清蔵が雲仙の上田屋を買って改名
11/01
★
北高来郡小長井村に町制が敷かれ小長井町となる
→
1969(昭和44)04/01
☆
北高来郡森山村に町制が敷かれ森山町となる
11/09
★
県警察学校が油屋町から小江原町に移転、新築校舎ができる
11/16
★
中川2丁目〜伊良林1丁目の伊良林小学校前に新中川歩道橋が創設
国道34号と路面電車の新中川町電停をまたぐ
階段段数は桜馬場中学側歩道35段、蛍茶屋方面電停・新大工町電停方面ともに38段、
伊良林小学校側歩道へ橋から踊り場まで15段、踊り場から蛍茶屋方面19段、踊り場から新大工町方面22段
11/25
★
県の花木に「ツバキ」が、県の材木に「ヒノキ」が指定
12/13
★
浦上駒場町の長崎市営競輪場のレースが諸般の事情から休止
12/21
★
「長崎放送(
NBC
)」がテレビのカラー放送を開始
12/28
★
長崎市都市公園改正条例公布施行により唐八景公園と住吉公園が新設
12/31
★
フジテレビ系の手塚治虫原作「
鉄腕アトム
」のアニメが193話「地球最大の冒険」で最終回を迎える
12/
★
小浜の旅館恵比須屋を佐藤直吉が増築する
★
いざなぎ景気 日本の人口が一億人を突破
★
茂木ビーチホテル
がホテル廃業。後は大長崎建設の寮に
→
1981(昭和56)
☆
大長崎建設が倒産後、解体
★
伊万里に「伊万里玉屋」が開店
★
早川電機工業が平戸市南部の御神島(のち尾上島)灯台に電池容量が225Wの太陽電池を設置。世界最大出力
早川電機工業は太陽電池の研究も先駆的に着手
早川電機工業は1912(大正01)09/15日 創業で、のち改称しシャープ株式会社に
→
のち
☆
灯台への太陽電池の設置は、常に安定して電力を供給、無人化に貢献する
★
ユースホステル「オランダ館」が東山手町にオープン
★
愛宕町に愛宕自動車学校ができる
→
のち
☆
星取町に移転
★
福岡大博覧会が開催される
★
酒井静男が伊藤譲の岩見屋タクシーを譲り受け小浜観光タクシーを創業
酒井静男の兄、酒井隆義は1962(昭和37)に小浜温泉タクシーを創業
★
島原、霊南町の料亭待月が新築
料亭待月は、もともと1926(昭和01)、霊南橋際に創業した料亭伊万里家
屋号の由来は座敷から見る海の月の出が美しいため。ふぐ料理、鯛茶漬、茶碗蒸しを名物として評判に
★
竹の久保町〜茂里町を結ぶ梁川橋が鋼弦コンクリート造に架け替え
→
1995(平成07)03/24
☆
都市計画道路の改良事業で本格的に架け替え。ゆったりとした幅5米の歩道ができる
★
大村市の鈴田川河口付近に63.9米の三鈴橋が架かる
★
金屋町の旅館白竜荘が、別館増築と同時に経営が2代目田崎清竹に移る
田崎清竹は高校卒業後、料亭千石で料理の修業をし、熊本のつかさ本店、尼崎の料亭辰巳で腕を磨く
旅館、料亭の経営を実地に学び、基礎を身に付けて白竜荘の経営を継ぐ
★
愛宕町の
長崎御苑
の売却資金をもとに日昇観光株式会社が設立。観光事業に乗りだす
→
1967(昭和42)04/
☆
筑後町に鉄筋地下1階、地上6階、7階に庭園展望台を持つホテル日昇館が落成
★
川下勇男の長兄川下正男が次兄川下勇男と南山手観光株式会社を設立
川下勇男の長兄川下正男は1958(昭和33)、長崎ビル1階名店街にみやげ品店「出島」を開店
→
1968(昭和43)
☆
長崎ビル2階に合名会社出島をオープン
民芸工芸品、三彩焼、博多織、博多人形、一般土産品等の販売
★
小浜でよし川旅館を経営する吉川義盛が旅館清水屋を買取り増設して小浜荘に改名
★
長崎県営バスがこの年より5年間にわたり自主再建に取り組む
→
1978(昭和53)
☆
7年間にわたり自主再建に取り組む
▼
1967(昭和42)
【昭和】
丁未(ひのとひつじ)
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