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〈昭和時代(12)〉

1955(昭和30)【昭和】 乙未(きのとひつじ)

  《総理大臣》[第52代]鳩山一郎(→03/19)、[第53代]第2次鳩山一郎内閣(03/19→11/22)
        [第54代]第3次鳩山一郎内閣(11/22→)
  《知事》[第40代(公選2代)]西岡竹次郎(→05/05)、[第41代(公選3代)]西岡竹次郎(05/06→)
  《市長》[第18代]田川務(→04/13)、[第19代]田川務(05/02→)

  01/01長崎市の第5次市域拡張により西彼杵郡福田村と深堀村を市域に編入
     114.23平方粁、戸数6万4231世帯、人口29万2765となる[1955(昭和30)01/31現在]
     福田村21.47平方粁、992世帯、5431人(男2641・女2790)
     深堀村21.8平方粁、1222世帯、6097人(男3026・女3071)
     [拡張区域は1954(昭和29)03/31現在]
     1955(昭和30)02/01長崎市の第6次市域拡張により西彼杵郡日見村を市域に編入
     121.32平方粁、戸数6万4988世帯、人口29万6323となる[1955(昭和30)02/28現在]
     日見村7.09平方粁、666世帯、3462人(男1736・女1726)
  01/01西彼杵郡深堀村と福田村が長崎市に編入される
     02/01西彼杵郡日見村が長崎市に編入される
  01/01北松浦郡中野村、獅子村、紐差村、中津良村、津吉村、志々伎村と平戸町が合併し平戸市となる。長崎県下で7番目に市政を施行
     03/31北松浦郡新御厨町、志佐町、調川町が合併し松浦市となる
  01/01上県郡豊崎町と琴村が合併し上対馬町となる
     04/15仁田村と佐須奈村が合併し上県町となる
  01/07マイカー時代の到来の象徴としてトヨペットクラウンが登場。価格はデラックスで98万9千円
  02/01長崎市の第6次市域拡張により西彼杵郡日見村を市域に編入
     121.32平方粁、戸数6万4988世帯、人口29万6323となる[1955(昭和30)02/28現在]
     日見村7.09平方粁、666世帯、3462人(男1736・女1726)
     1962(昭和37)01/01長崎市の第7次市域拡張により西彼杵郡茂木町と式見町を市域に編入
     165.41平方粁、戸数8万9692世帯、人口37万2027となる[1962(昭和37)01/31現在]
     茂木町34.30平方粁、2661世帯、1万4272人(男6983・女7289)
     式見村9.79平方粁、1404世帯、8048人(男3949・女4099)
     [拡張区域は1960(昭和35)12/31現在]
  02/01西彼杵郡日見村が長崎市に編入される
     02/11西彼杵郡矢上村と北高来郡古賀村、戸石村が合併し東長崎町となる
     西彼杵郡多以良村、瀬戸町、雪浦村、松島村が合併し大瀬戸町となる
     西彼杵郡神浦村、黒崎村が合併し外海村となる
     西彼杵郡為石村、川原村、蚊焼村が合併し三和町となる
     西彼杵郡伊木力村と大草村と喜々津村が合併し多良見村となる
  02/11平和公園の一角に地下1階、地上6階鉄筋コンクリート建の長崎国際文化会館の落成式が行なわれる
     長崎国際文化都市建設事業記念施設のひとつとして建つ
     総工事費1億6799万余円。国が9分の6、県が9分の1、市が9分の2を負担
     本館・鉄筋コンクリート造で地上6階、地下1階。延床面積は約2500平方米
      1階はホール(休憩室)、2階会議室、3・4階は市立博物館で、5階が原爆資料室、6階は食堂
      3・4階の市立長崎博物館は馬町から移転
      唐蘭貿易、切支丹、長崎美術、黄檗宗関係の資料が陳列され、長崎の歴史と美術を物語る
      5階の原爆資料は、1949(昭和24)05/に爆心地付近に開設した、六角形の原爆資料館に保管の資料を移す
     付属講堂・鉄筋コンクリート造で延床面積は約1000平方米
      800人分の座席があり映画演劇の装置を完備
     プールを有する美しい庭園も備わる
     設計は早稲田大学教授の佐藤武夫
     1955(昭和30)04/01開館
  02/11西彼杵郡矢上村と北高来郡古賀村、戸石村が合併し東長崎町となる
     西彼杵郡多以良村、瀬戸町、雪浦村、松島村が合併し大瀬戸町となる
     西彼杵郡神浦村、黒崎村が合併し外海村となる
     西彼杵郡為石村、川原村、蚊焼村が合併し三和町となる
     西彼杵郡伊木力村と大草村と喜々津村が合併し多良見村となる
     04/01西彼杵郡面高村、七釜村が合併し西海村となる
     西彼杵郡高島町と高浜村の一部が合併し高島町となる
     西彼杵郡野母村、脇岬村、樺島村、高浜村の一部が合併し野母崎町となる
  02/11南高来郡北串山村と小浜町が合併し小浜町となる
     1955(昭和30)04/01南高来郡大三東村と湯江村が合併し有明村となる
     南高来郡三会村が島原市に編入される
  02/11北高来郡江ノ浦村と田結村が合併し飯森村となる
     1955(昭和30)02/11北高来郡古賀村、戸石村と西彼杵郡矢上村が合併し東長崎町となる
  02/11北高来郡古賀村、戸石村と西彼杵郡矢上村が合併し東長崎町となる
     1956(昭和31)09/20北高来郡深海村、小江村、湯江村が合併し高来町となる
  02/11壱岐郡鯨伏村と勝本町が合併し勝本町となる
     壱岐郡初山村、柳田村、志原村、渡良村、沼津村、武生水町が合併し郷ノ浦町となる
     04/01壱岐郡田河町と那賀村が合併し芦辺町となる
  京都洋菓子組合が2月13〜15日をバレンタイン祭にと全国に呼びかけ
  02/19蔵前国技館で初めてプロレスの本格的な国際試合、力道山・木村政彦×シャープ兄弟の試合が開催される
      60分3本勝負で結果は引き分けに終わる
  02/西日本スポーツが創刊。サンケイスポーツが記事を配信
  03/01長崎電鉄(株)が一般乗合バスに続いて一般貸切バスの営業を開始
     1971(昭和46)02/28バス91台、土地・建物・路線営業権一切を長崎バス(株)に譲渡
  03/01下県郡鶏知町と船越村が合併し美津島町となる
     03/20下県郡仁位村と奴加岳村が合併し豊玉村となる
  03/16西海国立公園が指定される
  03/20下県郡仁位村と奴加岳村が合併し豊玉村となる
     1956(昭和31)09/30下県郡厳原町と久田村、豆酘村、佐須村が合併し厳原町となる
  03/31北松浦郡新御厨町、志佐町、調川町が合併し松浦市となる
     長崎県下で長崎、佐世保、島原、諫早、大村、福江、平戸に次ぐ8番目に市政を施行となる
     04/01北松浦郡神浦村と平町が合併し宇久町となる
  03/岩屋町の長崎県立養護施設「向陽寮」が寮舎基礎沈下腐朽のため基礎工事ならびに腐朽部の改修工事に着手
     07/竣工
     1963(昭和38)寮長の餅田千代が婦人寮へ転勤。15年にわたる寮児との生活をひとまず終える
  04/01平和公園の一角に地下1階、地上6階鉄筋コンクリート建の長崎国際文化会館が開館
     1996(平成08)施設の老朽化と展示機能の充実を図ろうと、原爆被爆50周年記念事業として建替えのため解体
     1996(平成08)04/名称を長崎原爆資料館と改め開館
     資料館には被災物品419、絵画・模型・標本30、写真資料378、映像資料80、以上907点が展示
  04/01西彼杵郡面高村、七釜村が合併し西海村となる
     西彼杵郡高島町と高浜村の一部が合併し高島町となる
     西彼杵郡野母村、脇岬村、樺島村、高浜村の一部が合併し野母崎町となる
     1956(昭和31)09/01西彼杵郡江島村と平島村が崎戸町に編入される
  04/01東彼杵郡折尾瀬村、江上村、崎針尾村が佐世保市に編入される
     1956(昭和31)06/01東彼杵郡下波佐見村と上波佐見町が合併し波佐見町となる
  04/01南高来郡大三東村と湯江村が合併し有明村となる
     南高来郡三会村が島原市に編入される
     1956(昭和31)09/01南高来郡土黒村と多良見町が合併し国見町となる
  04/01北松浦郡神浦村と平町が合併し宇久町となる
     04/15北松浦郡今福町が松浦市に編入される
  04/01壱岐郡田河町と那賀村が合併し芦辺町となる
     1956(昭和31)09/30壱岐郡箱崎村が芦辺町に編入される
  04/09西山町の富貴楼下〜東高450米の道路舗装工事が完成
  04/14〜17長崎県北で豪雨
     死者83人、負傷者17人、家屋全半壊233戸、家屋流出64戸、家屋浸水394戸
     佐世保市黒髪町ではボタ山が崩壊73人死亡
  04/15北松浦郡今福町が松浦市に編入される
     1958(昭和33)10/01北松浦郡鹿町(ししまち)町を鹿町(しかまち)町に改称
  04/15上県郡仁田村と佐須奈村が合併し上県町となる
     1976(昭和51)04/01上県郡峰村に町制が敷かれ峰町となる
  04/16豪雨で佐世保炭坑のボタ山が崩れ73人死亡
  04/28聖福寺の「団十郎供養塔」に劇団前進座の一行が参詣
  04/日中民間漁業協定が調印
  04/長崎バス(株)が長崎汽船を設立
  05/01県下325店舗のパチンコ店の台が連発式から単発式となる
  05/181953(昭和28)の「去来250年忌」に欠席したことの謝意を表わすため俳人、小説家の高浜虚子が来崎
     福岡、柳川、熊本を経由し三角より姫島丸に乗船。島原に上陸
     花月で歓迎句会、芥川ゆかりの料亭菊本で歓迎宴。道の尾温泉・桃太郎で1泊
  05/25新村出が編著者として携わる「広辞苑」の初版が発行。20万語の言葉が収められる。発行は岩波書店
  05/箕島の旧軍施設を使用し、「大村空港」が開設
     1960(昭和35)04/第2種空港として供用が開始。現A滑走路
  05/在ニューヨーク市日本国連協会代表ウイリアム・G・ヒューズの斡旋で長崎とセントポールが姉妹都市提携の候補に
     1955(昭和30)12/07長崎市と米国セントポール市が我が国の姉妹都市提携第1号となる
  05/長崎バス(株)が社内報を創刊
  06/04銅座川付け替え工事に伴い十八銀行本店横から出島町に扇橋を架設。全長20米、幅員4米
     1994(平成06)05架け替え
  06/13日中民間漁業協定の発効により戦後初めて東海・黄海での平和操業が実現
  06/粉ミルク中毒事件が起こる
  06/長崎県商工会議所連合会第1回議員大会を長崎で開催
  07/01三菱長崎造船所が好況で臨時工員を300人募集
  07/09後楽園遊園地が開園。日本初の本格的なジェットコースターが設置される
     コースは1500米、55粁/時
     名称はジェット機にちなんで。以降、「ジェットコースター」が一般的に。英語では英語では「Roller Coaster」
  07/09哲学者ラッセルと物理学者アインシュタインが「ラッセル=アインシュタイン宣言」で戦争絶滅を訴える
     バートランド・ラッセルはイギリスの哲学者、アルベルト・アインシュタインはアメリカの物理学者
     第1級の科学者ら11人により核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた宣言文
     米ソの水爆実験競争という世界情勢に対して提示される
     アインシュタインは04/18に死去し、その遺書となる
     11人はマックス・ボルン、パーシー・ブリッジマン、アルベルト・アインシュタイン、レオポルト・インフェルト、
     フレデリック・ジョリオ=キュリー、ハーマン・J・マラー、ライナス・ポーリング、セシル・パウエル、
     ジョセフ・ロートブラット、バートランド・ラッセル、湯川秀樹
  07/13政府が30年度原爆障害者研究治療費864万円を支給。配分は広島500万円、長崎364万円
  07/31岩見町2400に岩見公園(993.45平方米)が、城栄町2400他に城栄公園(1123平方米)が開設
  07/大浦6番館の旧英国領事館を長崎市が1千万円で買収
     1957(昭和32)02/長崎市教育研究所に
  08/07東京通信工業(ソニー)が初のトランジスタラジオを発売
     新製品のTR-55は5個のトランジスタを使い、複数のAMラジオのチャンネルを受信
     電池式でどこにでも簡単に持ち運べるようにデザインされる
  08/08長崎刑務所浦上刑務支所跡地、平和公園内で平和祈念像の除幕式が行われる
     被爆10周年を記念して恒久平和の願をこめた像は高さ9.7米、重さ30瓲の青銅製で北村西望の作
     内部は鉄骨の櫓を芯にして、青銅製のパーツをステンレスのボルトで縫われている
      神の愛と仏の慈悲を象徴し、上に指さした右手は原爆の脅威を、
      水平にのばした左手は平和を、軽く閉じたまぶたは原爆犠牲者の冥福を祈る
     5年の歳月と3千万円の経費をかけて完成
  08/09参列者約1万人の第4回原爆犠牲者慰霊祭と平和祈念式典が行なわれる
  08/09長大医学部が原爆犠牲者追悼会10周忌を挙行。元医大門柱の保存除幕式
     「追悼−長崎医科大学原子爆弾犠牲者の霊前に捧ぐ(原爆10周年記念出版委員会)」が発行される
  08/26森永粉ミルク事件。長崎県下の患者26人に発生
  08/27銅座川の付替工事完成、銅座川変流工事完工式を挙行
     新河川の延長83米、幅員21米、護岸平均高4.5米、掘削土量約1万平方米
     新川筋は十八銀行本店横から急折して中島川へ
     明治21(1888)の港湾第1期改良工事の一環で出島と十八銀行本店との間の約450坪が埋め立てられたが再び開削
  08/27銅座川付け替え工事に伴い銅座町〜新地町におらんだ橋を架設
     長さ20米、幅員22米、鉄筋コンクリート橋、工費1108万円
  08/コロムビアから西六郷少年合唱団の歌による「平和祈念像の歌(ESS57)」が発売される
     作詞は向井学、作曲は寺崎良平
     平和祈念像の完成にあわせて作られる
  08/長崎で簿記検定試験を開始
  09/榎津町に榎津東映がスタート
     のち長崎日活劇場と改称
     1990(平成02)10/テレビ等の普及により観客が少なくなり廃館
  10/01第8回国税調査。長崎市の人口は30万3724人
  10/05長崎バス(株)の整備工場が岩川町から茂里町に移転
     新工場の面積4800平方米、1日の整備能力30両
     1990(平成02)茂里町営業所の隣接地から神の島工業団地内に移転
     神の島工業団地内は敷地面積約1万0800平方米の地
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (6)…丸山町(本踊)、今博多町(本踊)、古町(本踊)、
     江戸町(兵隊はやし)、今魚町(川船)、[特別参加]諏訪町(蛇踊)
     *出場辞退…本大工町、本紺屋町、上筑後町、本籠町、材木町、本興善町
     御旅所は江戸町公園
  10/18西彼杵半島と針尾島の間の針尾瀬戸を結ぶ橋の完工式が盛大に行なわれる。「西海橋」と命名される
     日本初の上路式ブレストアーチ橋で東洋一の固定網アーチ
     総延長316.26米、有効幅員7.50米、中央径間216米、アーチ径間244米、総工費5億6千万円
     長崎市、佐世保市、西彼杵郡大串村の3代3組夫婦による渡り初めが行なわれる
     世代に受け継がれ蓄積された英知が橋を完成させたことを感謝し、永遠の幸福を願う日本独特の儀式
     12/01日本初の有料橋として供用を開始
     交通料金は普通車200円、バイク50円、人10円
     1970(昭和45)03/01無料開放され県に移管、一般国道206号となる
  10/長崎バス(株)にミュージックバス登場。名所旧跡に因んだ歌曲などを車内で流す
  10/九州商工会議所連合会総会が長崎で開かれる
  11/03千葉県船橋市浜町に朝日土地興業株式会社所有の総合レジャー施設(健康ランド)船橋ヘルスセンターが開業
     入浴場のみならず大プールや遊戯施設、レーシング場などを持つ大規模な総合レジャー施設
     キャッチフレーズは「12万坪の海辺に1万坪の白亜の温泉デパート」
     1977(昭和52)05/05閉鎖となる
     地盤沈下防止のため温泉・ガスの採掘を禁止されたことが致命的となる
  11/19原水爆禁止長崎協議会(長崎原水協)が結成
     会長に古屋野宏平長崎大学学長、副会長に杉本亀吉市議、小林ヒロ県議、香田松一市民生委員協議会長を選出
     協議会には障害者治療対策部、被災者救援部、原爆資料保存部、平和運動推進部を設置
     また市内の民間24団体が参加して結成
     民生委員、婦人会、青年団、PTA、国際連合協会、世界連邦建設同盟、ユネスコ、市医師会、
     原爆慰霊奉賛会、県労評、長崎地区労、平和を守る会、平和委員会、日中友好協会、原爆乙女の会、
     原爆青年会、生活をつづる会、キリスト教連盟、文化団体(川柳、演劇、美術、音楽、長崎学会、文学)
  11/長崎で初の英文タイピスト技能検定試験を開始
  11/東京発行の「産業経済新聞」が「時事新報」を買収。「産経時事」と改題
     1958(昭和33)07/11東京発行の「産経時事」を「産経新聞」に改題
  12/01西海橋が日本初の有料橋として供用を開始
     交通料金は普通車200円、バイク50円、人10円
  12/07長崎市とアメリカ合衆国ミネソタ州セントポール市が姉妹都市提携を結ぶ
     日本と海外との姉妹都市提携は第1号となる
     きっかけはニューヨークの日本国連協会代表ウィリアム・ヒューズが原爆被災から立ち上がり、
     平和の歩みを続けている長崎市とセントポール市の都市提携を斡旋しこと
     その後、国連事務局が両市に勧誘状を出して話がまとまり締結となる
     1972(昭和47)07/06長崎市とブラジル・サンパウロ州サントス市が姉妹都市提携を結ぶ
     本県出身の移住者やサンパウロ州議員野田次平氏(佐賀県出身)からの申し入れによる
     1978(昭和53)05/26長崎市とポルトガル北部に位置するポルト市が姉妹都市提携を結ぶ
     長崎駐在ポルトガル名誉領事清島省三を介して意向打診、姉妹都市提携が行なわれる
     1978(昭和53)05/28外海町とフランスのヴォスロール村が姉妹都市提携を結ぶ
     ヴォスロール村は北西部のノルマンディー地方中部海岸部、カルバドス県に属すする
     ド・ロ神父の研究家のヴォスロール村への訪問をきっかけに旧外海町から提携申し込みの打診
     ド・ロ神父の人類愛の精神を引き継ぎ、国際平和の促進に役立てようと姉妹都市の提携が行なわれる
     1978(昭和53)10/17長崎市とオランダ西南部に位置するジーランド州に属するミデルブルフ市が姉妹都市提携を結ぶ
     駐日オランダ大使館、長崎駐在オランダ名誉領事鈴木従道を介して提携の申し入れがあり姉妹都市を提携が行なわれる
     1980(昭和55)10/20長崎市と中国南部に位置する福建省の省都・福州市が姉妹都市提携を結ぶ
     中日友好船「明華号」の長崎訪問の際、友好協会会長の廖承志に要望書を託し歴史的なつながりのもと友好都市の提携が行なわれる
  12/土井首町の福井内科医院が草住町に医療法人浩仁会福井病院として設立。一般病床4、結核病床49
     1969(昭和44)04/結核病床が廃止 。一般病床141
  本博多町、坂上の坂上神社が坂の下に社殿を新築
     坂の下の坂上神社となる
  三菱造船所は旧グラバー邸を寮にするため解体を計画。市立博物館専門委員による交渉の末、計画中止に
     1957(昭和32)10/10三菱長崎造船所の創業100年祝賀記念事業として長崎市に寄贈
  螢茶屋電車車庫裏に耐火構造の2階建店舗併用住宅が出来る
  口之津町に古野電気株式会社が設立。(株)古野電気工業所の事業一切を継承
     1959(昭和34)我が国で初めて超小型レーダーを開発
     水中翼船や各種小型船へのレーダー装備を可能にしレーダーの普及と安全航行に貢献
  日中民間漁業協定が締結。1950(昭和25)から行なわれていた時代錯誤の海賊行為がやむ
  伊藤はるえが出島の税関前で食堂の2階を改造し旅館をはじめる
     1958(昭和33)石灰町で寿荘を経営
     のち寿荘は1年余りでやめる。税関前の旅館を拡張、はるみ荘を営む
     1964(昭和39)麹屋町に鉄筋4階建(屋上展望、ガーデン)を新築移転。屋号を旅館はるみに
     移転先が麹屋町に決まるまで6年、中心部に近く便利で閑静な場所を物色
     公会堂に近く中島川畔の条件は常連客が大半を占めるはるみ荘にぴったりに
  県庁前の福屋旅館で支配人をしていた真壁富雄が金物店を経営したのち旅館業に転じる
     屋号は旅館福龍。福屋旅館の福と諏訪町の竜踊りの龍。場所は諏訪町、魚市橋の筋
     真壁富雄は竜踊りの伝統を守り保存に尽くす。竜踊りの監督をし全国をまわる
  鍛治屋町の大音寺前に渡辺金雄が旅館いこい荘を開業
     渡辺金雄は1912(明治45)古賀の生まれ。戦前は植木の輸出をし、1936(昭和11)天津に渡り貿易を営む
     終戦で天津から引き揚げ戦後は塩乾魚の仲買で京阪神方面へ出荷
  島原市上新町の料亭丸一が竹下やえみの手に移り「てんぐ」に改称
     良心的な価格であまり甘く焼いていない美味しいうなぎが評判に
  雲仙古湯に旅館東洋館を創業した石田次。酒がたたって37才で早死
     のち妻の石田スミ子(32)が女手ひとつで旅館を経営
     石田スミ子の実家は佐世保の山水楼。1922(大正11)、糸長幸吉の3女に生まれ県立諫早高女を卒業し石田家に嫁ぐ
     のち旅館が焼失
     火災後の新築を契機として経営のチャンスを自ら作りだす
     1968(昭和43)08/大建設をこなしホテル東洋館が完成する。施工は大成建設
     北欧風の建築物は熱帯植物にかこまれたサウナ風呂、大浴場、バーベキュウ宴会場、カクテルラウンジなど外観に設備をそなえる
     クラシックなムードのなかに華麗な色彩をとけ込ませる
  恵美須町の太平蒲鉾が社名を山吉水産と改称
     電化焼蒲鉾が独特で、ちくわ、板付けなどを作り長崎有数の店として知られる
  高浜虚子が1921(大正10)に続いて再び長崎を訪れる
  松本善満の三松食品が浜口町に工場を建て本格的な生産体制を整え、社名を三松謝文(ざぼん)堂に改める
     ざぼん漬のほか、ざぼん羊かん、ばってん餅の詰め合わせや、ざぼん饅頭を生産し県内土産品界に知られる
     同時に和洋菓子の直売、喫茶、レストラン部を併営
     のち住吉に新工場を建て多良見町にざぼんの大果樹園を設ける
  池島鉱が着炭
     1959(昭和34)営業出炭を開始
     1959(昭和34)大島鉱が合理化。池島への人員転換で労使交渉妥結
     1967(昭和42)火力発電所と海水淡水化装置が完成
     1971(昭和46)閉山のうわさが流れ株が暴落
     1972(昭和47)職員、鉱員の身分制を撤廃
     1977(昭和52)ガス爆発。死者3人
     1985(昭和60)年産最高153万瓲を達成。協力会社を含む従業員数は2400人に上る
     1995(平成07)大量出水。20日間にわたり操業が停止
     1997(平成09)三井三池鉱が閉山。池島鉱が九州で最後のヤマとなる
     2000(平成12)坑内火災。3か月後に操業を再開
     2001(平成13)11/29☆池島鉱が閉山となる
  長崎市の人口が35万5千人、6万5千世帯。住宅は1.19世帯に1戸
     自転車は17人に1台、乗用車は655人に1台
     ラジオは1.5世帯に1台、電話は9.6世帯に1台、映画は1人1年間に13回観る
     1963(昭和38)人口39万5千人、9万8千世帯。住宅は1.02世帯に1戸
     乗用車は177人に1台、ラジオは4.1世帯に1台、電話は5世帯に1台、映画は1人1年間に8回観る
  放火により焼失した京都の鹿苑寺、通称・金閣寺が国や京都府の支援、地元経済界などからの浄財により再建される
     明治時代に大修理が施され、詳細な図面が残されておりきわめて忠実な再現が可能に
     1950(昭和25)07/02見習い僧侶で大谷大学学生の林承賢(21)による
  長崎駅の輸送人員が589万7千人、貨物輸送はトラック輸送が急激に発達し57万9千瓲に減少
     1951(昭和26)の輸送人員は709万4千人、貨物輸送は72万瓲
     1964(昭和39)輸送人員が271万4千人と半減
  1929(昭和04)06/に完成した雲仙別所の水泳プールが廃止

1955(昭和30)頃

  島原の吉田正八商店が観光客の増加で、長年の経験からナスの三楽漬け、ナスの一口辛子漬けを発売
     有明海のわかめをもみわかめにして土産品に進出

1956(昭和31)【昭和】 丙申(ひのえさる)

  《総理大臣》[第54代]第3次鳩山一郎内閣(→12/23)、[第55代]石橋湛山(12/23→)
  《知事》[第41代(公選3代)]西岡竹次郎
  《市長》[第19代]田川務

  「長崎精機製作所」から技術を引き継いだ三菱長崎造船所が防衛庁の注文で54式魚雷を生産
     「長崎精機製作所」のもとは旧長崎三菱兵器製作所
     01/21西彼杵郡長与町堂崎の施設で航海発車試験を行なう
  02/06新聞社以外では初の発行となる週刊誌「週刊新潮」が創刊される。定価は30円
     グラビアは「東京のサラリーマン」、特集に「父と子のモラル」と首都圏の男性サラリーマンを意識したつくり
     連載小説に谷崎潤一郎、大佛次郎、五味康祐を起用するなど文芸色も強い
  02/20長崎県神社総代会が設立される
     各神社では氏子崇敬者を代表して神社のお世話に当たる、氏子総代が委嘱
     長崎県神社庁の施策に協力し、神社神道の発展と伊勢神宮の奉賛及び神社の護持に貢献することが目的
     県本部及び支部単位で総会・研修等の行事を行なう
  02/24五島航路で船舶公衆電話の試験を実施
     1959(昭和34)03/01五島航路で船舶公衆電話が本実施となる
  02/長崎バス(株)の本社が元船町の大波止から茂里町整備工場敷地内に移転
     1966(昭和41)10/22本社を新地町に移転
     本社事務所を含む長崎バスターミナルビルが完成。資本金7億8千万円に増資
  02/長崎青色申告会を設立
  02/東山町の長崎市立北大浦小学校が児童数増加により4階部分を増築
     1961(昭和36)02/上部運動場(上大浦小学校跡)を整地
  03/21就職列車第1号、今春中学卒業の100人を乗せ大阪に向けて出発
  03/漁港施設の整備拡充として尾上町岸壁の南西海面に突堤(中ノ島)を築造が完成
     2万平方米を埋立て長さ200米、幅100米
     中ノ島魚市場もほぼ完成し年間25万瓲の水揚可能な市場施設となる
     総工費9億円、うち国庫補助2億円、残りは県・市が折半
  04/01市立学校の学費と保育料が値上げ。市立商高600円、幼稚園500円
  04/07万屋町に福岡相互銀行支店が開店
  04/09長崎中央保健所が狂犬病予防と野良犬対策のため1頭30円で買い取りを開始
  04/16日本道路公団法に基づいて日本道路公団が設立
     主として有料道路(高速自動車国道および一般有料道路)の建設・管理を行っていた特殊法人
     英文表記は「Japan Highway Public Corporation」。略称はJH
     2005(平成17)10/01日本道路公団が分割民営化。業務、権利、義務は分割して継承され廃止
     施設の管理運営や建設は東日本高速道路株式会社、中日本高速道路株式会社、西日本高速道路株式会社に分割継承
     保有施設と債務は他の道路関係公団とともに独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構に一括して譲渡
  04/18日仏合作映画「忘れ得ぬ慕情」のロケがはじまる
     監督=イヴシャンビ、主演=ジャン・マレー、岸恵子
     日本人共演には山村聡、森川まさみ、近衛敏明など
     撮影の舞台はグラバー邸、国際文化会館、平和公園、大浦天主堂、浜町、中川町、櫻馬場、三菱造船所、長崎駅など
     04/26深夜の長崎駅でエキストラ200人を動員し6時間にわたる別れのシーンが撮影
     10/03長崎で封切り上映
  05/01長崎市立小学校の児童数が4万3678人に。前年比11.2%増。2部制授業を13校で開始
     1957(昭和32)05/01市立小学校児童数が4万6837人に。前年比7.2%増。2部制授業は継続
     1958(昭和33)05/01市立小学校児童数が5万0764人に。前年比8.4%増。2部制授業は15校に
     1959(昭和34)05/01市立小学校児童数が5万2067人に。前年比2.6%増
     1960(昭和35)04/07市立中学校15校の新入学生徒数が8086人に
     これまでの小学校児童数の激増現象が中学校に移行
     1962(昭和37)04/01市立中学校24校の新入学生徒数9613人で戦後最高
     1963(昭和38)03/市立中学校24校の卒業生9732人で史上最高。高校進学率72%
  05/12西濱町に協和銀行長崎支店の新店舗が落成
  05/23銅座町に長崎大映劇場が開館
  05/24売春防止法が公布
     1957(昭和32)04/01売春防止法が施行
     1958(昭和33)04/01売春防止法の罰則適用が開始され、長崎丸山の花街より赤線の灯が消える
  05/27読売新聞が「日曜クイズ」の連載を開始
     文章中のいくつかの文字を伏せ、ヒントにより正しい文字を当てはめていくクイズ
     のち新聞・週刊誌のクイズブームがおこる
  05/長崎原爆病院の建設用地として片渕町の旧ABCCモーター・プールが正式に決定
     1957(昭和32)06/01長崎原爆病院起工式
     1958(昭和33)05/20開院式を長崎東高体育館で挙行、直ちに診療を開始
     1959(昭和34)05/20開院1周年、患者を収容できず早くも増築を迫られる
     1961(昭和36)02/01本館増築工事が完成。病床数102床を311床に増やす。工費1億1000万円
     1964(昭和39)12/26総合病院として認可される
     1969(昭和44)04/01日赤へ移管
     1972(昭和47)03/31ガン治療施設R・Iセンターが完成。総事業費1億6073万円
     1974(昭和49)07/31過去1年間(48-08/01〜49-07/31)の被爆診療状況を発表
     新たに97人(昨年比1人増)が死亡、癌が最も多く、全体の3分の2を占め、認定患者7人も死亡
     1974(昭和49)12/02経営危機乗り切るため地元銀行から4億円を借入し急場をしのぐ
     1977(昭和52)01/31新築移転先が元県立東高跡地と結論づけられる
     1977(昭和52)12/09移転先として長崎東高跡地は実現不可能に
     九州横断道路の拡幅で立ち退き対象の西山地区の替え地となっているため。移転問題は翌年に持ち越し
     1980(昭和55)08/30被爆者3団体の代表が県庁に川嶋県保健部長を訪問
     長崎原爆被災者協議会、県被爆者手帳友の会、長崎原爆遺族会
     長崎市医師会の了解が得られず難航が続く原爆病院の移転問題に決着をつけて、一日も早く着工するよう陳情
     1980(昭和55)09/24長崎市医師会が原爆病院の移転新築問題で、市衛生部に要望書を提出
     「病院側が被爆者専門病院としての診療体制を明示するよう対応してほしい」と
     1980(昭和55)09/25長崎県、長崎市、原爆病院、市医師会の4者会談が開かれる
     関係者が協力し合って着工への話をまとめることで大筋合意
     1980(昭和55)12/13移転新築工事、長崎市茂里町の元製鋼所跡地で起工式
     1982(昭和57)11/29新築落成式を長崎新聞文化ホールで行なう
  06/01総面積101.58平方粁の玄海国定公園が指定される
  06/01東彼杵郡下波佐見村と上波佐見町が合併し波佐見町となる
     1958(昭和33)08/01東彼杵郡宮村が佐世保市に編入される
  06/01南松浦郡青方町、浜ノ浦村(中通島)が合併し上五島町となる
     09/25南松浦郡若松村、日島村(若松島)が合併し若松町となる
  06/23長崎原爆被災者協議会が結成される
  06/映画ブームで映画館が急造に増え長崎市内の映画館は21館を数える
     東宝宝塚、大洋映劇(以上本石灰町)、松竹国際映劇、第1映画、東宝富士館(以上西濱町)、東宝喜楽館(東濱町)、
     中央映劇、長崎大映(以上銅座町)、東映映劇、新世界(以上梅香崎町)、新大映劇、諏訪名画(以上新大工町)、
     榎津東映(榎津町)、千日映劇(出来大工町)、東館(船大工町)、戸町大東映劇(戸町)、みなと映劇(大浦町)、
     大橋平和(大橋町)、住吉公楽映劇(住吉町)、平和劇場(浜口町)、月館(稲佐町)
     1960(昭和35)25館となる
  07/長崎大学の水産学部で練習船「長崎丸」で初の外航遠洋実習を航海(香港及び台湾)
     1964(昭和39)03/2代目練習船「長崎丸」(562.98総瓲)が竣工
     初代目練習船「長崎丸」(103総瓲)は1952(昭和27)06/に竣工
  07/経済白書に「もはや戦後ではない」と明記し戦後復興の終了を宣言
  08/01加津佐海水浴場に島原鉄道で廃車の客車8輌を畳敷きに改装した定員計55人の列車バンガロー開設
     神代海水浴場と鮎返の滝にもそれぞれ2輌設置
  08/09長崎東高校体育館で第2回原水爆禁止世界大会が開催
     7か国52人の外国代表と日本代表3千人が参加
  08/09廃虚となった浦上天主堂で初めてたいまつ行列が行なわれる
  08/13帰崎した加藤久邦が「加藤ユニークバレエ」を開設
     聖徳寺の保育園の部屋が空き時間に借りられることに
     1957(昭和32)07/19第1回加藤ユニークバレエリサイタル開催
     場所/出島・三菱会館、開演/6時30分、入場料/80円
     1962(昭和37)06/02・03長崎市公会堂が落成。こけらおとし公演に加藤久邦が出演
     1978(昭和53)01/名称が「かとうフィーリングアートバレエ」となる
  08/16台風9号で被災。長崎市の被害総額は7億4千万円、県では122億円
  08/長崎バス(株)が旧野母自動車戸町社屋を使用していた戸町出張所が営業所に昇格
     1964(昭和39)戸町営業所が廃止、小ケ倉営業所を開設
  08/長崎バス(株)飽の浦出張所が飽の浦営業所として大波止営業所の管理下から独立
     1979(昭和54)06/木鉢トンネル開通により神の島に仮営業所を開設。飽の浦営業所を廃止
  08/大洋漁業株式会社長崎支社が漁港冷凍工場を竣工
     1959(昭和34)04/長崎支社を旭町から水産会館5階に移転
  08/「全国観光みやげ品展」が岡政で開催
     まだ気軽に旅行できる時代ではなく、全国の珍しいみやげを見に多くの市民が訪れる
  09/01西彼杵郡江島村と平島村が崎戸町に編入される
     1957(昭和32)03/31西彼杵郡西海村と瀬川村が合併し西海村となる
  09/01南高来郡土黒村と多良見町が合併し国見町となる
     1956(昭和31)09/25南高来郡大正村、西郷村が合併し瑞穂村となる
  09/09台風12号で再び被災。被災額5632万円
  09/20北高来郡深海村、小江村、湯江村が合併し高来町となる
     1965(昭和40)04/01北高来郡飯森村に町制が敷かれ飯森町となる
  09/25南高来郡大正村、西郷村が合併し瑞穂村となる
     1956(昭和31)09/30南高来郡堂崎村と有家町が合併し有家町となる
  09/25南松浦郡若松村、日島村(若松島)が合併し若松町となる
     09/30南松浦郡魚目村、北魚目村(中通島)が合併し新魚目町となる
  09/30南高来郡堂崎村と有家町が合併し有家町となる
     1957(昭和32)03/22南高来郡神代村が国見町に編入される
  09/30南松浦郡魚目村、北魚目村(中通島)が合併し新魚目町となる
     1957(昭和32)03/31南松浦郡樺島村(樺島)が福江市に編入される
  09/30壱岐郡箱崎村が芦辺町に編入される
     1958(昭和33)04/01壱岐郡郷ノ浦町の一部が石田村に編入される
  09/30下県郡厳原町と久田村、豆酘村、佐須村が合併し厳原町となる
     1975(昭和50)04/01下県郡豊玉村に町制が敷かれ豊玉町となる
  10/03日仏合作映画「忘れ得ぬ慕情」が長崎で封切り上映
     監督=イヴシャンビ、主演=ジャン・マレー、岸恵子
     日本人共演には山村聡、森川まさみ、近衛敏明など
     撮影の舞台はグラバー邸、国際文化会館、平和公園、大浦天主堂、浜町、中川町、櫻馬場、三菱造船所、長崎駅など
  10/07渡御。「長崎くんち」10/09還御
     (7)…寄合町(本踊)、五島町(本踊・曳段尻)、本石灰町(本踊・神山車)、
     桶屋町(本踊)、船大工町(川船)、眼鏡橋町(本踊)、出来大工町(本踊)
     *出場辞退…引地町、堀町、新町、大井手町
     *酒屋町と袋町と本紺屋町で眼鏡橋町に
     御旅所が西岡知事の英断で県庁前広場に変更
  10/19日本の鳩山首相とソ連のブルガーニン首相との間で日ソ国交回復共同宣言が調印される
     モスクワで署名
     両国の国交が回復、関係も正常化したが、国境確定問題は先送りに
  10/26警官34人が出動し湊公園内の不法建物40戸を撤去
     1957(昭和32)湊公園が再整備
  10/282代目通天閣が地元の人たちの想いの結晶として誕生する
     本体は鉄骨造(一部鉄骨鉄筋コンクリート造)。塔高地上米、幅24米、脚間24米
     初代通天閣は1943(昭和18)02/13鉄材を軍需資材として大阪府に献納。塔は解体される
  10/長崎アララギ同人達が斎藤茂吉の歌碑を寓宅跡に近いと桜町公園内に建立
     本河内の水源池側にあった高さ3.3米、幅1.2米の風頭石で作られた堂々たる歌碑
     1986(昭和61)風化が激しく、小ぶりな歌碑に建てかえられる
  11/03第1回長崎県美術展が開催
  11/08引揚輸送に従事した旧海軍の耐氷艦「宗谷」が初代南極観測船に
     国際地球観測年に伴う南極観測で、耐氷構造を買われ南極観測船に選定
     以降1961(昭和36)まで、毎年1回ずつ南極へ向けて計6回にわたり出港
     1978(昭和53)10/02退役
  11/181949(昭和24)03/06から行方不明だった前長崎市長岡田寿吉の白骨死体が発見される
     唐八景から八郎岳へ向かう山中のお万茶屋付近の山林の中
  11/18野母崎町脇岬の円通山観音寺で川原慶賀、石崎融思による天井絵が発見される
  11/19東海道本線全線電化完成。博多〜東京に初の夜行客車特急「あさかぜ」を新設
  11/191951(昭和26)04/01に博多〜大阪に客車臨時急行で登場した「玄海」が紆余曲折の後
     長崎(早岐経由)〜京都に変更される
     1957(昭和32)10/01いったん廃止
     1958(昭和33)10/01博多〜京都の急行として復活
     1961(昭和36)10/01長崎〜京都に
     1968(昭和43)10/01客車急行「玄海」は同じ客車急行「雲仙」に吸収
     名称は既存電車急行「はやとも」を電車急行「玄海」と改称して存続
     1975(昭和50)03/10廃止
  11/長崎バス(株)瀬戸営業所が開設
     1987(昭和62)10/瀬戸営業所大崎出張所を分社。大崎自動車を設立
     2003(平成15)10/さらに瀬戸営業所を分社してさいかい交通を設立
     2004(平成16)10/大崎自動車とさいかい交通が合併し新生のさいかい交通が誕生
  11/株式会社橋本商会古鉄部が鋼材及び新商品の成長につれて取扱品目が多角化
     社名を橋本商事株式会社(資本金3千万円)に変更する
     株式会社橋本商会も遂年発展して資本金600万円となり営業活動は関西・関東に及ぶ
     1957(昭和32)10/業容の競合回避と経営効率化のため、橋本商事株式会社が株式会社橋本商会を合併
     新生株式会社橋本商会(資本金3千600円 社長/橋本和太八)となる
  12/16長崎県営バスが西海橋経由の路線定期バス佐世保線の運行を開始
  12/18日本が国際連合に加盟
     80番目の加盟国として、第2次世界大戦をはさみ20数年ぶりに国際社会への復帰をはたす
  12/26「興安丸」がシベリヤ抑留者の最終梯団を乗せて舞鶴入港
     1957(昭和32)08/東洋郵船に譲渡、東京湾周遊船として人気を博す
  12/30東洋一の設備を誇る三菱長崎造船所が大型タンカーの建造などにより年間進水量世界一に。24万6千総瓲
  12/県営バス、長崎バスが西海橋経由の佐世保線を運行開始
  神武景気。高度経済成長路線へ向かう
  西浜町の不動貯金銀行長崎支店のコンクリート建物が解体
     長崎唯一のゼツエツション建築様式で貴重な秀作建築物
  幸町に国鉄線路を跨ぐ幸町跨線橋が出来る
     階段段数はプリンスホテル側、浦上川側ともに40段
  寿屋宣伝課の社員開高健、酒井睦雄、イラストレータの柳原良平の会議によりアンクルトリスが生まれる
  鍛冶屋町と本石灰町の間に架かる鉄筋コンクリー橋の「思案橋」が道路拡張に伴い撤去される
     思案橋の由来は、はじめ木廊橋が作られたとき
     シャム船の廃材料を使って架けられシャム橋の名がつく
     また遊客が思案する場所なのでそれが訛って思案橋とも
     1970(昭和45)思案橋に欄干の一部が復元
  対馬の万関橋が2代目に架け替え
     総事業費3300万円、橋長81.6米、幅5.2米(1車線)、設計荷重(自動車荷重)9瓲の上路式アーチ橋
     1996(平成08)09/3代目万関橋に架け替え。2代目万関橋から西側へ10〜40米移動
     総事業費15億円、橋長210米、幅10米(2車線)、設計荷重25瓲の鋼中路ローゼ桁橋
  天草諸島を合わせて雲仙天草国立公園となる
  坂本小学校、西町小学校が新設
  聖アウグスチヌス会が城山町に聖マリア学院の小学校を開校
     1960(昭和35)中学校が開校
  市川房枝、神近市子、宮城タマヨ等の活躍により売春防止法が成立
     遊廓や娼妓が法律的に一掃されることに
  今籠町崇福寺通りに瀬川スイが旅館花菱を創業
     瀬川スイは1921(大正10)熊本南高須川生まれ。井村鼎がシベリアから復員するのを待ち28才で結婚
     小規模な設備ながら部屋の隅々に女将の気が配られる。清潔さと温かさを思わせる旅館
  原爆落下中心地に平和公園が開園。桜が植えられる
     のち桜の名所となる
     1984(昭和59)慰霊の場所での花見や酒席が自粛される
  長崎公園に移されていたケンペルとツユンベリの功績を顕彰する記念碑が出島に戻る
     移設先は出島に復元された植物園跡の庭園の1隅
     もともとはシーボルトが1825(文政08)に出島薬草園に建立
  1924(大正13)生まれの下田昇が清和工芸社を魚の町に興す
     清和工芸社では龍踊り、お蝶さん、オランダ船、壁掛けなどの民芸品を製作
     博多織、玩具陶器、こけしなどを扱い、南部鉄器では県内トップの実績を持つ
  佐藤直吉が小浜に明治時代から続く旅館恵比須屋を経営者の松隈某から譲受け開業
     1966(昭和41)12/増築する
  小浜温泉センター近くの閑静な場所に旅館森芳が創業
  雲仙の有明ホテルが政府登録ホテルとなる
     1959(昭和34)鉄筋4階建の新館を増設
  垣立工芸品で垣立工芸品製造部が独立
     べっ甲原料の輸入、垣立工芸品の、もともとの店名は垣立商店(カメヤべっ甲店)
  雲仙の旅館芳仙館が合資会社となる
     芳仙館は1921(大正10)、千々石生まれの黒田清蔵が雲仙の上田屋を買って改名
     1966(昭和41)10/十八銀行の融資で3億円をかけてリニューアル
  中央大学をでた峰今朝吉の長男峰敏昭が恵美須町の旅館山水荘の経営を引き継ぐ
     1967(昭和42)10/それまでの木造建築を解き鉄筋8階建の旅館を落成。新時代の経営に切り替える
  稲佐タクシーの社名をキングタクシーに改称
     のち浜町の双葉タクシーを買収
  長崎市への年間観光客数が約229万8千人
  長崎原対協が「被爆者白書」で被爆者5万6466人、うち原爆障害者3896人と発表

1957(昭和32)【昭和】 丁酉(ひのととり)

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