中央橋仮設歩道橋の撤去の模様は
近々アップします。お楽しみに!

撤去期間/2009年(平成21)9月1日(火)、20日(日)〜25(金)







―――――――――――――――――中央橋歩道橋が撤去されるまで―――――――――――――――――

2007(平成19)05/02(水) たちあげ
2007(平成19)08/03(金) 最終更新




長崎市内中心部の中央橋交差点を、対角線に結んでいた×字型歩道橋「中央橋歩道橋」がなくなりました。
歩道橋は主要幹線道路の交差点にあり、中心繁華街、浜町・築町・江戸町・銅座町を結ぶキーポイントとなっていました。
歩道橋の撤去によって、39年と2か月ものあいだ馴れ親しんだ風景が、一変してしまったのです。

では、何故、歩道橋が撤去されなければならなかったのでしょうか?
それは、中島川の河川改修に伴うに中央橋の架け替え工事の一環なのです。

1982年(昭和57)7月、長崎大水害を受けたことにより、
中島川流域は、昭和57年度から河川改修に着手しました。
国の重要文化財、眼鏡橋の保存と治水能力の向上を目的として
1988年(昭和63)の右岸バイパス、平成17年度の左岸バイパスも、そのひとつです。

中央橋は、1952年(昭和27)12月5日に竣工した橋長20.4米、幅員25.8米のコンクリート橋です。
架け替え工事の概要としては、
大水害の時に観測した雨量を基に、毎秒380立方米の流水を安全に流下させる河川断面として、
現況、約70平方米を110平方米に拡大する必要があり、中央橋の架け替えとなりました。
計画では、現在の橋長20.4米を25.4米とし、幅員25.8米/4車線を27.8米/6車線にするそうです。

歩道橋の撤去は、中央橋を架け替えるのに伴う措置。
実は中央橋の上に歩道橋の階段部分が接地しており、
中央橋を架け替える上で、歩道橋をも撤去せざるを得なかったのです。


さて、前置きが長くなりましたが、本題の歩道橋撤去のお話です。

撤去の作業は、2007年(平成19)2月5日(月)から24日(土)までの延べ20日間。
交通量の少ない夜間を中心に、午後11時30分から翌朝5時まで行なわれました。
午後10時に準備が始まり、作業中は道路交通規制が敷かれ、ほとんどが、片側交互通行となりました。
ただ、11日(日)の夜だけは、築町と江戸町に架かる仮設歩道橋の橋桁設置のため
中央橋交差点から県庁前にのぼる県庁坂が、全面通行禁止となりました。

中央橋に関しては、HP「長崎年表」のなか、架設前架設中をご覧ください。

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中央橋歩道橋豆知識

中央橋歩道橋は1967年(昭和42)12月28日、
中央橋脇の国道324号と市道出来大工町江戸町線の交差点に、交通混雑緩和のため建造された×字型の歩道橋です。
当時、この種の歩道橋は北九州に次いで2番目、工費は約2560万円。県内では唯一の形の歩道橋でした。

中央橋歩道橋主桁の長さは、浜町から江戸町までが44.4米、築町から銅座町までが33.9米
また8つある階段の、それぞれの段数ですが
浜町の東側が35段、北側が37段。築町の北側が37段、西側が37段
江戸町の西側が37段、江戸町南側が37段。銅座町の南側が37段、東側が36段です。
浜町東側と銅座町東側の段数が少ないのは
ちょうど、階段の始まりが中島川をまたぐ中央橋の上にあるためです。

-----------------------------------歩道橋豆知識-----------------------------------

歩道橋が日本で初めて設置されたのは大阪駅前。
駅前広場と阪急、阪神の両ビル間の広い道の上にできました。
歩道橋の完成で自動車の混雑は緩和、歩行者も安心して横断できるようになりました。
1963年(昭和38)4月25日のことです。
この歩道橋は、松下電器が社会貢献活動の一環として建設、大阪市に寄贈しました。
記念して4月25日が歩道橋の日となりました。

でも、その4年前の1959年(昭和34)6月27日、
愛知県西枇杷島町での小学生の死亡事故をきっかけとして、
住民と行政が協力し全長46.8米の「西枇杷島歩道橋」を完成させたそうです。

…よく分かりません。

以来、1960〜70年代にかけての高度成長期、交通事故防止のために日本全国いたる所に設置されました。
長崎でも、1966年(昭和41)2月7日の長崎駅前横断歩道橋を皮切りに、市内41か所に設置されました。
長崎の場合は、主に歩道と路面電車の停留場を結ぶための歩道橋が多く、主要道路には必要なものでした。
時代を経て、高齢者や身体障害者の障壁をなくすためのバリアフリー思想が広がり、歩道橋の存在理由が薄れました。
そして今、歩道橋はエレベータ付や信号・横断歩道に切り替わろうとしています。

ちなみに、階段の踏み幅と高さですが、標準値として踏み幅は30糎、高さは15糎と決められています。
ただ、やむを得ない場合として踏み幅26糎以上、高さ18糎以下にも替えられるそうです。
また横断歩道橋の横幅ですが、歩行者の利用頻度によって違いますが、1.5米以上なければいけないそうです。

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ご覧になるうえでの注意

中央橋交差点には撤去期間中と、その前後あわせて延べ26回にわたり通いました。
そのうち昼間は21回、夜(撤去作業中)は5回です。1日に昼・夜2回通った日もありました。
延べ26回にわたって通い、カメラに収めた総枚数は637枚、うち完全保存用にデータ化したのは596枚
そして今回、このサイトにアップしたのは486種、523枚です。
日を追うごとの移り変わりをお楽しみ下さい。

撤去期間中は、なかなか天気が思わしくなく、曇り空ばかりで暗めの写真になってしまいました。
写真は明るくするなど、若干の修正を加え、見られるようにしたつもりです。
13日(火)と18日(月)は、仕事の都合で行くことができず、カメラに収めることができませんでした。
定点で撮る意識がなかったため、それぞれにちょっとしたズレがあり、比較しにくい点があります。
日にちを違えて同じような場所から撮っている、ムダに似たような写真が続くこともあります。
残念ながら、上から見おろした歩道橋の姿を撮ることができませんでした。

写真の構成上、時間の経過と前後して配置している場合があります。
一部を除いて、写真をクリックしても大きくはなりません。ご了承下さい。



◆特別公開◆
定点撮影
長崎県長崎土木事務所河川防災課中島川整備班様から
写真15枚を特別にお借りし、公開しております

◆ちょっと古いですが◆
魚の町歩道橋撤去の模様です
撤去期間/2002年(平成14)1月16日、6月30日、7月1日〜3日


◆撤去作業以前◆
○…昼間撮影、★…夜間撮影、×…撮影できず
築町橋桁、江戸町橋桁、浜町橋桁、銅座町橋桁は、すべてサイト作成者の便宜上の造語です

  1/28(日)……○最後の勇姿(1)撤去作業開始まで、あと8日です
  2/03(土)……○最後の勇姿(2)撤去作業開始まで、あと2日です

◆撤去作業◆
  2/05(月)……★撤去がはじまりました。築町の2つの階段を撤去していました
  2/06(火)……○築町の2つの階段が撤去されていました
  2/07(水)……○中央支柱から築町へのびる橋桁(築町橋桁)が撤去されていました
  2/08(木)……○江戸町の2つの階段が撤去されていました
  2/08(木)……★中央支柱から江戸町へのびる橋桁(江戸町橋桁)を撤去していました
  2/09(金)……○中央支柱から江戸町へのびる橋桁(江戸町橋桁)が撤去されていました
  2/10(土)……○築町と江戸町に架かる仮設歩道橋の支柱が補修されていました
  2/11(日祝)…○さらに築町と江戸町に架かる仮設歩道橋の支柱が補修されていました
  2/11(日祝)…★築町と江戸町に架かる仮設歩道橋の橋桁を設置していました
  2/12(月振)…○築町と江戸町に架かる仮設歩道橋の橋桁が設置されていました
  2/13(火)……×仮設歩道橋の築町側に2つの階段が設置されました
  0/00(●)………でも見に行くことができませんでした
  2/14(水)……○仮設歩道橋の江戸町側に2つの階段が設置されていました
  0/00(●)………まだ仮設歩道橋自体の通行は禁止です
  2/15(木)……○築町と江戸町を結ぶ仮設歩道橋が通行可能になりました
  0/00(●)………まだ築町、県庁坂に向かう階段は通行禁止です
  2/16(金)……○仮設歩道橋の築町、県庁坂に向かう階段も通行可能になりました
  2/17(土)……○浜町と銅座町の間に残った中央橋歩道橋が通行できる最後の日です
  2/17(土)……★銅座町の2つの階段を撤去していました
  2/18(日)……○銅座町の2つの階段が撤去されていました
  0/00(●)………中央橋歩道橋が完全に通行禁止となりました
  2/19(月)……×見に行くことができませんでした。いったい何があったんでしょうか?
  2/20(火)……○浜町の2つの階段が撤去され
  0/00(●)………「く」の字、もしくは「へ」の字の橋桁だけとなりました
  2/21(水)……○中央支柱から浜町へのびる橋桁(浜町橋桁)が撤去されていました
  2/22(木)……○築町と江戸町を結ぶ仮設歩道橋に、ちょっとした変化を見つけました
  2/23(金)……○中央支柱から銅座町へのびる橋桁(銅座町橋桁)が撤去されていました
  0/00(●)………中央橋交差点から、すべての橋桁がなくなりました
  2/24(土)……○中央支柱の上に残った中心部の床板が撤去されていました
  2/24(土)……★中央支柱を撤去していました

◆撤去作業終了後◆
  2/25(日)……○中央橋交差点から歩道橋がなくなりました。影も形もありません
  0/00(●)………きれいさっぱり、遠くまで見渡せます
  3/04(日)……○撤去作業が終わって1週間が過ぎました



◆撤去と仮設の風景◆
看板と貼紙
歩行者などに注意を促す看板や貼紙を追いました
謎の三角形
仮設歩道橋、築町側にできた謎の三角形を追いました
むかしの階段
江戸町、県庁裏通りに向かう階段についての考察

撤去日記
ブログに書いていた雑文をまとめました





歩行者の動向

中央橋歩道橋が撤去され、歩行者の動向が変わりました。
これまで×字型歩道橋を使用して行き来をしていた浜町、築町、銅座町、江戸町の間は
そのほとんどが、ちょっぴり遠い横断歩道を使用することになります。

浜町〜築町…………鐵橋先の横断歩道
浜町〜銅座町……ステラ前の横断歩道
銅座町〜江戸町…長久橋先の横断歩道

ただ、築町と江戸町の間は、バスの乗り換えなど、人の流れの要所でもあるにもかかわらず
県庁前まで行かなければ横断歩道がないため、仮設歩道橋が架かりました。

ちなみに、×字型歩道橋が撤去される直前の1日あたりの利用者数は
鐵橋先の横断歩道(浜町〜築町)…………………16,000人
ステラ前の横断歩道(浜町〜銅座町)……………16,000人
中央橋歩道橋(浜町・築町・江戸町・銅座町)…08,000人
というデータがあるそうです。
中央橋歩道橋でいちばん利用頻度が多いのは、浜町〜江戸町、築町〜銅座町の対角線での利用です。

今後の展開

そして今後の展開はというと…中央橋架け替え工事が終了するのは2年後の2009年(平成21)3月。
その後、交差点での歩行者の通行を歩道橋にするのか? はたまた横断歩道にするのか?
いまのところ、まだ未定、白紙の状態だそうです。
のちのち各関係機関(県や市、住民や商店街、各交通機関、警察など)が十分な話し合いの末、決めるそうです。





歩道橋撤去…それは、男の浪漫です。





◆リ ン ク◆
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