撤去日記
ブログに書いていた雑文を再構成しました
ブログから中央橋歩道橋撤去に関する記述をまとめました。
書き込みは、思い出しながらのため日付が前後するときがあります。
ブログ的には毎日書き込みをしておりますが、歩道橋のお話が毎日続いているわけではありません。
日付、曜日の後はアップした時間(24時間単位)です。
(+今日の歩道橋)は、他の話にプラスして、そのときの歩道橋の模様を書いているものです。
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2/5(月)08:40
2時間で71枚(歩道橋1)
中央橋歩道橋の撤去作業が今夜から始まります。
その、最後の勇姿を残そうと、3日(土)、午後1時半から2時間かけてカメラに収めました。
中央橋交差点に赴いたのは、1月28日(日)に次いで2回目です。
3日、2時間で撮った総数は71枚。
少ないかもしれませんが、人が通り終わるのを待っていたり、
信号が青になって自動車が通り過ぎるのを待っていたり…と
けっこう待ち時間の方が多かったかもしれません。
歩道橋の江戸町側から浜町側へ延びる通路を撮ろうとしたら
ひっきりなしに通行人がおり、シャッターが切れたのは30分近く待ったあとでした。
また、下から階段をあおろうとしたら、スカート姿の女性が通りかかり、
痴漢と間違えられるのではないかとハラハラしました。
撤去作業が終わるのは2月25日(日)未明の予定です。
それまでのあいだ、経過報告ができるかどうか分かりませんが
作業が終わり次第、まとめてご報告したいと思います。
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2/6(火)02:00
歩道橋のこと(歩道橋2)
歩道橋が日本で初めて設置されたのは大阪駅前。
駅前広場と阪急、阪神の両ビル間の広い道の上にできました。
歩道橋の完成で自動車の混雑は緩和、歩行者も安心して横断できるようになりました。
1963年(昭和38)4月25日のことです。
この歩道橋は、松下電器が社会貢献活動の一環として建設、大阪市に寄贈しました。
記念して4月25日が歩道橋の日となりました。
でも実は、その4年前の1959年(昭和34)6月27日、
愛知県西枇杷島町で小学生の死亡事故をきっかけとして、
住民と行政が協力し全長46.8米の「西枇杷島歩道橋」を完成させました。
…よく分かりません。
以来、1960〜70年代にかけての高度成長期、
交通事故防止のために日本全国いたる所に設置されました。
長崎でも、1966年(昭和41)2月7日の
長崎駅前横断歩道橋を皮切りに、市内41か所に設置されました。
長崎の場合は、主に歩道と路面電車の停留場を結ぶための歩道橋が多く、
主要道路には必要なものでした。
時代を経て、高齢者や身体障害者の障壁をなくすための
バリアフリー思想が広がり、歩道橋の存在理由が薄れました。
そして今、歩道橋はエレベータや信号・横断歩道に切り替わろうとしています。
今回、撤去される中央橋歩道橋は、1967年(昭和42)12月28日、
中央橋脇の国道324号と市道出来大工町江戸町線の交差点に
交通混雑緩和のため建造された×字型の歩道橋です。
当時、この種の歩道橋は、北九州に次いで2番目で工費は約2560万円でした。
中央橋歩道橋主桁の長さは
浜町から江戸町までが44.4米、築町から銅座町までが33.9米。
また8つある階段の、それぞれの段数ですが
浜町の北側が37段、東側が35段で
築町の北側が37段、西側が37段
江戸町の西側が37段、江戸町南側が37段で
銅座町の東側が36段、銅座町南側が37段です。
浜町東側と銅座町東側の段数が少ないのは
ちょうど、階段の始まりが中島川をまたぐ中央橋の上にあるためです。
ちなみに、階段の踏み幅と高さですが、標準値として踏み幅は30糎、高さは15糎と決められています。
ただ、やむを得ない場合として踏み幅26糎以上、高さ18糎以下にも替えられるそうです。
また横断歩道橋の横幅ですが、歩行者の利用頻度によって違いますが、1.5米以上なければいけないそうです。
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2/7(水)01:21
男の浪漫(歩道橋3)
ついに、中央橋歩道橋の撤去作業が始まりました。
これから25日未明まで繰り広げられます。
5日夜は、初日ということもあって、なんと3つのテレビ局が取材に来ていました。
「ただいま、中央橋歩道橋の撤去作業が始まりました。階段部分が吊り上げられております…」
横で、実況しております。
当日は築町、遊ING側の2箇所の階段が取り外されました。
5日の作業に続いて、
6日夜…歩道橋中心部から築町側の橋桁の撤去
7日夜…江戸町、コンビニ側の階段の撤去
8日夜…歩道橋中心部から江戸町側の橋桁の撤去
…
と、毎日の作業となります。
そして、今回の撤去作業の中で、最大のポイントは仮設歩道橋の架設です。
仮設歩道橋は、先に外された築町と江戸町の間に直線で架かります。
他は、近くに横断歩道があるからいいのですが、
浜町〜築町………鐵橋先の横断歩道
浜町〜銅座町……S東美とステラを結ぶ横断歩道
銅座町〜江戸町…長久橋先の横断歩道
でも築町〜江戸町だけは、県庁前まで行かないと渡れないのです。
橋桁の架設は11日(日祝)。
この日だけは、決定事項として動かせないらしいのです。
たぶん、県庁坂が全面通行止となるため、届け出とか、いろいろ諸問題あるのでしょう。
…なもので、それまでの間は、雨が降ってもしなければならないということです。
現場にいたのは、5日(月)11時25分から6日(火)1時45分まででした。
歩道橋撤去…男の浪漫を感じさせます。
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2/8(木)00:14
(+今日の歩道橋)
7日(水)の昼間は、築町、歩道橋中心より築町、遊ING側へ向かう橋桁がなくなっていました。
これで、築町は一時的に陸の孤島となり、浜町からは鐵橋からの横断歩道、
江戸町からは県庁前の横断歩道を渡らなければなりません。
で、たぶん、いま、この時間は江戸町、コンビニ側の2つの階段の撤去作業をしていると思います。
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2/9(金)02:00
(+今日の歩道橋)
8日(木)の昼間です。江戸町、コンビニ側の階段が撤去されていました。
これで築町に続き江戸町も、離れ離れになってしまいました。
歩道橋の上にいると、ひとりの年配の女性がキョロキョロしています。
「あれ、行けないのね。どうしましょう…」
困っています。
私は近寄り「あそこから降りて、あの信号を渡れば行けますよ」
「あっ、そうね。どうもありがとう」
そう言うと、女性は手すりにつかまりながら
歩道橋の階段を降りていきました。
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2/10(土)01:14
8日の夜(歩道橋4)
8日(木)の夜は、歩道橋撤去の見せ場のひとつ
歩道橋中心から江戸町側に架かる、いちばん長い橋桁の撤去作業が行なわれました。
ちょうど、夕方くらいから土砂降りの雨で、稲光りがとどろきました。
黄海にある低気圧からのびる前線の影響らしいのです。
でも、夜9時過ぎには雨も上がり、作業は行なわれました。
タイヤが10本以上ついている大型クレーン車が
交差点から県庁裏通り側に右折、コンビニ横に停まりました。
橋桁を吊り下げた形で固定し、橋脚との接合部分など切り離します。
コンクリートを粉砕するハンドブレーカが、大音響とともに活躍していました。
県庁坂下の道路に慎重に降ろされると、トレーラーに積み込むため、長い橋桁は2つに分割されます。
そんなこんなで、現場に3時までおりました。
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2/12(月・振)11:32
「く」の字、または「へ」の字歩道橋(歩道橋5)
築町の2つの階段と築町橋桁、
江戸町の2つの階段と江戸町橋桁がありません。
なもので思案橋から見たら「へ」の字に、県庁裏通りからみたら「く」の字に見えます。
ふつうなら浜町から銅座町に、まっすぐ一直線に結ばれるのでしょうが、
撤去作業の途中なもので仕方のないことです。
とても珍しい光景と思われます。
きのう、11日(日祝)の夜には
築町と江戸町に架かかる仮設歩道橋の橋桁部分の設置作業がありました。
3つに分かれてやってきた橋桁が地上で結ばれ、クレーン車に吊されました。
今回の撤去作業、最大の見せ場と思われます。
2時40分まで現場におりました。
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2/13(火)00:14
あまり知られていない(歩道橋6)
けっこう皆さん、一般的に歩道橋撤去に関する認識がアヤフヤなようです。
歩道橋が、どのような手順で撤去されるのか?
どう、仮設歩道橋が設置されるのか?
中央橋の本格的な架け替え工事の最中は、どうなるのか?
中央橋が架け替え終わったあと、歩道橋はどうなるのか?
ほんとうは、あまり知らないのがフツウのことなのでしょう。
詳しく知っている私が、ヘンなのかもしれません。
9日(金)の昼間のこと。
歩道橋の写真を撮っていると
工事のお知らせの看板を見ていた女性と目が合い、
「どうなるのかしらね?」
「えーっとですね。中央橋の工事に入る前には○○○となり、×××となって、
工事が始まると、△△△となって、□□□となるようです」
「そうなの、たいへんね」
「はい」
関係者でもない、ズブの素人が、つい、受け答えをしてしまいました。
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2/14(水)00:52
見ることができませんでした(歩道橋7)
残念ながら昨日、13日(火)は、仕事の都合で、歩道橋を見に行くことができませんでした。
1日、見ないと、なんか寂しい感じがしてしまいます。
また今日、14日(水)もあやういような…。
たぶん12日(月・振)の夜に、築町から江戸町に架かる仮設歩道橋の築町側の階段2つを設置し
13日(火)の夜には、江戸町側の階段2つを設置しているはずです。
なもので、次に見るときは、もう仮歩道橋が完成し人が歩いているかも…。
渡り初めができなかったのが、悔しくてたまりません。
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2/15(木)00:21
見ることができました(歩道橋8)
14日(水)のお昼は、歩道橋を見に行くことができました。
築町と江戸町を結ぶ仮設歩道橋の橋桁に、それぞれ2つずつ、計4つの階段がついていました。
でも、まだ「立入禁止」の看板が階段をふさいでおり、人は歩いておりませんでした。
たしか、15日(木)から通行が可能になるはずです。
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2/16(金)08:40
渡ることができました(歩道橋9)
15日(木)のお昼、築町と江戸町を結ぶ仮設歩道橋が、通行可能になっていました。
ただ、それぞれ2つずつある階段のうち、江戸町の2つと築町の1つのみの開通です。
築町側、県庁坂への階段は、まだ通行ができませんでした。
よくよく見ると、通行できる3つの階段は、これまであった階段を、そのまま使っているようで
まだ、通行できない階段は新しい階段のようです。
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2/17(土)00:06
げんかつぎ?(歩道橋10)
げんを担いでいる訳ではありませんが
中央橋歩道橋の撤去作業が始まってから、まだ、髪の毛を剃っておりません。
歩道橋の撤去作業が終わるまでは、剃るまいと考えております。
…というか、たんなる無精なのかもしれません。
16日(金)のお昼、築町と江戸町を結ぶ仮設歩道橋の
立入禁止だった階段が通行できるようになっていました。
これで築町と江戸町の、2つずつの階段すべて使えます。
ただ、ところどころに段差の違う箇所や曲り角の鋭角な突起などがあり、
注意を促すため黄色と黒の彩色や緑のカラーコーンが設置してあります。
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2/18(日)02:00
(+今日の歩道橋)
昨日、16日(金)の夜は雨が降っていました。
家の中まで、雨音は聞こえていました。
作業状況は分かりません。
そして、17日(土)は、旧×型歩道橋が使える最後の日でした。
雨の中、「く」の字、もしくは「へ」の字の歩道橋を満喫しました。
予定では17日の夜、銅座町側の階段の撤去作業が行なわれます。
ここのところ、毎日、歩道橋のお話ばかりです。
25日(日)に交差点中央にある歩道橋支柱が撤去されるまで
毎日、続くと思います。
しばらくの間、ご辛抱、お付き合い下さいませ…。
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2/19(月)00:57
役目を終える(歩道橋11)
「く」、もしくは「へ」の字で浜町と銅座町を結んでいた
×字型歩道橋の残りの部分が、17日(土)の午後10時、通行禁止となりました。
そして雨の中、夜11時半からはじまった撤去作業で、まず銅座町側の2つの階段が取り外されました。
1967年(昭和42)12月28日に設置されて以来、
39年2か月にわたり中央橋のシンボルとして慣れ親しんだ中央橋歩道橋が、ついにその役目を終えた瞬間です。
18日(日)、午後6時。
「2007長崎ランタンフェスティバル」が開幕。一斉に街中のランタンに明かりがともりました。
そう、日曜日は春節、月は朔でした。
3月4日(日)の元宵節(月は十五夜)まで、長崎の街は色とりどりのランタンに彩られます。
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2/20(火)00:29
(+今日の歩道橋)
昨日19日(月)は仕事で福岡に行っていたため、
歩道橋の昼間の模様を写真に収めることができませんでした。
で、何が行なわれたのか、分かりませんでした。
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2/21(水)00:36
「く」の字、もしくは「へ」の字だけ(歩道橋12)
20日(火)の昼、歩道橋を見に行きました。
ここのところの日課となっております。
行けなかったのは、2回だけ…。
で…、な、な、な、なんと、交差点中心部で結ばれた、浜町橋桁と銅座町橋桁だけになっていました。
浜町、銅座町、ともに階段が取り除かれ「く」の字、もしくは「へ」の字の橋だけが残っていました。
もう、何も役に立たない歩道橋です。
「橋」といえるかどうか分かりません。
「門」…「ゲート」みたいな…。何といえばよいのでしょうか。
そして、今回の見どころは
橋の上の白地に赤文字の立入禁止の看板と、通行止めにするための緑色の柵がなくなっており
橋桁の端から端までが見通せる状態になっていました。
もう誰も通る人がいませんから、付けておく必要もないのでしょう。
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2/22(木)00:10
(+今日の歩道橋)
21日(水)の昼、中央橋交差点に行ったら
ついに浜町橋桁が撤去され銅座町橋桁1本になってしまいました。
何にも役に立たない橋?が1本、交差点に取り残されています。
とても寂しそうです。
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2/23(金)02:27
(+今日の歩道橋)
22日(木)の昼、築町と江戸町を結ぶ仮設歩道橋で
これまでとは違う、ちょっとした変化を見つけました。
そのお話は、いずれまたの機会に…。
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2/24(土)00:30
会社の同僚から(歩道橋13)
先日、会社の同僚から
「昼、中央橋に行ったら、藤城さんを見かけたんだけど、とても怪しかったよ。
歩道橋のまわりをカメラを持って走りまわっていて。
知り合いにみられたくないから、声、かけなかったけど…」
走りまわるのは、仕方ありません。
短時間に、どこから撮ればベストか、カメラアングルを決めているもので…。
でも、ひと声かけて欲しいものです。
23日(金)のお昼、ついに中央の支柱だけになっていました。
四方にのびる橋桁が1本もありません。
また、橋の下の影で、ずっと頑張っていた信号機もなくなっていました。
なぜか、仮設歩道橋の築町、県庁坂側の階段が通行止めとなっていました。
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2/25(日)16:48
金曜と土曜のこと(歩道橋14+15)
歩道橋の雄叫び(歩道橋14)
23日(金)の夜遅く、寝ようとしたら
外から、けたたましいブレーカの爆音が聞こえてきました。
も、も、もしかして、中央橋歩道橋、最後に残った中央の支柱を撤去しているのでは…!?
え〜っ!明日、24日(土)の夜じゃなかったの〜〜〜〜!!
まるで、
壊されるのをいやがっているような…
私に助けを求めているような…
そんな雄叫びにも聞こえました。
あれっ?歩道橋って男だったんだ。
なにせ、歩道橋撤去は“男のロマン”を感じますもので…。
交差点に煙突(歩道橋15)
24日(土)のお昼、中央橋の交差点に行ったら、真ん中に煙突が1本立っていました。
たぶん、四方からくる橋桁を交差点の中央で支えていた主柱だと思います。
たぶん…じゃなくて、そうなのです。
ということは、昨日の夜中に聞こえたブレーカの爆音は
柱の上にあった歩道橋の中央床部分を撤去していたのでしょう。
あつ、それと昨日のお昼、通行止めだった
築町と江戸町を結ぶ仮歩道橋の築町、県庁坂側の階段が通行可能となっていました。
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2/26(月)00:14
土曜の夜と日曜の昼間(歩道橋16+17)
煙突撤去(歩道橋16)
24日(土)の夜、歩道橋撤去最後の作業を見に行きました。
交差点中央に立っている煙突の撤去です。
ウソです。
四方からくる橋桁を支えていた主柱の撤去です。
まず主柱、下部に巻き付いているコンクリートを、ブレーカで取り除きます。
そして埋まっている部分もほじります。
主柱は道路、かなり奥深く埋まっているかと思いましたが、実際は、20糎くらいでした。
バーナーである程度、焼き切ってから、クレーン車で吊るしトレーラーに積み込まれました。
24日(土)11時15分から25日(日)2時30分まで現場におりました。
きれいさっぱり(歩道橋17)
25日(日)の昼過ぎ。
交差点には、もう、なにもありませんでした。
昨夜、ほじられた中央部分は、キレイに埋め込まれていました。
スッキリと遠くまで見通せます。うそのような世界です。
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3/2(金)01:00
写真を完全保存(歩道橋18)
HP作成の記事のため省略
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3/4(日)01:48
もっか(歩道橋19)
HP作成の記事のため省略
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3/5(月)01:02
げん担ぎ、もしくは無精(歩道橋20)
日曜日、床屋さんで頭を剃ってもらいました。
剃るといっても、剃刀でなくバリカンでですが。
この前、頭をいじったのは、たしか1月後半。
まだ歩道橋撤去作業が始まる前でした。
以来、げんを担いで、伸ばしたままでした。
そして、無事、撤去作業が終了し、1週間後の昨日。
久しぶりに床屋さんに行ったのです。
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3/6(火)00:21
恋人は…いない(歩道橋21)
3月4日(日)、1週間ぶりに中央橋交差点へ行きました。
昔の恋人と再会するような、そんな気分です。
胸の高まりが押さえきれません。
浜市アーケードを抜け、鐵橋を渡り、そのまま横断歩道を進みます。
ふと、左手を見ると中央橋交差点です。
でも、もう、そこに歩道橋はありません。
恋人は…もういないのです。
探したいけど、探せません。
切ないです。
世の中は、なにもなかったかのように、変わりなく毎日、日常を送っております。
これまでの歩道橋がなくなり、その代わり、築町と江戸町の間には仮設の歩道橋が出来上がりました。
築町と江戸町以外の移動は、横断歩道となります。
初めのうちは遠まわりで、ちょっぴり面倒と思うかもしませんが
やがて、歩道橋がないのが当たり前となり、横断歩道を渡るようになります。
交差点に歩道橋があったという礎は、なにもありません。
寂しいかぎりです。
私自身、1週間前までは、毎日のように交差点に通っていました。
でも、もう、行く必要はなくなってしまいました。
いまとなっては、ウソのようです。
まったく緊張感がなくなってしまいました。
糸が、プツリと切れた感じです。
さて、その後の交差点がどうなっていたのか、気が気でなりませんでした。
と…仮設歩道橋に変化が見られました。
築町側の階段ですが、県庁坂方面から登り切ったところにあった謎の三角形の出っ張り。
これまでは引っかからないようにカラーコーンで注意を促していましたが、
なんと、三角形の上に手すりが出来上がっていたのです。
いつ直したのかは分かりません。
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3/8(木)00:37
中央橋交差点の信号機・1(歩道橋22)
まだ、中央橋交差点に歩道橋がなかった頃。
もちろん、信号機もなかった時代でしょう。
お巡りさんが交差点の真ん中の小さな台の上に立って、手信号で自動車の流れを指示していたそうです。
交通量も、いまみたいに多くない古きよき時代と思います…。
とある方から、お聞きした話です。
中央橋ができたのは1952年(昭和27)12月5日。
中央橋歩道橋は1967年(昭和42)12月28日にできました。
中央橋の交差点に信号ができたのは…。
ただいま調査中です。
ひとつ、勝手な希望としては、年の1桁が「2」か「7」。
そして「12月」であってくれれば、ちょうどいいのにな…。
と考えます。
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3/11(日)11:27
「中央橋歩道橋撤去」アップへ向けて(歩道橋23)
写真データが揃いました。
以下、延べ22日間、26回交差点に赴き撮った枚数、データ化した枚数、HPにアップする枚数です。
○=昼間、☆=夜間、×=行けなかった日
数字は左から、その日に撮った総枚数、データ化した数、HPにアップする数、となります。
1/28(日)……○-26-26-24
2/03(土)……○-71-57-42
2/05(月)……☆-25-25-24
2/06(火)……○-07-07-07
2/07(水)……○-15-15-14
2/08(木)……○-17-09-08
2/08(木)……☆-39-33-25
2/09(金)……○-14-14-11
2/10(土)……○-10-10-10
2/11(日祝)…○-12-11-09
2/11(日祝)…☆-43-43-33
2/12(月振)…○-22-22-16
2/13(火)……×
2/14(水)……○-09-08-07
2/15(木)……○-20-14-12
2/16(金)……○-14-14-13
2/17(土)……○-60-59-39
2/17(土)……☆-08-05-05
2/18(日)……○-25-25-21
2/19(月)……×
2/20(火)……○-35-35-23
2/21(水)……○-21-21-21
2/22(木)……○-12-12-10
2/23(金)……○-21-21-20
2/24(土)……○-20-20-17
2/24(土)……☆-51-51-40
2/25(日)……○-20-20-18
3/04(日)……○-20-19-17
撮った総数637枚のうち、データ化したのは596枚。
そして今回、HPにアップするのは486枚の予定です。
(以下、HP作成の記事のため省略)
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3/12(月)00:31
中央橋交差点の信号機・2(歩道橋24)
中央橋交差点のことを、いろいろ探ってて、ふと、疑問がわきました。
交差点に信号機が設置されたのは、いったい、いつなのでしょうか?
先に答えをお教えします。
答えは…「いまのところ、はっきりしたことは分かりません」。
中央橋自体ができたのは1952年(昭和27)12月5日。
そして中央橋歩道橋は、1967年(昭和42)12月28日。
幅が広すぎますが、なんとなく、この間、ということは分かります。
なもので、先週、いろいろ訪ねてみました。
まず3月5日(月)の夜、長崎警察署へ。
受付から交通課に案内され、お話をうかがいます。
「はっきりしたことは、分かりません。
昭和45年3月に、定周期信号機となった。までは、分かりますが、
それ以前となると資料もないし…。
ただ、大波止の交差点には昭和28年に設置されたようです。
県警に聞いてみたら分かるかもしれませんね」
そこで次の6日(火)の昼に長崎県警察本部へ。
受付で規制係の方にお聞きしました。
「こちらに残っている資料を見る限りでは
昭和45年3月に定周期信号機となった、としか分かりません」
さらに翌7日(水)、気持ちを新たに長崎市役所へ。
交通企画課に行きました。
「分かりません。
信号機は、管理している警察関係でないと…。
もしかしたら、道路を管理している県の土木事務所なら分かるかもしれませんね」
で、同じ7日(水)、
長崎県長崎土木事務所に電話で問い合わせました。
「こちらでは、分かりません。
やはり、警察でないと分からないんではないですか」
う〜〜〜ん!もう!! ひとり堂々めぐり状態です。
ならば、いったい、どうしたらいいのでしょうか!!!
さて、さて…。
定周期信号機が付いたといわれる昭和45年3月。
このとき、中央橋交差点に信号機が初めてついた…わけではないと思います。
それ以前にも信号機はあったはずです。
ゼロ→歩道橋→信号機…ではないでしょう。
順当に考えて、ゼロ→信号機→歩道橋…となるはずです。
ここまで、いろいろな方面の方々に、ご面倒をかけて調べていただいた…
にもかかわらず、分からなかった問題ですが、はたと、頭を過ったこと。
もしかして、自分が作っている「長崎年表」や
座右の書でもある「市制百年長崎年表」(長崎市役所)に載っていたりして…。
恐くて、探せません…。
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3/13(火)01:37
知らなかった!?(歩道橋25)
な、な、なんと、歩道橋が撤去されたのを知らなかった人がいました。
…といっても、撤去されることは知っていたそうです。
でも、ぜんぜん中央橋交差点を通らないし、ということは、見てもいないし。
お話をお聞きしたのは3月8日(木)。
その日、初めて、歩道橋のない交差点を見たそうです。
3月8日といえば、工事が開始されてから31日目、
工事が終了し、なにもなくなってから12日も過ぎているのにです。
まるまる1か月、見ていないことになります。
まあ、中央橋交差点を通らなければ見ることもできない。
仕方のないことかもしれませんが…。
それにしても…。信じられません。
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3/14(水)00:49
中央橋交差点の信号機・3(歩道橋26)
3月8日(木)にも書きましたが
まだ、中央橋交差点に歩道橋がなかった頃。
もちろん、信号機もなかった時代のこと。
とある方から、さらにお話をうかがうことができました。
お巡りさんが交差点の真ん中の小さな台の上に立って
手信号で自動車の流れを指示していたそうです。
台の上には、かっぷくのイイ、ひとりの名物お巡りさんが自動車の誘導。
指示をするのに体全体で表現をして、まるで踊りをおどっているかのようだったとか。
その、とある方が言うには
「信号ができたのは
昭和30年代初めくらいだったんじゃないかな」
少しずつですが
中央橋交差点に信号機が設置された
年代の幅が狭まってきたような気がします。
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3/16(金)00:47
「中央橋歩道橋撤去」アップへ向けて(歩道橋27)
HP作成の記事のため省略
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3/20(火)01:31
久しぶりの年表更新
と、いっても、「長崎年表」そのものの更新ではありません。
「中央橋歩道橋撤去」HPアップに向けての更新です。
[長崎年表冩眞舘]に1枚の写真を追加しました。
1921(大正10)頃の西浜町三叉路です。もちろん、中央橋が架かる、ずっと以前です。
また[長崎補色の其之拾参「歩道橋」]の文章を手直ししました。
こちらでは公会堂前にあった魚の町歩道橋の撤去の模様を綴っています。
(ちなみに今回は「長崎年表」の宣伝もかねてます)
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3/21(水)00:44
もうちょっと(歩道橋28)
HP作成の記事のため省略
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3/23(金)00:12
撤去期間中、延べ22回(歩道橋29)
まだまだ歩道橋の話が続きます。
撤去作業は連続20日間、行なわれました。
そのうち撤去期間中に限れば、延べ18日、22回通いました。昼間は17回、夜は5回です。
撤去作業をしている夜は、毎日、赴いたわけではありません。
作業は11時30分から翌朝5時だったもので、
もし、毎日、現場に行っていたら、それこそ体がもちません。
昼間の仕事に差し支えてしまいます。
そこで、要所要所の作業のとき、以下の4日間だけを、ポイントとして押さえました。
▼まずは、2月5日(月)の撤去初日。この日を逃すわけにはいきません。
テレビ局も3社、取材にきてていました。
築町の2つの階段の撤去です。
▼そして2月8日(木)、江戸町にのびる橋桁の撤去の日。
この橋桁は、中央から4方向にのびる橋桁のうち、いちばん長い橋桁で見ごたえ充分。
▼続いて2月11日(日祝)、
築町と江戸町を結ぶ仮設歩道橋の橋桁の設置です。新しく仮の橋が架かりました。
これまで撤去の模様は、魚の町歩道橋、勝山町歩道橋、中央橋歩道橋と見てきましたが、設置は初めてです。
▼最後は2月24日(土)、撤去作業最終日。もちろん、見逃すわけにはいきません。
最終日の作業は交差点中央にある支柱の撤去です。
もう、この日を最後に、歩道橋は影も形もなくなってしまいました。
あとの階段撤去にしても、橋桁撤去にしても、同様の作業の繰り返し、と勝手に思い、休みにしました。
昼間。ウイークデーは、仕事の合間をぬって昼休みに中央橋交差点まで。
限られた時間内で交差点まで行って写真を撮って…
近くで簡単な昼食をとって…慌ただしいお昼でした。
日曜祝日の昼間は、真夜中やウイークデーみたいに、追われることもなく
午後から、のんびりと交差点に行き、自由気儘に写しました。
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3/24(土)00:15
わざわざ(歩道橋30)
そういえば、まだ歩道橋の撤去作業が始まる前、
最後の勇姿を撮っていたときのことです。
たとえば、4つの町のうちの、ひとつの町で写真を撮っていて、違う町へ移動します。
わざわざ遠まわりになる横断歩道を使わないで、歩道橋を使うでしょう。
そういうときなら、まだしも、同じ町内での移動に、歩道橋の階段を使ってしまいました。
間違えて、築町の階段をのぼり、同じ築町の、もうひとつの階段を、そのままおりたのです。
なら、階段をのぼらなくても、そのまま下の歩道を歩いた方が早いし、疲れることもないのに…。
何も考えずに…次は、あそこのシーンを撮ろう、という思いで頭がいっぱいだったのでしょう。
つい、クセで(なにがクセなのか!)…いやいや…。
つい、本能で(それが本能なのか!)…いやいや…。
うっかりしていました。
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3/25(日)12:57
秒読みかも(歩道橋31)
HP作成の記事のため省略
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3/26(月)02:35
こわい(歩道橋32)
「築町と江戸町の間に架かった仮設歩道橋が怖い」という話を、よく聞きます。
いったい、なにが怖いのでしょう。検証してみます。
まず、揺れます。
まあ、どの歩道橋でも、飛び跳ねたり、走ったりしたら揺れます。
でも、揺れます。
さらに、橋桁。
床板の脇には、ちょっとした縁が付いているだけで、
すぐ外側には、15センチほど隙間があり、下が見えます。
橋桁から手すりにかけては横断幕でかこっている箇所もありますが、
周囲が、ちょっと見え過ぎるようです。
また4つある階段のうち、3か所で、以前の階段を流用しています。
もとの高さと新しい橋の高さが違うためか、地面に近いところで、継ぎ足したりしています。
また、橋桁から階段に移る床面に、若干、角度が付いていたり…
階段の踊り場近くでは、段の高さが微妙に違っていたり…しています。
私は大丈夫です。
高所恐怖症にもかかわらず
もう何回も通って、何回も渡っているから、慣れたのかもしれません。
でも、初めての人には、ちょっと違和感があるかもしれません。
用心ください。
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3/28(水)00:25
中央橋交差点の信号機・4(歩道橋33)
中央橋交差点に信号機が設置されたのが、いつなのか、です。
恐る恐る、座右の書「市制百年長崎年表」を探ってみました。
そうしたら、大波止と春雨の交差点に信号機が設置された時期が分かりました。
まず、1953年(昭和28)1月1日に春雨通り十字路に自動交通信号機が設置されます。
ただ、ここで言う「春雨通り十字路」が、どこなのか特定できておりません。
たぶん、今の観光通停留場の所ではないかと思いますが…。
記述には「初めて自動交通信号機を設置」とあり、これ以前には、設置されていないことが分かります。
また、以前、長崎署でお聞きしていた「昭和28年の大波止交差点」ですが、
1953年(昭和28)4月1日であることが分かりました。
で、問題の、中央橋交差点です。
残念ながら、「市制百年長崎年表」の昭和28年から35年までの間にはありませんでした。
ということは、それ以降か…。
それとも記載されなかったか…となります。
でも、「それ(昭和35年)以降」ではないと思います。
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3/31(土)00:39
立入禁止と通行止[1](歩道橋34)
歩道橋の撤去をしているとき、「立入禁止」と「通行止」の2種類の看板が目に付きました。
工事現場などでよく見かける看板ですが、いったい、どう違うのでしょうか。
設置してある場所も、それぞれに違います。
似たような意味あいがあり、どっちがどっちでも、イイような感じもありました。
でも、なにか違うような…。
そこで、4つの辞書をひも解いてみました。
「広辞苑(岩波書店)」「新明解国語辞典(三省堂)」「国語辞典(岩波書店)」「類語新辞典(角川書店)」
残念ながら、上の4冊には載っていませんでした。
そこで、自分なりに考えてみました。なんとなくですが
「立入禁止」は、なかに立ち入ることを禁止していて、
「通行止」は、通ることを止めているような…感じがします。
とても奥深いようです。
そこで、撤去現場にあった看板を考察してみます。
▼歩道橋の通路です。
4方向あるうちの2つの階段が撤去され、先へは行けなくなりました。
で、「立入禁止」となります。
▼橋の入口、階段です。
階段はありますが、もうほかのところには階段がなく
昇っても、違う場所で降りることができないため、歩道橋の意味をなしていません。
なもので、「通行止」となります。
ただ…。
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4/1(日)12:46
立入禁止と通行止[2](歩道橋35)
写真は、仮設歩道橋設置の翌日、2月14日(水)です。
しかしながら、階段の登り口で「立入禁止」としています。
「通行止」にして、『他から行って』と促しているのではなく、
『入ってはいけません』と拒絶しているのです。
…というのも、このときは仮設歩道橋の設置直後で、まだ通行は禁止です。
なら、「通行止」でもいいのかもしれませんが、
立ち入って危険があるかもしれませんもので、「立入禁止」としているのでしょう。
理に、かなっているような気がします。
べつに「通行止」の看板がなかったから、というわけではないと思います。
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4/3(火)00:48
立入禁止と通行止[3](歩道橋36)
2月18日(日)の写真です。
前日の夜に銅座町の2つの階段が撤去されたばかりです。(橋の先端)
残るは、浜町〜銅座町の「く」の字、もしくは「へ」の字の橋と、浜町の2つの階段だけです。
浜町の2つの階段登り口には、「通行止」の看板が通行をふさいでいます。
(3月31日にアップした2枚目の「通行止」の写真です)
だから、歩道橋にはのぼることができません。
というか、のぼっても、おりるところがなく、もう歩道橋としての使い道がないのです。
にもかかわらず、のぼれない階段の先の橋の先、行き止まりの箇所に「立入禁止」の看板があります。
なぜ、誰も行かないところに「立入禁止」の看板があるのでしょう?
考察するに…たとえば
浜町の「通行止」の看板を乗り越える人がいるとします。
階段をのぼります。
そして交差点中央を左に90度曲がれば銅座町となります。
でも、先に階段はありません。それ以上、行けないのです。
そういう人のために『入ってはいけません』と、警告しているのかもしれません。
階段の入口と橋の先端、二重の用心です。
そして次の日には、浜町の2つの階段も撤去され
ついに、「く」の字、もしくは「へ」の字の橋だけとなりました。
なもので、人が橋の上を通るということは、もう絶対にあり得ません。
だからでしょう。通路の両端には「通行止」の看板も、「立入禁止」の看板も、柵もありませんでした。
当然のことです。
でも、もし、そこに…。
「通行止」や「立入禁止」の看板があったとしたら…。
いったい、どこからきた人、どこへ行く人に注意を促しているのでしょうか?
そして、どこへ行ってはいけないと言っているのでしょうか?
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4/4(水)00:40
立入禁止と通行止[4](歩道橋37)
2月23日(金)、すべての階段と橋桁が撤去されました。
残るは中心部の床板と一部の柵だけです。
もう、誰も、のぼることも、おりることも、通過することもできません。
で、もし、壊されずに残った手すりを柵やロープなどで、囲んでしまったら…。
下に落ちることはないでしょうが、
それこそ、誰も、のぼることも、おりることも、通過することもできません。
さらに、「通行止」なり、「立入禁止」なりの看板があったら…。
どうしましょう…。
というか、この時点で橋の上に行くことが不可能なんですが…。
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4/5(木)00:50
1か月(歩道橋38)
撤去工事が終わって、ちょうど1か月。
仮設歩道橋の江戸町側、県庁通りへ向かう階段です。
これまでの継ぎ足しの階段に加え、継ぎ足しの手すりがありました。
同じく仮設歩道橋に、新しい横断幕が設置してありました。
これまでの黄色い横断幕と違い、向こう側が透けております。
以上、3月25日(日)。まち歩きをしている途中に撮った中央橋歩道橋関連の写真2枚でした。
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4/14(土)01:13
出かけてみて(歩道橋39)
歩道橋を撤去していた頃のことです。
知り合いはみな、私が歩道橋に興味を持っていることを知っておりよく、話題になりました。
「歩道橋、工事してるね」
「うん」
「どうなるんだろうね」
「中央橋の工事に入る前には○○○となり、×××となって、
工事が始まると、△△△となって、□□□となるんだよ」
説明するのがタイヘンです。
久しぶりにあった人から、
「中央橋で見かけましたよ」と、声をかけていただきました。
「でも、走りまわっていたから、声、かけづらくて…」
「いま、中央橋歩道橋の撤去工事しているでしょ。毎日、出かけて、記録写真を撮っているもので」
お昼、延べ20日間近く同じところに行くと、いろいろ懐かしい方々に出会います。
こちらとしては、ある意味、昼休みという限られた時間の中で
写真撮影をし、昼食をとらなければならないため、時間との勝負なのです。
なもので、ゆっくり話もできません。
残念です。
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5/8(火)00:05
中央橋歩道橋撤去HPをアップ(歩道橋41)
お待たせしました。
たいへん遅くなりましたが、HP「もう、ない。」。ついに、アップしました。
そう、あの中央橋歩道橋撤去のHPです。
今回は、年表のように長時間かけて、少しずつ積み上げていくのではなく、
いっぺんに「0」から「100」まで作ることとなりました。
なもので、作成に、かなりな時間を要してしまいました。
ほどんど毎日、パソコンに向かい、あ〜だ!こ〜だ!と掛りっきりとなりました。
また、これまで以上に、ひと様の手をわずらわせてしまいました。
トップの動画を作ってくれた W・Aさん
サーバーへのアップを手伝ってくれたK・Aさん
他にもたくさんの方々の協力があって、HPは完成しました。心より感謝いたします。
HPをアップするにあたり
あらかじめ長崎県長崎土木事務所の担当者様に見ていただき
不備な点や画像の不具合など指摘箇所を修正し調整しました。
やっと、子どもが親の手を離れました。
これからは、子どもがひとり歩きをはじめます。
私は、じっと見守っていこうかと思います。
トップページの地図は動画になっております。
地図の上から歩道橋が順次なくなっていきます。
それでは、思う存分ご堪能下さい。
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5/9(水)00:14
中央橋歩道橋撤去HPは(歩道橋42)
昨日アップした中央橋歩道橋の撤去HPは
あくまでも中央橋歩道橋の撤去に焦点をあて
作業の動向を記録しただけです。
引き続き行なわれている…というか、こちらがメインですが、
中央橋の架け替え工事に関しては追いかけておりません。
ただし、これからのち、中央橋架け替え工事の一環で
仮設歩道橋なりに変化が見られた場合は
何らかの形で記録に残したいと思います。
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7/19(木)00:02
定点写真15枚をアップ/ひさびさの歩道橋撤去(歩道橋43)
ひさしぶりの中央橋歩道橋ネタです。
2月24日(土)歩道橋が撤去されて以来、145日が経過しました。
いまは、もう、むかしの面影はなく築町と江戸町の間に仮設歩道橋が架かっています。
(むかしっていっても、ついこの間のことですが…)
この仮設歩道橋は、写真撮影のために、よく利用します。
長いときで2時間、仮設歩道橋の上にいることもあります。でも揺れます。ものすごく揺れます。
閑話休題
少し前まで、長崎県長崎土木事務所河川防災課中島川整備班様のHPに
ビルの屋上から定点で撤去の模様を写している写真、15枚がアップされておりました。
でも、撤去工事は終了。
本格的な中央橋架け替え作業に入ったため、定点の写真は惜しくも外されてしまいました。
そこで、撤去時にお世話になった担当の方に訊ねました。
定点の写真を『もう、ない。』にお借りできないかどうか…?
そうしたら、快くOKのお返事をいただきました。
実をいうと、定点写真は『もう、ない。』になくてはならない写真でした。
なもので土木事務所様のHPで拝見して、自分が定点で撮らなかったこと、ものすごく悔やみました。
しかしながら後の祭り。
で、もし許されるなら、写真をお借りしたいと、ずっと心の中に秘めていたのです。
そして、念願がかなって。
ちなみに『もう、ない。』をアップして昨日で78日目。
総アクセス件数は246件となりました。
1日の平均は3.153846…件です。
これまで、少ないときでゼロ、いちばん多い日で10件のアクセスがありました。
マニアックなHPを見に来て下さる方々に感謝です。
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歩道橋の話が続くかぎり、ブログから、こちらに移していきます。
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