「長崎年表」のホームページを作ったのは、
企業でも行政でも有志団体でもありません
長崎に18年住んだ、いち個人の藤城かおる(ふじしろ・かおる)です
東京都豊島区生まれ東京育ち、岩倉高等学校(旧岩倉鉄道学校)運輸科を卒業
27才で東京を離れました
「なんで東京を離れたんですか?」とよく聞かれます
「う〜んと……地図帳を広げて目つぶって……
ここに行くぞ!って指さしたら長崎だった……」ってな感じです
長野県松本市で2年半の生活ののち
▼1991年(平成3)の秋から長崎に移り住みました▼
(外部リンクもあり)
▼1994年(平成6)1月11日▼
NBC長崎放送「電撃黒潮隊」にて「われらアルキメデス探偵団」が放送
所属していた「長崎路上観察学会アルキメデス」が取材を受けました
九州、沖縄、山口のJNN系8局ネットの番組。協賛はアートネイチャー文化事業団
プロデューサー/牛島嘉雄 ディレクター/大野陽一郎 カメラ・編集/猪口雅之 ナレーター/竹内淳
番組は第2回(1994年度)電撃大賞 娯楽部門特別賞受賞しました
▼1996年(平成8)12月14日▼
「電撃黒潮隊」が本になりました
九州、沖縄、山口のJNN系8局制作の受賞作23作が文章になってよみがえっています
石風社発行、税別1500円
表紙中央の鯨の右2となりに写っています。↑拡大してみました
▼1997年(平成9)8月21日〜2000年(平成12)3月22日▼
NBC長崎放送、朝のテレビ番組「UPるToday」に月1〜2回の割合で出演しました
コーナータイトルは「かおるちゃんの歩いてなんぼ」
毎回、街を歩いて面白いモノや変なモノを紹介し
2年半の中で大村湾岸1周、島原半島1周、長崎市内を歩きました
NBC長崎放送「UPるToday」のワンシーン
▼1998年(平成10)初めころ▼
ひどい頭痛に悩まされ検査入院をしたところ、先天性の脳梁欠損症であったことが発覚しました
担当の先生から生きていることを吃驚されました
▼1998年(平成10)4月▼
TBS系列の「どうぶつ奇想天外」にVTRで出演。春の特別2時間スペシャルの1コーナーでした
ミーアキャットという動物が生息する砂漠地帯では、夜になると急激に冷え込むため
太陽のある昼間に光を吸収するために日光浴をするそうです
問題、長崎バイオパークにいるミーアキャットは、どの光に反応するのでしょうか。4択です
(1)ロウソクのたば(2)スポットライトを当てたミラーボール
(3)豆電球付のドライヤー(4)スキンヘッドにスポットライトを1点照射
(4)の役となりました
ミーアキャットに人間だと気づかれないように迷彩の布で身体をおおい、頭だけだしました
問題に対して回答者の鈴木蘭々、高田純次、渡辺満里奈、加藤晴彦、トミーズの雅の全員が
共通して(4)のスキンヘッドを選択しました。しかしながら、正解は(1)と(3)でした
▼1998年(平成10)8月22日▼
NBC別館1階ABホールにて初めての写真展「かおるちゃん写真展」を開催しました
▼1998年(平成10)11月〜2007年(平成19)4月▼
長崎市広報課が企画する広報誌「NAGASAKI さるく」が発刊
「歩いて発見!ライブな長崎」をコンセプトに発刊。春(4月)と秋(11月)の年2回発行
2007年(平成19)4月発行の通巻18号までコーナー「さるく探検隊がゆく」に毎号参加しました
▼2000年(平成12)4月1日(平成12年度の1年間)▼
長崎市が運営する長崎伝習所の市民提案型塾「記憶の中の長崎案内塾」の塾長になりました
伝習所とは「市民と行政の協働の場として、人材の育成と政策を生み出す活動を行い
長崎の再生と想像に寄与する」ことを目的としているそうです
▼2001年(平成13)10月20、21日▼
史跡・出島和蘭商館跡内ヘトル部屋にて写真展「長崎の…」を催しました
講演のため来崎した赤瀬川原平氏に見ていただきました
▼2002年(平成14)2月12日〜2月26日▼
長崎ランタンフェスティバルのランタンの数が、本当に1万2千個あるのかどうか、数えてみました
結果を「ランタンの数をかぞえる」にまとめました
▼2002年(平成14)7月11日▼
郷土出版社から「目で見る長崎市の100年」が発行されました
藤城は古写真を所蔵している数人の知人をご紹介しました
巻末の協力者欄には藤城の個人名と勤務先の社名が、また資料欄には勤務先で発行していた誌名と
長崎伝習所「記憶の中の長崎案内塾」で発行したニューズレターが紹介されました
税別1万1千円です。高いですが、お近くの書店でご注文できます
▼2002年(平成14)12月15日〜翌年1月14日▼
1両の路面電車車内広告スペースに計145点の写真を掲げ
長崎初の電車内で写真展「長崎の…2」を催しました
詳細は、「路面電車内で写真の展示!?」に日記風にまとめております
▼2003年(平成15)2月1日▼
自作自演、全14曲入、初のCD「マンホールの蓋の上で」(品切中)をリリースしました
CDには長崎市内のマンホールの蓋写真集(50枚)が付録としてつきます
いや、もしかしたらマンホールの蓋写真集の付録に音楽CDがついているのかもしれません
▼2003年(平成15)2月16日▼
史跡・出島和蘭商館跡内ヘトル部屋にて
スライド上映とCD発売記念ライブ「マンホールの蓋の上で」を催しました
▼2003年(平成15)6月17日▼
ホームページ「長崎年表」を立ち上げました
▼2003年(平成15)9月▼
村木昭一郎氏が主宰する「演劇工房“貘”」にスタッフとして参加
第1回プロデュース公演「恋愛戯曲」を興行
9月27、28日@NBCビデオホール
▼2003年(平成15)10月13日〜25日▼
グラバー園内の旧スチイル記念学校2階で写真展「長崎の…3」を催しました
▼2004年(平成16)5月5日▼
藤城かおるの写真「ながさき観察」がポストカードに(休止中)
▼2004年(平成16)7月1日▼
藤城かおる家内生産により長崎市の「マンホールの蓋」がバッジに(休止中)
ポストカード、バッジは長崎市江戸町の長崎雑貨「たてまつる」にて発売しました
問い合わせは こちら まで
▼2004年(平成16)11月▼
村木昭一郎氏が主宰する「演劇工房“貘”」にスタッフとして参加
第2回プロデュース公演「夏の砂の上」を興行
11月27、28日@NBCビデオホール
▼2005年(平成17)6月28日▼
NCC長崎文化放送のニュースにて「マンホール(の蓋)に魅せられた男」で出演
7月7日には九州圏内のテレビ朝日系列のニュースで「下を向いて歩こう」としてダイジェスト版が放送されました
さらに12月23日、NCC長崎文化放送の長崎県美術館からの生放送の年末特番に出演(下の12月23日を見てください↓)
そして12月31日、テレビ朝日系列の全国放送の年末特番で大ダイジェスト版が放送されました
▼2005年(平成17)7月6日▼
藤城かおるさあどあるばむ「makuramoto」をfracture recordsよりリリース
個性的な表現力をもつダンガードAの4人が、それぞれにアレンジした4曲に加え
飛躍したインストゥルメンタル4曲を収録しています
「fracture records」のサイト内(Discography)で収録曲9曲(?)の試聴ができます
CD「makuramoto」は長崎市浜町の絃洋会楽器店にて絶賛発売中です
CDに関する詳しいお問い合わせは こちら まで
▼2005年(平成17)7月6日▼
史跡・出島和蘭商館跡内ヘトル部屋にて[makuramoto]CD発売記念ライブとして
歌詞が演劇になったり……曲がアレンジされたり……する「藤城かおる とか…」を開催しました
▼2005年(平成17)9月▼
村木昭一郎氏が主宰する「演劇工房“貘”」にスタッフとして参加
第3回プロデュース公演「法王庁の避妊法」を興行
9月10、11日@NBCビデオホール
▼2005年(平成17)12月23日▼
何をしたという訳ではないのですが、生まれて初めてトロフィーをいただきました
NCC長崎文化放送のテレビ取材を受け、そのニュース素材が面白ニュース大賞の1位になったのです
「マンホールおじさん殿」って!?
▼2006年(平成18)3月20日〜4月23日▼
長崎市浜町の長崎大丸ステップギャラリーにて写真展「長崎の…4」を催しました
▼2006年(平成18)6月4日▼
長崎水辺の森公園にて「『明日の神話』もってこい10000人まつり」を開催
岡本太郎の大壁画「明日の神話」を長崎へ誘致しようという市民イベント
フリーマーケットや飲食店、マジックショーのほかフラメンコの舞踏、
合気道や太極拳の演舞、国見町の「鳥刺し」、佐田玲子のライブなど
途中、セレモニーとしてアピール宣言の朗読をはさんで総勢全28組が参加
実行委員として、またステージ出演者として携わりました
素人ばかりのスタッフのイベントに、来場者は延べ2万5千人に及んだとか
▼2006年(平成18)9月17日〜▼
長崎市川口町の長崎西洋館 中2階ステップギャラリーにて路上面白写真展「長崎の…5」を開催
▼2006年(平成18)12月3日▼
長崎市茂里町の長崎ブリックホール国際会議場で映画「107+1〜天国はつくるもの〜」の上映会
映画上映と併せて「長崎県人アート〜ちから」が催され、作品3点を出展しました
▼2007年(平成19)3月19日〜4月22日▼
長崎市川口町の長崎西洋館 M2Fストリートギャラリーにて路上面白写真展「長崎の…6」を開催
▼2007年(平成19)2月5日〜24日▼
中央橋交差点に架かる×型歩道橋の撤去作業を追いかけました
日中と夜あわせて延べ26回にわたり出向いて撤去作業の模様を記録しました
▼2007年(平成19)12月31日〜翌年1月1日▼
大晦日から元日にかけて、初詣電車が運行される真夜中、猛吹雪の3時間
長崎駅前電停で、2号系統の赤迫行きと蛍茶屋行きが行き交う瞬間をカメラに納めました
▼2008年(平成20)4月5日▼
長崎市内をめぐる観光バスに乗りました
ふだん生活し見慣れているところを、バスガイドさんに案内され、観光客の目で追いかけてみました
▼2008年(平成20)12月24日▼
郷土出版社から「保存版ふるさと長崎市」が発行されました
藤城が所蔵する昭和30年代の4枚の古写真を提供し、写真説明文を書きました
巻末の協力者欄には藤城の個人名が、参考文献の欄にはHP「長崎年表」が明記されました
藤城にとって初めての著作(共著)です
税込1万2600円です。高いですが、お近くの書店でご注文できます
▼2009年(平成21)5月▼
総務省関東総合通信局と関東ICT推進NPO連絡協議会が共催する平成20年度事業の
住民参加型デジタルアーカイブ「デジタルアーカイブまちづくり事業集」で
「長崎年表冩眞舘」が紹介され、アンケートに答えました
▼2009年(平成21)8月8・9日▼
長崎水辺の森公園にて「8・9水辺の森の音楽祭」が2日間にわたり開催
8月9日を未来へのメモリアルとして市民の手による開かれた音楽祭を開催することで
今みんなが穏やかな気持ちで過ごすことができる喜びを共有し
運命の日を命日として長崎に戻ってくる方々の慰霊になるようなイベントに
出演は祈り部(広島)、ノーブランド(東京)、at home MaM(長崎)他、2日間で全32組
9日に実行委員として、またステージ出演者として携わりました
▼2009年(平成21)9月23日▼
長崎市出島町の出島ワーフにて「太陽の祭り 2009 autumn」開催
出演は風太郎(熊本)、かちがらす(佐賀)、山川ノリオ(東京)、原口純子(福岡)、金森幸介(京都)他、全24組
実行委員として、またステージ出演者として携わりました
▼2月4日〜2月28日▼
長崎市東古川町「カフェ豆ちゃん」内ギャルリーコクトーにて
眼鏡橋日記から、よりすぐりの100枚を厳選。「眼鏡橋百景」を開催
藤城かおるの写真展としては通算8回目となりました
▼2010年(平成22)3月6日▼
4枚目のCDは明治大正発禁演歌「唄ってはいけません」をリリース
明治大正時代に発禁になった演歌3曲がよみがえりました
アレンジは軽ハードロッキンロールバンド「月極マイアミパーキング」所属の気鋭・橘橋ノ介
「解放節」「社会党ラッパ節」「あゝ金の世」+おまけ
もしかしたら3曲ともにフルコーラスでの音源化は本邦初かと……
▼2010年(平成22)3月6日▼
長崎市本石灰町(もとしっくいまち)の「レトロスペース裏町人生」にて
午後2時半開場、3時開演でCD「唄ってはいけません」の
発売記念ライブを催しました。お店の衣装をお借りし、仮装大会の様相に
▼2010年(平成22)3月21日▼
長崎市出島町の出島ワーフにて「太陽の祭り 2010 spring」開催
出演は泣き虫パンチ(宮崎)、オトヒトツ(佐世保)他、全17組
裏方として、またステージ出演者として携わりました
▼2010年(平成22)4月20日▼
長崎を離れ埼玉県さいたま市に移りました
▼2010年(平成22)8月8・9日▼
4か月ぶりの長崎です
長崎水辺の森公園にて「8・9水辺の森の音楽祭」が2日間にわたり開催
初日は天候にめぐまれましたが、2日目は雨のため会場を本石灰(もとしっくい)町のワインバー田舎に移しての開催
今年はイベントのきっかけにもなった田口ランディさんが来崎
ステージでは初日に語りを、2日目にはライブを披露していただきました
8、9日に実行委員として、また9日にステージ出演者として携わりました
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ブログ「埼玉考現学」
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