長崎年表冩眞舘 其之参拾

中 央 橋

1920(大正9)12月25日、長崎電鉄の築町から古町までが開通。
翌1921(大正10)4月30日に西浜町から銅座町、思案橋と延長されます。
戦後、1948年(昭和23)1月9日、思案橋への道の上にヤミ市場が出現。長崎電鉄の軌道をふさいでしまいます。
1951年(昭和26)10月には思案橋以南の銅座川暗渠工事が完成し、
春雨通り露店の移転先として、54世帯収容の2階建木造モルタル塗マーケット街が暗渠の上にできます。
1952年(昭和27)3月15日に着工した橋長20.3米、幅員25.8米の中央橋が架設するのは、同年12月5日です。
中央橋の架設で、市内中心部の幹線大動脈、大波止〜県庁前〜思案橋が開通したことになります。
1953年(昭和28)3月には、長崎電鉄が西濱町〜思案橋を工費1200万円で着工。7月1日に開通します。
写真は、工事の真っ最中。思案橋方面を望んでいます。
思案橋方面へ行きたくても行けない電車たちが、右往左往しているようにも見えます。



長崎市「長崎市制施行100周年NAGASAKI 100」(長崎市総務部広報課/編)より




別な出版物に、上写真より、もう少し引いたアングルの写真が掲載されたいました。
というか、上の写真は、たぶん下の写真をトリミングしたものでしょう。
で、下の写真に興味深いものが写っているのを発見しました。
バラックの奥に、カーブを走る白い電車みたいなのが写っています。
もしかして、上で書い春雨通り露店の移転先、2階建木造モルタル塗マーケット街!?
すると、建物の下は銅座川ということになります…。
さらに、その建物の奥、円窓の四角い建物は、戦争にも耐えた十八銀行思案橋支店の建物と思われます。



長崎文献社「アルバム長崎百年〜戦中・戦後編」(嘉村國男/監修)より




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