長崎年表冩眞舘 其之参拾肆

銅 座 川

銅座川と春雨通りの風景です。思案橋あたりから県庁方面を望んでいます。銅座川が暗渠になる前の珍しい写真です。
右側に見える欄干は、銅座川の支流、ししとき川のものと思われます。
電車軌道をふさいでいるのは、ヤミ市場。1948年(昭和23)1月9日、ひと夜のうちに出現します。
ヤミ市は、背中あわせ2階建ボックス式の露店が230軒など約400戸が出現、長崎最大の闇市となりました。
もとは、戦時中の建物疎開で幅45米道路と化した空地でしたが、市は道幅27米に縮小、歩道に露店を並べると計画。
計画を知ったヤミ商人たちは、先を争って占領してしまいました。
米や麦、外国製たばこなど、どんな物でも手に入ったといいます。






上の写真とは逆方向、旧浜崎橋あたりから思案橋へ、上流に向かっての風景のようです。
それにしては、山肌が近すぎるような感じもします。建物がない分、余計に近く感じるのかもしれません。
バラックの奥、円窓の四角い建物は、戦争にも耐えた十八銀行思案橋支店の建物と思われます。
1951年(昭和26)10月、思案橋以南の銅座川暗渠工事が完成し、
春雨通り露店の移転先として、54世帯収容の2階建木造モルタル塗マーケット街が暗渠の上にできます。
そして中央橋が架設するのは、1952年(昭和27)12月5日。
市内中心部の大動脈、大波止〜県庁前〜思案橋の幹線道路が開通したことになります。
さらに1953年(昭和28)3月には、長崎電鉄が西濱町〜思案橋を工費1200万円で着工し、
7月1日、長崎電鉄の西濱町〜思案橋が開通。戦前の路線が全て復旧します。



2枚ともに写真提供/長崎市道路公園部河川課
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