堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」

         33 へび

           夕方、マンションをでると、私は公会堂の前の道をダッシュした。
           浜の町で友だちと会う約束をしていたが、時間が迫っていた。
           ふと道のまんなかで、なにかが動いた気がした。
           目をこらすと白いお腹をもぞもぞさせて、へびがのたうっていた。
           長さは60〜70センチあるだろうか。ぶどう色をした細くしなやかなへびだ。
           しかし、同じところで、サークルを描くだけ、前にちっとも進めない。

           私は迷った。このままだとへびはひかれる。
           春のおそい夕方のあたたかな風にさそわれて、
           へびは、公会堂の庭の茂みからこんな場所へ出てきたのだろうか?

           と、車がうなるようにこちらめがけて走ってきた。
           あぶない!へびはひかれる!
           私はすっと車の前におどりでた。
           「すみません、へびがいるので」
           運転手はけげんそうに私の顔をみたが、快く車をとめてくれた。
           それどころか、車からおりて、荷台につんであった木切れで、へびをどけた。
           くるくると白いお腹をまきつけて、へびのしっぽが揺れた。
           「あのさ」運転手がいった。
           「こいつ、頭、すでにひかれてるから、だめかもね」
           「頭?ひかれてる?」私は人形のようにくりかえした。

           そうか、それで、へびはぐるぐる道の上でのたうつだけで、
           ちっとも前にすすめなかったのか?

           運転手は、へびを公会堂の草むらにそっとおくと
           「じゃ」といって、ふたたび車を走らせた。
           「ありがとう」私は何度も礼をいった。
           草むらのなかに消えたへびは、夕方の闇にそまり、すでにどこにいるのかわからない。

           ばかなへび。私はつぶやいた。
           道路になんか出なくてもよかったのに。
           春の風が桃色に吹いて、どんなに気持よくても、道路に出たら、だめなんだ。
           ばかなへび。
           草むらのなかで遊んでいればよかったのに。
           じっと、だまって、おとなしく。
           あっちとこっちの境を、へびは、どうしてわからなかったの?
           私と同じばかなへび。ばかなへび。

           そして、ごめんね…


          ★その34★


          ★「いつも、そばにいるよ」表紙★