堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」

         32 せつなかった!

           リカちゃん通りを歩いていて、車にぶつかった。
           車は悪魔のように私の後ろからそっとしのびよって、
           私の右肩にクラッシュしてから、すっと逃げた。
           いっしゅん肩のあたりが痛んだ。
           いやそれよりも、私は怒りでいっぱいになった。
           私は車をおいかけ、ドライバーの女性に告げた。
           「ちょっと、ぶつかったのよ、おりてきなさい!」と。

           4、5分たってから警察がやってきて、調書をとり現場検証をした。
           彼らは、私に肩の痛みの具合を聞き、病院にいくのかどうするのか、判断してほしいといった。

           私はわかりましたといい、警察が帰ったあと、相手の車のなかで、しばらく相手と話し合った。
           彼女は、伏し目がちな笑顔の少ない人だった。若いのに…。

           彼女はおばあちゃんが亡くなってから、こうなったといった。それも自殺だったからって…
           さっきも薬のせいで、ぼんやりしていて注意散漫、私に気がつかなかったという。
           眠れないことも多いという。
           「だったら、車なんか運転するのやめなさい」私は強くいった。
           はいと小さく彼女がつぶやいた。
           「悲しいことって、だれにでもあるんだよ」
           私は去年最愛の犬を失ってから、立ち直れなくなったことを語った。
           「でも、私がいつまでもそうだったら、ライオンが、ハッピーじゃないでしょ。
           ライオンのために、私は誓ったの、いい仕事をして、毎日を充実して生きることを」
           彼女の目がきらっと光った。

           「ねえ、あなたのおばあちゃんだって、あなたが、うじうじ悩んでいたら、悲しむよ。
           空の上で、心配している。もっと前をむかなきゃ。もっと、明るい気持になって!」
           彼女がうなずく。
           私が本を書いているというと、読みたいという。
           犬が好きだから犬の本がいいとつけたして。
           「犬の本ならもうすぐ出るよ」そういうと彼女ははじめて笑った。

           「私はね、ライオンから教えてくれるものがいっぱい、あったの。
           一生懸命死とたたかって、苦しいのに、がんばってがんばって、
           最後はすっとおだやかに息をのみこんだ。
           そんなライオンにはずかしくないように、いい本を書くって」

           相手の女性は「よかったです、あなたとお話できて」と
           暗く沈みがちな目をいっしゅん、いきいき開いてこっちを見た。

           私はせつなかったよ、ライオンのことを話しながら、泣きたかったよ、
           肩の痛みは、おさまってはきたけれど、
           なんで、この人とこんな車のなかで、
           こんなこといってんだろうかと、ほんとうにせつなかったよ。


          ★その33★


          ★「いつも、そばにいるよ」表紙★