堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」

         26 GIVEN…きょうは、クリスマス!

           「ハッピープリンス」というオスカーワイルドの作品がある。
           子どもの頃、何度か絵本で見た記憶があり、大きくなってからは、文庫でも読んだ。
           そして、今年のクリスマス、私は英語版でこの作品を読んでいる。

           読みながら、気づいたことがある。
           主人公のハッピープリンスの像と、つばめとの友情を越えた愛である。
           ハッピープリンスも見事にりっぱな男性なら、つばめも血気盛んな美しい青年?である。
           自分を犠牲にして施しをするプリンスの頼みをけなげに聞いて、
           とうとう命まで落とすつばめに、胸が痛くなるのは、誰でもきっと同じだろう。
           クリスマスの日にふさわしくGIVEN(与える)という精神を、あますところなく描いているのだ。

           だけど…と私は思う。
           こよなく少年を愛した作家オスカーの意図は、もしかしたら、それ以外にあったかもしれない。
           「Swallow,Swallow,little Swallow」と呼びかけるプリンスは、
           自分の愛する少年に呼びかけるオスカーの熱い吐息、求愛のまなざしそのものだ。
           そして、ためらうことなく、プリンスの心を受け入れ、プリンスへの愛に死ぬつばめこそ、
           オスカーの愛した少年たちなのだ。
           愛とは、オスカーの理想とする愛とは、それだったのか?

           無償の愛。GIVEN。すべてを与えること。
           すべてを受け入れ、あるがままを愛すること。
           オスカーも自分が愛した少年たちに、自分のすべてを受け入れてほしかったに違いない。
           無償の愛を与え、それにこたえてほしかったに違いない。
           永遠に。
           だが、純粋な愛はときとして残酷だ。
           オスカーは少年を愛した罪で、裁判にかけられてしまうのである。
           作家として名声を失うのである。

           町を見下す円柱の上にたったハッピープリンスの像とつばめとの愛に、
           自分を重ねて、この作品を書きあげたとき、オスカーはなにを思ったのだろう?
           彼の若く美しい恋人の詩人は、そのとき彼のそばにいたのだろうか?

           プリンスのために死ねたつばめは、きっとハッピーだったのだ。
           オスカーはそれだけのために、これを書いたような気がする。


          ★その27★


          ★「いつも、そばにいるよ」表紙★