堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」

         23 生きるって…
      村木さんと出演者、スタッフのみなさんへ


           先日観た演劇は、友人が演出したとあって、勇んででかけたのだが、
           なかなか考えさせられた劇だった。
           妻が駆け落ちし、職を失い、さらに新しく得た仕事もだめになり
           そう、けがはするし、友は死ぬし、水は出ないし、
           夏は、いままでにないぎとぎとの熱さで、主人公の男を襲うし…
           そう、彼は、まるで石が坂道をころげおちるように、
           人生のどん底へと、つきすすむのだ。
           あとからあとから予期せぬ不運が彼を見舞う。
           しかも、身持ちの悪そうな彼の妹の、娘(16歳ぐらいか)まで、預かるはめになる。

           この舞台の登場人物たちはみなやさしい。
           だれもいっしょうけんめい生きている。
           だのに、悪いことは続くのだ。誰にも彼にも。
           いったい人生とは、苦しいことの連続か?
           華やかさなんてどこにもない。
           ハッピーっていってはしゃぐのは、
           ほんのひとにぎりの楽天家たちなんだ。

           娘はいう。坂ばかりのぎとぎとの、夏の長崎を目の前にして「いやな町」って。
           ほんとうに、私も何度となくこのことばをつぶやいただろうか?
           「いやな町」。まるで、彼女の叔父と彼女のこれからの人生を象徴するように。
           「ねえ、ここから出ようよ」って、悲痛な叫びをぶっつけながら。

           だけど、なぜ、心がじんわりとあたたかくなるのだろう?
           悲しみでいっぱいのはずなのに、主人公の男も娘も、怒らない。
           憎まない。羨まない。人を傷つけない。
           男も娘も、自分の人生をせいいっぱい受け入れようとしているからだ。
           あきらめとは違う。いってみれば、ほんの少しの希望を、
           きらきら光るガラスのかけらよりも、ちっぽけな希望を、
           明日へとつなげていこうとしているからだ。

           受け入れる人生は美しい。だから、観ているこちらがわは、励まされる。
           私たちも、このおそまつな人生を、すべて受けれ入れていかなくちゃねって。
           そして、最後の最後に男は思うだろう。
           「おれの人生も捨てたものではなかった」そう人生にムダはないのだ。
           いまがころがり落ちる石だとしても、
           そのことさえ受け入れれば、人生はどうにかなるのだ。
           すばらしいのだ。

           なんか、そんなこと教えてもらったような日曜日の午後。


          ★その24★


          ★「いつも、そばにいるよ」表紙★