堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」

         20 TRADE?

           爪の具合がおかしかったので、医者にいった。爪をはがされるあの痛みを覚悟して。
           ひさしぶりに訪れた漢方の江口先生は、私の爪を見ると、「これは外科にいったほうがいいかもな」
           だけど、私は答えた。
           「ほかのお医者さんには、いきたくないです。先生が爪をとってください」

           私がこの世の中で信頼する先生は、
           ライオンの主治医と自然治癒のハンナークローガー先生と、この江口先生だけなのだから。

           「おお、新しい爪がうっすらとはえているぞ」
           口をとがらした私にむかって、突然、江口先生がいった。
           やおら先生は大きな爪きりをとりだして、私の内出血している爪をぱちぱち切りはじめた。
           「うわ、痛そう」
           江口先生のおくさまが顔をしかめた。
           「だ、だいじょうぶです…」
           私は、爪きりの刃が爪の根元まではいるのを、なんともくすぐった気分でこらえながら、いった。

           ぱちんぱちんと爪は刻まれ、根元の白い部分まですっかり裸にされた。
           切られた爪の下からは、ほんとうに新しい爪がはえていた。なんだか弱々しいふにゃふにゃした感じで。

           「これでようすを見てみようか」
           江口先生がほっとしたようにいった。「よかったね、はがさないですんで」
           「はい、ありがとうございます」私はそういうとバッグのなかから、本を取り出した。
           ひさしぶりに江口先生に会うので、新刊を一冊お孫さんにプレゼントしようと思って、持ってきたのだ。

           「あら、いつも、すみません」おくさまがいった。「直子さんのご本、私大好きなのよ」

           私は先生にきれいにしてもらった爪で、ペンを握り、サインした。
           受け付けまでいって、お金を払おうとすると、「きょうは、爪を切っただけだから、いいわよ」
           治療室の奥からおくさまがいった。

           「えっ」と私はびっくりした。ただで、お医者さんに診てもらったなんて、生まれてはじめて!
           ああ、でも、本をさしあげたし。物々交換みたい。私はひとりでくすっとした。

           なら、次ぎはどんな本を持っていこうかな?お孫さんは一年生になると聞いたから、あの本がいいな?
           そんなことを思いながら、私は11月のあたたかい日ざしのなかを歩きはじめた。


          ★その21★


          ★「いつも、そばにいるよ」表紙★