堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」
19 ゆっくり ゆっくり
ライオンの散歩は、ふつうに歩けば、たった20分ぐらいの距離である。
しかし、15歳のライオンの歩調にあわせて歩くと、1時間はたっぷりかかる。
私に出会う人々、やおやのおばあちゃん、お茶やのおばさん、食堂のおねえさん、工事中のにいちゃん、
みんながみんな「おやっ、まだ、おると?」まるで、かめの歩みのような私とライオンの散歩を見て、笑う。
「はい、ゆっくり、ゆっくり歩いていますから」私もライオンのリードをゆるめながら、笑う。
朝の通勤の人々は、私たちを足早に追いこし、夕べは夕べで、私たちをそそくさと追い抜いて家路へと帰る。
私たちの時間は、ふつうの人々とかけはなれ、どこかに「おいてけぼり」にされそうだ。
しかし、ゆっくりの歩みは、私を新しい出会いへと導いてくれる。
川べりの道でライオンといっしょに立ち止まり、
名も知らぬ美しい鳥のくちばしを目の当たりに見、足下に咲く花の愛らしさに心打たれる。
みつばちの透明な羽のふるふるとふるえる音が聞こえそうなくらい、近くまで寄りながら。
軒下にたわわに実るキューイが落ちて、緑の汁をしたたらせている。
茶色いカマキリが静かに通る。ネコが眠る。
コオロギがよろよろと道を渡り、金木犀が空までにおう。
ライオンのシッポが川もにゆれる。子どもがとおりすがりに、ほほえんでいく。
ゆっくり歩みが私にくれる私だけの時間は、ライオンが教えてくれたもうひとつの生き方。
せわしなく走ってばっかりの私の生き方を、なんにもいわず、直してくれた。
★その20★
★「いつも、そばにいるよ」表紙★