堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」
17 スカーレットとアンナ
いま「風と共に去りぬ」を読んでいる。
映画やテレビでは何度となく見たことはあったのに、本を読んだことはなかった。
だから、一度じっくり読んでみたいと思っていた。
去年の夏は時間をかけて「罪と罰」を読んだので、
今年も、秋の夜長を長編に挑戦!と心の奥で決めていた。
実は「アンナ・カレーニナ」も候補にあげていた。
これだって、映画では2度も見たことあったのに、本をひらいたことはなかった。
高校生の頃、一度読もうと思ったのだが、
アンナの生き方が理解できず、途中でやめてしまった。
なら、いまは、アンナの生き方が理解できるかというと、
年月が私をそうさせたのか、痛いぐらいにわかるのだ。
それは理屈ではない。アンナの悲しみやいらだちや愛が。
時間をこえて、アンナの人生が私を感動させるのだ。
それで、「アンナ・カレーニナ」と「風と共に去りぬ」の
どっちを読もうかなと、しばらく考えていた。
どっちともたっぷりの長い物語で、迷ってしまうのだが、
「風と共に去りぬ」に決めたのは、「アンナ・カレーニナ」より、
主人公のスカーレットのお転婆ぶりをじっくりと感じたかったからだろうか?
「風と共に去りぬ」を読みはじめて、
スカーレットの育ったジョージア−州の綿花畑の風景描写が、
あまりにも壮大ですばらしいのに、びっくりした。
それから、人種差別がこれほど露骨に語られていたのかと、いまさらながらに驚いた。
そしてである。スカーレットという16歳の少女の思い込みのはげしさに舌を巻いた。
スカーレットってこんなに自分勝手でわがままで自由でおかしくて妄想ばかりで…笑っちゃうよなって。
彼女ときたら何万人敵にまわしたら、気がすむんだろう。
スカーレットの本音はときとして、残酷であり排他的である。
しかしそれこそが素直な彼女の生き方なのだ。
レッドパトラーとの軽快なワルツのシーンも過ぎて、
「風と共に去りぬ」の第一巻はそろそろおわる。
★その18★
★「いつも、そばにいるよ」表紙★