堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」

         11 雨のあいまに

           夫のかおるくんが、新興善小学校の解体作業を写真にとるというので、あとからついていった。
           新興善小学校は、長崎に原爆が落ちたとき、けがをした人々を収容していた。
           仮病院の役目をになっていたのである。
           生徒の数が減り、解体がきまったとき、原爆遺構として、一部分を残すべきだという意見があった。
           署名運動も活発で、マスコミもたくさんとりあげた。
           しかし、原爆遺構としての保存はむずかしく、すべてがとりこわされることに決まったのである。

           その日は、5月にしてはめずらしく降り続いた雨がやみ、きれいな空がのぞいた。
           訪れた小学校の庭には、コンクリートや鉄骨が、山のように積み上げられていた。
           教室の壁はぶちぬかれ、がらんとした空洞がひろがっている。
           ガードマンが「あぶないから、気をつけて」とカメラをかまえるかおるくんにいった。

           と見ると、緑の葉を広げた木の下に年老いた女性が立っている。
           「あそこでね、私の姉が死んだのよ」
           女性は、とつぜん私に語りかけた。
           「とりこわされ前に一度でいいから、見たかったのよ。
           原爆にあった姉が、ここへ運ばれて、死んだ場所。
           そりゃもう、ひどかったわ。血と膿とウジで」
           女性はうっすらと涙をうかべた。
           「おにぎりがお昼に出たの。でも、数がたりない。
           私のおにぎり、欲しいといった人がいた。
           その人、私のおにぎり食べて、死んだ。姉が死んだのは、そのすぐあと…」

           私は、細く白い指をあげて女性が指さす方を見る。
           「あの一階のあのあたり。あそこに姉がいた…冷たい床にごろんとよこたわって…」
           いっしゅん、青い空がかげった。コンクリートの山が、おりかさなった人間の死体のように見えてくる。
           むきだしのとがった鉄骨は、空にのびた無数のうでのように、なにかを求めている。

           いつのまにか、かおるくんもガードマンも女性の話に耳をかたむけている。
           きれいな空の下で。



          ★その12★


          ★「いつも、そばにいるよ」表紙★