堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」

         8 こわかった!

           私は、あまり人から奢ってもらったことがない。
           編集者とか、先輩の作家とか、仕事のうえでは、そういうこともあるけれど、たいていが割りかんである。
           いや、むしろ、私が奢ってあげる方が多い。

           そんなことを、友だちに話したら「なんて、かわいそうな、堀さん」といわれた。
           彼女は、飲みに行くのも、食事に行くのも、100%男が払ってくれるという。
           とにかく自分で、お金を出したことがない。
           きっと、私とちがって、男が、守ってあげたいタイプの女性なのだろう。

           ところが、ある男性といっしょに食事をしたときに、仕事でもなんでもないのに、奢ってくれた。
           好きな物をどんどん食べていいよというのだ。
           そういうことばに慣れていない私は、もっと、めんくらった。
           だって、その人は、「ぼくの奢りだから」とにこにこしていってくれたのだ。

           ぼくの奢り!なんて、まぶしいことばだろうか。
           たいしてステキでもない相手が、うっとりとして見えるじゃない。
           けれど、人のお金で食事をするなんて、胸はつまり、ワインは喉を通らない。

           食事がおわると、私は「ごちそうさまでした。ありがとうございました」って何回もいった。
           おもちゃみたいに、おじぎをした。

           そして、今日はなんてよい夜だろうって、星を見ながら帰ったのだ。

           それから半年ぶりにその人に出会った。たまたま道を歩いていたときだ。
           私はすれちがいざまに「こんにちは」と声をかけた。
           すると、その人は、「あんた、この前のお礼、いわんとね!」と、
           きゅうにこわい顔をして私をにらみつけたのだ。
           「はよ、いわんとね!」きつい口調の長崎弁で。
           いっしゅん、私には、なんのことだかわからなかった。
           だって、半年前に、奢ってもらったことなんて、すっかり忘れていたから。

           私は無言のまま、その人の背中をにらみかえした。
           そして、しみじみ思った。奢られるってことは、すごくこわいことなのだって。



          ★その9★


          ★「いつも、そばにいるよ」表紙★