堀直子 エッセイ「いつも、そばにいるよ」

         1 バスを降りたら

           マドンナが出演した映画、タイトルは忘れてしまったんだけど、みんなは、覚えてる?
           マドンナもよかったけど、相手役のゲイの男性が、とてもすてきなのね。
           彼は、マドンナ扮するヒロインが産んだ男の子を、自分の子のようにして、一生懸命育てるの。
           あるとき、その子が、すごく悩んだ。
           友だちとうまくいかない、いじわるなことばを聞かされたから。
           そのとき、ゲイの彼が教えさとすんだ。「ウインドー!」ってひとこと優しく笑って。
           つまり、自分にとって、とてもひどいと思うようなことをされたり、
           傷つくようなことを人からいわれたりしたときは、
           車の窓をしめるように、見えない窓を自分の顔の前にあげてみなさいって。
           男の子は、さっそく実行してみるの。
           「ウインドー!」っていいながら、指をくるくるまわして。
           窓ガラスが、キューンとあがって、バリアーを作る。
           いじめっこのいやなことばはもう聞こえない。
           男の子は、納得する。もう、ぼくは、だいじょうぶだって。
           男の子は、ゲイの彼に感謝して、二人は本当の父子以上に、心の絆を深めていくの。

           これって、いいなって思って、私も、いつか実践してやるんだって心に決めていた。
           私は、売られたけんかはすぐに買う方だから。
           感情のおもむくままに、まくしたて、相手をいいまかそうとする。
           そして、疲れて、あ〜いわなきゃよかったって、後悔ばかりする。
           窓さえしめてしまえば、こっちのものだと思った。
           あれは、バスに乗って長崎市の中心街まで行く時だった。
           思案橋で降りようと思い、降車ボタンを押したのに、バスは止まらなかった。
           どうして?私はちょっとあせった。
           バスは次ぎの停留所でやっと止まった。
           私はだまって、降りようとした。でも、おかしいと思った。私はたしかにボタンを押したんだ。
           止まらないバスが悪い。だけど、そのことをいってしまうと、
           なんだか、また、けんかになりそうな気がした。運転手さんと。
           でも、やっぱり、いいたくなったの。悩んだすえ、英語でいおうと思った。
           英語なら、とりあえず、けんかにはならないだろう。
           おまけにいいたいこと、きっちりといえるしねって。
           私は英語が大好きで、オーストラリア出身のスコット先生に、ずっと習っているんだ。
           私はコホンとせきをした。そして、英語で運転手さんにすばやくいった。
           「思案橋でボタンを押したのに、バスは止まらなかった。
           通り過ぎていってしまった。どうしてですか?」
           運転手さんがあっけにとられたように、私を見た。
           「わかんない、何いってるんだか…」

           そのしゅんかん、バスの後ろで誰かが立ち上がった。年輩の上品そうな女性だった。
           彼女は、おどろいたことに「この方、こまっていらっしゃいますよ。
           ボタンを押したのに、とまらなかったって」
           なんと私の英語を通訳して、運転手さんに伝えたのだ。
           そして、なめらかな英語でさらに私に話しかけた。
           「だいじょうぶ。思案橋は、ちょっと歩いてもどれば、すぐそこよ」にっこりと笑いながら。
           運転手さんはほっとしたように
           「なんだ、そうでしたか。
           きっと、ボタンの具合が悪かったのかもしれません。
           気がつかないで、ごめんなさいね」
           なんべんも私にあやまった。

           私はバスから降りると、ちょっとだけ恥ずかしくなった。
           窓をしめるどころか、窓をこじあけても、
           自分の意見を押し通そうとする私が、いつもいるなんて。
           でも、心をかよいあわせようと努力さえすれば、相手はちゃんとわかってくれるんだ。
           運転手さんも、女性もいい人だった。
           自分を守るために、窓をしめて、バリアーを作るのも、ひとつの方法だけど、
           ほほえみながら、自分の気持を一生懸命、相手に伝えることも、大切なんだ。

           ねえ、みんなは、どっちにする?

           私はバスが行ってしまうと、思案橋にむかって、とぼとぼと歩き出した。
           こっちの方こそ、ごめんなさいって。


          ★その2★


          ★「いつも、そばにいるよ」表紙★