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其之弐拾陸☆伍
住居表示って?(5/6)
2006年(平成18)2月2日、2007年(平成19)1月21日改訂
(8)長崎市の場合
1962年(昭和37)に施行された住居表示法は、難しい町名を分かりやすく改め、
複雑に入り組んだ地番を、合理的に整理するためのものでした。
しかしその反面「わかりやすく」を大義名分に、昔からの由緒ある町名や字名が、次々と消えていきました。
当時、東京では反対派住民が訴訟に持ち込んだ例もあり、
中には「高度成長時代の自然破壊と軌を同じくしている」という、手厳しい批判意見もあったようです。
長崎市の歴史の中から、住居表示が完成するまでの3年間と、それ以降の3年間の経緯を簡単に見てみます。
(赤字の町……住居表示実施により新しくできた町名、緑字の町……住居表示実施によりなくなった町名)
▼1961(昭和36)09/30
区画整理事業による仮換地の指定などに伴って、
入り乱れた町名地番の整理を推進するために「長崎市町界町名整理審議会」を設置。
▼1962(昭和37)02/06
町の規模、町の境界、町の名称の定め方などの「町界町名整理基準」を決定する。
▼1962(昭和37)06/14
自治省から「住居表示に関する法律」に基づき、長崎市が住居表示整備実験都市に指定される。
▼1962(昭和37)08/01
長崎市建設部都市計画課に住居表示係を新設、住居表示に関する作業をはじめる。
▼1963(昭和38)11/01
中島川から長崎駅周辺の復興土地区画整理第1工区とその週辺地区の町界町名を変更。
同時に新しい住居表示をはじめて実施する。実施後の新しい町は16町、うち新町名4町
江戸町(江戸町の全部、玉江町3丁目・外浦町・本下町・築町の各一部)
築町(築町・本下町の各一部)
賑町(今下町・材木町の全部、築町・本紺屋町・本下町の各一部)
栄町(袋町の全部、本紺屋町・酒屋町の各一部)
魚の町(本大工町の全部、今魚町・酒屋町・紺屋町の各一部)
万才町(平戸町・大村町・萬歳町・本博多町の全部、五島町・樺島町・外浦町・本下町の各一部)
興善町(本興善町・新町の全部、興善町・豊後町・引地町・堀町の各一部)
桜町(桜町の全部、小川町・豊後町・引地町・内中町・今魚町の各一部)
金屋町(今町・金屋町の全部、五島町・興善町・船津町・小川町・堀町・豊後町の各一部)
恵美須町(大黒町・恵美須町・小川町・船津町・五島町の各一部)
中町(西中町・恵美須町・西上町・大黒町の各一部)
大黒町(台場町1〜4丁目の全部、大黒町・西坂町・西上町・西中町・五島町・八千代町3丁目の各一部)
筑後町(西上町・下筑後町・西坂町・立山町の各一部)
玉園町(上筑後町の全部、東上町・下筑後町の各一部)
上町(東中町の全部、小川町・八百屋町・内中町・東上町の各一部)
尾上町(尾上町・高砂町1〜4丁目の全部)
▼1964(昭和39)02/01
西坂から緑町までの戦災復興土地区画整理事業第2工区とその週辺地区の町界町名を変更。
実施後の新しい町は8町、うち新町名2町
西坂町(西坂町・御船蔵町・御船町・西上町・八千代町3丁目・瀬崎町2丁目の各一部)
御船蔵町(御船蔵町・御船町・瀬崎町1〜2丁目・銭座町2丁目・浜平町の各一部)
八千代町(八千代町1〜2丁目の全部、八千代町3丁目・瀬崎町1〜2丁目の各一部)
幸町(幸町1〜4丁目・福富町1〜4丁目・玉浪町1〜6丁目・梁瀬町1〜6丁目の全部)
天神町(銭座町2丁目・御船蔵町の各一部)
宝町(井樋ノ口町1〜3丁目・寿町1〜3丁目・宝町1〜4丁目・船蔵町1〜5丁目の全部、
茂里町・御船蔵町・銭座町1〜2丁目の各一部)
銭座町(銭座町1〜2丁目・浦上町・茂里町の各一部)
緑町(浦上町・銭座町1丁目・茂里町・目覚町の各一部)
▼1964(昭和39)04/01
出島、新地の地域にて町界町名を変更。実施後の新しい町は2町
出島町(羽衣町1〜3丁目・出島町・末広町・千馬町1〜3丁目・入江町1〜3丁目・要町の全部、築町の一部)
新地町(新地町の全部、梅香崎町・常盤町・本籠町の各一部)
▼1964(昭和39)07/01
西浦上地域にて町界町名を変更。実施後の新しい町は12町、うち新町名8町
大橋町(大橋町・西町・家野町の各一部)
若葉町(大橋町・西町・家野町・住吉町・西北町の各一部)
文教町(大橋町・昭和町・家野町の各一部)
家野町(家野町・住吉町・昭和町の各一部)
千歳町(住吉町・家野町・昭和町の各一部)
中園町(住吉町・西北町の各一部)
住吉町(住吉町の一部)
花丘町(住吉町・昭和町の各一部)
泉町(住吉町の一部)
昭和町(昭和町の一部)
大手町(昭和町・本原町2丁目の各一部)
赤迫町(住吉町・岩屋町・西北町の各一部)
▼1964(昭和39)10/01
目覚町から山里町までの復興土地区画整理第4工区・第6工区と、その週辺地区の町界町名を変更。
実施後の新しい町は7町、うち新町名3町
目覚町(茂里町・目覚町・岩川町・浦上町の各一部)
茂里町(茂里町・岩川町・浜口町の各一部)
川口町(茂里町・岩川町・浜口町の各一部)
岩川町(岩川町・浜口町・坂本町の各一部)
浜口町(浜口町・岩川町・坂本町の各一部)
平野町(浜口町・山里町・坂本町の各一部)
平和町(山里町・本尾町の各一部)
▼1964(昭和39)12/01
松山町から本原方面までの本原土地区画整理区域と、復興土地区画整理第6工区とその週辺地区の町界町名を変更。
実施後の新しい町は11町、うち新町名5町
松山町(駒場町1〜2丁目・松山町の全部、岡町・橋口町の各一部)
岡町(岡町・橋口町の各一部)
橋口町(上野町・橋口町・岡町の各一部)
上野町(上野町・本原町1丁目の各一部)
高尾町(高尾町・上野町の各一部)
小峰町(上野町・本原町1〜3丁目・高尾町の各一部)
本原町(本原町1丁目・上野町の各一部)
扇町(本原町1〜2丁目の各一部)
石神町(本原町1〜2丁目の各一部)
辻町(本原町2丁目の一部)
三原町(本原町2〜3丁目の各一部)
▼1965(昭和40)04/01
西町から西北町方面までの地区と、坂本町地区での町界町名を変更。
実施後の新しい町は16町、うち新町名10町
坂本町(坂本町・江平町・本尾町・岩川町・目覚町の各一部)
本尾町(本尾町の一部)
江平町(江平町・本尾町の各一部)
三芳町(西町・大橋町の各一部)
江里町(西町・油木町・大橋町の各一部)
白鳥町(西町の一部)
音無町(西町・西北町・住吉町の各一部)
清水町(西町・大橋町の各一部)
柳谷町(西北町・住吉町の各一部)
若竹町(西北町・住吉町の各一部)
緑が丘町(西町の一部)
西町(西町の一部)
錦町(西町・西北町の各一部)
西北町(西北町の一部)
岩屋町(岩屋町・西北町・住吉町の各一部)
葉山町(岩屋町・滑石町の各一部)
▼1965(昭和40)11/01
稲佐から飽の浦地区の町界町名を変更。
実施後の新しい町は14町、うち新町名9町
稲佐町(稲佐町2〜3丁目・旭町1丁目・竹ノ久保町の各一部)
曙町(稲佐町1〜3丁目の各一部)
光町(稲佐町2〜3丁目・旭町1丁目の各一部)
弁天町(稲佐町1〜2丁目・旭町2丁目の各一部)
旭町(旭町3丁目の全部、旭町2丁目・旭町4丁目・稲佐町1丁目の各一部)
江の浦町(稲佐町1〜2丁目・旭町4丁目の各一部)
平戸小屋町(平戸小屋町・稲佐2丁目の各一部)
丸尾町(丸尾町1〜3丁目・大鳥町・外浪町の全部、平戸小屋町の一部)
大鳥町(平戸小屋町の一部)
水の浦町(水ノ浦町の一部)
大谷町(水ノ浦町の一部)
入船町(飽ノ浦町1〜4丁目の各一部)
飽の浦町(瀬ノ脇町の全部、飽ノ浦町1〜4丁目・水ノ浦町の各一部)
秋月町(飽ノ浦町2〜3丁目の各一部)
塩浜町(飽ノ浦町4丁目の一部)
▼1966(昭和41)03/01
竹の久保町方面から油木までの町界町名を変更。
実施後の新しい町は15町、うち新町名12町
淵町(竹ノ久保町の一部)
梁川町(竹ノ久保町の一部)
春木町(竹ノ久保町の一部)
竹の久保町(竹ノ久保町の一部)
宝栄町(竹ノ久保町の一部)
岩見町(竹ノ久保町・城山町1〜2丁目の各一部)
立岩町(城山町2丁目の一部)
城山町(城山町1丁目の一部)
富士見町(城山町1〜2丁目の各一部)
花園町(城山町1〜2丁目の各一部)
金堀町(城山町2丁目の一部)
青山町(城山町1丁目の一部)
若草町(城山町1丁目の一部)
油木町(油木町・大橋町・西町の各一部)
城栄町(城山町1丁目・油木町・大橋町の各一部)
▼1966(昭和41)11/01
八幡町から濱町を経て籠町までの、中央地区での町界町名を変更。
実施後の新しい町はの14町、新町名はなし
八幡町(八幡町の全部、本紙屋町・麹屋町の各一部)
麹屋町(麹屋町・紺屋町・本紙屋町の各一部)
諏訪町(諏訪町・新橋町の全部、西古川町・磨屋町・紺屋町の各一部)
古川町(東古川町の全部、本古川町・西古川町・銀屋町・磨屋町の各一部)
万屋町(萬屋町・榎津町・西古川町・本古川町の各一部)
浜町(東濱町の全部、西濱町・銅座町・鍛冶屋町・萬屋町の各一部)
鍛冶屋町(今籠町の全部、鍛冶屋町・萬屋町・榎津町・銀屋町・高平町・八坂町の各一部)
油屋町(油屋町の全部、本石灰町・鍛冶屋町・八坂町・高平町・東小島町の各一部)
銅座町(銅座町・西濱町・築町の各一部)
本石灰町(本石灰町・丸山町・船大工町・鍛冶屋町・銅座町の各一部)
船大工町(船大工町・本石灰町の各一部)
丸山町(丸山町・東小島町・中小島町・本石灰町の各一部)
寄合町(寄合町の全部)
籠町(本籠町・梅香崎町・西小島町・船大工町・広馬場町の各一部)
……のちのち、さらに町界や町名を変更しながら、住居表示が実施される町が増えていきます。
古くから馴染み親しんできた地名を、たったひとつの法令だけで、
改変しなければならなかった当時の関係者の苦労は、計り知れません。
たぶんに想像を絶するハズです。それまで日常的に使っていた住所を、変えてしまおうというのですから……。
ただ長崎市の場合は、住居表示整備のモデル実験都市に選ばれたため、
意識しすぎて厳格に整備してしまったともいわれています。
ある意味、柔軟性のない、型にはまった四角四面の区画割りをしてしまったようです。
その結果が、今の長崎の住居表示に顕著に表れているともいわれます。
以降、長崎の町は、くっついたり離れたり、多様な変遷を経て現在に至りました。
さて……。現在、全国的な規模で、平成の市町村大合併が行なわれている最中ですが、
これから先、住居表示の実施がどのように変化していくのか、興味が尽きません。
さらに長崎市の一部では、住居表示が実施される以前の旧町名に戻そうという動きもあるようです。
いま[2006年(平成18)2月1日現在]
2005年(平成17)1月4日に長崎市と西彼杵郡香焼町、伊王島町、高島町、野母崎町、外海町、三和町が合併し
今年2006年(平成18)1月4日に長崎市と琴海町が合併しました。
長崎市の町は全部で474です。その内訳は……
住居表示を実施している町が284、一部実施している町が33、未実施の町が157。
市内全町のの60%近くが住居表示の恩恵(!?)を受けたことになります。
ここでの一部実施というのは、実施地域と未実施地域が共存している町のことです。
ひとつの町の中に繁華街と山林地区がある場合、繁華街は住居表示が実施され、山林地区は未実施のまま……となります。
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「☆陸」へつづく