2013(平成25)10/30作成
2015(平成27)00/00更新
「毎日新聞」にトルストイの「復活」が連載
もしかして110年ぶりの新発見とか
1
ちがう毎日新聞
明治時代、『毎日新聞』がトルストイの長編小説「復活」を連載しました。
『毎日新聞』といっても、現在の『毎日新聞』とは違います。
現在の『毎日新聞』は、明治5年2月21日(1872・3・29)に『東京日日新聞』の名称で創刊。
昭和18(1943)年1月に『毎日新聞』となりました。
でも、トルストイの「復活」を連載した『毎日新聞』は、
明治3年12月8日(1871・1・28)に横浜で創刊した『横浜毎日新聞』のこと。
日本で初めての日本語の日刊新聞です。
のち『東京横浜毎日新聞』『毎日新聞』『東京毎日新聞』と改題。
明治42(1909)年、報知新聞社に身売りされ、さらに経営者が転々としながら、
昭和15(1940)年には、『帝都日日新聞』に吸収合併されました。
そんな幾多の変遷を経るなかで、トルストイの「復活」を連載したのが、
明治36(1903)年の『毎日新聞』です。
でも、残念ながら不評だったために終了。
翌37年1月1日からは、毎日新聞社の社員でもある木下尚江の「火の柱」に変わりました。
ここでひとつ重大な問題。
トルストイの「復活」は明治36年の、いつからいつまで連載されたのでしょうか。
ちなみに、ロシアのレフ・トルストイが「復活」を雑誌連載したのは明治32(1899)年、晩年71才のときのこと。
『毎日新聞』の連載は、その4年後ということになります。
2
年表に勝るものなし、のはず
木下尚江が、明治37(1904)年1月1日から「火の柱」の連載をはじめる前。
トルストイの小説「復活」は、いつからいつまで連載されたのでしょうか。
「火の柱」は、明治社会主義文学の代表的な作品です。
明治時代の社会主義運動を解説する、多くの文献が紹介しています。
かなり深く論じている資料もあれば2、3行の説明にとどめている資料もあります。
トルストイの「復活」は、「火の柱」の前置きとして、ときどき説明がされます。
でも、連載期間まで触れている資料は、まだ見ていません。
そこで、少しばかりひも解いてみました。
まずは手ごろなところ、岩波文庫と新潮文庫をあたります。
ともに上下巻で、訳者による解説は下巻にあります。
さらに、市立図書館で見つけた、もうひとつの「復活」。
太平洋戦争の戦後まもない昭和24(1949)年に
大日本雄弁会講談社が『トルストイ全集』を発行しました。
その第1巻と第2巻に「復活」の上下巻が収まっています。
講談社の全集も、2つの文庫本同様、訳者による解説は下巻につきます。
でも、どれも解説は作品論のみ。
日本で紹介された経緯までは、触れていません。
市立図書館で具体的な記述資料を見つけました。
国書刊行会発行の『新聞小説史 明治篇』です。
明治36(1903)年、各新聞紙が小説の連載に、しのぎを削っていたころ。
《『毎日』の編集局にいた山崎という記者が、トルストイの「復活」を訳してみたい、と木下に話した。
木下も乗り気になって、さっそく訳させ、その原稿に手を加えて連載することにした。
挿し絵はそのころ在社していた平福百穂が担当した。
はじめは多少読まれたが、やがて文章がだらだらと冗漫でおもしろくないという苦情が出て来て、
これまた後半を縮めて三十六年末に中絶した》
(『新聞小説史 明治篇』389ページ)。
冒頭の『毎日』は、件の「毎日新聞」のこと。
連載をした経緯は書かれています。でも、ここまで。
残念なことに、いちばん肝心な、いつからいつまでという、具体的な日付までは記されていません。
同じシリーズに『新聞小説史年表』を発見しました。これなら。
そう、「年表」にまさる資料はないでしょう。
やっとたどり着いた感じです。ページを手繰りました。
明治37(1904)年1月の項に「火の柱」はあります。
《火の柱(木下尚江)「毎日」1・1〜3・20》
(『新聞小説史年表』111ページ)
あれっ。
でも、明治36年の項、1月から12月までのどこにもありません。
トルストイの名も、「復活」のタイトルも見当たらないのです。
いったい、どうしたことでしょうか。
3
レファレンスに依頼する
明治36(1903)年、『毎日新聞』に連載されたとするトルストイの小説「復活」。
いったい、いつからいつまで連載されたのでしょうか。
いちばんの資料と思われた『新聞小説史年表』にも載っていません。どうしましょう。
たとえば調べる方法として、ひとつ。
国立国会図書館へ出向きます。
『毎日新聞』の実物はないにしても、マイクロフィルムなり、復刻版なりは所蔵しているでしょう。
紙面を探せば、おのずと答えはでてきます。
でも、国会図書館まで、なかなか通えません。
なにか他に、よい手立てはないものでしょうか。
そこで、近く市立図書館のレファレンスへ向かいました。
訪ねて3日目。
早々に調査結果をいただきました。
「復活」の連載期間は、明治36年9月15日から、年末ぎりぎり12月31日までの3か月半、とのこと。
資料は埼玉県立浦和図書館にあるといいます。
それも、解説資料ではなく『毎日新聞』そのものの復刻版。
国会図書館まで行かなくても、間近にあったのです。
さっそく県立浦和図書館へ足を運びました。
と、その前に。
連載期間が分かったところで、再び『新聞小説史年表』を見直しました。
「復活」のはじまりは、明治36(1903)年9月15日。
9月の欄をみると8作品がならんでいました。
9月3日〜『東京毎夕新聞』 生田葵山人「紫草紙」
9月8日〜『読売新聞』 黒法師(霞亭)「毒饅頭」
9月15日〜『国民新聞』 江見水蔭「海底の寶庫」
9月16日〜『大阪朝日新聞』 霞亭「名月」
9月18日〜『日出国(やまと)新聞』 リサアル作、美妙訳「虐政治下の比律賓・羽ぬけ鳥」
9月21日〜『読売新聞』 幸田露伴「天うつ浪」
9月23日〜『東京日日新聞』 澁柿園「釣天井(1)」
9月28日〜『東京朝日新聞』 霞亭「土人形」
同じ9月15日にはじまった小説はあります。
でも、トルストイの「復活」はありません。
4
18話がない
県立浦和図書館へ確かめに行きました。
目的は、明治時代に発行された『毎日新聞』の復刻版です。
トルストイの「復活」が載るのは、明治36(1903)年の9月、10月の2か月を収める第133巻と、
11月、12月の2か月を収める第134巻。
新聞1面がA4判に縮小されています。
活字はとても小さく、まともに読めません。
それでも、夢にまでみた、トルストイの小説「復活」が目の前にあります。
タイトル「復活」の下には
《露國トルストイ作》
と
《無名氏譯》
が並列にならびます。
すべての話が『毎日新聞』の題号がつく各日の第1面、紙面の最下段に載っていました。
9月15日の1面が第1話、12月31日の1面が第108話となっています。
それでは、途中はどうでしょう。
話数が欠落したり重複したり、していないでしょうか。
連載期間中の日付を1日ずつ話数と付け合わせ、全話のならびを列記し確認しました。
途中、9月28日が「第14話」、9月29日が「第15話」。あれっ。
次の9月30日も「第15話」になっています。単純な校正ミスでしょうか。
以降、最後まで1話ずつ、ずれていってしまうのでしょうか。違いました。
9月30日以降、10月1日が「第16話」、10月2日が「第17話」。
次の10月3日が「第19話」、10月4日が「第20話」になっています。
「第18話」がありません。
2回目の「第15話」の2日後、間違えに気づいたのでしょう。
3日目には修正していたのです。
素早い時期での対応で、数字はもとに戻っていました。
あとは最後まで間違えることなく、話数は規則正しくひとつずつ増え、最終12月31日が第108話。
カレンダーで連載日数をかぞえました。
9月の16日間、10月の31日間、11月の30日間、12月の31日間。
すべてを足して108日。
新聞の通し話数と同じ結果となりました。
今回、確認したのは『新聞小説史年表』に載っていない長編小説「復活」です。
明治36(1903)年9月15日から12月31日まで、『毎日新聞』に全108回にわたり連載されました。
もしかして、連載時の「復活」に第15話が2つあり、第18話が欠番になっていること。
どうでもいいことかもしれません。
けど、新発見だったりして。
5
国会図書館でいちばん
『毎日新聞』で連載した、トルストイの小説「復活」の謎は解けました。
連載期間もわかりました。
さらに、1歩踏み込んでみます。
連載がはじまる前、『毎日新聞』の紙上に、予告の記事か広告は載ったのでしょうか。
まさか、なんの予告もなくはじまるということはないでしょう。
ありました。いちばん目立つところ。
1面1段目『毎日新聞』の題号の、すぐとなりです。
「社告」として、ほか3つの新連載といっしょに載っていました。
《小説「復活」 原著は世界の文壇に轟ける露國の哲人トルストイ翁の傑作なり、
今や多年翁に私淑せる匿名氏の洗練雄渾の譯筆を藉て將に十五日の紙上より出でんとす、
讀者乞ふ少く忍で其日の到るを待て》
。
載ったのは、ちょうど連載開始1週間前。
9月7日、8日、9日の3日連続です。
あと、連載がはじまる9月15日までは、なにもありません。
国会図書館のホームページから、「復活」の所蔵を調べてみました。
いちばん古い「復活」は、明治43(1910)年1月30日発行の「復活 後編」でした。
訳者は内田貢。貢は小説家、翻訳家で評論家でもある内田魯庵の本名です。
発行所は丸善株式会社。
次に古いのが、大正2(1913)年7月1日発行の「復活 前編」第5版となっています。
奥付を見ると「前編」の初版は、明治41(1908)年10月15日、
3版が明治43年3月25日、4版が大正元年9月12日とあります。
訳者、発行所ともに「後編」と同じです。
「前編」の初版から「後編」の初版まで、1年3か月のあいだが空いています。
のち「後編」の初版がでるころ、「前編」は第3版になっているのが分かります。
「前編」の巻頭にのる「例言」冒頭にありました。
《本篇は初め日本新聞社(陸氏時代の)の囑に應じて今より三年前
即ち明治三十八年四月三日の帋上より連載し、約九ケ月に渡つて漸く完結したり。
夫より以前本篇の繙譯若くは梗概は二三の某某新聞に掲載せられ
劇にさへ演ぜられたりと聞けば『復活』は日本讀書社會には決して新らしきものにあらず》
。
《帋》
は「紙」の異体字です。
《陸氏》
とは、政治評論家で日本新聞社長の陸羯南のこと。
もしかして、
《二三の某某新聞》
のうちのひとつに『毎日新聞』が含まれるのかもしれません。
残念ながら、ほかの
《某某新聞》
はわかりません。
ただ
《某某新聞》
のなかには、『毎日新聞』より早く連載した新聞があるかもしれません。
それこそ国立国会図書館に出向いて、トルストイが「復活」を発表した明治32(1899)年から、
『毎日新聞』が訳出した明治36(1903)年9月までの間のすべての新聞を、ひっくり返さなければ分からないでしょう。
国会図書館の所蔵で3番目に古い「復活」があります。
島村龍太郎による脚色です。龍太郎は島村抱月の幼名。
「復活」がシナリオの形に描かれています。
そう、「復活」は演劇にもなったのです。
大正3(1914)年3月22日に、新潮社が発行しました。
発行から4日後の3月26日、島村率いる芸術座の第3回公演が東京帝国劇場で開かれます。
島村が脚色した舞台劇「復活」の上演です。
劇中、松井須磨子が「カチューシャの唄」をうたいました。
のち、レコードに吹き込まれ、大ヒットになりました。
ちなみに、内田貢訳の「復活」前後編と、島村龍太郎脚色の「復活」は、
国会図書館のホームページから、デジタル化資料として閲覧することができます。
6
どうしても内田魯庵の訳が初めて
内田が訳した新聞連載の「復活」を『新聞小説史年表』に探しました。
116ページの明治38(1905)年、4月の欄のいちばんにありました。
《復活(トルストイ作、魯庵生訳)「日本」(4・5〜9・30)》
。
あれっ。確か「復活 前編」の「例言」冒頭には
《明治三十八年四月三日の帋上より連載し、約九ケ月に渡つて漸く完結したり》
とあったはず。
それぞれ、連載の始まりと終わりの記述が違います。
なぞは深まるばかりです。
たぶん国会図書館で『日本新聞』をめくれば、はっきりしたことは分かでしょう。
でも、いまはまだ行きません。言及しません。
あとにとっておきます。
内田魯庵は「復活」を、6か月、もしくは9か月の長期にわたる連載を経て完成させています。
なのに『毎日新聞』では、3か月半の連載。
もとの内容が、どれほど生かされているのか疑問です。
かなり省略されてしまっているのではないでしょうか。
それにしても、なぜ『新聞小説史年表』には、内田訳の「復活」があるのに、
『毎日新聞』の「復活」がないのでしょうか。
もしかして、ある意味完訳でないから。
不評という理由で、途中でないがしろにしてしまったから。
それは『新聞小説史年表』が、意図してのことでしょうか。
最後に、もうひとつ。
インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」で「復活(小説)」を確認してみます。
「日本の受容」の項にありました。
《1905年(明治38年)、内田魯庵によって初めて翻訳された》
(平成26年6月25日現在の記述)。
やはり、明治38年の内田魯庵の訳を初としています。
残念ながら『毎日新聞』連載のことは、うんともすんとも言及していません。
どうやら「復活」は、内田魯庵の訳で定着してしまっているようです。
〈主要参考資料〉
「復刻版 横浜毎日新聞(原題『毎日新聞』)第133巻」第38回配本 不二出版 平成10(1998)年10月
「復刻版 横浜毎日新聞(原題『毎日新聞』)第134巻」第39回配本 不二出版 平成11(1999)年1月
「新聞小説史 明治篇」高木健夫 国書刊行会 昭和49(1974)年12月
「新聞小説史 年表」高木健夫 国書刊行会 昭和62(1987)年5月
「復活 下巻」中村白葉訳 岩波書店(文庫) 昭和33(1958)年6月
「復活(下)」木村浩訳 新潮社(文庫) 昭和55(1980)年5月
「トルストイ全集2 復活 下」原久一郎訳 大日本雄弁会講談社 昭和24(1949)年12月
「復活 前編」第5版 内田貢訳 丸善株式会社 大正2(1913)年7月
「復活 後編」内田貢訳 丸善株式会社 明治43(1910)年1月
「復活」島村龍太郎脚色 新潮社 大正3(1914)年3月
※初出はブログ「埼玉考現学」平成25(2013)年10月8〜11日
『季刊ミネルヴァ 2014夏 137号』平成26(2014)7月
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