年表をご覧になる前にお読みください

     『日本社会運動史年表』を作っています。
     年表には、足尾鉱毒事件に関連する事象を反映させています。
     6回の押出しや、田中正造の直訴事件を含めています。
     でも、主だった一部の事象のみで、ぜんぜん事足りていません。
     そこで、散在している足尾鉱毒事件の全容をまとめ、
     ひとつの流れを作ってみようと、平成26年の1月からデータ集めをはじめました。
     埼玉県立浦和図書館で、いくつか主だった資料を選んでもらいページめくりました。
     大きな事象は共通しています。
     細かなところでは、資料によって異なった事象が、ばらばらに描かれています。
     資料を替えるたびに、別の新しい事象がわんさかでてくるのです。
     まるで、あらかじめ著者どうしが示し合わせて、たくさんの事象を別々の資料に振り分けているみたい。
     足尾鉱毒事件の事象は、はじめ『日本社会運動史年表』に入れ込むつもりでした。
     でも、事象がたくさんあり過ぎて、あふれてしまいそうです。
     そこで、足尾銅山、鉱毒事件、田中正造、谷中村をキーワードに、
     『足尾鉱毒事件年表(仮)』をまとめることにしました。

     たくさんの資料を当たっていて、ひとつ疑問に思うことがありました。
     イベントの名称や請願書のタイトルは、同じ人が同じ日に起こした同じ事象なら、
     同じ名称のはず。組織や団体の創立日やイベントの開催日は、1日だけの1回しかないはず。
     それなのに、資料によって違った名称、違った日付が記されているのです。
     たとえば、1896(明治29)年10月5日。田中正造主導のもと、
     運動や調査の拠点となる事務所が、群馬県邑楽郡渡瀬村の雲龍寺に設けられました。
     その名称が資料により「鉱毒仮事務所」「鉱業停止請願事務所」「足尾銅山鉱業停止請願事務所」
     「群馬栃木両県鉱毒事務所」「群馬・栃木両県鉱業停止請願事務所」とありました。
     田中正造は、被害地の町村長や有志活動家を中心に、反対運動を強化しました。
     数百から数千の農民が、6回にわたり東京の政府に対して直接請願を行ないます。
       1897(明治30)年3月上旬に第1回、下旬に第2回
       1898(明治31)年9月に第3回
       1900(明治33)年2月に第4回
       1902(明治35)年2月に第5回、3月に第6回と続きました。
     その名称が「押出し」「東京陳情」「東京押出し」「大挙押出し」
     「東京大挙押出し」「大挙上京(行進)」「大挙上京請願行動」とありました。
     特に第4回は、群馬県邑楽郡の川俣で、上京途中の農民と警官隊が激しい衝突を起こし、
     たくさんの逮捕者をだしました。「川俣事件」「兇徒聚集事件」とも呼ばれます。
     1901(明治34)年12月27日、東京の学生800余人が、大挙して被害地を視察しました。
     その名称が「鉱毒被害地大視察団」「東都学生被害地大視察団」「大挙鉱毒視察」「鉱毒視察修学旅行」とありました。
     1903(明治36)年、第2次足尾銅山鉱毒調査委員会が「足尾銅山ニ関スル鉱毒調査委員会報告書」を提出しました。
     その提出日と提出先が資料によりまちまちなのです。
     「3月2日、政府に提出」「3月3日、総理大臣に提出」「3月4日、総理大臣に提出」「5月、議会に提出」
     「6月3日、議会に提出」「6月14日、議会に提出」。ここでの政府と総理大臣は同じと思われます。
     1907(明治40)7月29日、谷中村の残留被害民らが、不当廉価買収に関する訴訟を提起しました。
     その名称が「不当買収価格訴訟」「不当廉価買収訴訟」「土地収用補償金額裁決不服訴訟」とありました。

     演説会や集会の参加人数も資料によって、まちまちな数字をあらわしていました。
     ただ、参加人数は主催者、警察、新聞など発表する立場によって、違いがあるかもしれません。
     さらには、同じ著者の同じひとつの資料文献なのに、書いてあるページによって、
     イベントの名称が違っていたり、日付が違うこともありました。
     統一がなされていないというか、それ以前の問題のようにも思えてしまいます。
     同じ事象、同じ年月日のはずなのに、一体全体なにが正しいのでしょうか。
     資料によって、まちまちの固有名詞や数字がでてくる歴史が、他にあるでしょうか。
     それは、江戸時代以前のお話ではありません。近代、明治維新以降のお話。
     日本の公害問題の原点ともいえるエポックメイキングな事件です。にもかかわらず。
     ある程度、決まった範囲なのに、それだけ多岐にわたって、研究されているということでしょうか。
     それとも、著者はそれぞれに自身の著作で、他の資料をないがしろに題目や数字を勝手に決めていったのでしょうか。
     もしかしたら、はじめに決まった名称がなかったため、あとになってばらばらに付けられていったのかもしれません。

     『足尾鉱毒事件略年表(仮)』では、なにが正しくて、なにが間違っている、という言及はしていません。
     なんの主義主張もありません。資料にあるデータを写しとり、列記しているだけにとどめています。
     それでも知らず知らずに、まとめた作成者の色は反映されているでしょう。
     一部、作成者自身が調べた、新発見の事象や修正した事象もあります。
     年表は、ひとつの資料から、ひとつの事象を取りだしているわけではありません。
     これまでの『長崎年表』や『日本社会運動史年表』と同じように、
     たくさんの資料のなかから同一事象の記述を合体させて、ひとつの事象に構築しています。
     足尾鉱毒事件に関する事象は、ほかの2つの年表以上に資料をあさればあさるだけ、事象がでてきそうな気配です。
     これからも数ある事象を抜きだし、行間を埋めていきます。
     年表全体を通して読んでみると、ちょうど起承転結の流れに、事が進んでいる感じがします。
     足尾銅山会社の創業から、鉱毒の流出、反対運動、補償問題、政府の強行、谷中村の廃村、遊水地の完成へ。
     会社、政府、県、郡、町村。関係大臣、県知事、県議会議員、町村長、
     町村議会議員、町村民、地主、学者、有識者が複雑に入り組んでいます。
     ある意味、物語を読んでいるような錯覚を持つかもしれません。感情移入すると泣けてきます。
     年表は、ひとつひとつの事象をさらっと流すだけでなく、
     事細かに深くあさったことで、専門的になってしまった感じが拭えません。
     事象がいっぱいあり過ぎて、煩わしささえ覚えます。
     この形でよいのかどうか、作っている本人が分からなくなっています。
     答えが分からないなかで、試行錯誤しながらの生きている年表の現状です。

     新たに『足尾鉱毒事件略年表(仮)』を作ったことで、これまで『日本社会運動史年表』に含んでいた
     4回の大挙押出しや、田中正造の直訴事件など、足尾鉱毒事件に関連する事象は省くことにしました。
     一部、発行物に関しては、2つの年表に重複して記しているものもあります。
     また、1907(明治40)年2月の足尾暴動事件に関しては、そのまま『日本社会運動史年表』にて展開しています。
     2015(平成27)年10月上旬、知人に田中正造の足跡を案内していただきました。
     これまで机上の上で描いていた歴史が、立体的に見えるようになりました。
     そこで、10月23日にはタイトルの『足尾鉱毒事件略年表(仮)』から『仮』を外しました。



     《主要参考文献・協力・他》
     『足尾鑛毒事件研究』鹿野政直 三一書房 昭和49(1974)年7月
     『足尾鉱毒事件 上・下』森長英三郎 日本評論社(日評選書) 昭和57(1982)年3月
     『足尾銅山鉱毒事件関係資料 第12巻』安在邦夫 東京大学出版会 平成21(2009)年6月
     『足尾銅山史』村上安正 随想舎 平成18(2006)年3月
     『木下尚江全集 第10巻 田中正造翁』木下尚江 教文館 平成4(1992)年1月
     『公害・労災・職業病年表』飯島伸子 公害対策技術同友会 昭和52(1977)年9月
     『改訂 公害・労災・職業病年表』飯島伸子 公害対策技術同友会 昭和54(1979)年5月
     『新版 公害・労災・職業病年表』飯島信子 すいれん舎 平成19(2007)年6月
     『鉱毒事件の真相と田中正造翁』 永島与八 明治文献 昭和46(1971)年4月
       (昭和13年5月発行の著作を復刊 発行は佐野組合基督教会永島与八)
     『さよならのかわりにきみに書く物語』 一色悦子 随想舎 平成25(2013)年10月
     『死なば死ね殺さば殺せ』山岸一平 講談社 昭和51(1976)年11月
     『辛酸』城山三郎 角川文庫 昭和54(1979)年5月  昭和52(1977)年6月
     『田中正造』布川清司 清水書院(人と思想) 平成9(1997)年5月
     『田中正造』由井正臣 岩波新書 昭和59(1984)年8月
     『田中正造全集 第7巻』田中正造全集編纂会 岩波書店 昭和52(1977)年6月
     『田中正造全集 別巻』田中正造全集編纂会 岩波書店 昭和55(1980)年8月
     『田中正造の生涯』林竹二 講談社現代新書 昭和51(1976)年7月
     『田中正造文集 一・二』由井正臣編 岩波文庫 平成16(2004)年11月、平成17(2005)年2月
     『通史足尾鉱毒事件』東海林吉郎 新曜社 昭和59(1984)年4月
     『新版 通史足尾鉱毒事件』東海林吉郎 世織書房 平成26(2014)年8月
     『帝国陸軍 高崎連隊の近代史 上巻 明治大正編』前澤哲也 雄山閣 平成21(2009)年5月
     『日清・日露戦争』原田敬一 岩波新書 平成19(2007)2月
     『藤岡町史 資料編 谷中村』藤岡町史編さん委員会 藤岡町 平成13(2001)3月
     『明治文化資料叢書 第6巻 社会問題編』明治文化資料叢書刊行会 風間書房 昭和36(1961)年2月
       (『鉱毒地の惨状 第1篇』を収録)
     『谷中村村長茂呂近助』谷中村と茂呂近助を語る会  随想舎 平成13(2001)年6月
     『谷中村滅亡史』荒畑寒村 新泉社 昭和45(1970)年11月
     『谷中村滅亡史』荒畑寒村 岩波文庫 平成11(1999)年5月
     『谷中村問題・学生運動 菊地茂著作集第1集』斉藤英子 早稲田大学出版部 昭和52(1977)年6月
     『渡良瀬遊水地〜生い立ちから現状』財団法人渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団 平成24(2012)年3月
     『初期社会主義研究 第18号』 初期社会主義研究会 平成17(2005)年11月
     『読売新聞』『朝日新聞』『毎日新聞(横浜毎日新聞)』
     足尾歴史館、足尾銅山観光、財団法人渡良瀬遊水地アクリメーション振興財団、
     栃木市藤岡歴史民俗資料館、国立国会図書館、埼玉県立図書館、さいたま市立図書館


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