明治39年の東京の路面電車路線図をつくる





     明治39年。
     東京では東京電車鉄道東京市街鉄道東京電気鉄道
     3つの電車会社が、しのぎをけずっていました。
     以下、東京電車鉄道を東電、東京市街鉄道を街鉄、東京電気鉄道を外濠線と略します。
     3月2日、その3電車会社が合同で3銭から5銭へと、電車賃の値上げを出願したのです。
     出願した直後から反対運動が盛んに起こりました。
     3月15日の反対集会は1千人規模となり
     散会後の示威行動では逮捕者がでる騒擾事件にまで発展しました。
     結果、値上げは却下されます。
     それでも経営合理化を条件に、3電車会社はふたたび申請しました。
     すると東京府知事は合併を認可、内務大臣が4銭への値上げを指示します。
     そして9月11日、3電車会社の合併と4銭への値上げがされたのです。

     電車賃値上反対運動を、立体的にみてみようと路線図の作成を思い立ちました。
     地図の時期は、この3月2日から9月11日までの約6か月にしぼりました。

     資料としては、家の棚にある都交通局の「都電60年の生涯」からはじまりました。
     でも、ぜんぜんらちがあきません。不明な点ばかりです。
     年表と変遷図から、6か月のあいだまでに敷かれた路線を伸ばします。
     はじめはモノクロで、鉄道線も川も堀も海もない、さっぱりした地図でした。
     そこで図書館から、都交通局の「わが街わが都電」、JTBの「東京市電名所図絵」、
     角川書店の「よみがえる明治の東京 東京十五区写真集」、
     実業之日本社の「東京懐かしの昭和30年代散歩地図」などを借りました。
     さらに、江戸東京博物館で開かれた「東京の交通100年博」のガイドブックや、
     インターネットサイトgooの「明治地図」などを参考にしました。
     この一連の資料探しは、1冊1冊と資料が増えるごとに、比例して内容も詳細になりました。
     突然、詳しくなるのではなく、プラスアルファが順序よく増えていったのです。

     徐々にまとまっていきました。
     それでもまだ完全ではありません。
     同じ交差点にある停留場なのに、資料によって違う表記がされていることも、少なからずありました。
     特に東電の、日本橋須田町との間から、浅草橋へ抜ける2本の路線。
     この線は、ともに単線一方通行です。
     1本は浅草橋への線、もう1本は浅草橋からの線となります。
     日本橋須田町のあいだの、分岐点と合流点となる停留場の名が分かりませんでした。
     2本のどちらが、どの方向への一方通行なのかも謎でした。

     地図をより完ぺきなものにしようと
     東京都電のホームページを繰り広げている専門家の門をたたきました。
     教えを乞い、さらなる参考資料を教えていただきました。
     新潮社のムック本「日本鉄道旅行地図帳(5)」は書店で購入、
     図書館から鉄道図書刊行会の「日本路面電車変遷史」、プレス・アイゼンバーンの「東京の電車道」、
     東京都公報普及版編纂室の「馬車鉄から地下鉄まで」を借りました。
     この3冊は、ともに明治時代をしめる割合がほんのわずかです。
     それでも新しい発見はありました。
     新潮社本は、かなり細かく路線や停留場名の変遷が網羅されています。
     路線や停留場の新設、廃止、移設などが表で示されています。
     何回かのやり取りののち、かなり鮮明に情報を得ることができました。
     修正を加え、どうにか形になりました。
     地図は、調べれば調べるほど詳細になり、文字が置けなくなります。
     引き出し線で補い、となりの文字との間隔をせばめます。
     特に、交差点にある停留場名には、悩まされました。

     主要な停留場名として、起点、終点となる停留場のほか
     交差点にある停留場、乗り換えの停留場を入れ込みました。
     そこで、ふと発見が。
     ▽ひとつの交差点なのに、停留場の名が違っているのです。いくつもあります。
     街鉄三田(本芝)東電薩摩原(三田)外濠線青山一丁目街鉄御所前外濠線赤坂見附街鉄赤坂見附外
     街鉄霞ケ関外濠線虎ノ門内街鉄内幸町外濠線日比谷公園(公園前)東電銀座四丁目街鉄銀座尾張町
     街鉄駿河台下外濠線小川町街鉄松住町外濠線神田松住町街鉄上野広小路東電切通
     よくよく見ると電車会社が違うのです。
     ▽もちろん違う電車会社で同じ停留場名もあります。
     街鉄外濠線四谷見附街鉄外濠線飯田橋街鉄外濠線小川町街鉄外濠線神田橋
     東電街鉄須田町東電街鉄万世橋東電街鉄浅草橋東電街鉄厩橋
     ▽さらに同じ電車会社の同じ交差点で、違う名をつけている停留場がありました。
     東電日本橋の北側、浅草橋へ向けての分岐の先に、本線の今川橋と支線の本銀町角
     浅草橋からの合流手前に、本線の石町と支線の本町角のように。
     前に交差点にある停留場の名が、資料によりまちまちで統一されていないと書きました。
     もしかしたら原因のひとつが、このあたりにあるのかもしれません。
     ▽極めつけは、同じ停留場名が会社を違えて離れた場所にあったのです。
     ひとつの交差点に街鉄駿河台下と、外濠線小川町があります。
     でも、東側の交差点にもうひとつの小川町がありました。こちらは街鉄小川町です。
     ほかにも、甲武鉄道の線路と外濠をはさんで、外濠線市ケ谷見附街鉄市ケ谷見附があります。
     ▽また、鉄道線の駅前にある停留場名が違う名で示されていることも。
     官営鉄道の新橋駅前に芝口(芝口一丁目)があるのです。
     ▽はたまた同じ停留場なのに、行き先によって違う名で示されていることも。
     本郷にある街鉄の停留場で、上野広小路方面が本郷四丁目、須田町方面が本郷三丁目といいます。
     当時は3電車会社が、それぞれに独自の停留場名をつけていたようです。
     というか、ややこしくてたまりません。

     3電車会社が、同じ線路の上を共用して走っている箇所もありました。
     東電街鉄が、須田町の合流から東電が神田川に架かる万世橋を渡る手前まで。
     街鉄外濠線が、四谷見附付近の合流から街鉄が外濠に架かる土橋を渡る手前まで。
     街鉄霞ケ関外濠線虎ノ門内の合流から、外濠線葵橋の手前まで。
     以上3か所です。
     もうひとつ。外濠線信濃町天現寺橋を結ぶ線が、皇居の外周をまわる線と離れています。
     そのあいだの青山一丁目赤坂見附は共用ではありません。
     外濠線の車両のやり取りは街鉄の線路を借りて行なっていました。

     3電車会社のそれぞれの電車車庫は
     「東京市電名所図絵」に掲載されている「東京市内電車案内図」を参考にしました。
     ただ、地図の発行は明治40年3月です。
     明治39年に設定した6か月の間には、まだ出来ていない車庫が含まれているかもしれません。

     6か月のあいだには、いくつかの新線開業や廃止による路線変更がありました。
     3月3日に外濠線が、信濃町天現寺橋を開業。
     3月21日に街鉄が、俎橋飯田橋を開業。
     そして4月13日には同じく街鉄が、三原橋蓬莱橋を開業させました。
     8月2日には、それまで単線一方通行だった東電上野停車場前田原町の間が
     合羽橋経由を廃止し、菊屋橋経由が複線となりました。

     鉄道会社3社は紆余曲折がありながらも、9月11日を迎え合併、東京鉄道会社となるのです。
     このあとも数多くの路線や停留場の新設、廃止、移設が繰り返されます。



        〈おことわり〉
         上の記述は、あくまでも明治39年3月2日から9月11日までと期間を限ってのお話です。
         停留場の名は資料により異なった表記がされているようです。
         地図や文章中の停留場名に関しては新潮社本を参考にしておりますが、確定的なものではありません。
         地図や文章は最終版ではありません。新たな発見があれば、そのつど修正を加えていきます。

        〈地図資料〉
         「電気局運転系統図」(大正2年12月)…都交通局「都電60年の生涯」
         「東京全市電車線路略図」…都交通局「都電60年の生涯」
         「路線変遷図・市営化以前」…都交通局「都電60年の生涯」
         「東京全市電車線路略図」…都交通局「わが街わが都電」
         「路線変遷図・市営化以前」…都交通局「わが街わが都電」
         「東京全市電車線路略図」(明治?年・「電車唱歌」綴込)…都交通局「都営交通100年のあゆみ」
         「電車運転系統図」(大正4年9月)…都交通局「都営交通100年のあゆみ」
         「東京市街新地図」(明治39年5月)…JTB「東京市電名所図絵」
         「東京市内電車案内図」(明治40年3月)…JTB「東京市電名所図絵」
         「東京市内電気鉄道案内」(明治38年1月)…プレス・アイゼンバーン「東京の電車道」
         「東京市街鉄道運転系統」(明治36年)…鉄道図書刊行会「日本路面電車変遷史」←明治37年11月の間違い
         「東京市街鉄道路線略図」(明治?年)…鉄道図書刊行会「日本路面電車変遷史」
         「東京全市電車線路略図」(明治?年・「電車唱歌」付図)…鉄道図書刊行会「日本路面電車変遷史」
         「市有当日の運転系統」(明治44年8月)…鉄道図書刊行会「日本路面電車変遷史」
         実業之日本社「東京懐かしの昭和30年代散歩地図」
         角川書店「よみがえる明治の東京 東京十五区写真集」
         新潮社「日本鉄道旅行地図帳(5)」
         イカロス出版「都電の100年」
         インターネットサイトgoo「明治地図」

        〈協力〉笹目史郎
        〈参考〉さっしいのホームページぽこぺん



       トップページ