―――――――――――――番外編(5)―――――――――――
諫早の眼鏡橋
長崎の眼鏡橋よりあとだけど
長崎の眼鏡橋より早かった
2008年(平成20)5月3日撮影
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長崎市内、中島川に架かっているだけが眼鏡橋ではありません。
全国各地に架かっていると思いますが、おとなり諫早市にも立派な眼鏡橋があります。
その眼鏡橋は公共の道路石橋として、日本で初めて国の重要文化財に指定されました。
そう、長崎の眼鏡橋よりも早く、国の重要文化財に指定されたのです。
江戸時代、諫早の中心を流れる本明川は、ことあるごとに氾濫。
橋も大洪水のたびに破損、流失していました。
安心して渡れる橋はひとつもなく、川のあちこちに飛び石がならびます。
人々は、とても不便な生活をしいられていました。
そこで頑丈な橋を造る計画がだされます。
どんな大洪水にあっても永久に流されない橋を作ろうと、各地の橋を視察。
長崎の眼鏡橋に勝るものはないと結論に達しました。
工事自体には長崎の石工を用いず、諫早領内の棟梁6名が難工事にあたりました。
1838年(天保9)5月に起工、翌1839年(天保10)8月12日に完成します。
たびたびの洪水にも崩壊することなく耐える、名実ともに頑丈な橋です。
中央基礎部では、砂利層の上に厚さ1米の潟土を置きます。
さらに、松くいで補強した上に枕木を敷いきます。
地震に備えるほどの強靱さです。
経費は銀三千貫。
諫早藩は財政に困窮し、工事費用の半分にも満たない資金しかありません。
それでもあきらめることなく、奉行・棟梁は幾度となく計画を練り直します。
残りの費用は、すべて募金や九州各地をまわった僧侶の托鉢などで集められました。
領民は自ら工事に参加し、まさに諫早人がいったいとなって難事業に立ち向かいます。
その成果として眼鏡橋が生まれたのです。
ちなみに、長崎の眼鏡橋の完成は約200年前の1634年(寛永11)です。
・形式:石造2連アーチ0.00・橋長:49.25米000
・幅員:5.5米 0・高さ:7.7米00000
・アーチ径:18.1米 ・石の数:約2800個.
しかしその頑丈さが、あだになってしまう出来事が起こりました。
1957年(昭和32)7月25日のことです。
記録的な集中豪雨が諫早地方をおそい、本明川をはじめ付近の川が氾濫します。
市街地は水没、死者・行方不明あわせて630人もの犠牲者がでてしまいました。
そんななか、眼鏡橋は奇跡的に欄干の一部を破損した程度でした。
でも、被害が大きくなった原因のひとつに、堅固すぎた橋の存在があげられました。
橋は流木の行く手をはばみ、川の流れをせき止めました。
結果、市街地に大量の水をあふれさせててしまったのです。
水害復興のなか、1958年(昭和33)7月には本明川が国の直轄河川に編入さます。
建設省によって大幅な改修工事が行なわれ、川幅を20米に拡張すことになりました。
水害の被害をもたらした眼鏡橋は、ダイナマイトで爆破されることになりました。
しかし諫早市長は、自ら眼鏡橋爆破に反対、文化財としての保存を提案しました。
対して被害を受けた地域住民や議会は反対を唱えます。
「復興資金さえ底を突いているのに、移設するとは何事か!」
それでも市長は働きかけ続けます。
「50年後の代を考えれば、市の象徴である眼鏡橋保存が大事」
市長は解体賛同の市民・議会の圧力に屈することなく、橋の移転保存に奔走しました。
災害復旧で、資金が乏しい諫早市には、自前で移転保存する財源はありません。
そこで市長は、眼鏡橋を保存するために窮余の策を考えました。
なんと、それまでに前例のない、国指定を取りつける手段をとったのです。
そして、1958年(昭和33)11月27日。
ついに公共の道路石橋として、初めて国の重要文化財に指定されました。
長崎の眼鏡橋が国の重要文化財に指定されたのは、
遅れて1960年(昭和35)2月9日のことでした。
移設復元作業は困難を極めました。
諫早市内から石工を呼びよせます。
まず石材の数も形も全く同じ、5分の1スケールの眼鏡橋の模型をつくりました。
そこから得たデータを最大限に利用し、眼鏡橋の移設復元を完璧に成功させたのです。
1959年(昭和34)2月22日から同年4月29日にかけて解体されました。
移設復元作業は、1960年(昭和35)12月1日から翌年の8月31日まで。
足かけ1年に近い長い道のりでした。
そして…。
諫早公園内に、美しい姿が甦りました。
公園は架かっていた地点より約450米上流にあります。
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亀がいます。

文化財の碑(左)と諫早市民憲章の碑(右・※1)です。

階段部分と橋の上から。

公園の中と道路の上。

なんとなく眼鏡とつばさを広げて。

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本明川時代の眼鏡橋(左)と移設工事の様子(右)。(案内板より)

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石の眼鏡橋が架かっていた箇所には、●●●●●●●●●●●
給水本管を兼ねた歩道橋みたいな水道橋が架かっています。●
命名の由来。(左・※2)●●●●●●●●●●●●●●●●
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右岸側、銘板には漢字で書かれています。コンクリートの台座には河川名「本明川」の銘板。

左岸側、銘板にはひらがなで書かれています。給水管が見えます。

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橋の銘板には「眼鏡橋」「めがね橋」の文字。●●●●●●●●●●●●
その意味は※2の「眼鏡橋の由来」にもありますが●●●●●●●●●●
もともとの石橋、眼鏡橋にちなんで命名されたそうです。●●●●●●●
とすると、諫早には「眼鏡橋」がふたつあることになります。●●●●●
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諫早市のマンホールの蓋。
市の象徴として眼鏡橋が大きく象られています。
手前の花は菖蒲でしょうか。
