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銀行のこと…分かる範囲内で


閉店する直前の銀行名は「みずほ銀行 長崎中央支店」
その前は第一勧業銀行長崎支店、
そのまた前は日本勧業銀行長崎支店。

そのあたりからお話を進めていきます。

日本勧業銀行長崎支店の開設は1898年(明治31)3月のことです。
そして1929年(昭和4)、長崎県農工銀行を合併します。

1971年(昭和46)10月には、戦後初の大型合併として
都銀6位の第一銀行と8位の日本勧業銀行が合併し
預金量第1位の第一勧業銀行が発足します。

さらに第一勧業銀行、日本興業銀行、富士銀行が合併し
「みずほ銀行」となるのは2002年(平成14)4月1日…。
長崎には第一勧業銀行と富士銀行があり、
それぞれ旧第一勧業銀行を「みずほ銀行 長崎中央支店」、
旧富士銀行を「みずほ銀行 長崎支店」として営業が始まります。

そして2005年(平成17)5月23日(月)、
店舗統合のため長崎中央支店の営業が終了し
長崎支店(旧富士銀行)のみとなります。



上記のなかで、ひとつ足りない事象があります。
実は、第一銀行が、いつ長崎にやってきたのか…
残念ながら、まだ分かりません。

また、ある方から、
「今回、壊される建物は、もともと日本勧業銀行だった」
と教えていただきました。
だから、いまでも通称で「勧銀」と呼ばれているんだ…と。
そういえば、みなさん「勧銀」と呼んでいます。
なに気ない言葉ひとつの中に歴史が感じられます。

で、解体される建物のこと…。とあるスジからの情報です。
ハッキリしたことは、もう分からないらしいのですが、
勧業銀行長崎支店は、1952年(昭和27)頃
旧大村町から本古川町に移ってきた当時の建物ではないか…?とのことです。





下の地図は昭和28年の市内地図です。
もしかして日本勧業銀行が本古川町に移ってきた直後かもしれません。







ちなみに、日本勧業銀行が建つ以前には映画館があったようです。
創業がいつなのかは不明ですが、
1919年(大正8)7月に鎮西精図社より発行された「長崎市地番入分割圖」の
『長崎市著名録索引』には、本古川町43の映画館は「大正館」とあります。






のち、大正時代から昭和初期にかけては「第一松竹館」となりました。
1933年(昭和7)5月29日、この松竹映画館で従業員による争議が起こりました。
解雇反対、減給反対、給料遅払い反対を叫び4人の経営者に要求書を提出。
ストライキを起こし、警官隊や特高などが出動する一幕もありましたが、
6月7日、争議団と経営者との話し合いがつき妥協。解決します。
しかし、その後、経営者が代わることになり、名称も新しく「昭映座」となりました。


松竹映画館争議解決記念写真(昭和7年6月)
(「長崎労働組合運動史物語」より)



(ブログ「長崎考現学(B)」より全面改稿)




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