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長崎市立市民病院

大浦海岸通り北端に位置する市民病院。
1941年(昭和16)12月、太平洋戦争勃発に伴い「移民教養所」を「小倉陸軍病院分院」に転用します。
そして戦後、米国が接収し、「長崎茲惠(慈恵)病院」として原爆被爆者をはじめ、一般市民の診療にあたります。
1946年(昭和21)4月には米国より長崎市民に寄贈、
日本医療団経営による長崎県中央病院「長崎慈恵(慈恵)病院」として発足します。
ところが、2年後の1948年(昭和23)11月には日本医療団の解散に伴い、長崎市が買収。
12月1日、長崎市立市民病院として開設されます。(内科、外科及び耳鼻咽喉科の3科。病床数96床)
市民病院のスタートです。
左側を走る電車は、戦災復旧車としてよみがえったうちの1両。21号車。
写真は昭和30年代の撮影です。




写真提供/長崎市歴史民俗資料館
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