長崎年表冩眞舘 其之肆拾壱

文明堂總本店

文明堂総本店の元となる文明堂の創業は1900年(明治33)のこと。
場所は丸山町72番地、現在の大崎神社の近くのようです。
2年後には船大工町4番地へ、さらにその翌年、船大工町84番地へ移転します。
そして1910年(明治43)には、店舗を西山川、大手橋のたもとの馬町へ移転しました。
のち1920年(大正9)に今町店(今町54番地・同地に料理屋金鍋すき焼き店)を、
1923(大正12)9月には大波止店(玉江町3丁目)…と市内に順次、各店舗を開設します。
馬町店は戦中、食糧統制などのため、その幕を閉じます。



大手橋越しに見た開店当初の馬町店です。
正面入口には、珍しかった電話の番号「電話千百貮十五番」を大きく掲げています。
中央の看板には「櫻飴」の文字が見えます。
これは日露戦争終結後、水飴を原料として製造販売し大好評を得た新商品のことです。






大正時代初期の馬町店の風景です。
右書きで「加寿天以羅」と読める大きな看板を掲げています。
右側、1階ひさしの部分にはボートとオールが見えます。
丁稚が愛らしい姿で写っています。






1921年(大正10)9月18日の店先です。和服に洋傘の女性が箱を抱えています。
右側にたたずむ姉妹らしき幼子。太陽の光がまぶしそうです。



3枚ともに写真提供/文明堂総本店
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