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第14回全国菓子大博覧会

1957年(昭和32)3月21日から30日にかけて「第14回全国菓子大博覧会」が長崎で催されました。
「菓子博覧会」のはじまりは古く、1911年(明治44)の「第1回帝国菓子飴大品評会」にさかのぼります。
戦争による中断はありましたが、全国のお菓子屋さんの熱意で復活。
名称を「全国菓子大博覧会」と変えて、ほぼ4年に一度、各地をまわって開催してきました。
会場では、全国から集まった菓子が展示、即売。
また菓匠が作った工芸菓子も披露され、優秀作品には、名誉総裁賞、内閣総理大臣賞など多くの賞が授与されます。
菓子博覧会での受賞は、業界の中でも最高の栄誉とされるほどといわれています。

博覧会の会場はふたつ。
ひとつは1949年(昭和24)11月2日に完成した松山町の競輪場横1万5千坪の敷地に、700万円を投じて建てた特設会場(下写真)。
もうひとつは1955年(昭和30)2月11日に、国際都市復興計画の一環で落成した国際文化会館。
国際文化会館の会場には、全国のお菓子職人が、腕によりをかけて作った菓子など、約1万2千点がズラリと並びました。



開会にあわせて菓子博覧会の名誉総裁でもある高松宮宣仁親王殿下、高松宮喜久子妃殿下が、急行「雲仙」号で来崎されました。
長崎駅では、西岡長崎県知事、田川長崎市長のほか、100余人の歓迎があり、ミスケーキ嬢からは花束の贈呈がありました。

博覧会初日の21日は、正午から全国の菓子業者をはじめ、各界知名士約2万人が集まり、平和公園でパーティが催されました。
翌22日には出品菓子の審査などが行なわれました。
一般の観覧は23日、午前9時からの予定でした。にもかかわらず、待ちきれない見物客が、初日からドッと押し寄せました。
主催者側は断ることもできず、午後2時、急きょ公開することに。
そのおかげでか、初日の来場者は全国のお菓子屋さんのほか、一般客など約1万人がつめかけたのです。
以降、盛況ぶりは高まり、期間中、唯一の日曜日、24日は天気にも恵まれ10万人もの賑わいで、警察が出動する混雑となります。
さらに29日にも6万人が押しかけ、最終的に会期を1日延長し31日に閉幕しました。

大混雑の24日、特に午前11時頃、会場内は身動きできないほどギッシリに。
担当者は、窮余の場内整理として「50才以上の方は、特設演芸場の方へ…」と叫びます。
と、どこからか「50才を年寄扱いするとはけしからん。60才以上にせよ…」。
逆に因縁をつけられる一幕もあったとか。

撮影/故・山本力夫
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