小ケ倉水源地堰堤
用地買収、家屋移転が終わり1920年(大正9)11月6日、午前10時より起工式典が執り行なわれました。
1.高崎市長式辭
1.床次(とこなみ)内務大臣祝辭(安達下関所長代讀)
1.渡邊縣知事祝辭[信太(しだ)内務部長代讀]
1.重藤市會議長祝辭
1.市長鍬入式
1.立花宮司鎮護式(小型の石に水源池鎮護の文字を刻し之を木箱に納めて埋む)
そしてダイナマイト事故、土砂崩壊、集中豪雨、トロッコによる事故など難工事の末、1926年(大正15)3月末日に完成。
4月1日、市民待望の給水開始となり、1か月後の5月9日には盛大な落成式が挙行されました。
式の當日は一片の雲もない快晴で午前六時風頭山に於いて煙火五發を打揚げて一般市民に祝賀氣分を
煽った。當日來賓は定刻より續々來場せられ其の人員七百十名其他職員、請負業者合せて約一千人、更
に一般公衆は此の式典を觀んとして來集し水道用地の四周は全く人を以て埋まり式は午前十時煙火三發
を合圖に祭典、午前十一時煙火三發を合圖に落成式、正午から宴會が始まった。(東洋日の出新聞)
落成祝賀式は錦織市長の式辞、石尾工事長の工事報告、内務大臣祝辞、知事祝辞、
納富市会議長祝辞、佐々野県会議長、松田商業会議所会頭、祝い大牟田町長の祝辞と続き
神澤別府市長・宮崎萬吉などから祝辞が寄せられましたが時間の都合で朗読は省略されました。
引き続き祝電披露に入り、浅山助役が濱口大藏、高崎行一前長崎市長、以下鹿児島市長上野篤、
早水西彼杵郡長、堀内前長崎県知事、高田大分市長などの祝電を読み上げ式が終わりました。
のち参列者達は祝宴会場に移り錦織市長の挨拶のあと、ジャパンホテルの献立による立食パーティで行なわれました。
宴半ばにして松尾内務省技師の万歳三唱のあと、
余興の演舞場では増設工事完成のため久世東籬に嘱してつくられた長唄新曲「鹿の尾川」の新作披露がありました。
余興は以下のようなもの。
1.鹿の尾川踊
1.藤娘踊
1.千代の水踊
1.筑前琵琶(鹿の尾川五絃合奏)
1.獅子舞
1.蛇踊
長唄新曲「鹿の尾川」は作歌/久世東籬、節調/松永鐡四郎、振附/藤間金彌、鳴物/六郷三右衛門
総工費は503万8296円。
絵はがき(複製)所蔵/藤城かおる
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