大浦カトリック教會
大浦天主堂は、1862年(文久2)の日仏条約を受け南山手のフランス人居留民のため建てられました。
1863年(文久3)12月、ジラール、フューレ両神父の設計図のもと天草出身の棟梁・小山秀之進の施工で建立に着手。
1865年(元治2)2月19日、盛大な祝別式をが行なわれ「日本廿六聖殉教者天主堂」と命名されます。
異国風の建物に長崎の市民たちは驚き、連日見物人でにぎわうようになります。
子供も老人も、男も女も、武士も町民も、お祭りにでも行くかのように、フランス寺を参拝。
ちくま学芸文庫「幕末 写真の時代」(小沢健志/編)より
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1879年(明治12)には、現在の形に大幅に改築されます。
というのも、浦上四番崩れから解放された日本人信者などが多く参るためです。
写真に『昭和9.2.3日 長崎要塞司令部検閲済』とあります。
ということは、ちょうど1933年(昭和8)1月23日、国宝に指定されて間もない写真みたいです。
絵はがき(複製)所蔵/藤城かおる
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