其之参拾質
    生きている年表
    2013年(平成25)6月17日


    平成15(2003)年6月17日に立ち上げた『長崎年表』が、10年を迎えました。
    『長崎年表』は、その名もずばり九州長崎の歴史年表です。
    長崎が歴史に登場してから、現在に至るまでを、進行形に追いかけています。
    ただ、長崎ならではの事象があまりにも多く、幅も広すぎるため、作っている本人も細部までは把握できていません。
    期限は区切っていません。
    少し前にあったことや、進行中で起こっていることなど、事象が終わり結果が出次第アップすることもあります。
    未来へ向けて、はてしのない年表なのです。

    『長崎年表』を立ち上げたそもそもの理由は、移り住んだ長崎に深い関係があります。
    長崎には特別に思い入れがありました。
    以前、東京にいた頃、九州には2回旅行しました。でも長崎は、意図的にコースからはずしました。
    長崎は旅行で立ち寄るところではない。住むところだと考えていたのです。
    江戸時代に長崎遊学がありました。
    若者たちは故郷を離れ、長崎の地で勉学に励み、知識を習得し、そして再び故郷に帰り自らを磨きました。
    それと同じです。長崎は「勉強をするところ」と考えていたのです。
    長崎に住んだ18年間、公私ともども勉強させてもらいました。遊ばせてもらいました。
    そのひとつに歴史がありました。一歩足を踏み入れたら最後、抜けなくなってしまったのです。
    仕事の関係で、たまたま歴史に携わり見聞が広まりました。
    そして個人的にまとめた結果が、いつのまにか『長崎年表』になったのです。
    あとからあとから、とめどなく事象があふれます。
    頭のなかが歴史でパンパンになり、どこかではきださないと破裂しそうでした。

    『長崎年表』の事象は、地元ならではです。
    間近に見て聞いて触れて、感じながら得ることができました。
    新聞やテレビ、ラジオのニュース、地域番組などからの情報をはじめ、書店で気軽に手にとることのできる郷土本。
    博物館や資料館で、貴重な品々をガラス越しに見て、不明な点は学芸員さんにたずねます。
    県庁や市役所の広報や、関係部署に問い合わせます。
    その場へおもむいて、見ることも、当事者と会いナマの声を聞くこともできました。
    ときとして、自身がその当事者になってしまうこともありました。

    年表は、いっぺんに完璧な形で仕上げることができません。
    あとから、より詳しい資料が見つかることもあります。
    修正や新規追加など、上書き更新の連続で、何回も書き直しをしていきます。
    それだけ時間がかかり、少しずつ分かる事象からまとめて、厚みを増しているのです。
    大きく有名な事象なのに、まだ年表に反映されていなかったり、
    1行、ひとこと、ふたことで終わったりする事象も、少なくありません。
    反対に小さな事象が、事細かに詳しかったりもしています。
    とても中途半端です。なかなか完成しません。
    また、いつ、どの事象が更新されるか、作っている本人も分かりません。
    資料が見つかり次第、年代の順番にかかわらず、事象の大小に関係なく更新しています。
    公にはしているものの不完全の連続です。
    もしかしたら昨日になかった事象が、今日はアップされているかもしれません。
    更新履歴も、何年何月何日の何の事象を加えたとか、どこを修正したとか、あえて細かくは明記していません。
    ちょっとした「てにをは」表現の変更など、とても厄介になってしまいます。
    毎日が新しい発見の連続ということで、許しを乞うしかないのです。

    『長崎年表』を作っていていると、たまに事象の詳細に行き詰まり、疑問を持つことがあります。
    そういうときは、インターネットで検索をかけることもあります。難問を打破するための糸口探しです。
    すると、なぜか自身の『長崎年表』の記述が、検索に引っかかります。
    作っている自身の年表は、それなりに分かっているつもりです。
    こちらは、それ以上のことを知りたいのです。でも、なぜか以上でも以下でもない、自分のサイトに堂々めぐり。
    インターネットでは、その事象に対して、まだ言及していないということでしょう。
    もしかしたら自分の『長崎年表』が、深く突っ込み、マニアック過ぎているのかもしれません。それにしても、です。

    『長崎年表』を作っていると、いろいろな問題に直面します。
    年表に誤表記は、あってはなりません。
    でも、人間のすること。元資料に間違いがあるかもしれません。データの打ち込みに間違いが生じるかもしれません。
    情報が多様化し、同じ事象なのに資料によっては、異なったデータが記されていることもあります。
    『長崎年表』のトップページには、「参考にしてもいいけど、間違っているかもしれないよ」的な文章を掲げています。
    間違いを指摘するメールをいただきます。また、何年何月に何々の事象を加えてほしい、というメールもあります。
    ありがたいことです。裏付けをとり、速やかに更新します。
    年表は完全にオープンにしており、誰でも見ることができます。
    ただ、どこで、どう使われているかは分かりません。
    長崎にいたとき、とある大学の先生と知り合いました。
    その先生が歴史の本をだされたとき。
    ふと参考資料の話しになり、ホームページで『長崎年表』を作っている旨を伝えると、びっくりした様子です。
    「かなり参考にさせてもらったよ」と。大学の先生が自著の参考にしているのです。逆に、びっくりしました。
    小学生から「夏休みの宿題に使いたい」というメールが届きました。
    「参考にするていどならね」。そうこたえました。
    また、とある有名な業界月刊紙の新年号に、数ページにわたり断りなく丸写しされたことがありました。
    著作権の専門家に相談し、相応な処理がなされました。
    話によると、年表は創作物でなく、著作権の適用はされません。
    でも、作成者の意図で事象をまとめており、編集著作物にはなり得るというのです。
    以来、いろいろと相談させてもらっています。

    『長崎年表』は、はじめた当初からトップページにカウンターを設けています。
    毎日、来訪者数をチェックしています。
    ホームページの性質上、毎日、たくさんのアクセスがあるわけではありません。とても地味です。
    立ち上げてから、平成25(2013)年6月16日(日)までの3653日
    10年間の総アクセス件数は4万3250件
    いちばん多いアクセス件数でも、平成25年4月17日(水)の44
    1日平均は、11.839となります。その程度なのです。決して多いわけではありません。
    作成者も多くは望んでいません。でも、少しは望んでいます。
    毎日の数を見ていると、ひとつの傾向はあるようです。土曜、日曜、休日よりも、平日のアクセスが多いのです。
    見て楽しむというよりは、調べものの取りかかりの手段として、使われているということでしょうか。
    そうかもしれません。たぶん、そうでしょう。

    長崎を離れるとき、知人から言われました。
    「長崎年表を引き継ごうか」
    お断りしました。また時が経てば長崎に戻るつもりでいるわけで、離れていても更新はできるのです。
    いまは、手元にある紙資料をまとめ、年表の行間を少しずつ埋めています。
    また、インターネットやテレビで仕入れた情報をもとに、繰り広げています。
    ある意味、身近に感じとることのできる情報は減るかもしれません。
    でも、はじめた以上は、1人で作り上げてこそ自身の「作品」になり得るのです。

    『長崎年表』は、まだまだ不十分な年表です。
    これからもずっと、間違えを修正し新しい事象を加え、更新を繰り返し続けていきます。
    『長崎年表』は、未来に向けて、はてしがありません。一種、ライフワークになりかねないのです。
    いや、いつのまにか気づかないうちに、藤城の体の一部になっているかもしれません。
    もしかして、藤城の鼓動が聞こえたりして。




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