其之参拾伍
眼鏡橋の控柱に継ぎ石
なぜか1本だけ……!?

2009年(平成21)12月8日(火)HP「眼鏡橋日記」(番外編7)アップ
2010年(平成22)2月17日(水)追記追加
2010年(平成22)12月26日(日)「長崎補色」に移行



自作HP『眼鏡橋日記』をはじめて606日目。
初めて、それに気づきました。なぜ? 不思議に思いました。
眼鏡橋にぜんぶで8本あるうちの、1本だけがヘンなのです。
というか、2008年4月1日から毎日も眼鏡橋を撮り続けていて、
これまで気づかなかったのが不思議です。

眼鏡橋には4本の親柱と4本の控柱の計8本の石柱があります。
左岸の上流側、下流側と右岸の上流側、下流側に
それぞれ親柱と控柱が1本ずつ立っています。



でも……。
なんと1本だけ、柱の途中で継ぎ石をしているのです。
他の7本は、ちゃんと自立して1本で立っているのに、です。
場所は左岸上流側の控柱

 

近づいてみました。

 


なぜでしょう。
なぜ、継ぎ足さなければならなかったのでしょうか。
ほかは、ちゃんと1本で立っているのに。
削りだしてはみたけれど、組み立てたら長さが足りなかった……。
そんなことがあり得るのでしょうか。
寸法を測っていなかったのでしょうか。
もしかして黙子如定さんのうっかりミス……。



ちょうど、この石柱の異変に気づいた頃、
別件で『中島川遠目鏡』(宮田安/長崎文献社/昭和52年8月)を読んでいました。
すると、「大手橋」の項18頁に
イミシンな記述を偶然みつけました。

昭和九年(一九三四)諏訪馬場新設、新国道開設、
馬町蛍茶屋間電車開通のために、旧国道が市道に格下げになり、
大手橋の擬宝珠親柱一本を眼鏡橋に補充活用した経緯などは
長崎談叢第二十三輯に詳しい。


なになに。いったいぜんたい、どういうこと?


わけも分からず元資料になる
『長崎談叢第二十三輯(藤木博英社/昭和13年12月)』を図書館でめくりました。
「大手橋について」(双樹圍生)の項56頁に

下流中島川に架る眼鏡橋は東口東側の擬寶珠石柱一本が
何時の頃か紛失してゐたことは
本誌第六輯「石橋風景」に述べた通であるが
大手橋改修の砌り市當局は拙案を採用、
大手橋の擬寶珠石柱一本を眼鏡橋に補充活用し
同橋の不具は幸ひ完全の姿となつた。
太さは殆ど同じであるが寶珠の形が幾分相違してゐるのはその故である。
これ即ち、廢物利用、代用品適用の一範例である。


なんとなんと、眼鏡橋の擬宝珠石柱のうちの1本が欠けていたということ。
そして大手橋のあまった石柱を使って、眼鏡橋の不足分を補っていたのです。
眼鏡橋の一大事。
文化財に登録している今日では、絶対にあり得ないことです。


さらに、『長崎談叢第二十三輯』の元資料
『長崎談叢第六輯(藤木博英社/昭和5年5月)』をひも解くため
再度、図書館に足を運びました。
すると「石橋風景」(林源吉)36頁に

竿石十本を渡した欄干の相方に二本宛兩袖に二本宛
都合八本(一本紛失)の擬寶珠造り親柱があり……



《何時の頃か紛失》した。
いったい、いつ紛失したのでしょうか。
なくなっても誰も気がつかないものなのでしょうか。
大きなもの、たとえば人通りの少なくなる夜に盗み出したとしても
次の日の朝、なくなっていれば誰か気づくはずではないでしょうか。
それほど、気にもとめない橋だったのでしょうか。

《1本紛失》……。
盗まれたのでしょうか。
盗む?重たくてひとりでは、とうてい運べないでしょう。
トラックを使った強盗団がいたのでしょうか。
もしかして怪人二十面相の仕わざ。
遠路はるばる長崎まで眼鏡橋の石柱を盗みに?
怪人二十面相は、のちのち眼鏡橋が文化財になることを見抜いていたのでしょうか。

ちなみに紛失の意味は……○○○○○○○○○○○
1 物がまぎれてなくなること。また、なくすこと。
○○○○○○……石柱が、どこにまぎれるというのでしょうか。
2 抜け出して逃げること。○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○……石柱に、なにか嫌なことでもあったのでしょうか。

はてさて、『眼鏡橋日記』606日目にして初めて見つけた継ぎ石。
この控柱が件の大手橋の親柱に相当するのか、分かりません。
ただ、眼鏡橋にあるほかの擬宝珠石柱とは違うことだけは確かなようです。

はたして真相は如何に!



眼鏡橋が架かって376年、石橋の大手橋ができて360年
はたまた大手橋の石柱1本が眼鏡橋に補充されて76年が過ぎていますが……。
分かっている範囲内で検証を試みてみました。


[検証1]

眼鏡橋には4本の親柱と4本の控柱があります。
計8本すべての頭には擬宝珠がついています。
8つの擬宝珠を、それぞれ見てみます。




赤矢印の擬宝珠は他の擬宝珠に比べてスマートでなく、下の方に重心があります。
ズングリ、垂れています。





上から見ると、他の7つは頂上が欠けていますが
赤矢印の擬宝珠はの擬宝珠だけは欠けておらず、なんとなく甘食を上から見た感じ。

形状は、他の7つと比べてあきらかに違いを見せています。


[検証2]

『長崎談叢第二十三輯』に
《……眼鏡橋は東口東側の擬寶珠石柱一本が何時の頃か紛失……》とあります。
眼鏡橋の《東口》は方位からみて風頭の方角。
中島川の左岸、磨屋町側になります。
その《東側》?
言葉の意味がとりにくいですが、
いちばん東側にある石柱のこととしたら、左岸上流側の控柱となります。



左岸上流側の控柱?
そうです。
『眼鏡橋日記』606日目にして初めて見つけた不思議な石柱。
継ぎ石がされて擬宝珠の形も他と違う石柱そのものなのです。
偶然の一致でしょうか!?


[検証3]

『中島川遠目鏡』の「大手橋」の項18頁に
旧橋の親柱一本、假名で『おふて橋』と刻んであるのが、
川の左岸、上流寄りのコンクリート橋柱のそばに立っている。


また『長崎談叢第二十三輯』の「大手橋について」の項55頁に
大手橋西口左袂に改修後不要となつた同橋の擬寶珠石柱一基を建て
その傍らに記念の碑を添へ……


さらに発行の『長崎・中島川と石橋群』(観光資源保護財団/昭和52年3月)の
39頁「大手橋」の項に
親柱の一本だけは、小屋の後ろで昔の面影を残している。

もし今でも記述の旧橋親柱が残っていて、
それが眼鏡橋の件の石柱と同じ形のものならば
まさに、眼鏡橋に立つ件の石柱は大手橋のものになるわけです。
さっそく大手橋に行ってみました。
しかぁ〜し!
残念ながら、どこにも旧橋親柱らしきものは見あたりません。
これで望みは断たれてしまいました。
ところが……。


[検証4]

思い出しました。
文明堂総本店様よりお借りしている写真を。
1910年(明治43)から一時期、店舗は西山川、大手橋のたもとの馬町にありました。
ちょうど現在の親和銀行馬町支店の場所です。
左は馬町開店当初の写真。右の撮影年月は不明ですが、ともに店舗の手前に大手橋が写っています。

 

擬宝珠の部分を大きくしてみました。

 

あれれっ……どこかでみたような……。
そう。[検証1]の写真、眼鏡橋の8つの擬宝珠のうちのひとつにそっくりなのです。



ということは……。




はたして写真の見ためだけで、素人が勝手に判断していいのかどうか分かりません。
不安は残りますが、でも、これでたぶん……。
眼鏡橋の件の石柱は大手橋の石柱
とみてよろしいのではないかな、と。




結論までこぎ着けることができました。



もしかしたら、上のお話は、先達の研究者によって確認されている事象かもしれません。
しかしその存在を知らず、自分なりに発見し、自分なりに結論づけてみた結果の報告です。





― 追 記 ―


第1稿をまとめて2か月ほど過ぎたある日、とても貴重な資料のコピーを入手しました。
その名も『重要文化財 眼鏡橋保存修理工事報告書(災害復旧)』。
大水害後の修理工事の内容をまとめ昭和59年3月に長崎市が発行したものです。

なんとこの報告書の中に、件の控柱が大手橋から移された旨が明記されていたのです。

[抜書1]

まず、39頁の第四章「工事概要」第六節「構成部材調査」の表組のなかで
4.高欄控柱の備考欄に

大手橋親柱移設、根継補修

の記載が見えました。

[抜書2]

さらに、42頁の第五章「調査工事」第四節「高欄擬宝珠について」のなかで

……眼鏡橋に使われている高欄柱八本のうち、三本は後補財と思われ、擬宝珠の
形に相違が見られた。さらに、左岸上流側控柱は大手橋の柱と酷似しており、
大手橋の改変の際に移設したものとわかった。……


として、付属注意書きに『長崎談叢第六輯』「石橋風景」と
『長崎談叢第二十三輯』「大手橋について」を記していました。



以上の2つの記述から、眼鏡橋左岸上流側の控柱は
大手橋の親柱であるという確証が得られると思われます。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●参考――――――――――――――――――――――――――――――
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●『長崎談叢第六輯』昭和5年5月/藤木博英社
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●『長崎談叢第二十三輯』昭和13年12月/藤木博英社
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●『長崎・中島川と石橋群』昭和52年3月/観光資源保護財団
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●『中島川遠目鏡』昭和52年8月/長崎文献社
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●『重要文化財 眼鏡橋保存修理工事報告書(災害復旧)』昭和59年3月/長崎市
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●HP『眼鏡橋日記』(http://f-makuramoto.com/30-megane/)
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●HP『長崎年表』(http://f-makuramoto.com/01-nenpyo/)



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