其之参拾参
煉瓦のなかに100年の息吹き
2010年(平成22)8月5日
埼玉に引っ越してお初です。
今回は以前、ブログ「埼玉考現学(旧長崎考現学)」に書いたものをまとめ、大幅改稿しました。
2008年08月21日の「本籠町の灯が、ひとつ消える」
2008年09月11日の「パチンコ屋になる…!?」
2008年09月12日の「正々堂々と煉瓦」の3本の合体です。
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江戸時代の延宝年間(1673〜1681)、町の南にある海岸線を埋築しひとつの町ができました。
中国貿易船の梱包材に必要な竹籠をつくる職人の住む町として成立し、籠町と名づけられました。
1636年(寛永13)、出島が完成しました。
でも、1689年(元禄02)に完成する唐人屋敷ができる以前。
唐人たちは自由に町を行き来していた時代です。
新地蔵もなく、籠町の目前には大海原が広がっていました。
のち、竹籠の需要拡大に伴って新しい籠町・新籠町ができました。
籠町は本籠町と呼ばれるようになりました。
明治の居留地時代、本籠町の道は港と街を結ぶ重要な往還となりました。
たくさんの外国人観光客がかっ歩し、人力車が通りぬけたのです。
そしてたくさんのお店が軒をならべました。
べっ甲細工や浮世絵、陶器、漆器などを売る美術工芸品店
長崎刺繍や真珠ネックレス、写真アルバム、絵葉書などを売る土産品店
店先には万国旗を飾り、看板には英語やロシア語などの言葉が温かく迎えました。
1905年(明治38)頃、1軒の煉瓦造り洋風建築の建物がたちました。
明治後期には美術品や洋品など貿易品を扱う本田商店として、
1950年(昭和25)から1961年(昭和36)までは西日本相互銀行が長崎支店を開設し、
さらに昭和から平成にかけては、バーやスナックなど小さな飲食店が雑居していました。
そんな昭和時代。高度成長期まっただ中の1966年(昭和41)11月1日、本籠町は名前がかわりました。
近隣の5つ町の各一部が合併し、現在の籠町ができたのです。
長崎文献社発行「華の長崎」ブライアン・バークガフニ著より
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時代を経て、件の建物は旧本籠町の通りに残る唯一の煉瓦造り洋風建築物となりました。
以前、建物の前を通ったときは、まだまだ現役でした。
2007(平成19)年5月3日撮影
でも、いつのまにか建物のまわりに工事用シートが張られました。
えっ、もしかして……。
2008(平成20)年8月17日撮影
そして……。
たまたま通りかかった日曜日、なに気なく耳をそばだててみると。
そう、日曜日にもかかわらず
シートの内側ではショベルカーが大きなうなりをあげているのです。
も、もしかして、取り壊し工事がはじまっている!?
シートの隙間からなかを覗いてみました。
なんと……。目を疑いました。建物はあとかたもなくなっているのです。
ショベルカーが自在に爪を立て、煉瓦がそこいらじゅうに散らばっています。
煉瓦のかけらが大きな山をつくっていました。
なんでえぇ〜〜〜〜〜〜っ!!!!
道路の反対側、広い駐車場のわきから入る解体現場にむかいました。
どうしよう、どうしよう。でも、なにもできない。
そうだ。できることなら、煉瓦のかけらだけでも。
どうにかして、煉瓦の1片のかけらだけでも入手したい……。
ダメと覚悟しながらも、近くで作業をしていた工事関係者をたずねました。
さっそく携帯で問い合わせ。
そして応えは……難なくオーケー。
ということで貴重な煉瓦をひとつ、いただくことができました。
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解体現場で煉瓦をいただいたのはいいのですが、
実はその日、そのあとの予定が立て込んでいました。
金屋町で写真展を見たり、尾上町の本屋に行ったり、
東古川町で打ち合わせをしたり、お茶したり…。
これから先、ナマの煉瓦と行動をともにすることになるわけで。
でも、それはいけません。凶器になりそうで、こわいのです。
坊主頭でサングラスかけていて。
世が世なら、凶器準備集合罪や結集罪になりそうです。
そこで、煉瓦を手にしてすぐ、いちばん近くのコンビニへ。
ビニール袋をもらいました。
これで、見た目も少しは違います。
正々堂々と、恥ずかしがることもありません。
誰からも怪しまれることはないでしょう。たぶん。
※
旧本籠町の通りに残る唯一の煉瓦造り洋風建築の建物が解体されました。
いにしえの息吹きが消え、いち時代が終わった瞬間です。
古いものを壊し、新しいものを作る……。
維持費よりも解体して新しい箱をつくった方が安い。手間もかからない。
ある意味、仕方のないことかもしれません。
でも、人知れず壊されていくというのも、さびしい限りです。
もし、日曜日に籠町を通らなかったら……解体を知ることもなかったのです。
目の前に1片の煉瓦があります。
籠町で100年の歳月をともにしてきた煉瓦には、たくさんの歴史がつまっています。
籠町で起きた、いや長崎、日本、はては世界で起きた出来事を見てきているのです。
煉瓦に耳をあてると、100年の鼓動が聞こえてくるかもしれません。
その煉瓦がいまは長崎でなく、遠く1300キロ離れた埼玉の地にあります。
不思議でなりません。