其之参拾弐
旧町名の復活
2007年(平成19)7月2日
2007年(平成19)1月9日、長崎市内中心部でのことです。
旧町名の「銀屋町」と「東古川町」が、41年ぶりに復活しました。
旧町名とは、昭和30年代から40年代に、自治省の通達により全国で実施された、
「住居表示に関する法律」が施行される以前の町名のことです。
全国的にみると旧町名の復活は、1999年(平成11)に実施した金沢市が初めて。
加賀藩士の名前にちなんだ主計町(かずえまち)を皮切りに順次、復活させています。
現在では「下石引町(しもいしびきまち)」「飛梅町(とびうめちょう)」「木倉町(きぐらまち)」
「柿木畠(かきのきばたけ)」「六枚町(ろくまいまち)」「並木町(なみきまち)」
……など、美しい響きを持った旧町名を取り戻しました。
というのも、金沢市では由緒ある旧町名を歴史的文化資産と位置付け、
条例化して復活を積極的に支援しているのです。
旧町名の復活には、町の連帯を取り戻す期待もあって、
土地に対する誇り、愛着があってこその町づくりなのかもしれません。
長崎は、それに次いで2例目となります。もちろん、長崎県内では初。
銀屋町は古川町の一部と鍛冶屋町の一部、あわせて約150世帯
東古川町は古川町の一部、約100世帯となりました。
今回復活した2つの町は長崎くんちの踊り町でもあり、
現在も旧町名が受け継がれていて、愛着は強いものがあります。
他にも、たくさんの町が旧町名を受け継いで長崎くんちの踊り町になっていますが、
その思いが、より強かったのかもしれません。
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簡単に復活までの流れを追ってみます。
☆2005(平成17)☆
01/24★旧町名復活への足掛かりとして、勉強を目的とした第1回「磨屋地区まちづくり研究会」が開催
04/29★銀屋町自治会の総会にて、旧町名復活を行なうことを満場一致で可決
今後、請願書を作成し、行政に働きかけを行なうことに
05/16★「磨屋地区まちづくり研究会」が開催され
長崎市が作成した「旧町名表示板」の設置に関する説明される
05/17★市会議員、銀屋町自治会長、自治会役員、婦人部代表、青年部代表、長崎循環器病院長など
総勢20名が長崎市役所を訪れる
長崎市長宛の請願書「旧町界での銀屋町の復活について」を提出
「長崎市と銀屋町自治会が一体となって協力し、平成19年の長崎くんちに
銀屋町として参加できるようスケジュールをたてて取組んでいきたい」との回答を得る
06/02★市役所が作成した「麹屋町」「銀屋町」「東古川町」の3つの旧町名表示板が当該場所に掲示される
06/26★旧東古川町の住民で作る「東古川親和会」の代表が長崎市役所を訪れる
旧町界による旧町名「東古川町」の復活を陳情
☆2006(平成18)☆
08/28★長崎市は、9月定例市議会に
「銀屋町と東古川町を住居表示として使うための関連議案を提出する。」と発表
可決されれば、その後知事の告示などを経て2007年(平成19)1月9日の実施が予定される
09/15★長崎市議会の建設水道委員会は
『古川町と鍛冶屋町の一部を「銀屋町」「東古川町」の町名に変更する議案』を全会一致で可決する
09/22★続いて長崎市議会の本会議でも
『古川町と鍛冶屋町の一部を「銀屋町」「東古川町」の町名に変更する議案』が全会一致で可決
2007年(平成19)1月9日に、銀屋町と東古川町が復活することに
☆2007(平成19)☆
01/09★「銀屋町」と「東古川町」が復活する
01/13★銀屋町で町名復活記念祝賀会が行なわれる
01/14★東古川町で祝賀会が行なわれる
※「『銀屋町』復活へ向けての歩み」を参考にさせていただきました。
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下の地図は、住居表示が実施される1966年(昭和41)10月31日以前の町名区画割となります。
そのほとんどが道をはさんだ両側を、ひとつの町としていました。
なもので町の境界線は背向いとなります。背向いは建物の裏側のこと。
境界線には小さな溝があり、いまでも、ところどころで見受けられます。
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1966年(昭和41)11月1日の住居表示の実施によって、
区画を集めてひとつの町を形成するようになりました。道そのものが町の境界線となります。
このとき、建物ひとつひとつに番号を付けて、それまで入り乱れていた住所番号を画一化しました。
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そして2007年(平成19)1月9日には銀屋町と東古川町が復活。
2つの町を取り囲んでいた古川町(旧本古川町、旧磨屋町、旧西古川町の一部)が逆コの字方に残りました。
旧古川町の街区1番から9番までを、それぞれ検証してみます。
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旧町名復活後の街区表示板です。
古川町1番、2番、4番は掲示されていません。7番は欠番です。
で、これが、いまはもない「まぼろしの古川町7番」の街区表示板です。
産業廃棄物になる直前に、長崎市から譲り受けました。