其之拾陸
電車停留場名にみる長崎の歴史[資料編]
2004年(平成16)6月1日


長崎の歴史に登場した停留場と町名の関係を、前回に引き続き、もう少し深く詮索してみる。

町名電停の変遷

表はあくまでも町名のついた電停のみに限ってまとめています
新設電停名の下の時代・年月日は町名成立から廃止までの期間です
「→」…継続電停名・継続町名 「→‖」…廃止電停名・廃止町名
「☆」…1944(昭和19)年、急行運転により廃止された電停。戦後、再開した電停に関しては、記述を省いています
改称後の電停名が現在の電停名とは限りません。のち改称された電停もあります

改称前電停名 電停開設・改称年月日 新設電停名 電停改称・廃止年月日 改称後電停名
1915(大正04)11/16 築町(1) 1920(大正09)12/25→‖
江戸時代→
1915(大正04)11/16 千馬町 1961(昭和36)10/→‖
1904(明治37)11/16→1964(昭和39)04/01→‖
1915(大正04)11/16 末廣町 1939(昭和14)08/ 出島岸壁
1904(明治37)11/16→1964(昭和39)04/01→‖
1915(大正04)11/16 浦五島町 1936(昭和11)09/ 五島町
江戸時代→1938(昭和13)頃→‖
1915(大正04)11/16 八千代町(1) 1957(昭和32)12/ 御船町
1904(明治37)11/16→
1915(大正04)11/16 井樋の口 1966(昭和41)09/ 銭座町
1904(明治37)11/16→1964(昭和39)02/01→‖
1915(大正04)11/16 坂本町 1920(大正09)07/→‖
1913(大正02)04/→
1916(大正05)12/27 大浦 1983(昭和58)06/ 大浦海岸通
1863(文久03)→
1916(大正05)頃 浦上 1922(大正11)頃→‖
1913(大正02)04/→1964(昭和39)02/01→‖
1917(大正06)06/04 出雲町 1930(昭和05)04/ 大浦石橋
1913(大正02)04/→
1919(大正08)12/25 恵美須町 1944(昭和19)01/→‖☆
江戸時代→
1919(大正08)12/25 豊後町 1921(大正10) 小川町
江戸時代→1963(昭和38)11/01→‖
1919(大正08)12/25 櫻町(1) 1954(昭和29)03/26→‖
江戸時代→
改称前電停名 電停開設・改称年月日 新設電停名 電停改称・廃止年月日 改称後電停名
1920(大正09)07/09 古町 1954(昭和29)03/26→‖
1642(寛永19)頃→
1920(大正09)07/09 馬町 1934(昭和09)12/20→‖
江戸時代→
1920(大正09)07/09 濱口(1) 大正末 浜口町
1923(大正12)04/→
1920(大正09)12/25 西濱町
1672(寛文12)→1966(昭和41)11/01→‖
1920(大正09)12/25 酒屋町 1954(昭和29)03/26→‖
1597(慶長02)頃→1963(昭和38)11/01→‖
1921(大正10)04/30 銅座町 1930(昭和05)04/ 柳通
江戸時代→
●●●●豊後町 1921(大正10) 小川町 1966(昭和41)09/ 桜町
江戸時代→1963(昭和38)11/01→‖
●●●●●濱口 大正末 浜口町(2)
 ――
1933(昭和08)12/25 松山町
1923(大正12)04/→
1933(昭和08)12/25 岡町 1944(昭和19)→‖☆
1923(大正12)04/→
1933(昭和08)12/25 大橋
1923(大正12)04/→
改称前電停名 電停開設・改称年月日 新設電停名 電停改称・廃止年月日 改称後電停名
1934(昭和09)12/20 新大工町
1606(慶長11)頃→
1934(昭和09)12/20 櫻馬場町 1944(昭和19)01/→‖☆
1913(大正02)04/→
1934(昭和09)12/20 中川町 1947(昭和22)12/ 新中川町
1913(大正02)04/→
●●●浦五島町 1936(昭和11)09/ 五島町
江戸時代→
●●●●本社前 1936(昭和11)09/ 茂里町(1) 1944(昭和19)01/→‖☆
1898(明治31)10/01→
1947(昭和22)05/ 岩川町 1954(昭和29)02/→‖
1913(大正02)04/→
●●●出島岸壁 1947(昭和22)12/ 出島
江戸時代→
●●●●中川町 1947(昭和22)12/ 新中川町
1913(大正02)04/→
1950(昭和25)09/16 家野町 1966(昭和41)09/ 長崎大学前
1923(大正12)04/→
1950(昭和25)09/16 住吉町
1949(昭和24)08/09→
1952(昭和27)04/ 若葉町
1964(昭和39)07/01→
1954(昭和29)03/26 桶屋町 1963(昭和38)03/ 公会堂前
江戸時代→
改称前電停名 電停開設・改称年月日 新設電停名 電停改称・廃止年月日 改称後電停名
●●●八千代町 1957(昭和32)12/ 御船町 1966(昭和41)09/ 八千代町
1913(大正02)04/→1964(昭和39)02/01→‖
●●●稲佐橋通 1957(昭和32)12/ 船蔵町 1966(昭和41)09/ 宝町
1904(明治37)11/16→1964(昭和39)02/01→‖
1960(昭和35)05/07 赤迫
1964(昭和39)07/01→
1961(昭和36)10/ 築町(2)
 ――
1961(昭和36)10/ 入江町
1904(明治37)11/16→1964(昭和39)04/01→‖
●●●●桶屋町 1963(昭和38)03/ 公会堂前
 ――
●●●●小川町 1966(昭和41)09/ 桜町(2)
1963(昭和38)11/01→
●●●●御船町 1966(昭和41)09/ 八千代町(2)
1964(昭和39)02/01→
●●●●船蔵町 1966(昭和41)09/ 宝町
1904(明治37)→
●●●井樋の口 1966(昭和41)09/ 銭座町
1913(大正02)04/→
●●竹の久保通 1966(昭和41)09/ 茂里町(2)
1964(昭和39)10/01→
●●●●家野町 1966(昭和41)09/ 長崎大学前
 ――
1998(平成10)05/07 千歳町
1964(昭和39)07/01→
改称前電停名 電停開設・改称年月日 新設電停名 電停改称・廃止年月日 改称後電停名



なかなか普段は気づかないような疑問点がわんさかと湧いてくる。
目立ったところで、いくつか考察してみる。(●●町…電停名、●●町…町名)

1966(昭和41)年9月、まとめて6つの電停名が変わった。
6つのうち4電停は町名から町名へ変更された。
実は1963(昭和38)年以降、住居表示の実施により町の区域が分割合併し、町名も整理された。
そこで、もともとの町名が地図の上から消えたことにより、電停名も旧町名から新町名に変わったのだ。
1963(昭和38)11/01に住居表示実施………電停名が小川町から桜町に変更
1964(昭和39)02/01に住居表示実施…電停名が御船町から八千代町に変更
1964(昭和39)02/01に住居表示実施…電停名が井樋の口から銭座町に変更
1964(昭和39)02/01に住居表示実施………電停名が船蔵町から宝町に変更
では、なぜ電停名の変更がこの時期なのか
まだ確証はないが、もしかしたら沿線の住居表示が全て終わった直後だったのかもしれない。
ひとつの電停を除いて……。

そう、西濱町だけが、旧町名のまま現在も残っている。
4つの電停名が変わったのが1966(昭和41)年9月……。
そして町名の西濱町浜町に変わったのは、中心街としてはちょっぴり遅い1966(昭和41)年11月1日……。
なんと、電停名を変えるのが2か月早かったため、あふれてしまったようだ。
もし仮に、町名を浜町に改名した後に、他の4電停といっしょに変えていたら……
もしかしたら現在の西浜町電停の名ではなく、違う名称になっていたにかもしれない。

一般的に町名がなくなり、新しい町名が成立してから電停名も変わる。当然の成り行き。
しかし、時たまそうでないときもあるようだ。

町の浦五島町五島町となったのは、1938(昭和13)年頃。
しかし、電停名の浦五島町五島町に変わったのは、町名変更より2年早い1936(昭和11)年。
なんと町名が変わる以前に電停名が変わっているのだ。
何故か?先見の明か……?予言者がいたのか……?
もともと五島町ひとつだった町が、江戸時代の初めに本五島町浦五島町に分かれ
1938(昭和13)年頃に再び合併し五島町となった経緯がある。
元来、五島町だったわけで、総称として、まとめてしまったのかもしれない。
まさに、先見の明があったのかもしれない。

浦五島町電停が五島町に変わって、町名が五島町になるまで2年。
しかし若葉町の場合はもっと長い。

若葉町は1964(昭和39)年7月1日に成立した。
にもかかわらず、若葉町電停が開設したのは1952(昭和27)年4月。
若葉町そのものがないのに、なんと12年も前から若葉町電停が存在していたのだ。
というのも若葉町は、電停ができる以前から、この辺りの自治会名として使用されており、
電鉄は社内募集で、あえて実際にはない町名を電停名につけた。
それだけ、この地域の市民には馴染みのある、身近な名称だったのだろう。
そして12年後の1964(昭和39)年7月1日、住居表示の実施により若葉町になった。

電停名と町名の共存が、たったの2年半しかなかったことも。

入江町ができたのは1904(明治37)年11月16日のこと。
そして入江町電停ができたのは57年後の1961(昭和36)年10月。
電停ができて2年半後の1964(昭和39)年4月1日には、入江町が地図の上からなくなる。
最終的に入江町電停が廃止されるのは1990(平成2)年6月11日だが、
町名と電停名が一致していた時期は、たったの2年半、のち26年は町名のない電停として残っていたことになる。

なかには堂々巡りに変わった名称もある。

八千代町電停は1915(大正4)年の開業と同時に開設した。
当時、長崎駅前から井樋之口までの区間は、国鉄の線路と平行して敷かれ
寿橋稲佐橋通の電停が連ねた。そのなかのひとつが八千代町
実際の八千代町は1904(明治37)年11月16日に成立。
第2期港湾改良工事により埋立てられできた町のひとつで、1丁目から3丁目まで設けられた。
……1957(昭和32)年12月、長崎駅前周辺の戦後復興の都市整備が完成し、
駅前に広い道路ができ、線路が現在のように移設。
電停名も八千代町から御船町[1913(大正2)年4月成立]に改称した。
……そして1964(昭和39)年2月1日、住居表示の実施により御船町がなくなり
電停名も御船町から開設当時の八千代町に戻った。

では、なぜこのようなことが起きたのか?以下はあくまでも仮説である。
電車開業当時、八千代町八千代町電停ができ、
戦後復興の都市整備で御船町に移設し、電停名も御船町となる。
そして住居表示の実施で御船町がなくなり、八千代町になったから八千代町としたのでは……。
いや!
実際問題として、旧・御船町新・西坂町新・御船蔵町の一部となり、新・八千代町には含まれていないのだ。
ということで新しい電停名を考えるとき
西坂町御船蔵町が候補にあがるが……
西坂町は長崎駅前電停の大黒町のすぐ北側にあり、近すぎる。
御船蔵町だと、改称される以前の電停名御船町船蔵町(現宝町)と紛らわしい。
そこで開業から42年間にわたり親しまれていた八千代町に決まったのではなかろうか。

電停には電停なりの、歴史の中に埋もれた紆余曲折がわんさかとあるようだ。


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