其之拾伍
電車停留場名にみる長崎の歴史
2004年(平成16)6月1日


路面電車の停留場やバスの停留所には、
○○町や○○前、○○通り、○○橋といった名称が多い。
乗客の誰もが分かる、馴染みやすい公共的な名称にしているからだろう。
しかし、こういった名称は、当然ながら時代とともに変わる可能性がある。
周りの名称が変われば、同時に電停名も改称される。
そこで、長崎電気軌道(電鉄)に限って……
町名の付いている(付いていた)電停を考察してみる。

現在の電停のうち、現在の町名がつく電停名……17
赤迫、住吉、千歳町、若葉町、大橋、松山町、浜口町、茂里町、銭座町、
宝町、八千代町、五島町、出島、築町、桜町、新大工町、新中川町
現在の電停のうち、いまはもうない町名がつく電停名……1
西浜町(130メートルほど離れ2か所ある)
いまはもうない電停のうち、現在の町名がついていた電停名……12
家野町(現・長崎大学前)、岡町(廃止)、濱口(現・浜口町)、
岩川町(廃止)、坂本町(廃止)、銅座町(現・観光通)、大浦(現・大浦海岸通り)、
出雲町(現・石橋)、恵美須町(廃止)、桶屋町(現・公会堂前)、
古町(廃止)、馬町(廃止)、櫻馬場町(廃止)、中川町(廃止)
いまはもうない電停のうち、いまはもうない町名がついていた電停名……9
浦上(廃止)、井樋の口(現・銭座町)、船蔵町(現・宝町)、御船町(現・八千代町)、
浦五島町(現・五島町)、末廣町(現・出島)、千馬町(廃止)、入江町(廃止)、
豊後町(廃止)、小川町(現・桜町)、酒屋町(廃止)

現在、37ある電停名称のうち町名の名称は18
全体の48.6486……パーセント、半数近くを占めている。
また、各時期にそれぞれ新しく開設された路線と、
同時に新設した電停名だけで考えると
42電停名のうち27、全体の64.2857……%、
なんと半数以上が町名の電停だったのだ。

長崎で初めて路面電車が走ったのは、1915(大正04)年11月16日のこと。
電車開設当時、電停の名称を決めるときに考案者たちは何を考えたか……?
市民に分かりやすい、親しみやすい名称を付けようとするのは、当然のこと。
考えられるのは、公共性のある……○○町、○○前、○○通り、○○橋などの名称。
では、なぜ町名がつく電停が多いのか……?

明治期、数回にわたり長崎駅周辺や出島周辺で、大がかりな埋立てが行なわれた。
大正時代に入ると長崎市街もある程度、形づくられ落ち着きをみせはじめた。
ということで、電停名に町名を付けて
市民に親しんでもらおうと考えたのかもしれない。
電停名に町名を付けても
新しく町ができたばかりで当分の間、変更はないものと考えたのかもしれない。
だから町名電停にしたのではなかろうか……。
これはあくまでも憶測である。

ちなみに開設当時の電停は全部で12
築町、千馬町、末広町、大波止、浦五島町、長崎駅前、八千代町、稲佐山通、井樋の口、浦上駅前、坂本町、病院下
うち町名は築町、千馬町、末広町、浦五島町、八千代町、井樋の口、坂本町の7つ
あとは駅前が長崎駅前と浦上駅前の2つ。長崎の海の玄関である大波止
なぜか対岸にある山の名前を冠した通り、稲佐山通。そして長崎大学付属病院の前身、長崎県立長崎病院の下
稲佐山通りを除いて、かなり親しみ深い電停名になっている。

しかし……1962(昭和37)年に施行され住居表示法は、順次、町名を合理的に整理していった。
「わかりやすく」を大義名分に、昔からの由緒ある町名や字名が次々と消えていった。
町名が消えると、おのずと町名電停名もなくなる運命にある。西浜町電停を除いて……。
なぜ、西浜町電停だけが残っているのか……。
次回、若干の論証はしてみるつもりだが。

歴史の生き証人でもある電停名は、いつまでも変わらないでいて欲しいものだ。
変わってしまったら、二度と、もとに戻らない。歴史の中で忘れ去られていくだけ……。
だが逆に、昔の町名のままにしておくのも、ちょっぴり不便かもしれない。
いつまでも、なくなった町名と同じ電停名にしていても、利便性に欠けるだけ……。
過去の歴史を尊重するか、現在の利便性だけを考慮するか……。
ふたつにひとつの選択だが、とても難しい問題のような気がしてならない。


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