其之拾
長崎の町【7】意味不明
2003年(平成15)10月6日


今町、新町、古町、上町、中町、下町、元町、東町…。
どういう経緯で町名がつけられたのか、その理由はなんとなく分かる。
ならば、何か統一した基準が、設けられているのかとも思ったが、
それぞれみんなバラバラに命名され、それぞれに違った意味があるようだ。

今町新町は戦国の織田、豊臣の時代からあるという。
当時、比較的に新しく成立した町であったことに由来する。
しかし、いつかは古くなってしまうようにも思えてしまう。
1963年(昭和38)11月01日…今町は金屋町に、新町は興善町に
それぞれ編入され、ともに現在はない町名。

古町。もともとは寄合町といったが、1642年(寛永19)に、町名が丸山の地に移った。
そこで付近一帯では、いちばん古い町であったことに由来して命名された。
出来た当時から、いつまでたっても古いままである。

いやいや、古来からの由緒ある町名を、
古くなってしまうとか古いままとか、簡単に言ってはいけない、いけない。

上町中町
上町は中町の上手に並行して拓かれた町。
中町は恵美須町と上町の間に立地した町。
さて上町中町、どちらが先に出来たのだろうか?
もしかして、いわれはそれぞれ2通りあるものの、同時に出来ていたりして。

下町、元町、東山町、大浦東町…。
旧大浦郷の下方に位置にあったから下町
旧大浦郷の古い中心集落があったから元町
今は暗渠になっている大浦川東方の、丘陵斜面に位置したから東山町
大浦の東側に位置するから大浦東町…。
東山町大浦東町、いったい何がどう違うのだろうか。
ところで大浦地区の町は、郷名が廃止された1913年(大正02)から
1973年(昭和48)〜1974年(昭和49)に住居表示が実施されるまで、
それぞれの町名の上に「大浦」のカンムリを付けていた。
すなわち大浦相生町、大浦出雲町、大浦上田町、大浦川上町、
大浦下町、大浦東山町、大浦日の出町、大浦元町
…としていた。
しかし現在は大浦東町を除いて「大浦」を省いてる。
ではなぜ、大浦東町は大浦が取れないのか?
実は、外そうとしたとき、
すでに長崎市内の東長崎地区に、東町が存在していたのである。
どうやら早いもの勝ちのようだ。


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