其之捌
長崎の町【5】お目出度い町名
2003年(平成15)10月6日
お目出度い祝意によってつけられた町名を挙げてみる。
お目出度い町名も、神社仏閣の町名と同じくらいに、全国的な規模で確認できるかもしれない。
1895年(明治28)10月、第1期長崎港湾改良工事が終了。
にもかかわらず、中島川河口では、相変わらず土砂の堆積が進行していた。
そこで長崎市は、港湾凌渫(しゅんせつ=水底の土砂をさらって深くすること)と埋築の計画を進め、
2年後の1897年(明治03)10月に第2期港湾改良工事を起工。
1904年(明治37)11月16日に完成した。
以下の町名は、このとき埋立てられ出来た24町の一部である。
尾ノ上町、要町、寿町1〜3丁目、幸町1〜4丁目、末広町1〜3丁目、高砂町1〜4丁目、
宝町1〜4丁目、羽衣町1・2丁目、福富町1〜4丁目、八千代町1〜3丁目……。
これらの町は、埋め立てられて町が広がったことに対し、将来を祝福して名づけられた。
そのお目出度さを、町名の由来としているのはハッキリしている。
それ以上の、深い意味があるかどうかは分からない。
しかし、せっかく将来を祝福して名づけられた町名も、
町界町名の変更と住居表示の実施により、そのほとんどが消えていった。
1963年(昭和38)11月01日
尾ノ上町、高砂町1〜4丁目→尾上町に編入
1964年(昭和39)02月01日
幸町1〜4丁目、福富町1〜4丁目→幸町に編入
寿町1〜3丁目、宝町1〜4丁目→宝町に編入
八千代町1・2丁目、八千代町3丁目の一部→八千代町に編入
八千代町3丁目の一部は西坂町に編入
1964年(昭和39)04月01日
要町、羽衣町1・2丁目、末広町1〜3丁目→出島町に編入
残念である。もったいない。
では…なぜ将来を祝福して名付けられた町名を変えてしまったのか?
せっかく付けた名前を変える必要がどこにあるのか?
お目出度いといえば、室町時代あたりから信仰されている、七福神の崇拝があげられる。
まず寛永年間の末(1624〜1643)に外下町、築出町、浦築出町が合併してできた恵美酒町。
そして1972年(寛文12)、恵美酒町が恵美酒町と大黒町に分割された。
恵美酒町は幕末以後、恵美須町に改称。
さらに1965年(昭和40)11月01日にできた弁天町がある。