其之質
長崎の町【4】神社仏閣の名前
2003年(平成15)10月6日


神社仏閣の名称と同じ町名は、全国的な規模で確認できるだろう。
よく耳にしそうである。
で、長崎には寺町がある。その名もズバリ、寺のある町。
1898年(明治31)までは、寺が建ち並んでいたという理由で、俗に寺町と呼ばれていた。
正式に寺町と付けられたのは、1913年(大正02)4月から。
現在、寺町には禅林寺、深崇寺、三宝寺、浄安寺、興福寺、延命寺、長照寺、皓臺寺、の8つの寺がある。
また寺町の南側、鍛冶屋町には大音寺、発心寺、大光寺、崇福寺、現應寺(現・八坂神社)、清水寺。
北側の伊良林1丁目には光源寺が、伊良林2丁目には若宮稲荷神社などがある。
神社そのものの名称がついた町は、八幡町、伊勢町、八坂町、天神町、住吉町、岩屋町…がある。
由来のほとんどは、由緒ある神社が元からあったり、またその地に移ったのちに、町名が変わったり。

他にも…。
出雲1〜3丁目のうち、1丁目に出雲天満宮がある。
いくつか本を探ると、「出雲」の由来を「雲のわき出(いず)る高所」としている。
しかし、それだけで「出雲」という名を発想するだろうか?
「出雲」といえば、神話にも出てくる日本古来からの、特異まれな名称なのに。
そう島根県の「出雲」を意識しなければ、でてこない名だ。
町の奧にはもっと高い丘……実際、高丘1・2丁目がある……も控えており特別高所にあるわけでもない。
出雲町の名前が付いたのは、出雲天満宮がこの地に移って37年後の1913年(大正02)。
チョッピリ時間が経ち過ぎているような感じもするが、
単純に考えて「出雲天満宮」に由来する方が自然だ。
それをあえて「雲のわき出る高所」としている理由はどこにあるのだろうか?

もうひとつ、全国的に有名な神社の名前がついた町。
神社の名は諏訪神社。町の名も諏訪町。しかし諏訪町に諏訪神社はない。
現在、諏訪神社は諏訪町の真北約760メートルの位置、上西山町の杜の中に鎮座している。
かなり離れており、まるっきり関連がないようにも思われる。
しかし、そのむかし諏訪神社は今の諏訪町(東山の地)、長照寺付近にあったという説があるのだ。
のち、現在の松森の地、西山郷圓山(まるやま)に建立され、
さらに玉園山の麓へ遷宮し今に至るといわれている。
ただ、あくまでも仮説であり、事実かどうかはわからない。
にもかかわらず町の名にしてしまうほどの力が、諏訪という言葉の中に含まれているのは何故か?
長崎人と諏訪神社とのあいだに、目に見えない、つながりがあるように思えてならない。
それは「おくんち」に代表される諏訪神社が、そのむかし、近隣にあったという誇りなのかもしれない。
諏訪町の町名が、長崎の歴史の中に登場したのは江戸時代。
諏訪神社を「諏方の社」と書かれていたように、当時は諏訪町も「諏方町」の文字が使われていた。
現在の諏訪町は、1966年(昭和41)に合併するまで、新橋町と諏訪町に別れていた。
ちなみに北側の新橋町は、江戸時代初期、毛皮屋町と呼ばれていたという。
そういえば町の東側、寺町との境近くに鹿屠(ししとき)川が流れている。
なにか関連があるように思えてならない。


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