其之壱
長崎に来たころ
2003年(平成15)7月17日
長崎に移り住んだのは、1991年(平成03)の秋。
東京で生まれ育ち、長野県松本市内で2年半過ごした後の長崎である。
それまでは、一度たりとも長崎の地に足を踏み入れたことがなかった。
九州へは二度ほど来たが、わざと長崎は外した。意識して来なかった。
長崎は、観光や旅行で来るところではなく、勉強をしに来る場所だと考えていた。
江戸時代、江戸の人たちが長崎へやって来て、勉学に励み、再び江戸に戻る
……長崎遊学という動きがあった。
それと同じに考えている。
だから、長崎へ来て12年になる現在も、まだまだ
公私ともどもに長崎で勉強をさせてもらっている感じが強い。
長崎に移り住んだ前後の、主な事象を振り返ってみる。
1990年(平成2)
6月11日★長崎電鉄、築町・市民病院前間の入江町電停が廃止
8月3日★長崎旅博覧会が開催
1991年(平成3)
6月3日★雲仙普賢岳で大火砕流が発生
9月27日★台風19号が襲来
1992年(平成4)
3月25日★ハウステンボスがオープン
雲仙普賢岳の大火砕流は、松本でテレビの中の出来事だった。
長崎旅博覧会は知らなかった。
ただ偶然にも、妻が引越しのための家を探しに来た日と、台風19号襲来の日が重なった。
高台から眺める長崎の街に、100万ドルの夜景はなかったという。
のち、妻と2人で初めて長崎の街へ入ったとき
JRでトンネルを抜けると……
そこかしこの建物の屋根が青く広がっていた。
エキゾチックな街。さすが長崎。と思った。
しかし、それは台風19号の影響で屋根が飛び、
その補強として青いビニールシートをかけていた。後になって知った。
被災者の方々の苦労が偲ばれる。
長崎に移り住んで、まず街を知ろうと地図を買った。
地図に載っている入江町電停が実際にない。
電停は廃止になっているのに、地図の上では存在していた。
数人の友人、知人に10年前くらいの出来事を尋ねる。
すると記憶が何となくあいまい。
「どっちが先だったっけ」。みな口を揃えて言う。
10年ひとむかし…それは中途半端にキワどい時期のようだ。